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私とインバウンドと2024:第四話「おとぎの国の舞妓さん」

先日、朝起きると久しぶりにニューヨークに住むマリアさんからWhatApp(ワッツアップ) 経由でボイスメッセージが届いていた。

Hi Lisa! Its's me Maria. How are you? (Hi りさ。マリアです。元気?)
I've been thinking about you (あなたのことを考えていて、)
and just wanted to take a little moment to say hello.  (ちょっと挨拶する時間を持ちたいと思いました。)

マリアさんは2024年の春に京都と大阪でツアーをしたご家族のお母さんで、何ヶ月かに一度、思い出したように1分か2分のボイスメッセージを送ってくれる。

Hopefully you and rest of your family are doing well. (あなたとご家族が元気でありますように。)
We are doing ok here in the united states. (私たちはアメリカでまあまあやっています。)
Everybody is doing well, thank god. (神様のお陰でみんな元気です。)

ボイスメッセージが送られてきた「WhatApp(ワッツアップ)」とは、欧米で主流の無料のメッセージアプリで、日本で言うとLINEのような感じ。お客さまとのやりとりは年々、メールより「WhatApp(ワッツアップ)」が主流になってきている。海外の旅行会社さんからの依頼もたいていはこのメッセージアプリだ。文字のやり取りが多いけれど、マリアさんのようにボイスメッセージを好む人もいる。

We hope one day to have a chance again to see you, ( またいつかあなたに会える機会があればいいな)
which I know I am sure will happen, all right? ( そうなることを確信していますから、ね。)
Because my husband loves Japan(なぜなら夫は日本が大好きだし)
and we cannot stop talking about how wonderful the country is (日本がどれほど素晴らしい国かずっと話しています)
and it's true. (本当にそうです)
Anyway, have a good night. (それでは、おやすみなさい)
Take good care of yourself, bye bye. ( お体に気をつけて、バイバイ!)

いつも健康を気遣い、日本を褒めてくれて、また会いたいと言ってくれる。旅先で数日間だけ一緒に過ごしたガイドのことをずっと覚えていてくれるなんて、とても心の広いひとだ。
マリアさんは初めての日本旅行で、日本のことが大好きになった。きっと夫のケビンさんと日本のことを思い出すとき、私のことも一緒に思い出してくれているのだと思う。

思い出す、桜の季節のこと。
心に残る旅を提供できたのは、私のガイド能力のおかげ、といいたいが(それも少しはあるかもしれない、あったらいいな。)間違いなく満開の桜のおかげ。そして舞妓さんとの特別なお座敷体験のおかげだったと思う。


咲かない桜

醍醐寺にはソメイヨシノより早く咲く桜も多く、京都市の中心部より一足先に、比較的混雑を避けて桜を楽しむことができる。

2023年は3月20日ごろにはもう開花が始まった京都のソメイヨシノ。2024年は3月26日ごろでもまだ咲かなかった。この時期に桜を楽しみにしていたゲストの多くは桜を満足に見ることができずに京都を去らなければならなかった。

反対に開花が遅かったということで恩恵を受けた人たちもいた。桜の見頃は終わっているだろうと思っていた4月中旬でも、満開の桜を見ることができた。その真ん中に咲いているのがマリアさん・ケビンさんと過ごした数日の思い出だ。

マリアさん、夫のケビンさん、妹のソフィーさんとそれぞれの20代の息子さん、合わせて5人グループが京都に到着されたのは4月10日のことだった。

満開の桜の思い出

2024年4月10日、私たちは満開の桜の中にいた。この時期にまだ葉の混ざらないソメイヨシノが見られるのは本当に久しぶりだった。桜のピークを3月末と予想して訪れた多くの観光客でだんじり祭りの渦の中に投げ込まれるような混雑だった1週間前とは異なり、10日にもなるとある程度余裕を持って歩きながら満開の桜を見ることができた
他のゲストには内緒だが、お花見に関してこの春いちばん幸運だったのはマリアさん・ケビンさんたちだ。

桜満開の嵐山を散策するゲストと私
桂川沿いの桜並木
渡月橋(とげつきょう)から見る中之島と嵐山

この下の写真は大阪城公園のすぐ北を流れる川を水上バスでクルーズした際に撮った桜並木 in 4月13日。

水上バス「アクアライナー」から見た桜並木

春の予約は1年前から

We would love a picture with a geisha, is this possible? (ゲイシャとぜひ写真が撮りたいんだけど、可能でしょうか?)

