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40代を過ぎても深夜ラジオを聴き続ける苦労と喜び

40代を過ぎても深夜ラジオを聴き続けているリスナーはどんな心境なのか? あくまでも個人的な感覚ですが、恒例の自問自答インタビュー形式でまとめてみました。約10年前「30代を過ぎても深夜ラジオを聴き続ける苦労と喜び」というブログを書きましたが、あの頃と比べてどんな変化があったのでしょうか?


10年経っても相変わらず深夜ラジオを聴き続ける男


――前回、三十路としての深夜ラジオリスナーライフをお聞きしてから、10年近くも経っているんですねえ。

村上 気がついたらそんなに経ってましたか。つい最近のような気もするんですけど。

――村上さんは今、何歳なんですか?

村上 去年の9月で46歳になりました。

――思ったよりもオッサンなんですね(笑)。

村上 本当にあっと言う間の10年でしたね……(遠い目)。リスナーとしてはこの10年で随分と変わった点が多いので、今回は「40代を過ぎても深夜ラジオを聴き続ける苦労と喜び」をお話しできたらと思います。同世代の方にすら共感してもらえないかもしれませんが。

変化①生でほとんど聴かなくなった


――10年前は「なるべく深夜ラジオは生で放送を聴きたい」とおっしゃってましたけど、その考え方が大きく変わったんですか?

村上 年齢うんぬんの前に、radikoのタイムフリー機能の存在が大きいと思います。10年前は地方の番組が聴けるradikoプレミアムこそありましたけど、タイムフリー機能は実装前で。実証実験が始まるのが翌年の10月ですから。

――radikoを使って1週間分の放送を振り返られない環境だったんですね。

村上 だから、生放送で聴かなかった場合、ラジオレコーダーなどで録音し、そのデータをMP3プレーヤーなり、iPodなりに移して聴いていたわけです。そこまで大した作業じゃないにしろ、手間がかかるから、「それなら生放送で聴くか」と考えていた方も多いと思うんですよ。

――今やスマホがあれば簡単に聴き直せるし、さらにタイムフリー30まで始まりましたからね。タイムフリー機能のスタートは、ラジオの聴取方法が切り替わる変わり目だったのかもしれません。

村上 昔はラジオの“タイムテーブルに自分を合わせていた”わけじゃないですか。もしくは“自分の生活に合ったタイムテーブルを受け入れる”か、そのどちらかしかなかった。でも、タイムフリー機能によって、“自分の生活に合わせて自分でタイムテーブルを組む”ことが容易になったわけで。もちろん生聴取にこだわっているリスナーもたくさんいらっしゃるんでしょうけど、全体的に見ると「自分の生活に合わせて、聴きたい番組を聴きたい時に聴く」という形がこの7、8年でかなり一般的になったんだと思います。

――それは村上さんの年齢関係なく、世の流れだと。

村上 10年前にテーマにしていた「深夜ラジオの生聴取にこだわるべきか? 諦めるべきか?」は今でもよく考えますね。リアクションメールを送る方は「絶対に生聴取じゃなきゃダメだ」と考えるわけじゃないですか。でも、僕はメールを送ることなんてないし、Xでの実況に参加しているわけでも……というか実況を今は見てすらいない。そうなると、「生にこだわる理由はどこにあるんだろう?」と考えた時があって。

――何かしら答えは出たんですか?

村上 「深夜という普通の人が寝ている時間に起きている特別感」「そんな時間を共に過ごしているパーソナリティやスタッフとの共犯感」という視点はよく語られると思うんです。ただ、実際のところ、タイムフリーを使って日中に聴いても、僕はあんまり違和感がなかったんですよね。あと、例えば『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)の収録回とか、普段から収録放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)を聴いても、特別感や共犯感が薄れているようにも思えなくて。

――じゃあ、こだわる理由はないと?

村上 自分が深夜に起きていることが大事かと思っていたけど、変えてみたらそうでもないらしい。じゃあ、深夜に生放送していることが大事かと思っていたけど、そこもそんなに影響がない。だって、収録して放送しているTBSラジオの24時台の芸人ラジオと『JUNK』や『オールナイトニッポン』を聴いている時に感覚の差が特にあるわけじゃないですから。もはや、それって深夜ラジオ幻想というか、思い違いだったんじゃないかと思ったんです。ただ……。

――ただ?

