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リスナーインタビュー【91】男性/30代前半/会社員の場合

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男性/30代前半/会社員
香川県在住
リスナー歴20年


■私のラジオ歴

音楽への興味からカウントダウン番組を聴き始める

 両親が運転する車の中で聴いたのが初めてラジオに触れた経験だと思います。父親はFM、母親はAMをよく聴いていましたけど、小学生の頃は全然ラジオに興味がなくて、なんとはなしに聴いていただけでした。住んでいるのが香川県ですから、交通手段はほとんど車。移動中はラジオが流れていることが多かったですけど、面白いなあと感じた記憶はありません。あくまで車の中限定で、自宅で流れている印象はないですね。

 自分から聴くようになったのは中学生になってから。小学6年生ぐらいから音楽に興味を持つようになったんですが、車の中で聴くラジオから自分の好きな曲が流れてくることもあったんです。「ラジオで自分の好きな曲も聴けるんだ」という発見があって。しかも、それは音楽のカウントダウン番組だったので、「もしかしたら同じ時間に周波数を合わせたら、この曲がまた聴けるんじゃないか?」と思い、意識してラジオを聴くようになりました。

 聴いていたのは地元の局ではなく、ABCラジオやMBSラジオで夜に放送していた番組でした。関西圏の局の電波は強くて、広範囲に届くから、香川でも聴けるんですよ。母親が車の中で聴いていたのも関西の番組でした。

新聞やインターネットから聴く番組が拡大 遠距離受信にも挑戦

 新聞のラテ欄もチェックするようになって、他の番組にも興味を持つようになりました。それこそラテ欄を見て、「この時間にナインティナインがラジオやってるんだ!?」って驚いたり、番組のタイトルを見て興味をそそられたり。特にテレビで活躍している芸能人の番組に惹かれましたね。

 あと、ちょうどその頃にインターネットも使うようになって、放送局のHPを見ていくうちに、「ああ、こんな番組もあるんだ」と興味の幅が広がったようにも思います。そうしていくうちにラジオって楽しいんだなと実感するようになりましたね。中2の秋に始まった『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)も番組名に惹かれて聴くようになりましたし、『やまだひさしのラジアンリミテッド』(TOKYO FM)もチェックしていました。

 当時、地元の局で聴いていて印象的なのは、ウルフルズのトータス松本さんがJ-WAVEでやっていた『OH! MY RADIO』。当時は地元のコミュニティFMでネット配信されていたんですが、トータス松本さんの関西弁が混じった面白トークやウルフルズの曲はもちろん洋楽をかけてくれるところも魅力的でした。芸人要素も入っているけど、音楽性も強くて、今思うと笑いと音楽が両立されている番組だったなと思います。

 遠距離受信もよくやっていて、東京や名古屋の番組にも手を出しました。ラジオの位置を変えたり、手で持って窓の近くに行ったりして。ノイズは結構ひどかったですけど、『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)や『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)聴いていました。ニッポン放送は結構クリアに入っていたので、ナインティナイン、西川貴教さんの『オールナイトニッポン』や、その前の時間にくりぃむしちゅーがやっていた『知ってる?24時。』や『目からウロコ!21』も聴いていました。

 音楽番組中心だったところから他の番組を聴くようになったきっかけ、ですか? 『陣内智則のひとり番長』(TBSラジオ)ですね。ABCラジオでも放送されていて、好きで聴いていたんですけど、『JUNK2』の水曜日に移動してからは関西ではネットされなくなってしまったんです。他の局で綺麗な音で聴けないかなあと思いながら、いろいろチューニングをいじっていくうちに、遠距離受信で別の番組に出会う経験をして。陣内さんの番組は1つのキッカケになりましたね。

