ラジオコラムの書き方 ~“ラジオ愛”の詰まった文章を書く方法~
「コラムの書き方」を検索すると、「起承転結が大切」だの、「序破急を意識して書け」だのもっともらしい教えが出てくるが、もっと大切な「中身の考え方・組み立て方」は見つからない。そこで、今現在の自分なりの“ラジオコラムの書き方”をまとめてみようと思う。あくまでも“今現在”の考えであって、数年後はまったく違うものになっている可能性もあるが、備忘録的にまとめておきたい。
■全てはテーマから始まる
テーマは狭く限定的にする
コラムを書くなら、まず第一に「テーマ」を決めなくてはならない。普段からラジオを聴いているリスナーであれば、自分が面白いと思っている番組がいくつかあるだろうから、それを題材に選ぶというのは、当たり前だけれども、いい考えだろう。
だが、これだけでは「テーマ」とは言えない。どんな部分を自分が面白いと思っているのか? なぜそう感じたのか? そういう部分まで深掘りしないと中身がない文章になってしまう。「コラムなんて簡単に書けるよ」と思っている人も一定数いるだろうが、大抵はここでつまずいてしまう。
以前、『別冊声優ラジオの時間』というムック本で、『「好きな番組」もしくは「個人的な神回」』をテーマに1000文字程度のコラムを公募したことがある。多数の応募があったのだが、5~6割ぐらいは「どの番組」という部分だけで終わっていて、「どんな部分が?」「なぜ?」というところまで掘り下げていなかった。番組スタッフがブログ内に放送中のコーナー紹介をまとめた……みたいなコラムが多かったと記憶している。
※↑こちらのムックにリスナー6人のコラム(それぞれ1ページ)を掲載しました。応募総数は70人ぐらい。
なぜ自分はこの番組(パーソナリティ)を好きなのか。他の番組とはどう違うのか。普段から言語化することを意識していないと、意外なほど説明するのは難しい。集まったコラムには「パーソナリティの○○さんは声がいいんです」「○○というコーナーは面白いんです」というような表現が多かったが、これだと番組を知らない人には伝わらない。だから、「思い入れや思い出など個人的なことに絡めたほうがいい」とアドバイスしたのを覚えている。
もちろん文字数によって状況は変わるのだけれど、ラジオのコラムを書くならば、番組で切り取るよりも、「あの番組の○月○日の回」「あの番組の○○というコーナー」ぐらい限定的にしたほうが書きやすいと思う。
※このコラムは『おしゃれイズム』終了に合わせて、上田さんの「イズム」発言と「ロッキーの撮影じゃないのよ」というたとえツッコミについて書きました。このぐらいの狭さがちょうどいいです。
「誰も考えていない切り口だけれど、共感してもらえる」を目指す
もう1つ、大事になってくるのは、「そのテーマに独自性があるか?」。いくら具体的であっても、例えば「『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』は素晴らしかった」、「『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』の濟々黌ラグビー部祭りはとにかく面白い」なんていう切り口はテーマになりづらい。なぜならそれは当たり前すぎる意見だからだ。
世の中にないもの、人とは違うものを形にするというのはどんなジャンルであれ大事な考え方で、コラムを書く上でテーマにするならば、「誰もが考えていない切り口だけれど、共感してもらえる」というのが理想。「自分の頭の中にあったモヤモヤを言語化してもらった」なんて感想を言われる形がいい。みんなが思っていることをありきたりの表現で文章にするなら、わざわざ書く必要はないし、反対に言えば、奇をてらった切り口にして、まったく共感してもらえないのも本末転倒なのだ。
もちろん、東京ドームイベント終了直後に公開するならスピード感があるからいいだろうし、ラグビー部祭りも「実はこの『ぷ』という人、僕のお父さんで……」なんて特別な視点があるなら問題ない。そんな風に当たり前の内容でもやりようはあるのだけれど、基本的には切り口として明らかに弱い。当然、自分の備忘録的として書くのなら、まったく問題ない。
とはいえ、ラジオはコラムの題材にしやすいジャンルだ。とにかく独自性が作りやすい。そもそもラジオに関するコラムは一般の人が書いたものを含めてもかなり少ないから、比べる必要もそれほどなく、「その番組を取り上げること」自体がコラムとしての独自性になる場合もある。そこは他のジャンルよりも書きやすい点と言えよう。
番組やパーソナリティに起きた出来事を自分とリンクさせる
視点はありきたりでも、過剰過ぎる愛情や思い入れで書ききるのも手ではある。まるでパーソナリティや番組と併走しているような形にできれば、体重の乗った文章になるし、それだけでテーマに昇華できる可能性もある。
