視点提供録 vol.810:大金持ちの「人生はお金がすべてではない」という言葉には真実味はあるけれど

人生で大切なものは何でしょうか。いろいろな答えがあることでしょう。あるい人は時間だったり、またある人は友達だったり、そのまたある人はお金だったりするでしょう。このような回答でお金の例が挙がることも少なくないと思いますが、「人生はお金がすべてではない」と言われることも多いと思います。たしかに、お金をいくら稼いでも死後の世界には持っていくことはできません。しかしながら、現実的に生きていくためにはお金が必要です。また、いい物を買ったりいいサービスを受けたいならば、それなりのお金は必要です。この点からも「人生はお金がすべてではない」と理解しながらも、現実的にはお金に惑わされてしまうこともあるのではないでしょうか。

また、誰がこの台詞を言うかによっても印象が変わるように思います。死の直前になって「人生はお金がすべてではない」と語る人がいたとしても、実感があまり感じられないかもしれません。自分自身と同じ世代の人の言葉の方が響くのではないでしょうか。より若いときにお金を稼ぎ、多くのお金を使い「人生はお金がすべてではない」と悟ることが大切ではないでしょうか。

では、「人生はお金がすべてではない」と感じられるほどのお金を稼ぐにはいくら稼げばいいのでしょうか。よくある話で年収1億円というものがありますが、とりあえずこれを基準に考えてみましょう。この状況に何人身を置くことができるのか。たとえば、年収1億円の人が1万人いるとします。1億円×1万人=1兆円。つまり、日本の一般会計の予算の1%を約0.01%の人が持っていることになります。このように、富の偏りが起きていると考えられます。会社で言うと、黒字の会社があるということは、それだけ赤字の会社があるということ。非常にお金持ちがいるということは、貧乏もいるということ。一部の人にしかできないことだと思うのです。

ここで、考えてみたいことがあります。「お金に困らない人だけが人生はお金がすべてではない」と言うことができるのか。失礼な見方になるかもしれませんが、稼ぎ切って悟った人は、稼がないと悟れない人なのかもしれません。稼ぐことができるという天賦の才を与えられたとも考えられなくないでしょうか。負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、稼がなくても悟れるということも、素晴らしいことではあるように思います。

もちろん、稼ぐことは悪いことではないと思います。できることならば、私も大金がある方が嬉しいです。しかしながら、仮に大金を手にしたことがなくても人生はお金がすべてではないと悟れるならば、それはそれでいいことではないのかもしれません。