当時は「ラジオを聴いている」と言いづらかった

 中学時代の後半になると、毎日夜はラジオを聴いていました。土日に関しても勉強はそっちのけでよく聴いていたと思います。家にいる時はいつもラジオ聴いている感じ。テレビも見ていましたけど、ラジオ中心でした。夜遅くまで聴いていたから、学校でよく居眠りしていた気がします。その頃から「将来はラジオの仕事がしてみたい」と考えるようになりました。

 でも、僕の通っていた学校でラジオを聴いている人はほとんどいなかったですね。ラジオの話ができる友達が欲しかったですけど、全然できませんでした。その当時は人見知りで、友達も少なかったですし、ラジオの話をしても、みんなピンとこない感じでしたよ。それこそ今はXがありますから、他のリスナーと簡単に交流できるんですけどね。当時からradikoやSNSがあったら、おそらく勉強はまったくやらずに、ラジオに没頭していたと思います(笑)。

 余談ですけど、中学時代に印象的な思い出があって。音楽の先生が授業中に「好きなラジオ番組があったら話してもらおうかな」って言い始めたんですよ。でも、周りの生徒はみんな「ええ? ラジオなんて聴いてないよ」と言い出したから、急遽、先生は「好きなテレビ番組や好きなアーティストのことを話してください」とテーマを変えちゃって、結局、ラジオのことは喋れなかったですね。

 ラジオは少数派が聴くもので、マイナスなイメージを持たれていたんだなって。今だったら普通に「ラジオを聴いている」って言えると思うんですよ。今なら10代にラジオをもっと聴いてもらおうと動いている方もいますけど、当時の学生にはそういう習慣がほとんどない状態でした。

初採用の時に感じた「嬉しさ」と「恥ずかしさ」

 初めて投稿をしたのは中学3年生の時。地元のエフエム香川でやっていた番組にメールを出したのが最初だと思うんですけど、毎回全部を聴けてなかったので、採用されたかどうかよくわからないんです。もしかしたら読まれていたかもしれないんですけど、ちゃんと自分で採用されたのを確認できたのは高校1年生の春のこと。そこからちょこちょこ送り始めた感じですね。

 初めて読まれた番組はエフエム香川の『ニジュウマルな放課後』です。ネタコーナーにメールを出したら採用されました。その時は「どうせ出しても読まれないだろう」という軽い気持ちで送ったんですけど、読まれた瞬間は「本当に読まれたんだ」という嬉しさがあった反面、少し恥ずかしい感じがありました。誰もいない部屋で机に座っていたんですけど、ちょっと顔を赤らめていましたね。

 悪いことをしたわけじゃないんですけど、なんか照れくささがありました。今でも採用された時のネタも覚えていますし、恥ずかしさ、嬉しさ、照れくささは鮮明に残っていますね。それだけ特別な気持ちになりました。

 採用されたことは家族や友達にまったく話しませんでした。先ほども話したように、ラジオを聴く人は少数派のイメージでしたし、親もラジオは聴いていたとはいえ、流しているだけで関心はなかったですから、あの当時は言えなかったですね。友達に言っても「だから?」ってなりそうでしたし。今だったら普通に話せるんですけど。

高校→専門学校時代のラジオとの距離感

 高校に進学してからは部活にも入ったので、1年生の秋から1年半ぐらいはラジオから離れてしまい、投稿自体もほとんどしてなかったです。復活したのは高校3年生の夏から秋頃。もう進路も決まっていましたし、人間関係でもクラスに馴染めなかったり、いろいろあったんですけど、そういう状況も解決できて、全体的にようやく落ち着いていたんです。気持ちにも余裕ができて、久しぶりにラジオを聴き出し、投稿も再開しました。

 この頃に聴いていたのは、地元のエフエム香川とABCラジオやMBSラジオの音楽番組でしたね。以前は恥ずかしさがずっとあって、採用されてノベルティが届いたら、親にバレるという意識があったから、本名や住所といった個人情報は書いてなかったんです。でも、この時から普通に本名や住所を気にせず書いて、ノベルティもたくさんもらうようになりました。

