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『いつものラジオ』販促特典の一部を公開

絶賛発売中の『いつものラジオ リスナーに聞いた16の話』(本の雑誌社)は、ラジオリスナー16人にリスナー歴やラジオ観を聞いたラジオ本の中でも特にマニアックな一冊です。

この本の販促企画として、X上で感想ポストキャンペーンを実施。現在も継続中です。簡単な企画と見せかけて、実はムチャクチャ時間をかけました。なんせ45,000字の大ボリューム。著者・村上がこれまでのリスナー歴を全てぶっちゃけて話し、本の中と同じ質問にも答えています。

note立ち上げに合わせて、その特典の中から一部(1万字ほど)をここで公開します。赤裸々に語りすぎたリスナー歴は読まれては困る人が数人いるので、それ以外の質問部分を再編集・抜粋して公開します。ちなみに、本はインタビューを元に原稿にしていますが、この特典は自分の脳内で文章にしているので、若干意味合いが違うことを予めご了承ください。

※『いつものラジオ』の前書きと伊福部崇さん取材部分の前半も無料公開中なので、気になる方はこちらも読んでみてください。


◎私が思うラジオの魅力

1人になりたい時は孤独になれる、1人で寂しい時は孤独を和らげる

 聴いた瞬間、自分を中心に半径1mぐらいのパーソナルスペースが作れるところだと思います。たとえ、満員電車の中でも、知らない土地の町中でも、自宅であろうと、オフィスであろうと、飲食店であろうと、ラジオを聴き始めた瞬間、自分の居場所ができる感覚があります。薄い膜で覆われていて、一息つけるというか。完全に周りを遮断しているわけじゃないんですけどね。

 もっと細かく言うと、「1人になりたい時、そんなにつらくない状況で孤独になれるところ」。反対に言えば、「寂しい時、耐えられなくはないぐらいに孤独を和らげてくれるところ」。『いつものラジオ』の中で記事タイトルに使った「独りだけれど一人じゃない」は、岡村隆史さんを表紙にした『新 お笑いラジオの時間』のキャッチコピーでもあるんですが、この言葉がまさにピッタリ来る気がします。

 ちょうどこの文章を書いている前日、平日の昼間からひとりカラオケに行ったんですよ。学生時代からひとりカラオケが趣味で、定期的に行っては、楽しく歌ってストレスを解消しているんですけど、昨日はふと「平日の昼間から俺は何をやっているんだろう?」という気持ちに襲われたんです。

 40歳を超えたオッサンなのに、いまだ独身で子供もいない。ラジオの本を何冊か作って、もっともらしい顔をしているけど、実際は何となく仕事をこなし、ダラダラと日々を重ねているだけ。いまだに人生の本番を迎えていないような気すらするし、このまま何も成し遂げることなく、死んでいくだけなんじゃないかと。そんな焦燥感に駆られたんです。自分の中では結構重めのシビアな感覚で、カラオケに集中できなくなるほどでした。

 ただ、カラオケ店を出て、いつものようにradikoを起動し、『深夜の馬鹿力』を聴き始めたら、ざわついた気持ちが落ち着き、普段の状況に戻ることができて。ラジオってそんな風に行き場のない感情をクールダウンさせてくれるところがありますよね。そして、その焦燥感に対する明確な答えは何も教えてくれないし、根本的には何の解決にもなっておらず、先送りにしただけというのも実にラジオらしいなって。

 ラジオの魅力は「距離が近いところ」と言うリスナーが結構多いですけど、同時に「近すぎない」というのもあると思うんですよね。僕の感覚は「距離は離れているけど、間に邪魔するものがない」という感じ。学生時代に感じたように、ラジオのブースは〝向こう〟であって、〝こっち〟ではないという感覚はずっとあります。

 あと、「近い」と言っても、ブースとリスナー全部がひと繋がりになっているんじゃなくて、ブースとリスナーは個別に繋がっているという感覚もあって。仮に100人のリスナーがいるとしたら、1対100じゃなくて、1対1×100みたいに思っています。

