手術当日(乳癌:皮下乳腺全摘+一次一期再建+リンパ郭清)
2023.2.3
節分の今日、ついに四度目の正直 この日を迎えた。
朝6時以降は食事NGなので、5時半に起きて真っ先に自分の食事を済ませる。
ナゲット、(ミネラル添加)ヨーグルト、カマンベールチーズ、チャイ、農協のいちご。最強メニューと自負。食後は鉄瓶で沸かしたお湯でごぼう茶。
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手術後4日は入浴不可なので、食事後入浴。
白神山地の白檀の香りの入浴剤を入れて入った。
ボディークリーム不可とのことだったので、上半身以外の手術と関係ないところにキュレルを塗る。メスを入れるところはボディクリーム不可なんて、生々しいからなるべく考えないようにした。
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入浴後、お弁当を作る。
お弁当作りもしばらくお休みだから、一旦最後かと思うけれど これも頑張りすぎてはいけないので、冷凍食品を程々使わせてもらった。
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息子が「手術頑張ってねー」とあっさり学校に出かけて行って
あっさり見送る。
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8時半に駅まで送ってもらえることになっていたので、身支度を進める。化粧はしないできてください or 病院で落としてください、と書いてあったので迷ったけれど、私は眉毛しか描かないし、すぐに落とせるし、あまり手術と関係ないかな、と眉毛だけ書いた。新幹線乗るし。
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出かける前に、汚れていたブーツを磨いた。
清浄の願掛けみたいな感じ。
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駅まで送ってもらって、自分でも驚くほど平常心でホームに向かった。
ホームには偶然高校の同級生Sちゃんとお父さんがいて、声をかけた。
前だったら父子で旅をする情景を見てしまったら卑屈になるので心を凍らせて凌いだけれど、今日はなんともなかった。以前このお父さんが作ったカレーを食べさせてもらったことがあって、私は父と話したこともないし、当然カレーをご馳走してもらうことなどありえないので、このカレーを食べた時に涙が溢れてしまったんだけれど、その時にその感情を出したことで 浄化されたみたい。
お父さんと京都旅行。
いろいろあって、お互い大人になって
老いてきて
何を話すんだろう。
いいなぁ。
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Sちゃんが「手術ひとりで行くの?」と言って、これにもハッとした。
そうか、手術って付き添いの人がいたりするものなのか・・。
これも以前の自分だったら落ち込んだけれど、それももはやどうでも良くなっていた。
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新幹線に乗り込み、娘から来ていたメッセージを読む。
今日は付き添えなくてごめん、ということと
今までの感謝とか 高校の時に買ってあげたクラリネット代のことを気にしていることとか、家族で良かったとか
なかなか言い合わないことだから、これも
癌の手術がくれたプレゼントなのかも。
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たったの30分で名古屋着。
今日はタクシーを使ってナグモクリニックに向かった。
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受付を済ませる。
何かあった時の連絡先を書いてください、と言われて焦る。
家族は
ペーパードライバー+今瀬戸内にいる娘 &
高校生で免許のない息子のみ。
家族構成を説明すると、「手術のことを知っているご友人でもいいですすよ」と言ってくれた。頭に浮かんだ二人の友人の名前と電話番号を書いた。(後で、名前と電話番号を書いちゃったよ、ごめん、と連絡のLINEを入れた。二人とも「了解!」と返してくれた)
手術が終わったことの連絡はどなたにすればいいですか? と聞かれ、(瀬戸内にいるけれど) 娘の名前をあげた。
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受付と1日ステイ分の滞在費を支払い、患者会の方々がいる会議室へ。
先週手術を受けたという人がいた。
