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リスナーインタビュー【89】男性/30代後半/プロデューサー&放送作家の場合

企画の詳細および質問内容はそれぞれのページを参照してください。
これまでのインタビューはこちらをご確認ください。

男性/30代後半/プロデューサー&放送作家
東京都在住
リスナー歴25年


■私のラジオ歴

芸人と勘違いするほど衝撃的だった『ゆずのANN』

 子供の頃はラジオとの関わりがほとんどありませんでした。家族で車移動する時にカーラジオからナイター中継が流れていたぐらいで、ラジオを「若者のもの」とはまったく思っていませんでした。言い方は悪いですけど、「オジサンやオバサンが演歌を聴いたり、タクシードライバーが適当に流したりしているもの」という感覚で、面白いという認識はなかったです。

 自分からラジオを聴いたのは小学校高学年になってから。テストに向けて勉強しなきゃいけなくなった時に、「勉強に集中するためにテレビを一旦しまおう」と考えたことがあったんです。とはいえ、それだと部屋は静かすぎる。当時持っていたAIWAのMDコンポにはラジオ機能が付いていたので、「これ、ラジオだよな? 聴いてみよう」と思って付けたのが最初でした。ベタな入りかもしれないですけど。

 その時に流れてきたのが『ゆずのオールナイトニッポン』(ニッポン放送/※当時は『allnightnippon SUPER!』として22~24時に放送していた)。本当にたまたま流れてきたんですけど、聴いたら「なんて面白い芸人さんなんだ」と思って(笑)。そうしたら、「『センチメンタル』(99年8月発売)という曲を今度出すんです」と話していて、「えっ、歌手なの?」って。最初は歌の上手い芸人だと思ったら、実は歌手だったんですよ。当時、番組の中ではムチャクチャなことをやっていましたし、シモネタも凄かったですね。

 ゆずから入って、「これはどうやら、月~金でなんかやってるぞ」と知り、別の曜日も聴くようになりました。他の曜日はロンドンブーツ1号2号や西川貴教さん、ネプチューンがやっていて。さらに深い時間までは起きてなかったですけど、西川さんの番組も聴くようになり、そこでネタメール・ネタハガキという文化に初めて触れました。面白いことを考える人たちがいるんだなあって感じたのが、最初の印象ですね。

お笑いに全振りだった中学時代

 お笑いを好きになったのはラジオと別軸です。興味を持ったキッカケは『爆笑オンエアバトル』(NHK)の「第1回チャンピオン大会」(1999年)を見た時。DonDokoDonが優勝した年でした。

 それまでも『ボキャブラ天国』(フジテレビ)は見ていたんですけど、あの番組ってお笑いのネタとはちょっと違うじゃないですか。「面白い人たちが面白いことやってるなあ」という感覚でした。

 そもそも僕は関東の人間なんで、ダウンタウンを通ってなくて。ドリフターズやバカ殿(『志村けんのバカ殿様』)は特番で見てましたし、ウッチャンナンチャンやとんねるずにも触れてはいたんですけど、いわゆるバラエティ番組として全部見ていた感じなんです。“お笑い芸人”というより、“テレビに出ている面白い人たち”という認識でした。

 だから、『オンバト』を見た時に初めてネタというものに触れて、「なにこの面白いやつは!」と衝撃を受けたんです。そこから『オンバト』を追いかけるようになって、お笑いって面白いなあと実感しました。ラジオを聴き始めた時期と同じ頃だったと思います。

 中1の時に『M-1グランプリ』(ABCテレビ)が始まって、お笑いに全振りするようになるんですよ。中学の3年間はテレビでやっているお笑い番組を全追っかけ、みたいな感じになって。ラジオは一旦お休みして、中学時代はほとんど聴いてなかったですね。今ほど簡単には聴けなかったじゃないですか。スマホもないし、radikoもないから、生活のリズムが変わると途端に聴けなくなり、ラジオを聴く生活サイクルではなくなったんだと思います。

ポッドキャストきっかけで『深夜の馬鹿力』と『カーボーイ』に出会う

 でも、なんだか知らないけど、高校時代に戻ってくるんですよ。ポッドキャストの存在が大きかったですね。iPod miniを手に入れて、それでポッドキャストを聴くようになり、そこでTBSラジオと出会うんです。『伊集院光 深夜の馬鹿力』と『爆笑問題カーボーイ』の存在を知って。