 高校卒業後、地元の専門学校に進学しました。ラジオ関連の仕事に就きたいという思いもありましたが、当時は大学に行かないと放送局に入るのは難しいと言われたんですね。進路に悩んだ結果、専門学校を選択したので、ラジオの仕事に就くのは諦めました。

 その頃もiPod nanoで地元のFM局をよく聴いていました。専門学校時代は毎日が楽しく、ラジオは聴きつつも、友達と遊んだり、アルバイトに勤しんだり、勉強に励んだりしていたので、投稿はかなり落ち着いていましたね。

社会人になってから経験したリスナーとの出会い

 就職してからリスナーライフは大きく変わりました。専門学校時代に遊んでいた友達と予定を合わせるのも大変で、会う機会が減ってしまい、仕事を終えて家に帰ってもひとりで退屈だったんですね。

 当時のエフエム香川には見学ができるスタジオがあったんですよ。放送中でもパーソナリティが「今、スタジオ前には○○さんが来てますね」と話すことがよくあって、「スタジオ見学できるなら今度参加してみよう」と思い立ち、実際に行ってみたんです。

 そこで、よく番組に名前が出てくるようなリスナーさんたちと出会いました。そこから、SNSでフォローし合ったり、お誘いいただいてリスナーオフ会に参加したり、いろいろな方と繋がることができたんです。パーソナリティが卒業する時は他のリスナーに声をかけて、リスナー一同でプレゼントを贈ったこともありました。

 人生で初めてラジオの話がたくさんできるようになって、この頃は本当に楽しかったです。より投稿にも積極的になりました。年齢も違うし、職種も違う。仕事をしているだけじゃ出会えないような人たちとも友達になれるじゃないですか。初めて会った人でもラジオネームを名乗れば、「○○さんなんですね!」って喜んでもらえる。芸能人になったつもりってわけじゃないですけど、それも嬉しかったです。もしラジオがなかったら、僕は友達もそんなにいないし、特にこれといった楽しみもない、本当につまらない人生を送っていたんだろうなって思っています。

 そういう生活がしばらく続きました。一時期はradikoのエリアフリー機能を使って遠いエリアの番組にも手を出していたんですけど、そうなると仕事に手を付けなくなるわ、余裕がなくなるわで、それだけで1日が終わってしまいそうだったんですよ。夜勤していた時期は深夜ラジオをお供にしていましたけど、今は日勤なので、地元中心で、香川と近県の放送局ばかり聴いていますね。たまに遠方の番組に参加していますが、やっぱり地元の放送局を大事にしなきゃいけないなと思います。

ラジオとSNSでバランスを取る難しさ

 最近はだいぶ投稿数が減ってきました。リスナーさんが入れ替わった影響もありますし、僕自身のラジオに関する考え方が変わったところもあります。だから、他のリスナーさんに「この人とは合わないなあ」と感じることもあって。

 コロナ禍に入ってから、新しいリスナーさんが地元の局にも増えてきました。それは嬉しいことなんですけど、合う人がいる反面、どうしても合わない人がいて。あと、爆笑するメールを送ってくる新しいリスナーさんがいると、「僕はもうダメなのかな」と勝手に感じる部分があり、モチベーションを落とすことも何回かありました。だから、「1回、ラジオから離れてみようかな」と考えて、仕事に専念していた時期もあります。投稿は細々と続けていましたが、昔ほどのパワーはなくなったと実感していますね。

 今はXでリスナーが実況することも当たり前になりましたし、番組でXの内容を取り上げることもありますよね。僕も楽しく参加してきたんですけど、その反面、そこでのやり方やノリに疑問を抱くことも出てきて、いつしか気持ちがちょっと疲れちゃって……。Xの投稿は気軽に見れる分、リアクションや周りの反応もわかるじゃないですか。「いいね」の数とかを見てしまうと、「自分って全然つまらないんだなあ」って感じるようになってしまったんです。その影響で数週間、投稿しなくなるような時もありました。