村上 いや、思い違いじゃなくて、それだけ思い入れがある証拠のようにも感じて。離れていた時期があるにせよ、トータルでいえば20年以上深夜ラジオを聴いてきたので、もはや“深夜ラジオ感”が体に染みこんでいるのかもしれないなと。だから、自分が「これは深夜ラジオだ」と思ったら、勝手にそう信じ込めるような体質になっているのかもしれないです。もし今自分が学生の深夜ラジオリスナーだったら、「絶対に生じゃなきゃダメだよ」って思っているかもしれませんしね。

――何百、何千時間も深夜ラジオを聴いてきたから、自由自在に深夜ラジオだと自分を洗脳できるようになったと(笑)。

村上 ニュアンス的にはそれが一番正しいかもしれないです。あと、考え方を変えれば、30代の時以上に健康の不安を抱えているオッサンが眠い目を擦って、仕事を抱えながら生放送で深夜ラジオを聴くよりも、日中に公園をウォーキングしながらその音源を聴くほうがよっぽど有意義で、中身にも集中できるじゃないですか。個人的にはそっちのほうが贅沢だし、番組に敬意を持っているような感覚になっています。そのぐらい肉体面での劣化が激しいのも事実なので。まあ、もちろん人それぞれで感覚は違うでしょうし、パーソナリティやスタッフさんには特別な感情があると思いますが。

2025年の極私的リスナーライフ


――ちなみに今はどんな聴き方をしているんですか?

村上 基本は移動している時と、ウォーキングや運動している時が中心ですね。ここ半年ぐらいで改めてウォーキングが完全に生活の一部になったので、そこが一番のゴールデンタイムになっています。10年前はPCで原稿を書きながら聴けてましたけど、今は仕事をしながらだと内容にまったく集中できないので、その形はやめました。深夜ラジオが放送する時間に暇だとしても、ラジオは聴かずに、Amazon Prime VideoやNetflix、YouTube、録画したテレビ番組などを見ている場合も多いです。

――ちなみに現在聴いている番組はどのぐらいあるんでしょう?

村上 深夜帯のラジオを中心に、毎日1、2番組聴いているようなイメージですね。1週間でトータル20時間ぐらい。全部聴き終わって、それでも時間が余ったら、『伊集院光のタネ』(ニッポン放送)を聴くのが恒例です。あと、だいたい朝起きるのが9~10時頃なので、朝食を取るタイミングで『パンサー向井の#ふらっと』(TBSラジオ)や、『ジェーン・スー 生活は踊る』(TBSラジオ)、『ふんわり』(NHKラジオ第1)あたりををなんとはなしに聴いていることが多いです。あとは、ポッドキャストもちょこっと聴いてますね。

――思ったほどたくさんは聴いてないんですね。

村上 取材やコラムを書くために、大量に音源を聴かなきゃいけない時があるので、無理に増やさないようにしているんですよ。まさに今もとある音声を隙間の時間で聴いている感じです。妙な義務感を持って、全部追いかけるのが億劫になる可能性を考えると、今ぐらいのボリュームが僕には合っていると感じています。ただ、「毎週じゃないけどたまに聴く」とか、「今は触れてないけど以前は聴いていた」とか、そういう距離の番組は、録音はやめずに継続しています。いつか聴く可能性もあるので。録音している番組は1週間で100時間近くあると思いますね。

――ちなみに今、特にハマっている番組はなんですか?

村上 常に変化しているところがありますけど、今現在でいうと、『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』と『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)は、放送翌日にすぐ聴くようにしています。

――どんなところに魅力を感じているんでしょうか?

村上 『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』は全体的にいい塩梅なんですよね。テンションは高すぎず低すぎず、コンビの距離感も近すぎず遠すぎずで、いい具合の心地良さを感じています。いつのまにやら、毎週火曜日にやっている野田クリスタルさんのYouTube配信も見るようになりました。番組のゲストに来たYouTuberのもっちー先生がやっているONE PIECE考察も、野田さんが電話出演する時があるので、そこもチェックしていて。

――そんなところまで。

村上 村上さんが準レギュラーの『ベスコングルメ』も見てますし、ふと「あれ? 俺って、マヂラブのことかなり好きになってないか?」と思うこともありますね。ついにハードディスクレコーダーの自動録画の欄に「マヂカルラブリー」の単語を入れました。

――すっかり好きになっていると。

村上 この番組の影響ですっかりONE PIECE考察にもハマっているんですけど、ある意味、ラジオっぽいんですよね。もっちー先生なんて、毎週日曜深夜にONE PIECE最新話の初見読みという生配信をやっているんですけど、スパチャでの質問を受けつけつつ、時には5~6時間も配信しているんですよ。それを寝る時のお供にする日もあります。ONE PIECE考察の合間に、仙台に住んでいるもっちー先生の日常や昔の思い出なんかも語ってくれるので、もはやラジオ感覚ですね。

――『問わず語りの神田伯山』のほうは?