 聴き始めて、本当にベタなんですけど、「伊集院さんってこんな人なの?」と驚きました。超面白いじゃんって。爆笑問題はもともと『爆笑問題の日本原論』(宝島社)とか好きだったので、「爆笑さんもラジオをやってる!」と。そこからはもう離れずに聴いている感じですね。

 『JUNK』で聴くのは基本的に月、火だけでした。もちろん『(アンタッチャブルの)シカゴマンゴ』や『(おぎやはぎの)メガネびいき』『(バナナマンの)バナナムーンGOLD』も聴いてなくはないんですけど。『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』もポッドキャストをやっていましたけど、それは大学生になってから追っかけで触れました。あとになって、リアルタイムであの熱狂を味わいたかったなあと思いましたね。

 ポッドキャストはアーカイブもあるじゃないですか。僕が気づいた段階で50本以上ある状態で。伊集院さんはアフタートークとして河野かずおさんとかと喋っていて、爆笑さんは確かオープニングトークなどの切り抜きだったんですよ。全部聴いていましたね。しかも何回も。

 単純にお笑いとして面白かったんだと思うんですよ。あの時期って、お笑い番組がそんなになかったし、iPodで持ち歩きもできたことも大きかったです。いつでもどこでも聴けるじゃんみたいな。ただ、ラジオの本編は聴いてなくて、ポッドキャストのみだったんです。当時はまだradikoがないですから、ラジオの本編は家のコンポから聴くしかなかったので、そこまでは至ってなかったですね。

 その後、大学時代は学生お笑いをやっていたんですけど、ラジオはポッドキャストで伊集院さんと爆笑さん、それにくりぃむしちゅーを聴いているぐらいでした。

陽キャだった学生時代 投稿は「自分とは別次元」

 当時の感覚としては、ラジオはテレビにおけるサブ的な立ち位置。まだ僕の学生時代は学校で「昨日、あの番組見た?」という会話があったし、テレビを当たり前のものとして見ていたのに対して、ラジオは“イレギュラー”なものというか。「こんなたしなみがあったのか」みたいな。周りの友達に「『JUNK』って聴いてない?」と確認することはなくて、それはお笑い自体のほうでした。「『オンバト』見てないの?」「『M-1』見なかったの?」って。お笑いが好きというのがまずあって、その中に「ラジオを聴く」という行為があったんだと思います。

 学校で1軍、2軍という言い方がありますけど、学生時代の僕は1軍の人間とも仲良かったし、運動も勉強もそれなりにできたので、ちょっと感じ悪いかもしれないですけど、陰になる要素が単純になかったんです。当時なんとなく僕の中で深夜ラジオって「陰キャのもの」って思ってたんですけど、僕の場合は「友達がいなくて、家で塞ぎ込んでいたら、たまたま付けたラジオが面白かった」みたいな出会い方じゃないんで。単純に娯楽の1つみたいな感じから入っていますね。そこまで重い意味はなく、マンガを読むのと同じような感覚でした。世が求めるリスナー像とは違うと思うんですけど。

 ただ、陽キャと陰キャ、どっちつかずだなと思っている自分はいました。器用だから、陽キャとも仲良くはできる。同時に陰キャっぽい趣味に憧れるはあるけど、根っからそっちではないみたいな思いはありましたね。

 投稿しようと思ったことは一度もないです。学生時代にも送ってないですね。のちにテレビ局に就職するんですけど、番組を担当していたタレントさんが冠ラジオ特番をやるとなった時にムチャクチャ送って、3通採用された経験はあるんですけど(笑)。

 投稿しなかったのは先入観の問題というか。投稿するのは自分と全然別の次元にいる人間だと思っていました。「僕は聴く側が当然」みたいな。今なら送って参加するという術もあったんだと思うんですけど、当時はハードルが高かったですね。がっつりリアタイしていたわけじゃないですし。

偶然、タクシーで『アルコ&ピースのANN』が流れていて……

 大学を卒業し、テレビ局に就職してからはポッドキャストもほとんど聴かなくなりました。僕は2010年にバラエティ班のスタッフとして採用されたんですけど、当時の制作現場はまだ厳しく、寝る暇もないほど忙しかったので、3年間ぐらいはほとんどエンタメを吸収してないと思います。多少、伊集院さんや爆笑さんに触れていたかもしれないですけど。