近いやり方として「自分のことに置き換える」という手法もありだ。『100分de名著』(NHK)や『伊集院光とらじおと』(TBSラジオ)のゲストコーナーでの伊集院さんの立ち振る舞いを見て「なるほどなあ」と思ったのは、難しい話題でも一旦自分のことに置き換えるというやり方。それこそ哲学のような難解なテーマでも「僕が若手の頃に師匠から……」、「草野球をやっている時に若手芸人が……」というトークを挟むことで、難しい話題と身近な出来事をリンクさせれば、視聴者・聴取者にわかりやすい形で提示できる。
文章でもそれは同じ。自分の気持ちも文章に乗せやすくなるし、ラジオというジャンルと相性がいいやり方だ。それだけで「誰も考えていない切り口」になりえる。
これはテーマだけでなく文章自体でも使えるテクニックで、例えば、パーソナリティの悩みや成長を自分のそれと置き換えれば、読者からの親近感を引き出すことができる。そこまで大袈裟ではなくても、文章の導入部分で自分の経験を絡めたり、最後の締めで私生活の思いを投影させたりするのは私もよくやる手だ。
ただ、あまりに個人的な話になりすぎると、ラジオとはまったく関係ない方向に進んでしまい、読者を置いてけぼりにする場合もあるから気をつけたいところ。振り切ってしまうのもありなのだが……。
※最初と最後に自分の話を組み込んで上手く書けたaikoさんに関するコラム。昔、プロレスについてコラムを書いていた頃は、自分の話の比重が大きかったので、これが本来の自分の文章に近い気がします。
数をこなしてテーマが思い浮かばなくなった場合は……
何気ない出来事だけでさらっと名文のコラムをコンスタントに書くのは才能がないと難しい。ラジオのコラムに限定しても、最初は次々にテーマが思い浮かぶだろうが、ある程度の数をこなすとストックが尽きてしまう。これは書籍の企画でも当てはまる話。いくらラジオ好きの編集者やライターでも、ラジオ本を2、3冊作ると自分の聴いている(聴いていた)番組の取材をし尽くしてしまい、新たに開拓していかなければならなくなるのだ。
ネタが続かない場合はどうするか。私は「たぶんコラムになるような面白さがあるはず」という嗅覚を働かせて、先行して資料や音源を集めるという形を取っている。
例えば、QJ Webに掲載した『サンドウィッチマン『病院ラジオ』が“少し”和らげてくれる「ひとりぼっちの孤独」』(2024年4月公開)は、コロナ期に何度か『病院ラジオ』を見て、「これならコラムにできるんじゃないか?」と思い立ち、不定期にされる放送の録画を継続。ある程度映像資料が貯まってから、NHKの担当者に連絡を取り、許諾をもらったうえで、「さて具体的にはどんな視点にしようか?」と過去の映像を見始めた。
※『病院ラジオ』はテレビ番組ですが、ラジオ好きの方には本当にオススメです。
『日向坂46・松田好花が持つ“涙の花粉症”というラジオパーソナリティとしての稀有な才能』(2024年1月公開)はもっと極端。「ヘビーリスナーです」という体で書いているが、実際はまったく違う。そもそも日向坂46に関する知識はほとんどなく、オードリーとの絡みから、松田さんが「ラジオ好き」で、「涙もろい」という認識ぐらいしかなかった。
それでも2021年に『日向坂46松田好花の日向坂高校放送部』(ニッポン放送)がスタートした時点で「これはいつかコラムにできるんじゃないか?」という嗅覚でとにかく放送の録音を開始。番組は数回しか聴いてなかったものの、2年後に『松田好花のオールナイトニッポン0』が月一で放送されると発表された時点で、「コラムにしよう」と思い立ち、後追いで一気に2年分の放送を聴いて、テーマや全体の内容を考えた……というのが実際の形だ。
※「好花」は本当にいい名前だなあと勝手ながら思っています。実は日向坂46で顔と名前が一致するメンバーが数人しかいないのは内緒の話。
仕事としてコラムを執筆する場合、「こういうテーマで書いてほしい」、「宣伝として書いてほしい」と指定されることもある。こういう時はとにかく中身が見えない状態でも書き始めて、あとから帳尻を合わせる時もある。ただ、内容の善し悪しは別にしても、こういう書き方はある程度経験が必要。コラムを書くのになれていないうちは、しっかりテーマを決めてから書き始めることをオススメする。もちろん途中で方向性を変えるのはありだ。
テーマの切り口が間違っていないか検証する
この作業は省いてもいいのだけれども、自分の才能に自信がない人は「果たしてこの切り口は間違っていないのか?」を検証することをオススメしたい(ただ、この作業は後述する資料や音源確認と同時にやるほうが効率的かもしれない)。