◎ラジオを聴いて人生が変わった瞬間・感動した瞬間

リスナーも集結した『ラブレターズのオールナイトニッポン0』の打ち上げ

 『いつものラジオ』の中にも出てくる話ですが、ラジオネーム・時任三郎こと相澤遼さんが『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』最終回の出待ちで号泣する姿を目撃した時はまさに〝感動した瞬間〟でした。自分の中には心に残っている経験です。

 それ以外だと、『いつものラジオ』を発売した際にQJ Webのコラムに書いたんですが、『ラブレターズのオールナイトニッポン0』最終回(2015年3月27日)後に行われたリスナーも参加した打ち上げでしょうか。あくまでも別々にお店に来たという体ではありますが、パーソナリティ、スタッフ、関係者、リスナーが有楽町の居酒屋に集まり、土曜日の朝5時半から9時半まで一緒の時間を過ごすことができた。それはいまだに忘れがたい経験です。

 打ち上げの最中、何人ものリスナーが僕の作った本を持っていて、ラブレターズからサインをもらい、それを大事そうに見せてくれました。その前にもプロレスやアイドルの雑誌だって作っていたのだけれど、この時は「本を作って良かったなあ」と心から思いましたね。目の前でそんな様子を見る機会なんて滅多にないですから。

 40人ぐらいのリスナーが参加して、いくつかのテーブルに分かれたんですけど、終盤はラブレターズやスタッフさんが各テーブルを回ってくれて、その居酒屋全体でテーブルごとに熱のこもったラジオトークが展開されている時間帯があったんです。それぞれのテーブルにICレコーダーを置いて、全ての話を聞きたい。お店の中を見渡しながら、そんな妄想をしつつ、「目の前の会話に集中しないともったいない」と思った記憶があります。

 この時、偶然、テーブルで一緒になった人たちとご縁が生まれて仲良くなり、そこから人脈が広がって、『いつものラジオ』に繋がっているんですよ。同じテーブルにいた人が九州在住のリスナーで、プロレスの取材で九州に行った時に会って2人で飲んだこともありました。自分とは違う環境にいるリスナーの話を聞くのは楽しく、当時は「今度東京に出待ちしに行くんですけど、深夜の有楽町で飲みませんか?」なんて会ったことのないリスナーに誘われても、ホイホイ参加していましたよ。

 そんな経験が続いて、「リスナーをインタビューしたら面白いんじゃないか?」と思い立ち、ブログ用の趣味企画として始動させたのが、2015年年末のこと。あれから8年間で100人近く話を聞いてきましたが、その出発点は紛れもなくあの日の打ち上げ。この経験がなかったら、『いつものラジオ』という本も存在していないでしょう。僕がいたテーブル以外の場所で参加していたリスナーにもいつか話を聞いてみたいです。

自分がきっかけに人と人が繋がる喜び

 もう1つ個人的に思い出に残っているのは、自分のインタビューをきっかけに、声優の小野大輔さんが伊集院さんとラジオで共演したことです。

 小野さんは僕と同い年で、日藝の放送学科出身ということもあり、勝手ながら親近感を持っていました。2015年に小野さんと近藤孝行さんのラジオ番組を取材する機会があったんですけど、その時もラジオのことだけじゃなく、プロレスに関する思い出まで話してくれていたんです。

 そういうこともあり、2021年に『別冊声優ラジオの時間 ラジオ偏愛声優読本』を制作した際に、小野さんにもインタビューをお願いして、それまでのリスナー歴をざっくばらんに語ってもらったんですね。世代も同じで、『深夜の馬鹿力』リスナーという共通点もありましたから、予定時間を超えるほど盛り上がって。小野さんの伊集院さんに対する思い入れを記事にすることができたんです。

 これは小野さんが声優グランプリに連載しているコラムで書いていたんですが、どうやらこの『ラジオ偏愛声優読本』を『伊集院光とらじおと』のスタッフさんが読んだらしく、それがきっかけに、2022年1月に小野さんのゲスト出演が実現して。その年の3月に伊集院さんがコロナで『深夜の馬鹿力』を休んだ時には“CV”として小野さんが代役出演しました。