 2013年頃にWEBの部署に異動したんですが、その頃にはradikoもスタートしていましたし、YouTubeも一般化していました。異動して時間ができたこともあり、いろいろなエンタメに触れられる環境になったんです。それで、ラジオを再び聴くようになりました。

 最初は伊集院さんや爆笑さんに戻って聴いていたんですが、たまたま偶然『アルコ&ピースのオールナイトニッポン0』に出会って。番組が1年目の頃で、記憶が確かならば、乗ったタクシーの中で流れていたように思います。本当にたまたま耳に入ってきたことだけはしっかりと覚えていて。

 ちょうど仕事で「このままでいいのか?」と悩んでいて、会社を休もうかと考えていた時期でした。その当時は世の中で仮想通貨が話題になっていて、もちろん悪いわけではないんですけど、僕もホリエモン(堀江貴文)あたりにハマっていて。それまでお笑い中心だったのに、そこから離れていて、バランスを崩していた時期だったんです。

 そんな時にアルピーのラジオが流れてきて、聴き入ってしまい、「メッチャ面白いことやってないか!?」と感じました。何の回だったかは覚えてないんですけど、家に帰ってからすぐに詳細を調べて、「次の週も聴いてみよう」と。それで翌週も聴いたらやっぱり面白いとなって、そこからは毎週チェックするようになりました。当時はどうやって聴いていたんだろうなあ。全然覚えてないんですよ。録音していたのかなあ。生で聴いていた記憶もあります。

『アルコ&ピースのANN』の魅力は“新しさ”

 当時、『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』では毎年改編期には「終わる・終わらない」が話題になっていました。一度25時台に昇格したんですけど、その時も発表になる前は「終わるかも?」という空気があったんですよね。業界の人間なんですけど、僕もそれに一喜一憂して、不安な気持ちになっていました。Twitter(現X)のハッシュタグを見てみたら、そういう気持ちになっているリスナーがたくさんいて。誰とも面白さを共有してなかったので、「やっぱこの番組って面白いんだな。そうだよね?」と改めて思ったのを覚えています。松井咲子さんがたくさんつぶやいていた印象がありますよ。

 どのタイミングの改編だったかわからないんですけど、来週、番組が続くか終わるかハッキリするという1週間で、アルピーが営業でトークショーに出演すると知り、そこで改編に関する情報を口にするんじゃないかと思って、それを見に行ったこともありました。テレビ局に就職してから、そういう気持ちになったのは本当に初めてでした。自分自身が熱狂していて、新鮮な感覚でしたね。思い出すと懐かしいなあ。

 あの番組って伏線回収みたいな要素があったじゃないですか。そういう新しさに惹かれたんだと思います。ラジオっていい意味でフォーマットがちゃんとあって、フリートークして、コーナーをやって終わりという形がありますけど、そうじゃなくて、毎週驚きがある。以前、聴いていた伊集院さんと爆笑さんがある意味で振りになっている部分もあるし、僕は『オンバト』から入って、ラーメンズも凄い好きでしたから、ちょっとした仕掛けのあるお笑いが好きだったんです。そういうところも影響しているんでしょうね。1回1回にタイトルが付いていたのも新しかったというか。「あの回が…」ってなるんですよね。『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』は同じような匂いがあるかもしれないですけど。

 番組が長く続けば続くほど、パーソナリティは年を取っていくし、リスナーの年齢層も上がっていくから、どんどん安定していくじゃないですか。それも面白いんですけど、アルピーの番組は濃密な3年間で終わっているから、そこに“幻(まぼろし)感”もあっていいんでしょうね。

 心に残っているのは「平甲子園」(2014年8月15日放送)です。僕は年に2、3回聴き直しますけど、本当にあの回が好きすぎて、今でも支えになっていますね。偉そうですけど、あれは僕が今やっている全てのコンテンツ作りの指標になっているというか。

※「平甲子園」……当時、番組内で浮上していた「平子不要論」を払拭するために生まれた企画。「この世に不必要な人間はいないこと」を証明するため、平子が同時期に開催されていた夏の甲子園に“21世紀オーバーエイジ枠”で出場することになった。残る8人のメンバーをリスナーから募集することに。条件は「学校や職場で不必要とされていること」。メールで「自分がいかに世間から不必要とされているか?」を募った。