村上 伯山さんって毒舌のイメージが先行していたと思うんですけど、番組はちょっとずつ方向性が変わってきていて。最近は毒舌は残しつつも、様々なカルチャーに幅広く触れるきっかけになる番組になっているんです。美術館、博物館はもちろん、一部で話題になった『友達がやってるカフェ』や『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』に行ったり、吉幾三さんのライブを見に行ったり。そういう話の中に、講談界の裏話……最近はお弟子さんとの絡みなんかも出てくるので、とても刺激になりますね。

――最近はサブスクなどの影響もあって、ラジオでも様々なエンタメを紹介する番組が増えているように思います。

村上 『問わず語り』は他の番組と紹介するものが被らないし、それが伯山さんの毒舌と熱量とシニカルな視点のすべてにマッチしていて。だから、今は「行きたい」「見たい」と一番感じさせてくれる番組ですね。実際に番組内で紹介されたお台場にある日本科学未来館には行ってきましたし、熱いトークが印象に残っている太陽の塔もいつかちゃんと見に行こうと思っています。1年に1回ぐらいのペースですけど、伯山さんの講談も見に行っています。

変化②共有したいと思わなくなった


――変化の話に戻りましょう。radikoの誕生やSNSの実況文化の一般化などもあって、昔と比べてもラジオは誰かと面白さを共有しやすい環境になってきています。ただ、村上さん的には反対に共有したくなくなっているんですか?

村上 僕がラジオ本を作るようになったのは2012年で、そこからリスナーとしても本格復帰したんですけど、その時ってラジオを“共有できる喜び”を本当に感じていたんですよ。僕と同じ世代の方はよくわかると思うんですけど、学生時代、ラジオ好きを探しても周りにほとんどいなくて、仕方ないからひとりで密かに隠れて聴くしかなかったんです。

――村上さんぐらいの年齢だと、深夜ラジオの全盛期には間に合わず、ビートたけしさんやとんねるずの『オールナイトニッポン』にも間に合っていない世代ですもんね。学生リスナーは少なかったでしょうし、インターネットは一般化してないから、一番リスナー仲間が作りづらかった世代かもしれません。

村上 そういう意味でも、“ロストジェネレーション”なんですよ。だから、最初は共有する喜びを満喫していて、SNSでの実況なんかにも参加していました。ただ、同時にSNS上で揉めるリスナーなんかもよく見かけて。今はさすがに減ったように感じていますけど、当時はまだリスナー同士のSNSでの距離感なんてわからないから、ちょっと殺伐としていたところはあったように思うんです。

――オフ会とかにも参加してたんですか?

村上 ラジオ番組を取材する立場なので、そこまで積極的ではないですけど、呼ばれたら参加してましたね。でも、リスナーインタビューも始めて、いろんなリスナー、関係者と話していく過程で、浮かれていた気持ちが少しずつ冷静になってきたんです。その中には、友達と呼べるぐらいの距離になった人もいますし。そこで、改めて思ったんですよ。「ラジオリスナーだからといって、全員が全員気が合うとは限らない」という当たり前のことに。ここ数年は若いリスナーさんにも知り合いが増えましたけど、信用できる人もいれば、「お前とはもう一生関わりたくない」と感じる人もいて……。

――いろいろあったみたいですけど、そこは掘り下げないようにしておきます(笑)。「同じ番組を聴いているという共犯感覚がある」とか、「それゆえの共通言語がある」みたいな表現はよくされますけど、それは全能ではないと?

村上 もちろん円滑に人間関係を進めるには有効な要素ですけど、だからと言ってそれだけで相手を全肯定できるわけがないというのは当たり前の話で。いろいろと気持ちが変化してきた過程はあるにしろ、今は「聴いている番組が1、2つ被っているぐらいで、あとは全然興味の方向性が違うぐらいの相手がちょうどいい」と思っています。簡単に言ってしまえば、ラジオ好きという共通項があっても、普通の人間関係と同じ。そこはそんなに特別視してないですね。ラジオ好きの友人が自分の聴いている番組を悪く言っても気にならなくなりました。

――そんな風に考えるようになって、ラジオとの向き合い方も変わったんですか?