その方は片胸がんの治療で、片胸は予防的切除。
それと同時に豊胸をしたいと大きめのシリコンバックを入れたと言う人だった。先生に「パツパツになるからやめた方がいいよ」と言われたのに押し切ったそう。ずっと胸が小さいのがコンプレックスだったから、この際思う通りにしたい、って。先週手術を受けたとは思えないファッションとネイル。
あまりの前向きさに圧倒された。
改めて(初対面の人が多いけれど)この患者会の方々のおかげで不安感は激減しているな、と思った。
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診察に呼ばれた。
名古屋院院長の山口先生の診察。(執刀は南雲先生と山口先生の二人)
最初にマンモグラフィー。久々のマンモ。
罹患している側が特に痛かった。
以前はこういう時に黙って耐えていたけれど
今日は「いてててててて」と声に出した。
出産の時に黙って耐えていたら「我慢強いですね」と言われたのをよく覚えている。
別に黙っている必要はないのか、、と痛いなら痛いと言うようにした。
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次は術前の胸部の写真撮影。
市民病院では個人情報のこともあるから、と術前術後の写真は見せてもらえなかったので、どうなるか想像がつかなかった。
ナグモクリニックにした決め手の一つに「術前術後の写真をみせてもらえた」と言うのがある。興味本位の人に見られないように、病院に問い合わせてはじめて見せてもらえるというスタイル。再建する or しないの判断ができた。
人のを見せてもらったので、今度は私がこれからの手術に悩んでいる人に見せる番。(胸部のみの撮影)
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その後南雲先生の診察。
エコーを撮って、胸部に赤いマジックで中心線とカット位置?を描かれる。
本当にマジックで書くんだ・・・
その後で
・もし取り除いた組織を病理検査に出して陽性だったら改めて切ること
・漏斗胸もあるから、左右対称にはならないこと(私が左右対称にするための両方の豊胸手術は希望していないことの確認)
・後でやはり大きくしたい、と再手術になった時は保険は効かないこと
・身体の中に異物(シリコン)を入れるわけだから、もし拒否反応が出て腫れた場合は一旦取り除いて時間を置く処置をすること
などの説明 クリアでわかりやすい
そしてまたもや栄養指導の話
南雲先生からは病院オリジナルの
1.ビタミン& ミネラル複合剤
2.DHA&EPA剤
を勧められていたけれど、私にとっては高額なので尻込みしていた。
市販のDHA&EPA剤は全身に湿疹ができたので、やめましたと伝えれたけれど、手術を前にビタミン剤の方は飲んでいないことを言えず、飲んでますと嘘をついてしまった・・・。
ビタミンDの数値が理想の1/3しかなくて、生存率が1.7倍変わるよ、と目の前で言われるともうフリーズ。。。自分の命とサプリの1万円を天秤にかけるのは、、、そりゃおかしいよな、、とも思う。
日光浴を心がけていた話など怖くてできなかった。
(今考えれば、正直に言えばよかった・・・)
嘘をついたことが術前術後も気になってしまって、私は正論や圧力に弱いことが露呈。こういうの、患者会のボス、チエコさんは堂々と反論するので ああなれたらなあ、と思う。
*
診察が終わり、患者会の会議室に戻る。
みんながいてくれてホッとする。
術後は安静がある程度大事だけれど、適度に動かさないと固まって後で痛くなるよ、と術後ストレッチのやり方を教えてくれた。
ずっと「動かしちゃダメだよ!」と思い込んでいて安静にしていた人が、10年後に肩も腕も背中も全部痛くなって、医者のせいにしている人の例を教えてくれた。リアル。。チエコさん、すごい。
*
そうこうしていたら、呼ばれた。
いよいよ。
チエコさんがハイタッチをして見送ってくれた。
心強い
*
お手洗いを済ませて
不織布の下着、寝巻き、帽子に着替えた。
不織布なんだ・・・。
ゴワゴワしてて奇妙だったけれど、しばらくしてこれもどうでも良くなった。
*
最初に点滴を入れる処置。
朝から脱水しているから、ちっとも血管が出てこない。
(脱水してると血管がぺちゃんこになるのだそう)
そういう時は腕を叩いて血管を出すらしいけれどダメ
ベテラン看護師さんに交代したけれどダメで
先生登場。
手加減したらダメだ、と強めに腕をバシバシ叩かれ。
思わず「痛い!!」と言ってしまったけれど
針は入った。
うわー。
*
そして尿の管も入れた。
これは初めて
お小水は踏ん張って自分で出すのか、勝手に出るのかわからず聞いたら
勝手に出る、とのことだった。へー。なんで勝手に出るんだろ?