当初は笑い中心のネタが集まるかと思われたが、学校や職場でないがしろにされながらも、歯を食いしばって耐えてきたつらい投稿が続出し、番組はしんみりしたムードに。最終的に全員が4番バッターでもおかしくない強力チームが結成された。そこで酒井が「高校球児じゃ相手にならない」と判断し、甲子園出場を取りやめて、メジャーに乗り込むことを決断。上原浩治が所属するレッドソックスとの対戦に挑むが……。最後は妙に爽やかなエンディングが感動を誘い、平子も「ちょっと泣きそうになった」と語る名作となった。

2015年発売の『新お笑いラジオの時間』から一部抜粋

 あの回ってメールを送ってきたリスナーの顔が見えるんですよね。リスナーの生活が見えるというか。たぶんあの送られてきたメールって本当の話ですよね。ウソの不幸エピソードは送ってこないはずだから。でも、本当のことだけど、つらいことなんだけど、なんか笑っちゃうし、それが束になった時に凄いパワーがある。その奥行きが面白いというか。あの回は食らいましたね。ディレクターだった石井(玄)さんにも言いましたけど。

最終回の出待ちで感じた“熱狂”

 最終回は出待ちに行きました。家で聴いてたんですけど、途中でタクシーでニッポン放送に行ったんですよね。行かないと後悔すると思ったんです。行ったとて、何もないかもしれない。アルピーが出てくるなんて一言も言われてないし、もしかしたら僕ひとりしかいなくて恥ずかしい思いをするかもしれない。でも、いても立ってもいられなくなった感じですよ。当時、そんなに遠くないところに住んでいたんで、これは行くしかないなと。大袈裟じゃなく、あの時に自分が行った嗅覚はデカいなと思います。

 実際に現場に着いて、「みんな来ているのかな?」と思ったら、予想以上にニッポン放送裏の駐車場付近にたくさんのリスナーが集まっていたので、「じゃあ、いていいんだ」とその中に紛れ込ませてもらいました。放送終了後にあの場でポッドキャスト分を録ったんでしたっけ。アルピーが出てきて、「有名なリスナーいる?」「お前が来てるんだ」みたいなことをやっていたのは覚えています。

 この時点で僕は「とか言って終わらないのかな」と思っていました。“終わる終わる詐欺”をされすぎてたので。でも、次の週に放送されないから、「これは本当に終わったんだ」と。終わったことを実感したのはもうちょっとあとだったと思います。

 だから、出待ちの現場にいた時に感じたのは“熱狂”でしたね。「こんなに同志がいたんだ」と感動したし、アルピーも出てきていたし。今、金属バットのYouTubeをやっているんですけど、その作家をやっている子もこの出待ちにいたみたいで、「僕も出待ちしてたんですよ」と言うから、「じゃあ、一緒に仕事しよう」となりました(笑)。

 改編で言うと、平子(祐希)さんって福島県いわき市出身じゃないですか。前年に1部から『オールナイトニッポン0』に降格する時の最終回はいても立ってもいられず、マジでキモい話ですけど、いわきのほうまで車で向かいながら聴いた記憶があります。まだまだ東日本大震災の爪跡が残っていて、更地になっている道路を走りながら聴いていました。

アルコ&ピースと霜降り明星がお笑いに引き戻してくれた

 当時の僕はお笑いから完全に離れていたんですけど、あの最終回が決定打となって、「やっぱり僕はこっちの世界にいたいんだ」と強烈に思いました。もちろんラジオ業界に行こうとはその当時一切思ってないですけど、この番組のおかげでお笑いに引き戻された感じです。

 バラエティが楽しくなくなったわけじゃなく、「他に楽しいことがいっぱいあるしなあ」という気持ちで離れていたんです。当時は毎日寝れないし、帰れないし、こんな苦労しなくても楽しいことはいろいろあるんじゃないかって思っていたので。週末に家族で遊園地に行くのも楽しいし、そういう風に過ごしてこの先は生きていったほうが絶対にいいだろうと思って離れた経緯がありました。だから、『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』を聴いてなかったら、業界自体から離れていたかもしれません。