 そんな風になると狙っていたわけじゃないですし、「俺が繋いだんだ」と言いたいわけじゃなくて、ただ自分が作った記事がきっかけになり、誰かと誰かが繋がっていくことに物凄く喜びを感じたんです。小野さんは普段から声優誌やアニメ誌で取材を受けていますけど、ラジオのことを深く語る機会はほとんどなかった。でも、自分がそこに着目して、話を聞き出したから、偶然とはいえ、新たな動きが生まれた。年を取った証拠なんでしょうけど、今は特にそういうことが自分のモチベーションになるんだなって。

 最近はなんとなくそういうことを意識するようになりました。タレントさん同士なんて大それたことじゃなくていいんです。定期的に一般リスナーをインタビューしていますが、話題に挙がった番組のスタッフさんが知り合いだったら、「こんなリスナーさんがいました」と伝えたり、「ラジオのことを話す友達がいない」と言う人がいたら、「今度飲み会やるけど、来てみる?」と声をかけたり。先日、『いつものラジオ』で取材した方々を集めてカレー会をやったんですけど、そういうのも似た感覚です。

 もちろん全ての人にそんな対応はできないし、本当に気が向いたらって感じですけど、そういうことを考えるのも今は楽しいですね。あくまで趣味でやっているリスナーインタビューですけど、その後、放送局に入社したり、構成作家になったりする人も出てきました。本当にそれもご縁だなって。今後も自分なりにその輪を広げていきたいです。まあ、ラジオスタッフやライター志望の人には「いつか一人前になったら仕事をくださいね」と必ずお願いすることも忘れてないですけど(笑)。

◎特にハマった番組

青春を共にした『篠原美也子のオールナイトニッポン』

 93年10月から2年間放送された『篠原美也子のオールナイトニッポン』は、中3から高2という思春期の中でも特に濃い時期に聴いていた番組なので、強く印象に残っています。番組だけでなく、篠原さんの曲も含めて、生活を共にしていたという感覚がありますね。
 篠原さんは当時20代後半で、同時期に『オールナイトニッポン』を担当していた女性アーティストの中でも“姉御”感が強かったです。基本はおバカなノリですが、真面目な話や悩みを口にすることもあって、そういうギャップにも惹かれました。構成作家は『電気グルーヴのオールナイトニッポン』も担当していた椎名基樹さんですから、ネタコーナーもしっかりしていましたよ。

 番組の核になっていたコーナーは「篠原美也子文庫」。篠原さんが原稿用紙1枚の長さで小説の冒頭部分を書き、その続きを4週にわたってリスナーが同じく原稿用紙1枚で紡いでいって、短編を完成させるという内容でした。真面目な物語もあれば、ふざけた物語もありましたけど、それを聴きながら、「自分も参加してみたいけど、絶対採用されないだろうなあ」ってずっと悶々としていました。当時は自分がライターになり、本を書くなんて想像できていませんでしたよ。

 番組の中では、篠原さんがよく好きな音楽や小説を紹介してくれました。吉田拓郎さんやSIONさん、山下久美子さんあたりはこの番組をきっかけに知りましたね。

 小説で言うと、沢木耕太郎さんの『敗れざる者たち』という短編集を紹介した回があったんです。この作品はスポーツにおける敗者を題材にしているんですが、僕はこれを読んで、「こういう作品を書いてみたい」と思い、さっきも書いたようにスポーツライターを志すようになったんです。“人生が変わった瞬間”をこの番組が作ってくれました。だから、ラジオでパーソナリティが好きな音楽や本を紹介するのはとてもいいことだと思っています。

 この番組には、僕がラジオを聴くきっかけを作った4歳年上の兄との思い出もあります。基本的に兄とは仲は悪かったんですけど、奇跡的に数年間だけ関係が良好だった時期がありました。その頃に僕が兄に勧めたラジオ番組が『伊集院光 深夜の馬鹿力』と『篠原美也子のオールナイトニッポン』だったんです。兄はカセットテープに毎週録音するぐらいこの番組にハマっていました。