村上 よりラジオが“自分のもの”になりましたね。本来の形を取り戻したみたいな感覚もあります。共有する楽しさ、面倒さみたいのを経て、学生時代の「自分だけ聴いているもの」という意識に戻りました。昔からそうやって聴いてきたからこそ、その距離感のほうがしっくり来るんですよね。もちろん「他人と一切共有しない」とは思ってないですけど、かなりフラットです。

――それって年齢的な影響もあるんでしょうかね?

村上 「自分が楽しいと思うものを周りにわかってほしい」みたいな気持ちは若いほうが強いでしょうから、それなりに影響はあるんじゃないですかね。そもそもSNSでの実況がラジオを聴き出した当初からあって、共有して楽しむのが当たり前の若い世代は、もっとバランスを簡単に取れると思うんですよ。でも、孤独に感じていた状態から一変した僕のような中高年は、バランスを崩しやすいように思います。

――その喜びを知ってしまったから、捨てられないというか。

村上 それは、リスナーインタビューでリスナーさんの話を聞いていてもたまに感じる部分ですね。特に地方在住のリスナーだと、そこで生まれたコミュニティーの重みってまた首都圏とは違うじゃないですか。楽しみを共有したくて生まれたリスナーの繋がりなのに、それに縛られて苦しくなってくる。そういうパターンは投稿している人にも多い気がします。気軽に楽しめるならいいんですけど、苦しむぐらいなら「自分と番組、自分とパーソナリティだけのシンプルな関係に戻す」のはいいと思いますね。ラジオ好きの友達は友達としているけど、番組とは1対1で向き合う。僕はそういう感覚です。

変化③多忙な話、寝ていない話を楽しめなくなった


――これって深夜ラジオには定番のトークだと思うんですけど、どういう心境なんですか?

村上 これは完全に個人的な事情なんですけど、僕っていわゆる特定疾患……高血圧、高血糖、高尿酸値なんですよ。遺伝的な部分もあって、家族にも高血圧が多いですし、20代後半から降圧剤を飲んでいるんです。

――10年前も健康問題には触れていましたね。

村上 40代半ばになると、それがさらに深刻になってきましたね。この夏も四十肩と2ヵ月も排出されなかった尿管結石で苦しんで、まったく仕事のやる気が起きませんでした……。そういうのもあって、ほぼ毎日ウォーキングをするのはもちろん、週に何度かはジムで筋トレしてますし、筋トレしなくてもジムに行って、しっかり入浴するようにしています。原稿を書く仕事もスーパー銭湯の休憩室でやる時もあるぐらいですから。

――10年前と比べると、さらに健康問題はヤバくなっていると。

村上 睡眠時間を削ること自体無理になってきましたからね。自分の健康に不安があるだけじゃなくて、周りにもそういう人が急造してきて。シビアな話、「体調不良を放置していたらどうにもならない状況になっていて、最終的に亡くなった」「体調不良のままサウナにハマったら、倒れて仕事に復帰できない」なんてことまで耳にするようになってきたんですよ。“死”の足音がリアルに聞こえてくるというか。

――それは、10代や20代のリスナーとは感じ方がまったく違うでしょうね。

村上 若いパーソナリティなら気にしないですけど、40代以上のパーソナリティが「忙しくて休みがない」「寝ていない」って話していると、「深夜の生放送にこだわらなくてもいいんじゃないか?」と感じてしまうのが素直な心境です。翌日は昼過ぎまで休みとか、そういう環境ならいいと思うんですけどね。今の世の流れを考えると、「そんな環境で深夜の生放送をやらせていいのか?」なんて議論が起きても不思議じゃないようにも思います。事務所や放送局はそれでいいのか、なんて意見が出てもおかしくなくて。じゃあ、仮に深夜ラジオの中年パーソナリティが病気になって、WEBニュースのこたつ記事でそんな論調の文章を書くライターがいたら、騒ぎになるかもしれないじゃないですか。

――考えすぎのような気もしますけど、あながちないとも言えないのが怖いところです。

村上 体を壊すとか、病気になるとか、実際に経験しないと、なかなかリアルに受け止められないとは思います。40代後半でも、僕のように年老いた母親より医療費が高い人もいれば、「病院なんて行ったことない。健康診断なんて何十年もご無沙汰」なんて人もいますからね。テレビを見ていても心配になることがありますもん。中年で太ったタレントが、サウナに入って水風呂にダイブ……なんて展開を見ると、「この人、高血圧じゃないのかな? 大丈夫かな?」と心配になってしまいます。