 改めて「お笑いを好きになる」と思って、2016年3月の番組終了直後からお笑いをまた追いかけ始めたんです。ラジオとは関係ないんですけど、その年の『M-1グランプリ』の敗者復活戦で、2組目に霜降り明星が出てきて、粗品さんが「野党!」というツッコミをした瞬間、「なんて面白いんだ」と。それで僕は12月から霜降り明星を追いかけ始めるんですよ。

 翌年から『霜降り明星のだましうち!』(ABCラジオ)が始まったんで、初回から聴き始めました。霜降り明星は2017年の『M-1』も準決勝敗退だったんですけど、そのこともラジオでメッチャ喋ってくれて、2018年にもう1回挑戦してついに優勝するんです。霜降り明星の優勝で僕は完全に「お笑い界の真ん中で生きていきたい」と思ったんですよね。アルピーのラジオがそこに繋がっていく感じです。だから、アルピーと霜降り明星には頭が上がりません。

 2020年にスタートしたももいろクローバーZの『ももクロちゃんと!』(テレビ朝日)を担当することになったので、これは職権乱用しようと思い、翌年2月に平子さんをゲストに呼んで、結婚についてももクロに喋ってもらうという企画をやりました。収録が終わって、僕は一切そういうことを誰にもやってないんですけど、その時ばかりは平子さんに「『オールナイトニッポン』のリスナーでした」と伝えて、2ショットを撮ってもらいました。そのあと、別の企画で酒井(健太)さんに会った時にも自分の気持ちをお伝えしました。

 自身がテレビ局員時代に担当していた番組に石井さんがゲストに来た時も番組の話をしたと思います……どこでもその話しているなあ(苦笑)。「そうなんだ!」って凄く喜んでくれて。僕は2022年にテレビ局を辞めて独立したんですけど、「会社を辞めました。仕事ください」となった時に真っ先に「飯に行こうよ」と連絡してくれたのは石井さんでした。食事した日に、「アルピーのオールナイトの出待ちに来てくれた人だから、何でも協力したいです」みたいなことをツイートしてくれて、マジで嬉しかったですね。

 それだけでも嬉しいなと思っていたら、『UNDER 25 OWARAI CHAMPIONSHIP』(25歳以下限定のお笑い賞レース)の審査員の話を振ってくれて。2023年はえびしゃが優勝したんですけど、優勝特典でオールナイトニッポンPODCASTをやることになったら、僕の会社に制作を任せてくれたんです。自分のことながら、「繋がるねえ」って思いました。

 お笑い界に戻ったあとも基本的に聴いていたのは伊集院さんと爆笑さん。オードリーも好きで、他もみんなが聴いているような番組はチェックしていたと思います。アルピーがTBSラジオに移ってからも聴いていたんですけど、そういうリスナーが多いかもしれませんが、生放送じゃなかったじゃないですか。嬉しかったけど、ちょっと違うなと思って、いつの間にか離れてしまった気がします。

ラジオを作る側になっても感じる『アルコ&ピースのANN』の影響

 今はGERAやstand.fmなどでラジオ番組をたくさん作っている側なので、担当番組のチェックで手一杯になってしまっていて、リスナーとしてはあまり聴けてないんですよ。いちリスナーとしてはよくないなとは思っているんですけど。チェックで聴いていてもそれぞれ面白いんですけど、純粋なリスナーとは目線が違うので。

 リスナーとしてマストで聴いているのは爆笑さんと『霜降り明星のオールナイトニッポン』かな。あと、モグライダーの芝(大輔)さんと松原(秀)さんがやっている『裏表』(文化放送)は好きで毎週聴いています。

 自分でも社員の桜井萌と一緒にパーソナリティとして『TPと桜井の頑張れラジオ』(stand.fm)という番組をやっています。メッチャベタな話ですけど、やってみるとトーク力が上がるなって。コミュニケーションの面で言えば、みんなやったほうがいいんじゃないかって思いますね。番組によっては作家やディレクターもやっているので、聞き役にもなれば、話し相手にもなる場合があり、いろんなチューニングはあるんですけど、コミュニケーションは上手くなったなって感じます。言葉尻をつかまえて、次の話題に進むのはナチュラルにできるようになりました。