そもそも最初にケビンさんから連絡があったのはさらに一年さかのぼる2023年の6月のこと。revenge tourism (リベンジ・ツーリズム)という耳触りの恐ろしい名で呼ばれるほど、パンデミック明けの世界の人々の旅行消費は激しく、ダムが決壊したように訪日外国人が溢れた2023年の春。いつもはゴールデンウイーク明けから落ち着くはずの混雑がひっきりなしに続いていていた。もしやこんな状態が夏まで?とペース配分を間違えたマラソン選手のように息切れを起こしていた矢先のことだったので、もう来年の春の問い合わせが届いたのかと軽い眩暈に襲われたのを覚えている。しかし春の予約は1年前から埋まることが普通。問い合わせが早い分、長い時間やり取りをし、実際にお会いできた時の喜びはひとしおだ。
ケビンさんたちと特別仲良しになれたのは、メールを何度も交換しながら旅の計画を手助けしたからでもある。

その最初のお問合せが上記のとおりGeisha(ゲイシャ)さんについてだった。Geishaとのお座敷遊びは、海外ゲストからのリクエストが絶えない
おそらくニューヨークに行ったらブロードウェイでオペラ座の怪人を観たい、とか、ウィーンを訪れたら黄金の間でウィーンフィルハーモニーの演奏を聴きたい、とかと同じくらい、京都でのエンタメとして海外ゲストの頭に浮かぶのが、Geishaとお座敷遊びをする姿なのだろう。

芸者じゃなくて、芸妓じゃなくて、舞妓です。

Geishaと言いつつ、その実、多くの場合それは舞妓さんを指す。
そもそも京都では芸者さんのことを芸妓(げいこ)さんと呼ぶのが礼儀であり、たとえ海外ゲストであってもゲイシャと呼ぼうものなら「京都では、げ・い・こってゆうてね」と笑顔のお叱りを受ける。

加えて、海外ゲストが想像するGeishaとは、きらびやかな髪飾りに美しく裾を引く着物や背にだらりと垂れる帯。これらは芸妓(げいこ)さんではなく、芸妓になる修行中のお嬢さんである舞妓(まいこ)さんだけに見られる特徴のなのだ。
だから、まず「Geishaは京都ではGeikoなんだけど、あなたの言ってるGeikoはMeikoですよね?」「GeikoとMaikoの違いはうんぬんかんぬん。。。」と確認をするところからお問い合わせ対応が始まる。

Geishaという言葉がひとり歩きしているのは、1997年に出版されたアメリカ人作家の小説「Memoirs of a Geisha」があまりにも有名だからだ。2005年に映画化もされ、俳優の渡辺謙さんがハリウッド映画に登場し始めた初期の作品のひとつでもある。
物語の舞台は戦後の日本で、少女が人身売買されたり水揚げされる描写があるため、未だにGeishaという言葉に強烈な闇の印象を抱く人も多い。「Geishaは・・・今でもその・・・もごもご(はっきり言わない)・・・なのか?」と心配そうに聞いてくるゲストもいる。

当然、現代の京都で舞妓さんの人身売買がまかり通ることなどあるはずもなく、むしろ幼い頃から日本舞踊と茶道を習った「いいところのお嬢さん」が舞妓さんになっていたりもする。舞妓さんになりたい女性からの応募の形でリクルートされることが多いようだ。
興味がある方はここから応募できます。


舞妓さんと写真を撮る方法

こちらの写真は置屋の女将さんと写真撮影中の舞妓さんに遭遇し幸運にも撮影を快諾いただいたレアケース。

さて、ケビンさんの最初のお問い合わせに戻る。舞妓さんと一緒に写真を撮るのは、それほど簡単なことではない。道端で見かけて一緒に写真を撮れる確率は1割以下くらいだろうか。了承なしに写真を撮るのはルール違反だし、そもそもお稽古やお勤めに忙しい舞妓さんは、道端ですれ違っても風のように去っていくのが常だ。

ニューヨーカーは街でオノ・ヨーコを見かけても話しかけるなんて野暮なまねはしないのよ。とニューヨーク出身のゲストが言っていたっけ。
みんながニューヨーカーのように振舞えるわけもなく、時に舞妓さんへの過度な追っかけ行為が問題になる。それは海外ゲストの間でもよく知られていて、自分は迷惑行為などせず京都のしきたりに準じたいと言いつつ、なんとかして京都のオノ・ヨーコを旅の思い出に残したいと願ってもいる。