 その後、兄がかんしゃくを起こしてから関係は再び悪化したんですけど、お互いに部屋があるといっても、カーテンで仕切られているだけだったんで、兄の動向は勝手に目に入ってくるわけです。そうしたら、「あれ、ニッポン放送からノベルティが届いている」「あれ、兄が買った篠原さんのCDにサインが入っている」と気づいて……。直接そのことを話してないんですけど、どうやら兄はこの番組のハガキ職人になり、最終回の出待ちにまで参加していたようなんです。これに気づいた時は本当にビックリしました。

 思春期を過ぎてからも兄との仲は良くなることはなかったです。兄は高校卒業後、1年ぐらい演劇をやっていたけれど挫折。その後は深夜のコンビニでバイトしながら、アイドルの追っかけになっていました。そして、奇しくも早逝して父と同じく37歳の時、突然、自宅で倒れ、脳幹出血と診断されて、最後まで意識は戻らず、そのまま死去しました。

 血圧が高いのに薬は飲まないし、タバコも吸うし、酒も飲むし、常に寝不足、運動不足。弟から見ると、自業自得じゃないかと思う部分が強かったです。さすがに親に遺品整理をさせるわけにはいかず、僕が大量にあったアイドルグッズやCD、チェキなどを処分しました。ハロプロ系中心のアイドルオタクだったようで、最後に推していたのは、当時ももいろクローバーに所属していた早見あかりさんでした。

 遺品の中には演劇の脚本の断片みたいなものや自分の思ったことを書いた無数のノートがありました。そこから、アイドルファンの友達たちと作った掲示板にも行き着きました。文章を書いたり、何かを表現したりしたかったんでしょうけど、具体的な行動に移すことはできなかったようです。

 まあ、兄が夢見ていたライターの道を結果的に引き継ぎ、著書を出版することを実現させたわけですから、それで十分兄孝行をしたと言えるんじゃないですかね。『篠原美也子のオールナイトニッポン』から届いたたくさんのノベルティと、録音したカセットテープは形見として僕がいまだに保管しています。

 正直、亡くなった悲しみはほとんどなかったんですが、兄がラジオに触れるきっかけになったのは紛れもない事実なので、その点に関しては感謝しています。兄のこと、そして篠原さんのラジオをキッカケに僕がライターを志したことは、自分の作った本や著書の中にこれまで何度か書いてきました。その本は篠原さんに献本させていただきましたよ。

“う○こち○こ番組”こと『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』

 篠原さんの番組とはまったく違うベクトルなんですけど、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』も強くハマった番組の1つです。

 よく“う○こち○こ番組”なんて言われますが、この番組ほど真面目な要素が少ないラジオってないんじゃないかと思います。僕はこれまでで4、5回全部の回を聴き直しているんですが、考えさせられたとか、ホロッとしたとか、そういう気持ちを味わった記憶がありません。強いて挙げるなら最終回ぐらい。シュールやサイコな話題も少なくて、カラッとしている。そこがいいところだと思います。

 あと、リスナー参加型で、いろんな企画が生まれてくるのも好きなところですね。リスナーを巻きこむことを常にやっているから、何度聴き直しても「これからどうなるんだろう?」とワクワクさせてくれる。「来週どうなるんだろう?」と強く思わせてくれる番組でした。フリートークが盛り上がり、すぐにスペシャルウィークの企画になって、最終的にコーナー化される。ラジオではよくあるパターンかもしれませんが、その流れもとても心地いいんです。

 特に僕は東日本大震災直後によく聴いていたので、「落ち込んだ時に明るい気分にさせてくれる」というイメージが強いです。ありがたいことに今はサブスクサービスの『オールナイトニッポンJAM』で気軽に聴き直せますから、最近もたまに聴いているんですけど、今後も3、4周するであろう番組ですね。