 ここまで仕事としてラジオに関わるとは思ってなかったですけど、やっぱりラジオが好きなんでしょうね。演者のポテンシャルが一番出るじゃないですか。ウソが付けないというか。テレビをやっていて思ったんですけど、つまらないものを面白くできちゃうのが僕は苦手だったというか。全部の番組がそういうわけじゃないんですけどね。そこに美学を持っているテレビマンの方もたくさんいらっしゃるんですが、「起きたものをそのまま伝える」のが僕は好きで。お笑いのネタもそうじゃないですか。芸人さんが作ったものを丸ごと邪魔せず伝えるという。そういうコンテンツ作りをしてきたから、ラジオと相性が良かったんでしょうね。

 僕はなるべくカットをしたくないんです。『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』も「どの回が好きか?」はリスナーの中でも意見が分かれるじゃないですか。多くの人には挙げないけれど、1人だけ熱狂的に好きだという回があるかもしれない。そう考えたら、コンテンツに無駄な部分はないんじゃないかって。カットしてしまったところで救われた人がいたかもしれないって思う時があるんですよ。

 配信アプリを利用したラジオ番組だと尺がないから、そこが嬉しいんですよね。30分の完パケ番組を作ってくれと言われると、全然思考回路が違ってくるんです。「ここを切っても文脈は通じるから、カットしよう」なんて思うんですけど、「でも、ここの脱線が面白いのがラジオなのに……」とも考えてしまうんで。だから、僕は“アンチ尺”です。そこに収める美学もきっとあるんでしょうけど。

 今後、作り手としては……ラジオはファンコミュニティの中でコアな部分を担っていると思うんですよ。「SNSをフォローしています」とか、「テレビに出てたら見ます」とか、「YouTubeが面白いですよね」とかよりも、1個深いところで、コアな人たちが聴いているじゃないですか。“ちょっと好き”でラジオを聴いている人ってあんまりなくて、“本当に好き”な人が聴いていると思うんですよ。だから、欠かせないものに近いというか。作り手としては、コアなファンが付いているという自覚を持って、長続きさせなきゃいけないよねと思っています。だから、それに伴うマネタイズをしなきゃいけないし、どうするかをちゃんと考えていきたいです。

 この考え方もアルピーの影響かもしれないなあ。以前、『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』にも投稿していたRNペリークロフネさんが、番組の改編について「みんなの遊び場がなくなる感覚に近い」ってつぶやいていたことがあって。

 本当にその感覚です。その遊び場を守るためにはどうすればいいか考えていきたいなと。それは自分もそこで遊びたいからっていう。終わらせたくないって思うのは、あの番組のせいかもしれない(苦笑)。ラジオっていつでも戻って来られる場所というか。ちょっと離れてから久しぶりに戻ってきても、まだやっているという安心感があるじゃないですか。それは続けたいですよね。そうすることで自分も救われますから。

■自分が思うラジオの魅力

一番は安心感 アルコ&ピースはその逆だからこそ凄い

 先ほども話しましたけど、魅力は安心感ですね。一番はそれな気がします。距離感も近いですし、毎週必ず同じことをやってくれているから安心するし。アルピーはそこと逆だから凄いって話なんですけど。

 ラジオって再生ボタンさえ押せば、いつでもどこでも一緒にいてくれるじゃないですか。陽キャとして生きてきたから、寂しいのに耐性がないんだと思うんですよ。だから、ラジオに救われますよね。

 ながら聴きができるというのも安心感に繋がるんです。聴き逃してもいいじゃないですか。10分間だけ聴き逃しても、1週分聴き逃しても、そこまで影響ないというか。それは気が楽ですよね。あとは、作り物感がないというのも魅力だと思います。

■一番好きな(好きだった)番組

太田光に勝手に共感してしまう『爆笑問題カーボーイ』

 先ほどから名前を出している『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』は別格過ぎるんですよね。あんなに熱狂したことがないので。

 長期間聴いているという意味では『爆笑問題カーボーイ』になるんですけど、この番組の魅力は僕の中で太田(光)さんのオープニングトークですね。田中(裕二)さんにキレている回も面白いし、太田さんの昔話は勉強になる部分があるし、ハッとするような言葉も言ってくれるし。太田さんは優しいですよね。優しすぎるから炎上するじゃないですか。でも、ラジオをちゃんと聴けば、全部考えがわかるのになあって思います。