確実に舞妓さんと写真を撮れる方法がある。それは舞妓さんとのお座敷遊びを予約すること。お座敷遊びの他に、舞妓さんとの茶道体験というのもある。ほとんどの場合写真撮影OKで、記念撮影に喜んで応えてくれ、おしゃべりもできる。
ただし、本格的なお座敷体験は高額になることが多く、ここはゲストとよく相談する必要がある。

ケビンさんは高額になってもプライベートで本格的なお座敷遊びがしたいとのことだったので、祇園(ぎおん)の料亭で舞妓さんとお食事する手配をすることになったのだった。

これが祇園の本気です

真鯛や白ミルガイのお刺身
タレを継ぎ足しながらゆっくりと七輪で筍を炙る

祇園(ぎおん)のお座敷は、おとぎ話のお姫様と王子様のようだ。
昔々あるところに花のように美しいお姫様がいて、虐げられた挙句、瀕死の状態になっていました。そこにまぁなんということでしょう。白馬に乗った心優しき王子様が現れ、お姫様の手をとり甲に口付けて求婚しました。そんな話が現実にあるものか。祇園のお座敷は私をそのような夢心地にさせる。

おとぎ話はたいてい店に入る時から始まる。
入り口にはここだと主張する看板が全くないか、かまぼこ板ほど小さな表札に申し訳程度に店名がある程度なので見つけるのに一苦労する。
やっと間口を見つけ、入ったと思ったらまた小道があり、奥に進むともうひとつ間口がある、という具合だ。おとぎ話の魔法の森の奥に誘(いざな)われる。
敷居をまたぐと三和土(たたき)にはチリひとつなく、奥へ続く床の木板は歴史の積み重ねを感じさせる古い風合いだが、隅々まで磨き上げられていて瑞々しさがある
完璧な京ことばでそつなく料理を届ける女将さん。どこか浮世離れしていて妖精のように掴みどころがなく妖怪のような怪しさもある。その妖精とも妖怪ともつかぬひとが座敷の奥から次々に運んでくる角形のお盆には小鉢や豆皿が並んでいて、機質も色もバラバラなのに盆の中で調和している。肝心の料理はというと私のような素人が見ても完璧な角と丸みである。角は完璧に潔く、真っ白な料理服に身を包んだこれまた妖精のような料理人と、完璧に手入れされた包丁が、料理の背後に思い浮かぶ。丸みは完璧にまろやかで、熟練の漁師さんが薩摩の近海で一本ずりした鰹を半年以上熟成して鰹節に・・・、などと気の遠くなるような手間と時間を連想する。

食材はひとつひとつ抜かりなく今日という日のために配置される。今朝まで土の中にいた筍。寒い中、山に入って掘り起こし、午前中のうちにアク抜きをする。それが今夜私たちの目の前に届けられ、妖精みたいな料理人が七輪でゆっくりと炙る。こんなおもてなしは現実世界のどこにもない。おとぎ話の中にいるに違いないと思えてくる。

惜しみなく届けられる祇園の本気に酔いしれていると、ソフィーさんが
「ふんぬっ」
と素っ頓狂(すっとんきょう)な声をあげた。
口の中に入れたものを飲み込めず、吐き出すこともできず目をぎゅっと閉じたまま耐えている。サザエだった。
ケビンさんもサザエを箸で突いたりしたあとやっと口にいれ、しばらく静止したのち、水のグラスを喉に流し込んで無理やり飲み込んだ。そしてゲラゲラと愉快そうに笑い出した。まずい、ってことなんだろう。まずいとは言わないが。
ミル貝やサザエは味も見た目も奇妙だと感じる海外ゲストは多い。おとぎの国のおとぎ飯。手間がかかり新鮮で見た目も美しいが、必ずしもお口に合うとは限らないようだ。
「海の味がする」
というシンプルな感想がみんなの達した結論だった。

春のかんざし

すす、とふすまが滑り、女性が入室した。

「よろしゅうおたのもうします」

雪のようなおしろい目尻に魔除けの朱(しゅ)こめかみもほんのり赤い
舞妓さんは前髪を垂らしてはいけない決まりがあり、いつも前髪は結い上げられている。前髪はピッタリ頭のカーブに沿うのではなく、丸みを持たせた膨らみがあり、その膨らみに覆い被さるように美しいかんざしが添えられていた。ピンク色の鞠のようなかんざしは、よく見たらシルクでできた桜の花々だった。花びらの周りには銀の蝶々が何頭も羽ばたいている。
舞妓さんのかんざしは京都の伝統工芸のひとつで、4月は桜や蝶、5月は藤、6月は紫陽花、など季節を代表する草花が用いられる。かんざしだけではなく、着物、帯、草履など身につけるもの全てが工芸品だ。装飾品の全てに意味があり、どこにも抜かりがない。高額なお座敷遊びは、舞妓さんの衣装を通して伝統工芸の世界で経済を回し、職人たちの匠の技を現代に繋ぎ止めている