取材記者として青春が詰まった『ラブレターズのオールナイトニッポン0』

 ここまで挙げたのは「リスナーとしてハマった番組」なんですが、「取材記者としてのめり込んだ番組」は別にあります。それは『ラブレターズのオールナイトニッポン0』と『鈴村健一のユニゾン』(文化放送)です。

 『ラブレターズのオールナイトニッポン0』は先ほども触れたように、ラジオ本を定期的に作れるようになり、改めて深夜ラジオのリスナーに戻った時に出会った番組です。2014年4月から1年間放送されていました。

 ラブレターズは番組内では“カリスマ”と呼ばれていた溜口佑太朗さんと塚本直毅さんによるお笑いコンビなんですが、2人ともかなりのラジオ好き。しかも今回の本に何度も出てくる日藝の演劇学科出身なんです。

 溜口さんは初回から「深夜3時台で番組を10年続ける」と高らかに宣言して。しかもその放送内で塚本さんが意中の相手にガチ告白し、OKをもらうという多幸感溢れるスタートになりました。久々に深夜ラジオに戻ってきたばかりの僕はガッチリとハートを掴まれて、「次の本で絶対に取材しよう」と心に決めたのを覚えています。

 この時期から顕著になっていたんですが、お笑い芸人のラジオって、リスナーが「おい、○○」と突っ込む形が主流になってきていて。でも、この番組はなんせパーソナリティが〝カリスマ〟ですから、あくまでも強気な姿勢を貫く体とはいえ、パーソナリティが引っ張っていくスタイルでした。番組を作り込んでいくのではなく、予定調和を嫌い、その場その場でアグレッシブに反応していくところが面白くて。特に聴取率が悪かったことを嘆き、他の企画を取っ払って、ラジオについて熱く語った回は印象深いです。

 当時のラブレターズはお笑いの賞レース、さらには様々なバラエティ番組にも懸命に挑戦していた時期で、そこでの〝勝った負けた〟を追体験するのは、久々の感覚でした。中高生の時に夢中で深夜ラジオを聴いていた時の思いが蘇ったようでしたね。

 radikoは一般化していましたけど、タイムフリー機能は実装されていませんでしたから、リスナー側の生放送の熱量は今以上に強かったと思います。僕も仕事絡みという意識はほとんどなくなり、番組自体に熱くなっていました。

 さっそく取材のオファーを出したら、そのことを放送内で勝手にバラされたり、いざインタビューが終わったら、写真のパターンが少ないと文句を言われたり、原稿の修正を放送上でされたり……。僕の長いリスナー生活で自分のことを放送内でいじられた唯一の番組なんです。正直、いじられるのが嬉しいという感覚はなく、ドキドキハラハラして、グッタリしていた気がしますが、それものめり込んでいた証拠でしょうね。芸人ラジオ関連の本を合計6冊作っているんですけど、そのうち4冊でラブレターズを取り上げているぐらいですから。今はそういう聴き方をどの番組に対してもしていないし、できないですが、それだけに『ラブレターズのオールナイトニッポン0』は、変な言い方ですけど、〝青春がつまった番組〟みたいに思っています。

『鈴村健一のユニゾン!』のリスナー冥利に尽きる思い出

 もう1つの『鈴村健一のユニゾン!』は2015年6月から始まった文化放送の深夜ラジオです。月~木の生放送を有名声優がやると発表になった時点で、いつか取材するだろうと思い、録音を開始。実際に取材できそうな状況になってから、その音声を聴きまくり、2016年の年末にこの枠自体を特集した『声優ラジオの時間ユニゾン』を発売しました。『ユニゾン!』の中で、鈴村さんは木曜日を担当。構成作家は『いつものラジオ』で取材した伊福部崇さんでした。

 この番組は「ラジオ・オブ・ラジオ」を標語にしていて、古き良き深夜ラジオのスタイルを打ち出していました。ネタコーナーもあれば、人生相談もあるし、リスナーが好きな人にする告白代行なんて企画もある。何度も言っているように、僕は笑いの中にも真面目な要素がある番組が好きなので、取材対象として出会ったんですけど、まんまとハマりましたね。

