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「ファンもアンチもみな仲間」の末路

こんにちは。ちなつです。

今回はストちゃんについての話題だね。競馬の話題ではないので、ご興味のない方はブラウザバックでも大丈夫です。

今回はタイトルにもある通り、かつてストちゃんが用いていた「ファンもアンチもみな仲間」という言葉を、私なりに解釈してみたよ。

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最近のストちゃんはと言うと、


と、緊急事態宣言下にも関わらず、飲み歩いては路上で飲酒をしながら、ブツブツと独り言を周りに聞こえるトーンで話しながら日々過ごしているね。

今、私たちは社会情勢的に我慢を強いられている状態だと思うけれど、ストちゃんの行動は明らかに現在の情勢にそぐわないものが多く見受けられるよね。

中にはファンであっても容認できないものもある。そもそも、ファンだからといってその行動すべてを肯定するものではないけれど。

だから、元々アンチだった人はなおさら過激な発言を浴びせるようになり、ファンだった人も冷めた目で見るようになり、ストちゃんから離れていく人も出てきている。現に、ストちゃんのTwitterのフォロワーも激減しているよね。7万人を超えていたフォロワーが1ヶ月足らずで6万人台にまで減っている。

にも関わらず、ストちゃんの行動は奇怪さを増すばかりだよね。

というのも、ストちゃんのファンの多くは、かつてのストちゃんの境遇について共感するファンの人が多かった。建築業で現場の大変さ、過去の苦労話、同年代で時代の変わりようを分かち合える存在としてストちゃんはTwitter、YouTubeにいた。

しかし、今となっては逆の存在になりつつある。「理解できないふるまい」「奇行」 「他人への迷惑行為」が主な理由として上げられる。

かつてのストちゃんにそれらが無かったかと言うとそうではない。けれど、「形骸化した現代社会に対するアンチテーゼ」としてのストちゃんの行動は賛美され、時には笑いを誘い、また共感を生んだ。

しかし、積み上げられた「賛美」「笑い」「共感」は目に見える形で崩壊している。

コロナ禍である今、私たちは様々なことを我慢しなくてはならない。未曾有の大災害の渦中なのだから、自分、そして1人でも多くの人の命を守るための行動が呼びかけられている。

しかし、ストちゃんの行動はそれに反するものなんだよね。

いくら社会に対するアンチテーゼを高らかに語っても、それが「命を守る行動」の範疇でなければ受け入れられない。ストちゃんはこれを理解していないような気がするよ。

かつてはここまで「命を守る行動」を伴う必要が無かった。外出も自由だし、路上で飲酒してもまだ許容されていた。でも今は違うよね。

今は「命を守る行動」が最重要視される。ストちゃんの行動にはそれが伴っていないんだ。

つまり、私たちの共通する「敵」の状態になっている。

この状態こそが「ファンとアンチはみな仲間」たらしめている要因の1つだと私は思っているよ。

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ファンとアンチの間に「ストマック」という共通の「敵」ができてしまった。皮肉にも、ストちゃんが語った言葉通りの状態になっている。それがストちゃんの望んだ形で実現しているかは知らないけれど。

以上が私が思う「ファンもアンチもみな仲間」という言葉についての解釈だよ。

駄文ではございますが、ここまで読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。少し過激な文章も散見されるかと思いますが、これが今思うストちゃんへの素直な気持ちです。

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