舞妓さんはどこに座してもらおうかと相談して、マリアさんの息子さんとソフィーさんの息子さんの間に座っていただいた。
「………。」
「………。」
ハローとか、初めまして、とか言うかな?と思ったが、息子ボーイズは舞妓さんと目すら合わせようとせず、じっとテーブルの方を向いていた。
緊張している。息子さんだけでなく、みんなが舞妓さんの放つ美のオーラに戸惑い、挙動不審ぎみになっていた

舞妓さんはみんなの緊張を気に留める様子もなく、笑顔で息子さんたちに小さなシールのようなものを手渡した。花名刺名前を覚えてもらうためにお客様に配る、舞妓アイテムだ。名前と一緒に季節の花が描かれていて、お客さんの携帯や手帳に貼ってもらえるようにステッカーになっている舞妓さん版の推しグッズでもある。

可愛い花名刺を受け取りながら少しだけ場が和んだ。
何か舞妓さんに聞いてみたいことある?と話を振ってみると、
「Ah, would it be too rude to ask how old she is?」(えーっと、何歳か聞くのは失礼すぎる?)とケビンさん。
それが最初の質問かい。
でもまあ、気になるのは、わかる。

そのまま舞妓さんに伝えると、何歳に見えるかと逆に質問されてしまった。そこから年齢当てクイズが始まり、舞妓さんもみんなの年齢を予想し始めて笑いが起きた。舞妓さん、さすが。場を和ませるのに、慣れている。
最終的に誰かが舞妓さんの年齢を当てて、10代であることに納得しつつも驚いていた。そう、舞妓さんは15歳や16歳からスタートし、20歳くらいまで修行したのちにプロの芸妓さんになる。彼女は修行中のティーンエイジャーなのだ
どうして舞妓さんになったの?普段はどんな人がお客さんに多いの?お座敷に上がるまでどのくらいの期間修行するの?
大人たちは食べるのも飲むのも忘れてしばらく舞妓さんを質問攻めにした。その間、息子さん二人はまだずっと黙っていた。息子ボーイズたち、どうした?こんなに恥ずかしがりだったとは。

舞妓さんのお兄さん呼びはなんと訳す

「おにいさん、どうぞ」
舞妓さんがとっくりを差し出した。お酒を勧める先は息子ボーイズではなく、ケビンさんだった。
とっさにWould you like some? (いかがですか?)と通訳した。
舞妓さんたちの多くは、年齢に関係なくゲストのことをお兄さん、お姉さんと呼ぶ。舞妓さんは60代のケビンさんも例外なく「お兄さん」と呼んだ。

おじさん、おばさん、または、じいじ、ばぁばと呼ばれ慣れているだろう年齢の方に、お兄さん、お姉さんと呼びかけると、相手の反応に一瞬のくすぐったさが生まれる。その言葉はきっと耳をくすぐり、心臓をほんの少しだけ余計に鳴らし、一瞬にして細胞を若返らせ、呼ばれた人の身体に悦びを届ける。若さは誰にとっても蜜だ。

しかし、この魔法のような言葉のくすぐったさを、海外ゲストに伝えるすべが私にはまだない
お兄さんを英語に訳すとolder brother となるだろう。兄弟の中で年下が年上を呼ぶ時の名詞がお兄さんの正式な定義で、そのためにoldという形容が強調される。この言葉がもつ細胞を若返らせる響きについては辞書にない。

かと言って若いという意味のyoungをつけてyoung brother (弟)というと意味が違うし、young sir (若いお客様)とかyoung man (若い男性) という呼びかけの英語も一般的ではない。仮にそう訳してみても、youngには成熟から未成熟を見下ろすような高低差を感じ、舞妓さんがお客様を呼ぶのに相応しくない。そしてsirやmanの距離感はお兄さん呼びと比べて親しみやすさが不足している。