――そういう感じ方は自分の健康状態によって違うものなんでしょうね。深夜ラジオって意外と難しいバランスにあるものなのかもしれません。

村上 今は過渡期なんだと思います。そもそも深夜ラジオは学生が受験や試験勉強のお供に聴くような立て付けで作られたわけで。今もまだ“若者向け”というニュアンスはかろうじて残っていますけど、実際は様々な世代のリスナーが交じり合っていて、定義がグチャグチャになっている。明確な定義付けをする必要が必ずしもあるわけじゃないんですけど、長期間パーソナリティをやっている人たちの年齢は着実に上がってきているじゃないですか。どこかで無理が出てくるように感じています。

――そこは難しい話ですね。

村上 急に中高年のパーソナリティがいなくなって、様変わりするのかもしれないですね。まあ、反対にパーソナリティの年齢が60~70代になったら、「深夜に起きている若者向け」じゃなくて、「早く起きた老人向け」としてちょうどよくなるのかもしれませんけど。どちらにせよ、何かしらの変化がここ5~10年で起こるように思います。

変化④別の世代のラジオを聴かなくなった。だけど聴きたい


――もはや、これは「じゃあ、聴けばいいじゃねえか!」としか思わないんですけど(笑)。

村上 これも中年ゆえの感覚だと思うんですが、新しい番組に挑戦しなくなってきたんですよね。どうしても安定感のある長年聴いてきた番組中心になってしまって。

――まあ、もともとラジオの聴き方ってそういうもののようにも思います。

村上 さすがに若いアイドルや声優がハイテンションで喋っているものは聴いているのがつらくなってきました。以前だったら、「新番組なんだから、1~2ヵ月は聴いて判断しよう」なんて思ってましたけど、今は選択肢がたくさんある分、「もういいか」とすぐに番組から離れてしまうことが多いですね。

――サブスク全盛の時代ですから、それは年齢に限らず、どのジャンルでも起こっている現象でしょうね。

村上 とはいえ、若い世代のラジオも聴いておきたいんですよね。今の中年深夜ラジオリスナーって、学生時代から聴いていたラジオがずっと続いている世代なんです。伊集院光さん、爆笑問題、ナインティナインはずっと続いているし、バナナマン、おぎやはぎ、オードリー、山里亮太さんも長寿番組なんですよ。一番放送期間が短い『不毛な議論』(TBSラジオ)でもこの春で20周年ですから。星野源さんも間が空いているとはいえ、「オールナイトニッポン」の前に、J-WAVEの『RADIPEDIA』も加えたら、長期間深夜ラジオをやっているわけです。

――村上さんは以前、QJWebのコラムで「ずっと兄貴分のパーソナリティがいるから、深夜ラジオから卒業できずに、留年を続けてきている」なんて書いてましたね。

村上 今の学生深夜ラジオリスナーからすると、パーソナリティを兄貴分と呼ぶには年上過ぎるし、「深夜ラジオはいろいろな世代が聴くもの」という感覚も強いと思うんです。だから、変にこだわらずに楽しめると思うんですけど、僕のような40代だと、二の足を踏んじゃうんですよね。個人的に痛いのは『Creepy Nutsのオールナイトニッポン』が終わってしまったことです。あの番組はヒップホップ界の話も含めて刺激的でしたし、世代が違っても楽しめていたんですけど。

――一度離れてしまうと、なかなか新しいものに挑戦できない。中年は本当に面倒臭いですねぇ……。

村上 何も言い返せません。もちろん「好きな番組だけ聴いてればいいじゃないか」とも思っているんですけど、20代~30代のパーソナリティの番組ももっと気軽に聴いて、ハマっていければと思っています。周りのリスナー友達を見ていても、30代後半ぐらいになると、どうしても聴いている番組が固定化していくんですよね。逆に言うと、若いパーソナリティが中年向けにやる番組があってもいいのかもしれないです。世代の断絶に橋を架けてくる深夜ラジオのパーソナリティが出現したらいいんですけど。

――いろいろと話を聞いてきましたけど、10年前より面倒臭い人になってません?

村上 面目ないです……。老害化しないよう気をつけつつ、10年後に「50代過ぎても深夜ラジオを聴き続ける苦労と喜び」を語れるよう健康に気を付けます。同世代のリスナーの皆さんも健康だけは気をつけてください。10年後、また会いましょう!

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