何故、組織は無能化するのか?

これは2023年8月2日に私が投稿した
「自民党女性局フランス研修炎上事件で思う事」
の一部を抜粋し、編集した記事です。


あらゆる組織を蝕む病、”無謬性”の罠を知ろう

まずは”無謬”と言う言葉を知ろう。

無謬(むびゅう)とは?
あやまりが無いこと。間違っていないこと。
※「謬(びゅう)」は「あやまり・間違い」を表す漢字

「無謬性(むびゅうせい)」は政治や行政、組織論を論じる際によく出て来るワードなので、覚えておくとニュースや時事問題の理解が捗る。
「行政の無謬性」「官僚組織の無謬性」は政治改革の議論で頻出するテーマ。

時間泥棒・作

どんな組織も、何らかの役割を果たす事を目的として作られる。
その目的を遂行する際には、つつがなく、平穏無事に事がなされるよう期待される。
それは至って当たり前の話だ。

だが、組織が巨大化したり、長期間同じような業務を行い続けると、段々と「業務をつつがなく遂行する事そのもの」が目的化し、利用者や顧客の求めに柔軟に対処する能力が減衰していく。

そこには多種多様な理由が存在するだろうが、大きな要因が組織に対する”無謬”への期待だ。

”無謬”への過度な期待は国益を損なう

あらゆる組織において、誤りが全く無い事、つまり”無謬”である事は望ましいが、「無謬であれ」と強く要求すると組織は必ず無能化に傾く。
何故か?

どうして無謬を求めると無能化するのか?

もし貴方が何らかの業務に就いていて、「誤りを完全に無くせ」と言われた時、どんな風に振舞うだろうか?
今までに批判されずに済んだ事だけは安全に出来るが、新たな判断が必要になると手が止まるだろう。
自分では判断が付かないから上に判断を求める。
直接の上司でも判断が付かないなら更にその上司へ伺いを立てるだろう。
民間ならそのまま社長まで決裁書が上がって行くだろうし、社長でも判断が付かない話ならその分野を所管する公官庁、公的機関に問い合わせ、判断を委ねる事になる。
公的機関内でも新たな判断が必要な話では、何処の部署が窓口となるのかで揉める事になるだろう。
つまり、過去にやった事しかやろうとしない「先例主義」と、責任の所在を他所へ移す「たらい回し」が始まるのだ。

「先例主義」と「たらい回し」は組織の常

行政組織や風通しの悪い硬直化した大企業で発生しがちな「先例主義」と「たらい回し」は、組織に対する”無謬”の圧力による当然の帰結だ。
つまり、お役所に対する国民、大企業に対する顧客が組織に対して「一つもミスをしてくれるな」と求める程に、「先例主義」も「たらい回し」も強化されて行く事になる。

「先例主義」と「たらい回し」ばかりの組織を見た時、貴方はどう思うだろうか?多くの人は
「なんて愚かなんだろう」
「もう少しやりようがあるのではないか?」
と組織に対して不満や疑問を感じるだろう。
だが、上述したように「先例主義」と「たらい回し」の根源は、組織に対する”無謬”への期待であり、圧力だ。
多くの人が組織の有り様に不満を抱き、その声が現場に届いたなら、批判を受けたくないが為、更に組織内で”無謬”を求め、今まで以上に組織は硬直化する。
”無謬”から始まる無能化の無限ループだ。

組織の無能化を極力回避する為に必要な事

何時の頃からか、日本人は行政組織に対して非常に厳しくなった。
古くから行政組織は「お上(おかみ)」と呼ばれ、時にうとまれながらもそれなりに尊敬の対象であった。
現代は国民全体の学歴が上がった為なのか、かつて尊敬の対象だったものへの敬意が日々この国から失われて行ってるように感じる。
行政組織しかり、教師しかり。

メディアの扇動するまま、行政組織のミスの報道がある度、
「またミスしたのか」
「何時になったらミスがなくなるのか」
との世間の空気が強まる。
だが、ミスをしない人間なんていない。
人間の集まりである組織もまたミスをゼロになど出来ない。

  • 極力ミスを減らすよう心掛ける。

  • その上で、ミスが発覚した際には速やかに被害を最小化すべく善後策を講じる。

これしか無いのだ。

どんな組織であろうが、ミスがゼロになる事は無い」と言う大前提は、改めて広く国民が共有すべきだ。
ミスに際して必要以上にあげつらったり、非難しない心構えが必要だ。
行政組織や企業が硬直化し、無能化すれば、それは国益を損ねているのと同じだ。当事者だけの問題じゃないのに、ここが全く理解されていない。

”無謬性”を強く求められる程に、組織はあたかもより無能であろうと振舞ってしまう。
組織を無能化させるかなり大きな要因は、外部から過剰な”無謬性”を要求される事なのだ。
適宜、適切なミスへの批判なら当然すべきなのだが、度を越した批判と「もう二度とミスする事は許さん」との風潮は、組織の健全性を破壊し、効率的な無能化に突き進ませてしまう。
それで提供されるサービスは画一化され利用者・顧客の個々の事情を汲む事が難しいように変性し、結果的に利用者・顧客の満足度まで下がる。
文字通り、誰も得をしない。
国全体にこの空気が蔓延した時、国民全てが等しく社会的損失を被る事になるのだ。

<了>

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