距離感を優先して舞妓さんのお兄さん呼びを「my brother」と訳してみても別の壁にぶつかる。sir お客様と訳すよりは距離の近さが表せるが、今度は近すぎて敬意を欠く。brother は仲間や親友の肩をぐっと抱き合うような距離感にも使われるからだ。
お兄さんという呼びかけには、距離を近づけつつ、しかし一定の敬意がある。これは兄弟間に明確に「兄>弟」の格差があった文化から脈々と受け継がれていて 、brotherという英語に引き継がせることができない
お兄さんという響きは青年期の若々しさを持ちながら、若さゆえの未熟さは感じさせない、むしろ呼ぶ側から呼ばれる側への敬意が含まれる、特別な言葉だ。

直訳できない言葉はどんどんそのまま英語になればいいと思う。
例えば先生なんかがそれだ。teacher(教師)という意味の他に、master(達人)やmentor(師匠)という意味をもち、柔道や空手の世界では海外でもsenseiが使われていることから、心技体を合わせもった優れた人というポジティブなイメージも持つ。お茶席や金継ぎなど文化体験の通訳には講師の先生をお名前プラスsenseiと呼んでご紹介することも多い。

しかしここでは、次々と交わされる会話や、出された食材の通訳が優先なのは明らかで、わざわざこのお兄さん呼びの悦びについて私から熱弁する時間はなかった。舞妓さんの甘美なお兄さん呼びは、ケビンさんの耳をくすぐることも細胞を若返らせることもなく、お座敷の中で私の耳だけを愉しませたのだった。

トドメのこまり顔

おどりが始まった。
芸妓さんと舞妓さんがひと組で来てくれる時は、芸妓さんが楽器を鳴らし歌を歌ってくれることがあるのだが、今日は舞妓さんがひとりなので、音源を持参していて、スピーカーから流れる三味線の音楽で踊る。
直前までの柔らかい表情がふと真剣になり、ピタリ、と静の姿勢になる。静寂の後、音楽が始まった。あらぬ方向に手を伸ばし、焦ったいほどゆっくりと首を傾げる。
そのとき、眉根がわずかに寄せられた。
眉尻が下がり、切ないような表情にどきりとした。
どうしたのかな?悲しいような、怒っているような。ほんのり不安になる。
あれ、この表情を知っているぞ。
これは、これは・・・ぱるるだ。

ぱるるとはひと昔前、アイドルのキメ顔に「こまり顔」という画期的な新ジャンルをもたらしたタレントさん(今は俳優さん)のことだ。やや眉間を寄せて眉尻をさげ、口元をキュッと結ぶ表情が無性に世の男たちの心をざわつかせた。心がざわついたのは女性たちもで、美容雑誌では「こまり顔メイク」なるものまで登場した。

舞妓さんのこまり顔は、お座敷で携帯やカメラを構えて踊りを見ていたみんなのハートを串刺しにして締め上げた。(多分。)
カメラのピントを合わせるように、踊る舞妓さんにどんどん目の焦点を絞り、周りがぼやけていく。お座敷の低い天井と閉じた襖で視界が狭く、おとぎ話の中にいるような心地を加速させていくようだった。みんな同じような感覚の中にいたと思う。
サザエの味と、舞妓さんのこまり顔のことは、きっとずっと忘れないだろう。

心をとらえるのがエンターテイナーの仕事

舞妓さんのこまり顔を見て、ひとの心をとらえるのは必ずしも完璧な美しさや華やかさだけではないのだと教えられた。こまり顔は、ポジティブとネガティブでいうとネガティブに分類されるものだ。押すと引くなら引く方。足し算と引き算なら引き算の方。こちらを不安にさせ、心配させ、なんだか分からないけど心が引き込まれる。

観光業はエンターテイメントという大きな枠組みの中に位置していると思う。とすると観光業の中で働く自分もエンターテイナーの端くれだ。
そしてエンターテイナーの真髄は、心をとらえること心を動かすことだろう。日本を大好きになってもらうということが自分の使命だとすると、日本の美しくポジティブな面だけ見せていても本当に心をつかむことはできないかもしれないと思う。日本という国のちょっとダメなところ、泥臭いところや、日本人が心を痛めていること。舞妓さんのこまり顔のように、絶妙な塩梅で引きつけて心をとらえる通訳案内がしたいと思った。

手放しで楽しめなかった理由

帰り道、ハイヤーの中で「舞妓さんとのお座敷遊びはどうだった?」と聞いてみた。

「It was a wonderful experience. 」(素晴らしい体験でした)
とか
「She was so beautiful.」(彼女はとても美しかった)
とか、マリアさんやソフィーさんが楽しかった感想を伝える中、ケビンさんの言葉は違っていた。