自分がその番組を何年も聴いてきたヘビーリスナーならば、一般的な感覚からズレた視点にはならないかもしれない。だが、たまたま聴いた番組だったり、なんとなくの嗅覚から決めたパーソナリティだったりをテーマにする場合は、「誰もが考えていない切り口だけれど、共感してもらえる」ではなく、「誰も思いつく切り口で、共感してもらえない」になる危惧が出てくる。
それを避けるためには、検証が大事。パーソナリティやスタッフのインタビューはもちろん、時にはXで番組のハッシュタグを追い、リスナーの反応まで確認する。また、WEBサイトなどで同じ題材のコラムがないかも調べる。そうした作業を経て、テーマを微調整してからようやく内容を考える過程に進む。
こんな調整をしなくても、オリジナリティがあり、なおかつ共感を呼ぶ文章を書ける才能溢れる人は少なからずいる。ただ、それを継続的にできる人は本当に一握りだけだ。世の中の流れや一般の反応を常に確認しておかないと、いつしか芯を外した内容になってしまい、共感から一転批判を受けることだってありえる。世の中でコラムやエッセイが炎上する場合はほとんどがこのパターン。そうはならないためにも、自分の考えが一般的にどの位置にあるのかは常に意識しておいたほうがいい。
■内容を考えるための材料作り
音源を聴くことだけが正義
テーマについてあれこれ書いていたら長くなってしまった。ここからようやく内容に入る。
ラジオのコラムを書く時に私が一番大事だと思っているのは、番組の音源を聴くこと。極端な話、他には何も触れなくても、パーソナリティの本業についてはまったく知識がなくても、音源だけを聴き込んでおけば問題ないと思っている。これはラジオに関するインタビューをする際にも当てはまる、私にとっては絶対的な真理だ。
テーマ設定によっては数回分で済むこともあるが、基本的には聴く音源は多ければ多いほどいい。それまで一切その番組を聴いたことがないとしても、簡易的ながらちゃんとヘビーリスナーになるのは必須条件だ。もはや強迫観念のような気もするが、自分としては最低でも1年分ぐらいは聴きたいといつも思っている。もちろん毎週聞き続けてきたヘビーリスナーとは似て非なるものだとわかっているが。
例えば、上記した『日向坂46・松田好花が持つ“涙の花粉症”というラジオパーソナリティとしての稀有な才能』の時は、2年分の『日向坂高校放送部』のほか、松田好花さんが出演した他のラジオまで音源を聴き漁った。その他、ラジオに関する松田さんの記事は雑誌・WEB限らず探して、ラジオに関係ないインタビューもいくつか読んでいる。
片っ端からメモを取る
毎回、大量に音源を聴く際は、だいたい1.2~1.8倍程度のスピードで消化している(日常のラジオ聴取は再生スピードを変えません)。聴きながら、パーソナリティや番組が持つ魅力の肝を探っていく。普段から聴いている番組でもわかっている気にならず同様の作業をする。気になる点をスマホのメモ帳に書き込んでいくのがいつものやり方だ。
放送上の気になったエピソードや発言を集めていくのだが、神回、人気ゲスト回ではなく、何気ない回のほうがよし。個人的な引っかかりだったらさらによし。同時に自分が感じたことも脈絡なく書いていく。直感で書いた感覚的なものでいいから、どんどん書く。これが「誰もが考えていない切り口だけれど、共感してもらえる」に繋がる。何気ない話を取り上げるのは、読者となるその番組のリスナーから「こんな話をチョイスするなんて、このライターはわかっている。ヘビーリスナーなんだろうなあ」と思ってもらえるから。ちょっとずるいテクニックでもある。
ありがたいことにコラムを書くと、「“ラジオ愛”を感じた」「熱量が凄い」「きっとヘビーリスナーが書いたんだろう」などと言ってもらえることが多く、自分の中では「リスナーさんを騙している」という意識も少なからずある。ただ、愛情や熱量を感じてもらえるのは、それだけ時間をかけているからこそ。本来、愛情や思い入れに期間の長さは関係ないのだけれど、コラムを書く上ではかけた時間は裏切らない。
■文章にする際には流れが大切
中身を考えるのにオススメなのは布団の中、ウォーキング、マッサージ
音源をたくさん聴き込んでいくと、その分、大量のメモが手もとにあるはずだ。ここからようやくテーマに沿って、具体的な内容をまとめていく過程に入る。
実際にどう考えていくのかは、まさに最初に書いた「起承転結」や「序破急」という話で、何度も書いて自分なりの心地よいパターンを作っていくしかない。大事なのは話の流れ。特に個人的に強く意識しているのは始まり方と終わり方だ。そこがカチッとハマると、他の部分も一気に決まることが多い。ここに迷うようなら、上記した「自分の経験や考えを絡める」のは有効な手段だ。