 ハッシュタグを付けてSNSで曲のリクエストをする人がいるんですけど、その気持ちがわからないんです。これまで使われてきたメールにせよ、ハガキにせよ、FAXにせよ、電話にせよ、採用されて放送されるまでどんな曲が流れるかわからないじゃないですか。でも、ハッシュタグを付けてポストすることで、放送される前から「この曲をお願いします」というのが見えてしまって、ラジオの醍醐味である採用された時の楽しみが減ってしまうのがもったいないって思うんですよ。もちろん番組側が認めているならば仕方ないことなんですけど、メールした上で書く人もいるじゃないですか。

 最近はだいぶバランスを取れるようになって、気持ち的にしんどく感じたら、無理にメールを出さないようにしています。生でリアタイできない時もメールを送っていません。ハッシュタグを付けてSNSでポストはするんですけど、気分によっては放送を聴いてない時もあるんですよ。久しぶりに会うリスナーさんに「最近名前を聞いてないけど大丈夫?」と心配されることもあるので、生存確認してもらうためにやっているというか。

 ハッシュタグを付けてのXの投稿って、便利な反面、その人の人間性や闇が見えてしまうし、人間関係も含めて、その人の良い面も悪い面も見えてしまうから、良し悪しだなって思いますね。全てが悪いとは言いませんけど。

 もっと自分なりのラジオの楽しみ方ができればいいなと思うんですけどね。今後はそれを見つけられればと思います。

■自分が思うラジオの魅力

メールを読んでもらった時の特別感

 ながら聴きができるところ。なかなか表に出せない本音を言えるところ。あとは、気軽に他の人と触れ合えて、パーソナリティを身近に感じられるのも魅力だと思います。ラジオは距離感が近いんですよね。

 テレビで活躍してくれている芸能人がメールを読んでくれた時の特別感は何とも言えないものがあります。投稿を続けてきた理由もそこにありますね。爆笑問題の太田(光)さんやナインティナインの岡村(隆史)さん、(笑福亭)鶴光さんにネタを読んでもらった時の感情は言葉にできないような特別感があって。これは採用された人にしかわからないんじゃないかなって思います。

■一番好きな(好きだった)番組

今は地元の番組全般 過去の番組なら『SCHOOL OF LOCK!』と『やまだひさしのラジアンリミテッド』

 今聴いているものだと地元・エフエム香川の番組全般ですね。よく聴いているのがエフエム香川とエフエム徳島なんですけど、地元の放送局がやっぱり好きなんです。

 香川に住んでいる身でも全然知らないようなことを紹介してくれるし、週末のイベント情報も生活に密着しているんですよね。それを聴いて、「行ってみよう」と思うことも多くて。そういう地域情報は本当に役立ちます。

 あとは、地元で活動しているバンドマンやシンガーソングライターの方も出演するんですよね。東京にはないローカル感というか。地域に密着している感覚はキー局だとなかなか味わえないと思います。キー局でも地方のことを取り上げたりはするんですけど、それよりディープな話が聴けるのは面白い点です。僕は地元が好きですし、好きな地元を紹介してくれる番組はありがたいです。

 好きだった過去の番組となると、いっぱいありすぎてなかなか絞りきれないですが、学生時代によく聴いていたのは『SCHOOL OF LOCK!』と『やまだひさしのラジアンリミテッド』です。『SCHOOL OF LOCK!』は本当に始まったばかりの頃から聴いていました。自分は積極的に参加していなかったですけど、「同世代にも苦しんでいる人がいるんだ」「こんなことを頑張っている人がいるんだ」という声がたくさん聴けて。普通は言えないんだけど、ラジオだったら言えることってあるじゃないですか。やましげ校長とやしろ教頭の話にも人生経験が重なっているから、言葉が心に響くんだなと感じましたね。