「I didn't know what to do… 」(どうすればいいのか、分からなかった。)

舞妓さんは素晴らしく、望み通りたくさん写真が撮れて嬉しかったが、とケビンさんは付け足した。
この「どうすればいいか分からなかった」とは、戸惑った。いいのかな。悪いことをしているような気持ちだ、という意味なのだろうと思う。実はこのような感想を言ったのはケビンさんが初めてではない。
興味本位で舞妓さんに会いたいと言い、自分の子供より若い10代の女性にお酒の席につかせるというのは、浅はかだっただろうか、という感想だ。しかし一方で、日本文化を尊重したい、という気持ちもせめぎ合い、「I didn't know what to do…」という言葉になった。

舞妓さん。気高さと可愛らしさが共存する素敵なひとだった。
まだ10代の女性が、夜のお酒の席で大人に囲まれて踊る。そして魅了する。厳しい世界だ。努力家で、とても強いひとなのだろう。全方位から守られていた10代の自分を思い返すとちゃんちゃらおかしい。

一般的に舞妓さんは中学校を卒業したあと、家族の元を離れ、置屋と呼ばれる舞妓エージェンシーに入り、修行しながら「おかあさん」や「おねえさん」と一緒に暮らす。もちろん血のつながった「おかあさん」ではなく置き屋の女将さんで、「おねえさん」は先輩の芸妓さんや舞妓さん。修行中は給料はなく、髪型や遊びにルールが多く、置き屋さんによってはスマートフォンの使用すら制限されることもあるという。そもそも高校に進学しないので、他の分野への転職という選択肢が狭い。これを聞いて「すごい」と感動する海外ゲストがいる一方で、「ありえない」と顔をしかめるゲストも多い。
だって令和のダイバーシティや働き方改革を真逆に疾走するような世界だ。未成年の人権を侵害しているのではないかという声がもちろん聞かれる。文化の継承の名のもとにそれはナンセンスな問いなのか、それとも時代が有無を言わさず介入する日が来るのだろうか。そうなったら今日みたいなお座敷遊びは、今度こそ、本当にいにしえのおとぎ話になる

京都にいる舞妓さんは現在50人とも100人とも言われていてはっきりは分からないけれど、いずれにしても人口に比べて極端に少ないことは明らかだ。わざわざダイバーシティ逆走に手を上げて頑張っている舞妓さんたちは生身の人間で、おとぎ話のお姫様ではない。でも彼女たちこそがおとぎ話のような夢心地の世界に私たちを繋ぎ止めてくれる。

夢から覚めて、現実。

ゲストたちをホテルに送り届けた後、電車で地元の駅に帰ってくると夜の10時を回っていた。
今日の舞妓さんは今頃、別のお座敷で踊っているのだろうか。1日に二つや三つのお座敷に出て、深夜を回るまで帰れない時もあると言った舞妓さんもいた。

駅のホームはこんな時間だけど仕事帰りの人でいっぱいだった。黒や紺のスーツに身を包んだ人々が激流のように改札を通り抜けていて自分もそれに続いた。自動販売機、セブン銀行のATM、証明写真のブース。目の端に見える駅の風景と、さっきまでみていた鮮やかな祇園のお座敷があまりにも違いすぎておとぎ話だった感が増すばかりだった。

春になったら写真を送ろう

フロントヤードにある桜の木の写真

マリアさんとケビンさんとのWhatsAppのやりとりは今も続いている。
Keep in touch と言われて本当にkeep in touch してくれるゲストは2割以下くらいだろうか。その中でも特にマメに連絡をくださる。
これはお家の庭の桜の木が咲いた時に送ってくれた写真。

ところでケビンさんたちが気に入ってお土産に買った意外なものがある。それは135mlのアサヒビールの缶。手のひらに隠れるくらい小さいサイズのビール缶だ。京都の錦市場を歩いてある時に酒屋さんで見かけて、こんな小さなビール缶は見たことないとテンションが爆上がりしたのだっだ。
お土産だけで飽き足らず、昨年のサンクスギビングの季節にはバーベキューの時にみんなに見せたいからと言ってわざわざ日本から24缶入り4箱(=全96缶!)も取り寄せていた。

サザエを見るたび、スーパードライのビール缶を見るたび、みんなのことを思い出してクスッと笑ってしまう。今年の桜が咲いたら、写真を撮ってWhatsAppで送ってあげよう。いつかまた会える日が楽しみだ。


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