 声優ファンは深夜ラジオに馴染みのない人が多かったから、この番組をキッカケに深夜放送の面白さを知っていく人が多かったのも興味深かったです。ラブレターズの時のような情熱を持ってのめり込むのではなく、そういう他のリスナーを微笑ましく眺めながら、自分自身もいい温度感で楽しんでいました。

 番組関連の企画にも関わることができたのもいい思い出です。鈴村さんは2年9ヵ月間この枠を担当されていたんですが、終了する時に「僕の私の夢クイズ」というコーナーの番組本を作りたいという話が持ち上がって。そこで僕が手を挙げて、電子書籍という形ではありましたが、コーナーを本にしたんです。しかも、期間限定配信とはいえ、値段は0円。普通なら難しい案件だと思うんですけど、出版社の上司があまり口を出してこなかったのをいいことに「宣伝になる」と言い張り、社内の人に簡単なデザインだけ組んでもらって、形にすることができました。

 あと、番組内の有名ハガキ職人を集めた公式オフ会が開催された時も、自分から手を挙げて、記者として潜入し、番組公式ブログに記事を提供しました。この時に出会ったリスナーさんは、その後、何人かインタビューしています。どちらの企画も一切お金になっていないんですけど、番組といい関係を持てて、こんな試みができたのは楽しかったです。リスナー冥利に尽きる思い出ですね。

◎ラジオを聴いて学んだこと・変わったこと

ラジオからは直接何も学んでいない

 この質問ってそんなに深い意図はなくて、なんとなく企画段階で考えたものがそのまま残ってしまった感じなんです。本の取材をしながら、「学んだことなんてないという人がいそうだなあ」と思っていたんですが、皆さんしっかり答えていただいて感謝しています。で、自分はどうだろうと考えてみたんですが……「学んだことなんてない」という答えになってしまったんですよ。

 ラジオは人に寄り添ってくれるけれど、あくまで補助的なもの、主体性のないものだと思うんです。自分が変わるほどの影響を受けるとするなら、それはパーソナリティの言葉や番組に送られてきた投稿からであって、ラジオ自体からではないんじゃないかと。それを言ったらおしまいって答えかもしれないですけど。

 以前、伊福部さんが僕の著書『深夜のラジオっ子』の感想として「ラジオ好きには、ラジオ自体が好きな人と、人が好きな人の二種類いる気がした」とつぶやいていたんです。それを見た時に、僕自身は「人が好き」と思ったんですね。

 僕は「ラジオが好き」なんじゃなくて、「ラジオを通して人を知るのが好き」「ラジオを通じて人と接するのが好き」なんです。「ラジオを聴く」という行為もそうだし、「ラジオについてインタビューする」のもそう。ラジオを介すると、距離感もちょうど良くなるし、感覚や感情もリンクしやすくなるんで。

 だから、ラジオは人の気持ちを増幅したり、わかりやすくしたりしてくれる装置であって、根本には「人が好き」があるんです。極端な話、ラジオを取るか、人を取るかと言ったら、人を取る……まあ、こんな質問されたら、誰だって人を取るのかもしれないですけど。

 僕はラジオからではなく、ラジオを介して人からいろいろなことを学んできました。でも、だからってラジオに価値がないわけではなく、主体性がない装置だからこそ、たくさんの人たちの思いを他人に伝える役割を果たしてくれるんだと思います。同時に、ラジオではなく、人ありきなんだということも忘れないようにしたいですね。

◎私にとってラジオとは○○である

私にとってラジオとは「私だけのもの」である

 16人の皆さんにインタビューしながらずっと考えていたんですが、後書きに書いたように、僕としての答えは「私だけのもの」です。

 中高生の時はラジオを誰かと共有したかったんですよね。部分的には可能だったとしても、ついには自分と同じぐらいの熱量を持ってラジオを聴いている人には出会えなかった。社会人になってからはそんなことを考える余裕がなくなり、巡り巡ってラジオ本を作り始め、深夜ラジオに戻ってきたら、SNSの発達によって、ラジオをみんなで一緒に楽しめる土壌ができていました。