■ラジオで人生が変わった(心が震えた)瞬間

ラジオを通じてたくさんのリスナーさんに出会えたこと

 先ほども話しましたが、たくさんのリスナーさんと出会えたことですね。番組を通して、他のリスナーさんから「誕生日おめでとう」とお祝いしてくれたり、X経由で他のリスナーさんと一緒に別の方の誕生日をお祝いしたり。そういう体験は凄く感動しましたね。僕はひとりじゃないんだなって感じて。

 以前、北海道の番組に電話出演した時は、まったく関わりのなかったリスナーさんから「ご出演おめでとうございます」と祝福されたこともありました。それって非日常的で、なかなかないことじゃないですか。それはとても心に残っています。

■自分がパーソナリティになったら、番組のテーマ曲は何を使う?

5 Seconds of Summerの『Don't Stop』

 ジャンルとしてはロック系の曲がいいですね。それこそ福山雅治さんは『魂のラジオ』(ニッポン放送)や『地底人ラジオ』(渋谷のラジオ)でラモーンズの『Do You Remember Rock'N'Roll Radio?』をかけてますけど、あの曲を聴いたら、どんなに気分が沈んでいても上がっちゃうんですよね。だから、ああいう気分が上がる洋楽のロックナンバーがいいです。

 なかなか具体的な曲は決められないんですけど……今、思い浮かんだのは5 Seconds of Summerの『Don't Stop』。爽やかさもあるんだけど、疾走感もあるんですよ。この曲はオープニングにしたいですね。

 エンディングはロック感を残しつつ、しっとりした感じもあったほうがいいので、クイーンの『Radio Ga Ga』とか、ビートルズの『Magical Mystery Tour』とかですかね。

■私にとってラジオとは○○である

私にとってラジオとは「1人にさせないアイテム」である

 ラジオってリスナーとパーソナリティが1対1で話している感じがありますよね。公開放送があったら、いろいろなリスナーさんと仲良くなることもできるし、パーソナリティともお会いすることができる。普段会えないような方とも出会って、新たな世界に足を伸ばすこともできますよね。

 僕は社会人になってから演劇をやるほうにハマっていた時期があったんです。今は仕事の都合でお休みしているんですけど。演劇を始めるキッカケもラジオでした。ある番組のパーソナリティが劇団で役者をしている方で、よく演劇の話をされたり、コーナーでラジオドラマをされたりしていたんです。それを聴いているうちに、「僕も演劇をやってみたい」と思うようになって。地元で劇団員募集のポスターを見て、実際にやるようになったんですよ。ラジオがなければ演劇に一切触れることなく過ごしていたんじゃないかと思います。

 これも今はできてないんですけど、地元のコミュニティFMに応募して、市民パーソナリティとして10分間の番組に出演した経験もありました。自分のかけたい曲を流し、その歌詞の朗読もして、そして曲を選んだ理由をトークするという内容なんですけど、何度も出演させてもらって。昔、ラジオの仕事をしたいという気持ちがありましたけど、その中に「ラジオのDJがしたい」という思いもあったんですよね。

 「1人にならないアイテム」と言いましたけど、こういう経験ってまさにそれじゃないですか。いろいろな情報もくれるし、ラジオを通じて、「そういうアイディアがあるんだ」「そういう考え方があるんだ」とパーソナリティやリスナーさんが教えてくれるんですよね。「1人じゃないんだ」という心強さを感じます。

 今後もラジオを聴きつつ、公開放送にも参加して、いろいろなリスナーさんとも出会っていくんだろうなと思います。全員と仲良くはできないでしょうけど、自分とは立場の違うリスナーさんたちと交流しつつ、番組を無理のない範囲で自分のペースで楽しんでいけたら。あとは、自分の夢だったラジオDJにももう一度挑戦したいなと思いますね。

(取材/構成:村上謙三久)

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