ジャニーズ会見「NGリスト」の現状把握(10月13日現在)
最近、この問題ばかり取り上げていますが、
今まさに、世論が誘導されている真っ最中
との認識ゆえの事です。
私がこの件をどのように見ているか?
これは、過去のnote記事にて語っています。
既に今回の「NGリスト」に関して報道に触れている人は、
「ジャニーズ事務所が、自身の立場をよりマシなモノにする為に、会見運営会社に命じた情報工作が、運悪く露見した」
かのように認識しているかも知れない。
私は、
「早くに出されたジャニーズ事務所の公式声明で、どのようなやり取りがあったのかまで、細部を詰めた情報が出された事」
「ジャニーズ事務所の裏工作があった場合、打ち合わせに参加していて、公式声明の嘘に気付ける立場の松本和也アナウンサーからも、ジャニーズ事務所の言い分の正しさを補強する更に細かな情報を出した事」
「松本アナには、ジャニーズ事務所の将来に人生を賭ける程のメリットが存在しない事」
から、
「ジャニーズ事務所の主張は、事実その通りの可能性がかなり高い」
と見ている。
現状把握
一方で、現在のメディア報道について、どのようになっているか。
これを図にしてみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1697122306684-PVRAbrbYKn.png?width=1200)
ジャニーズ事務所にとって、
「結果として『NGリスト』なるものが記者会見場に持ち込まれ、それによって会見運営への疑義が生じてしまった」
との部分に関しては、責任が発生し得るだろう。
但し、井ノ原氏は最初に「指名NGリスト」を目にした時から
「絶対当てなければダメですよ」
と、記者指名回避を匂わす資料に反対の姿勢を明確にしていた。
それに対し、会見運営企業は「指名しないとの意味ではない」と回答していた事が両社の公式声明から判明している。
少なくともジャニーズ事務所、会見運営に当たったFTIコンサルティングの両社、またそれを聞いていた松本アナを含む3者にとって、「指名しない為のリスト」との意味ではなくなっていた。
つまり、ジャニーズ側の責任とは、あくまで
「誤解を招く資料が会見場に持ち込まれてしまった事」
に対しての物であり、会見を行った企業としての結果責任でしかない。
「指名拒否リストの作成を依頼した」
だったり
「実際に会見において、記者の指名を回避した」
との直接的に不正を働いた事への責任では無い。
しかし、「指名NG記者リスト」に載った記者らはいきり立ち、
「ジャニーズ事務所が、事実、我々への指名を拒否、回避したのだ」
との立場を取り、再度の記者会見を設けるよう要求している。
大手マスコミの姿勢
割と早くから、ジャニーズ事務所側の言い分についても報道はしている。
だが、その上で
「事務所的に本意では無かったかも知れないが、それでもそのような資料が会見場に持ち込まれたとの事実はあり、それに対する責任は発生する」
と突き放したスタンスを取っている。
特にテレビ局はジャニーズ事務所との蜜月関係にあったとされ、それがジャニーズ事務所の増長を許してしまったとの見方が有力になっている。
今現在、テレビ報道でジャニーズ事務所を擁護するようなスタンスを取れば、
「未だにジャニーズ事務所へ忖度を続けるマスコミ」
との構図でこの問題を強く糾弾する界隈から批判されるのが目に見えている。
それ故、「NGリスト」の実際の意味合い、それがどれだけ現実の会見で影響を与えたかについて、客観的な見え方を提示するのは配慮が必要になる。
「それはそれとして、誤解を生んだのなら、その責任は当事者であるジャニーズ事務所のモノですよね?」
が必ずついて回る。
また、実際にはNGリスト掲載記者らが指名されもしていないのに、不規則質問を繰り返し、それに何度もジャニーズ事務所側が返答をしている状況もあった。
そして、記者会見においては会場の使用時間の制限の為に、1社1問との縛りがあったのだが、松本アナはこの縛りの観点で、不規則発言を行った記者らにはこれ以上質問権を与えないと判断した。
井ノ原氏らの打ち合わせの発言から、彼らは黙っていれば会見終了前に普通に質問機会が得られた可能性があったのだ。
その機会を失わせたのは、彼ら自身の行動の結果だ。
にも拘らず、
「全ては仕組まれていたのだ!!」
と言わんばかりに彼らはジャニーズ事務所を徹底的に非難している。
また、世間的な受け止めに大きく影響するであろう、ジャニー喜多川氏による性加害を受けた「性被害当事者の会」もまた、疑惑が挙がった事自体を問題視して、再度の会見を求めている。