*
手術は14時くらいから、と言われたので呑気にしていたら
「前後入れ替えて先にやってもいい?」とすぐに手術に入ることに。
わぉーーー
12時過ぎくらい。
拒否する理由がないので、いいですよ、と言う。
心の準備も何も、というスタートになってしまったけれど
不思議とジタバタする気持ちはなく
手術室に運ばれた。
*
手術台は金属で細長くて、飲食店のまな板っぽかった。
最初に背中に硬膜外麻酔用の針を入れた。
先生が針を刺すときに「ちくりんこ」と言ってて
しょーもないけれど、緊張感はほぐれた。
さすがイタリア帰り。
その後、麻酔が効いているかの確認で 冷たいものをあちこちに当てて「違いはありますか?」と聞かれたけれど なかったので「同じです」と言い続けた。麻酔が効かなかったらどうしよう、、と焦る。痛いのは嫌だ。
しばらくしたら、足より胸の方が若干冷たさが弱くなって来たので「少し差が」と答えた。手が痺れてきた。
青いシートを被された。顔は出ない。(そういえば酸素マスクなかったな)
先生が「眠りまーす」と2回言った後で
知らないうちに眠っていた。
*
夜中に目が覚めるみたいな自然な感じで目覚めたら、手術は終わっていた。
麻酔って頭がクラクラするイメージあったけれど、とても自然だった。
あっというまに手術室を出て、隣の回復室に運ばれた。
よくドラマで見るような 手術後誰かが駆けつける、みたいなのはなくて 淡々と運ばれた。
脇の下は少し痛い気がしたけれど、胸に痛い感覚はなかった。
看護師さんに「今何時ですか?」と聞くと「2時半くらいです」と。
え、手術時間、2時間くらいだ。ものすごくはやい。
市民病院で切除とエキスパンダー挿入を同時にやると5時間くらいと言ってたような・・。←サイズ調整が意外と難しいと言ってた
口がカラカラで何か飲みたいと思ったけれど、まだ飲み物を口にするのは早いそうで、口を閉じて湿り気を確保した。
*
看護師さんが「娘さんに電話しました」と言いにきてくれた。
*
手術は終わったけれど、特に終わった実感のないまま、ウトウト。
身動き取れないまま夜の消灯までかー、ヒマだなぁ、と思いつつも何もできない。
痛みの位置が移動してきて、胸、肋骨と、、強くなってきた。
手元のボタンを押すと、痛み止めが背中の管が入る、と言うのを持たされていて、時々押したけれど 効いているのか 効いていないのか よくわからなかった。
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夕方に面会時間なるものが設定されていたけれど、私ももう一人の人も面会の人はなく、静かだった。口がカラカラで受け答えしづらいから、来てもらっても話なんてできなかったな。
でも、誰かが心配して駆けつける状況には憧れた(笑)
*
手術当日は食事なし。口にできるのは水だけ。
できることは妄想だけなんだけど、それもパッとしない考えしか浮かんでこないから、ほどほどにしてウトウトし続けた。
*
暗くなった
*
夜先生が術後の傷の様子を見に来てくれた。
「難しい場所だったけれど、きれいにできましたよ」と言ってくれた。
あれよあれよと手術台に登って、今こうしている時間が午後の数時間に収まっている。不思議。
胸に傷を覆うバンドを巻き直す前に看護師さんが「お胸見ましたか?」と。
自分で下を向いても見えないので「まだです」と言う。
ドキドキ。
北斗晶さんは怖くて術後四日傷を見れなかったとブログに書いていたけれど、私は当日見ることに。
看護師さんが鏡を出してくれた。
美容院みたいに。
まさか、手術の傷口を鏡で見ることになるとは・・・・
一部手術のための染色で緑色になっていたけれど
傷は乳房の下に沿わせてあるからパッと見は手術前と変わっていなかった。
そしてシリコンを入れた分、カタチは前より整っていた。
これはすごい!!
自分の身体を毎日見るのは自分だから
平らになって斜めに大きく傷が入った胸を見るのとは、気持ちがずいぶん違うであろうことは容易に想像できた。
あとは病理検査が陰性なら言うことないな。
(乳腺の出口の乳頭に陽性反応が出たら、後で部分麻酔で切除に)
祈ることしかできない。
*
ベッドの上からぶら下がってる点滴の液が減っていない気がする。
看護師さんが体温を測りにきた時に言ってみた。
看護師さんがいろいろ対処してみてくれたけれど、流れるようにならなくて 先生登場。
針の先が血管に当たっているらしい、と少し針を引いたら流れた。
おおおおおー。
そうこうしてたら消灯時間。22時。目が覚めたらすぐ退院。
はやいなぁ。
*
決心までの案じていた長い長い時間と、決めてから実行の1日。
納得して、決めて
今日を迎え
そして
大きな通過点が過ぎた
***
乳癌手術方法
皮下乳腺全摘 + 一次一期再建 (経済的なのも大きな特徴)
https://survivorship.jp/breast-reconstruction/method/01/index.html
使用インプラント(シリコン) 190cc
Sientra社のもの (トップ動画の人ほど大きいのは入れてないです笑)
ナグモクリニック 乳がん手術/再建 案内
https://www.nagumo.or.jp/saiken
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50歳を過ぎた私の、見ていることと考えていること
淡々と日記を綴ります。私の日記のトピックが、人生の楽しみやよりよく生きるヒントに繋がれば幸いです。 シングルマザー | 第二の人生 | 乳…
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