 昔に比べたら夢のような状況で、僕もSNSでの実況を楽しんでいたんですけど、しばらくすると息苦しさを感じるようになったんです。ハッシュタグをつけて番組批判をしたり、誹謗中傷したりする人は一定数いましたし、ラジオ本を作っている立場ゆえにその矛先が僕に向くことも少ないながらありました。

 僕の立場って実はとても中途半端なんです。仮にラジオの月刊誌を作っていたら、知識もつき、人脈も広がり、「ラジオ業界の一員」という立ち位置になると思うんですけど、僕の場合は年間に多くて2冊のペースですから、1回1回がぶつ切りになってしまい、周りからは「ラジオについて詳しい人」と思われるけれど、実際は一般のヘビーリスナーと大差ない状況なんです。

 時にはメディアからラジオ本の編集長として取材を受けるけれど、実は現場の実情も、ラジオ界が置かれている状況も本当の意味では理解できてない。応援してくれる方もいる反面、「あいつは何様なんだ?」と思われやすい立場なんです。自分はそんな風になりたくないと思いながらも、的外れの意見を言っていた時もあるでしょうし、一時期はラジオについて語るのが怖くなっていました。

 取材した番組や知っている関係者が増えていくにつれて、がんじがらめになっていく感覚もあって。「取材したからにはその番組を聴かなければならない」なんて考えたら、絶対に楽しめないじゃないですか。取材を重ねると、良い意味でも悪い意味でも裏側を見ることになるし、例えば取材交渉をしたマネージャーさんと険悪になることもあるわけで。それがジワジワとリスナーとしての立場を侵食して、自分とラジオ、自分とラジオに関わる人たちの距離感が上手く取れなくなっていたんだと思います。

 そんな時に大きかったのは、リスナーインタビューを趣味として始めたこと、そしてラジオに関する著書を出版したことです。いろんな立場のリスナーを定期的にインタビューすることで、自分もリスナー視点でラジオについて考えるようになり、視界がクリアになったんですよね。

 著書としては深夜ラジオがテーマの『深夜のラジオっ子』(筑摩書房)や声優ラジオの歴史を紐解いた『声優ラジオ“愛”史 声優とラジオの50年』(辰巳出版)の2冊を出したんですけど、いろんな立場の関係者から話を聞いたり、過去の文献や音源をかなり深く調べたりして、自分なりに知見が広がりました。そうしてようやく地に足が付いて、ラジオライターとしてファイティングポーズが取れたような気持ちになったんです。

 スタンスが安定した時に自分の中で決めたのは、「聴く番組は誰の影響も受けずに自分で決める」ということです。取材自体は誠心誠意一生懸命やるけれど、だからといってその番組をリスナーとして聴くかどうかは別。取材記者とリスナーを完全に切り離して考えるようにしたんです。パーソナリティを何度取材しようと、スタッフと顔見知りだろうと、自分が聴く番組に関しては忖度なしで好きにする。たとえ過去にパーソナリティをインタビューしていても、自分がつまらないと感じたら聴かない。もしかしたら、そんな態度に文句を言う人はいるかもしれないけど、一番楽しくラジオを聴けるなら、それでいいんじゃないかと。

 あと、誰か一緒に番組を楽しもうという考えを取り払って、昔のように自分だけの楽しみとして聴くようにしました。SNSでの実況も特別な時を除いてやめて、生放送で聴くことも極端に減らし、自分が聴きたい時に聴くようにしました。「俺が聴いた時が俺にとっての生放送だ」みたいな気持ちで……書いていて意味がわからないですけど(笑)。そんな風に変えたら、ラジオを取り戻した、自分の元に戻ってきたような気分になったんです。ああ、僕はただのリスナーなんだなと実感しました。それが「私のものである」となった理由です。

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