彼らの場合、当事者の立場として、対応する事務所への不信感が最初からあるため、可能性の高低を吟味して客観的評価を下すより、とにかく疑惑があったのなら、疑惑が晴れるような対応を再度求めたい、と主張する事も気持ちとして理解出来る。
大手マスコミはこれらの状況から、ジャニーズ事務所の言い分はさておいて、指名NG記者らの言い分に相当引き寄せられた立場を取っている。
週刊誌報道の姿勢
これはもう、「売らんかな」で一貫している。
文春オンラインにおいて、FTIコンサルティングの元財務官僚・野尻氏に焦点を当てた記事を1本上げているが、何の中身も無い取材記事だ。
野尻氏の経歴を書き連ね、その上で
「誰が、何故、あのようなリストを作ったのか?」
を繰り返し問うだけ。
「作成を指示したり、承認した事は無いが、責任者の立場として、全ての責任は自分にある」
とごくごく当たり前の企業対応の回答を貰っただけだ。
「折角取材したが、これと言った成果も無かったものの、このタイミングで記事化しないのは勿体ない」との文春側の思いが滲む、しょうもない記事が如何にも何か貴重な証言を得られたかのようなタイトルで上がっている。
「恥ずかしくないのか?」と率直に思うが、こう言う商売しているのだから、これが彼らにとっての日常なのだろう。
文春に限らず、よりセンセーショナルに読者に響くよう、完全にNGリスト記者と同じ立場で、
「ジャニーズ事務所の疑惑は更に深まった」
と言わんばかりの記事を量産している。
週刊誌報道だけで情報を追ってる人は、ほぼ確実に事務所側への批判的姿勢に流されるだろう。
「NGリスト」問題は、世論形成のメカニズムを知る教材
世間の人々が情報を得る場合、その多くはマスコミに頼る事になる。
ネットが発達した現代でも、取材源から得られた1次情報は、基本的にマスコミ経由であり、各種掲示板でニュースについて議論される際にも、出発点はマスコミ報道の記事からスタートするのが一般的だ。
そのマスコミ報道は、上記のように非常に信憑性の面で問題ある姿勢を見せている。
彼らは別に客観的でも無ければ、公平でもない報道に終始し、その結果としてジャニーズ事務所の立場が一方的に悪くなる方向に世論が誘導されている。
「多くの人が信じているから、多分、これが正しいのだろう」
と言った、世間への淡い期待は全く機能しない。
世の中の受け止めがどうであろうが、それが妥当性ある検証の結果もたらされたものかどうか、全く何の保証も無いのだ。
人は「先入観」から逃れる事は出来ない。
経験から来る直感が無意識的に働いてしまい、完全にフラットな状態から物事を見ようとする事など出来ないのだ。
このような「先入観」を如何に排除するか、どれだけその影響を受けずに思考出来るかが、その人の論理的思考力に直結する。
ただ、その実践はそんなに特別な事ではない。
対立する意見があった場合、即断せずに両者の意見を比較し続ければそれで良い。
大体、互いの言い分に対し、それぞれが反論を行っている事だろう。
だが、論理的に弱い立場の側は、反論への反論、つまり再反論を強力に押し出す事が出来ずにいる事が多い。
また、実態がどうであるかを軽視しがちで、
「事実がどうこうはそんなに問題ではない。
疑惑を持たれるような人物だと言う事そのものが問題なのだ」
と言った形式の観念論に逃げたりする。
安倍晋三氏への批判が概ねこの形式だった。
自分達を「正義」と思い込んだ人と言うのは、他者批判に躊躇いが無くなる。
批判対象を悪魔化してでも糾弾したがる。
だが、論理的な議論を行う上で、対象の「悪魔化」はタブーだ。
そちらの方向に主張が向かい出した時点で、論理的議論より情緒的な反発が根本にある事が自身の発言によって明らかになるのだ。
今は、「ジャニーズ事務所の悪魔化」に躊躇いが無い人達が数多く騒いでいる。
事実関係の精査をするより前に、高らかにあるべき姿を語り出す人達は、揃いも揃って人と話し合う姿勢が足りない。
このような人達とは何をどれだけ話し合おうが、彼らの出した一方的な結論に合致しない限り、彼らは納得しない。
彼らが納得する話をしてあげるか、彼らとの対話に意味など無いと諦めるかの二択になる。
残念ながら、世の中の多くの物事について、声がデカい界隈と言うのは、おしなべてこの「議論が不得意な人達」だ。
「議論が不得意な人達」にとって望ましい方向で、報道が行われ、世論誘導が行われる。
マスコミの多くがこぞって一つの事を言い始めたら、要注意のサインだ。
「マスコミは嘘しか言わない」
とまで確信すると、陰謀論的に流されてしまうが、
「マスコミは本当の事も言うが、嘘も平気で吐く」
と心得るくらいで丁度良い。
折角なのだから、この「NGリスト問題」を通じて、「世の中の空気が作られる現場」を知る機会にし、メディアリテラシーを鍛えて欲しい。
世の中は、多くの人が想像する以上に嘘がまかり通ってしまうのだ。
<了>