僕には届かない場所にあるんだ
私は、長年に渡りお気に入りのアニメを探求することが生活の一部となったオタクである。
こんな私のつたない感想でも私と同様のオタクなら分かってくれるかもしれない。
私は毎期、できるだけ多くのテレビアニメを見続けている。
しかし、作品の中には私の好みでないものもあり、それらは放送途中で視聴を中断したり、最初から敬遠している。
私にとっては、「バンドリ!シリーズ」もそのうちの一つであった。
バンドリが私の好みに沿わない主な理由が主要キャラをCGで動かすことにあった。
私に「CGは機械的で冷たい」という先入観があるせいか、人外のモンスター・ロボット等にはうってつけだが、人間にはふさわしくないと思っていた。
人間でもアクションシーや歌唱舞踊演奏シーンであればCGで構わないが、喜怒哀楽の心あるセリフでドラマが盛り上がるシーンにはふさわしくないと思っていた。
バンドリは、女子校生の青春バンドストーリーだから琴線に触れるような心模様を描くのだろうから、なおさらCGはふさわしくないと思っていた。
そのため、バンドリの楽曲には惹かれたが、アニメというドラマを見続けることはなかった。
ところが、今期夏アニメとして放送中の
「BanGDream!It'sMYGO!!!!!」には強く惹かれた。
従来と同様、CGを多用しているのになぜだろうか。
第一話、過去を断ち切るかのように転校してくる愛音、愛音にペンギンのイラストの絆創膏を収集している自分を十分に理解してもらえず困惑する燈、従来の私なら「CGに心からの演技はできない」として視聴を中断している。だが、タイトル「羽丘の不思議ちゃん」のとおり、従来のバンドリ以上に繊細な心理描写を要するものなので、「ごり押ししてまでCGでやるのは何かあるのかも知れない」と私を妥協させ、視聴を続けさせる気にさせた。私は「CGも日進月歩し人間らしくなっている可能性もある」と自分に言い聞かせた。
しかし、その後、私のテレビが故障し、視聴は中断された。
間もなく視聴環境を再構築したが、積極的に視聴する気にはならなかった。
その後しばらくすると「隠れた神作」「話題にならず見逃す人が多いことが惜しまれる」といったネットで静かに高評価を得ていることを知り、第9話「解散」から視聴を再開した。それまでのストーリーは分からなかったが、立希がそよの代わりのベースを加えようとするなど人間関係の対立が修復不可能なまでに進んだことを理解するのに時間はかからなかった。同時に不思議とCGに違和感を感じていない自分に気が付いた。
翌週、第10話を視聴した。
自分の心と葛藤しながら懸命に詩を作り一人でステージに立ち続ける燈、ギターを弾くことを愛音に懇願する燈、終わらせに来たと頑なな態度のそよの手をつかみ強引にステージに上げようとする燈、それらの重々しい心理描写をていねいに描かれていた。
過去6話分もとばして担当楽器させうろ覚えになっていたのにも関わらず、私が彼女らの対立関係と心模様が理解できたのは、登場人物の演技や演出全体が秀逸だからに違いないと思った。その秀逸さの前にCGの違和感ごときは些末な問題であることに気づいた。それを例えるなら眼鏡のレンズを新調したときに誰もが感じる違和感程度のものだった。
私のようなオタクでも感動させる作品を作るのにCG等の手法は決定打ではない。
私はいつの間にか「食わず嫌い」「木を見て森を見ない」になっていたのだということを思い知った。
その時すでに私の眼はテレビ画面に釘付けになっていた。燈が「詩超絆」をつぶやき始める「…世界は僕には届かない場所…」。私は気が付いた。私から見ると私もCGといった些末なことにとらわれて、彼女らの世界を見逃してしまうところだった。私が、長年、お気に入りのアニメを探求してきた弊害としていつしかCGアニメをブロックするといった偏見が生まれていたのだと思う。
私の弛緩した感性で構築された偏見という壁は、CGを駆使しして描いた彼女らの圧倒的な演奏を前に崩れ落ちた。演奏はクライマックスに達し彼女らが涙を流すのを観た時に私の眼からも涙が流れた。
届かない場所があると言っていた燈の詩が私の下には届いたことを実感した。EDにクレジットされた「スペシャルサンクス バンドリーマーの皆様」を眼にした時に自分もそうなったのだと思い知った。
BanGDream!It’sMYGO!!!!!]は私の眼からうろこが落ちた今期最高のアニメとなった。
今から第12話が始まる。