 白黒付けなきゃいけない時に、黒のほうのプラス要素を言ってしまうと、この世の中だと駄目ってなっちゃう。僕も太田さんと似た経験をしたことがあって。確率的には1万6000分の1らしいんですけど、僕は1度裁判の裁判員に選ばれたことがあるんです。

 裁判員として被告人の話を聞いていた時に「もしかしたら事情があるんじゃないかな」って思ったんですよ。僕の意見はまったく聞く耳を持ってもらえなかったんですけど、その時になんか太田さんを思い出したというか。太田さんもこういう意見をポロッと言って、「そっちの肩を持つなんてあっち派だ」みたいに言われるじゃないですか。そういう太田さんに勝手に共感してしまっているところがあります。太田さんの存在もラジオの安心感に繋がるかもしれません。

■ラジオで人生が変わった(心が震えた)瞬間

『霜降り明星のだましうち!』を聴いてM-1での戦いを追体験した時

 ここまで話してきた『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』はもちろんなんですけど、他で言うと『霜降り明星のだましうち!』も僕の人生を変えた番組ですね。

 「メチャクチャ面白いじゃん! 絶対に天下獲るよ」と思った人たちが本当に天下を獲っていくプロセスを、この番組を通じて全部見たんで。その経験は本当に人生を変えてくれました。『M-1』の準決勝で落ちて、「もうやってられるか」と話していた回があるんですよ。それでも聴き続けたら、1年後に優勝するっていう。今のラジオ界ではそういう番組が生まれづらくなっているのはあるかもしれません。

■自分がパーソナリティになったら、番組のテーマ曲は何を使う?

オープニングゆずの『友達の唄』 ゲストで出るならAndymoriの『夢見るバンドワゴン』をかけたい

 面白い質問ですね。センスを問われるなあ。アプリを使って配信する番組だと、今ってフリー音源を使わなきゃいけないんです。僕が関わっているのはそういう番組が多いので、この発想はなかったですね。

 「みんなが知っている曲が好き」という感覚があんまりないんですよね。オープニング曲にするなら……ゆずの『友達の唄』ですかね。やっぱりラジオに誘ってくれた人たちなんで、ゆずは使ってみたいなと。もしラジオにゲスト出演して、1曲好きな曲をかけるなら、Andymoriの『夢見るバンドワゴン』をかけたいです。以前かけてもらったこともありますよ。

 7月から始まったトンツカタン・櫻田(佑)さんがパーソナリティを務める『秋田ねねねフェス実行委員』(秋田放送)という音楽番組に携わっているんですけど、曲をかけられるのはなんてメリットなんだと感じていて。ポッドキャストじゃ無理じゃないですか。ただ、この番組もポッドキャストで配信しているから、ポッドキャスト版も作っているんですけど、曲がないとなかなか面白くならないんですよ。やっぱり曲って凄いなって改めて思っています。

■私にとってラジオとは○○である

私にとってラジオとは「裏ドラ」である

 奇をてらわなければ、僕は「救い」とかそんな感じだと思うんですよ。いつでも最後は救ってくれるという。もっと言うと、前に考えたことがあったから出てきたのかもしれないですけど、僕は麻雀の「裏ドラ」みたいな気持ちなんですよ。

 牌をめくって、それを知っていれば、自分の人生が1翻上がるというか。ラジオに触れない人は一生触れないんですよね。だけど、ラジオの面白さを知っちゃって、1回好きになったら、嫌いになる人ってほとんどいないと思うんですよ。知るか、知らないかだけの世界というか。僕は裏ドラをめくって、自分の役を1翻上がらしてもらった感覚があって。安い言葉で言ったら、「人生半分損しているよ」みたいな感じかもしれないです。

 たとえ点数が上がらなくたっていいんですよ。一生触れなくても生活できる人はいるだろうし、僕にもその世界線はあったなと思うけど、小学生の時にその存在に気づけてよかったというのがあるんですよね。お笑いはメッチャ好きでも、ラジオは聴かない人もいるわけですから、僕にとっては必然だったのかもしれないなって。こうやっていろいろ話してみて、やっぱり自分ってラジオが好きなんだなって思いました。

(取材/構成:村上謙三久)

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