じゃあ、普段はどんな風に流れを考えているのか。書きためたメモを元に脳内でパズルのように組み合わせて、方向性を組み立てていく。私の場合、電気を消し、布団に入ってから、眠りにつくまでの間に何日も繰り返して、中身を固めている。一般的には目が冴えてしまう行為かもしれないが、私の場合、文章の中身を考える=リラックスに繋がっていて、いい具合に睡魔が襲ってくる。
あとは風呂やサウナの中、ウォーキングなどぼんやりできる時間は思考が進む。そんな風に何日か過ごして、だいたいの中身が決まり、最終的なオチも見えてきた段階で、60~90分のマッサージを受けながら全体の構成を脳内で固める。この段階が一番楽しい(単純にマッサージが気持ちいいだけかもしれないが……)。ラジオに関するインタビューのの下準備も、テーマを仮定する→音源を聴き漁る→メモを書きためる→流れを考えるというプロセスはほぼ同じだ。
大事なのは「とにかく最後まで書き切る」こと
ここまで来て、ようやく文章にしてまとめていく。細かく直しながら書くよりも、表現や言葉選びなどが気になっても、強引に最後まで書き切るのがオススメ。とにかく勢いで形にしてしまったほうが、あとから対応しやすい。
その後、細かく修正・校正する。どうしてもメモの中身や調べた情報を全部入れたくなるのがライターの性なのだが、この段階でどこまで削れるかが重要。必要以上にカットするぐらいがちょうどいい。
※このコラム、実際の文量は倍近くありましたが、なくなくいろいろとカットしました。毎回3000字ぐらいを目指していますが、毎回オーバーしています。この時はやりすぎて1万字近くになってしまいました。
だいたい書いていくうちに、マッサージ中に脳内で考えていた面白さがあれよあれよとこぼれ落ちて、自己評価で30点ぐらいになってしまう。それを小手先のテクニックを活かして、50点ぐらいに戻せたら完成。上手くいった時は70点ぐらいに伸びる時もあるし、また違った面白さが出てくる時もあるけれど、それは滅多にない。
自分なりに納得できる状態(相当低く見て、だけれど)になったら、「ええい、ままよ」と編集者に原稿を送り、そこから読んだ意見を聞きつつ、キャッチボールしながら最終的に仕上げる。だいたい文字数が多すぎて削るのが難儀になるのと、資料にお金をかけすぎて後悔するのが個人的ないつものパターンだ。
■文章が上手くなりたい人に勧めたい定期的コラム執筆
ここまで書いてみて、参考になった人が果たしているのか疑問に思えてきたが、これが私流の現在のコラム執筆方法だ。
「“ラジオ愛”の詰まった文章を意識的に書く方法」という大げさなタイトルの最終的な結末が「とにかく時間を掛ける」なのは元も子もない気がするが、本当だから仕方ない。プロとしてやるのはとんでもなく時給が安くなるので、あまりオススメしないが……。
自分自身では決して文章が上手いと思っていないが、それでもなんとか仕事にできるぐらいの筆力が身についた経験は何だったかと問われたならば、「毎週、プロレスを題材にしたコラムを書いていたから」と答える。
私は世にも珍しい高卒ライターで、専門的なスキルがない状態でプロレスのモバイルサイトの記者としてこの仕事を始めた。引き継ぎや指導もほとんどなかったから、試行錯誤の連続だったけれども、幸運だったのはライターになって半年ほど経ってから、コラムを担当できたこと。途中で休止していた時もあったけれど、7~8年間にわたって週1回ペースでプロレスに関するコラムを書いていた(今は関わっていたサイトが全て閉鎖されているので、検索しても読むことはできません)。
最初の頃はどんな取材でも刺激的だったし、過去の思い出話も無数にあったから、書くべきことはいくらでもあったけれど、しばらく経つと、毎週のフリートークに悩むラジオパーソナリティのように書くネタに困ることになる。日々の取材しながら、必死にテーマを探すようになっていた。特に末期は、プロレス記者よりもアイドル雑誌の編集者の比重が強まっていたから、テーマ選びには悩まされた。
その時に癖としてついたのが「切り口に関する検証」だ。とあるプロレスの試合についてコラムを書くとして、自分なりの切り口を決めたあとは、プロレスの専門誌なり、スポーツ新聞なりで、その試合がどう報道されているのかを調べ、プロレスファンの意見も掲示板などを利用してチェック。自分独自の視点を必死に探すようにしていた。これを毎週繰り返すことが、ライターとしての筋トレになったような気がする。
もし文章力を付けたいと考えている人がいるならば、「毎週1回、同じジャンルについてコラムを書く」と自分で自分に決まりを作って、それをしばらく続けることをオススメしたい。
偉そうに色々と書いておきながら、私自身、ラジオのコラムを書く頻度が減っているので、note立ち上げに合わせて、月1回ぐらいは何かしらの形で発表していこうと思う。