過労死の理由:トイレには行かない方がいいんじゃないかなぁ、というお話

 トイレには行かない方がいいんじゃないかって話なんですけどね、極限状態のときには外のトイレになんて行かない方がいいと思うんですよ。

 話を持ってきたのはAさん、男性会社員なんですけどね、勤めていた会社がとてつもなく過酷な労働状況で、身体が結構危険なときの話なんだそうです。
 その会社は社長が無茶苦茶というか豪快というか判断が難しいところで、給料はいいんです、使う暇がないだけなんだそうです。あと辞めたい人は即辞めさせてくれるんだそうです、
「いわゆるブラック企業というのは労働環境が過酷なところを言うのではない、辞めたいという者をさまざまな手段を使って辞めさせない会社をブラック企業と言うんだ。その点うちはそんなことないぞー!辞めたい奴はすぐ言え!そしてまたカネが必要となったら戻ってこい!すぐ雇い直してやる!」
 まぁこういう社長はめずらしいですよね、なのでAさんの周りも入れ替わりが激しく、戻ってきてまたいなくなる人もちょくちょくいるんだそうです。

 Aさんは入社した当時は気楽に適当にやろうと思っていて、最初のうちはノルマや業務命令をかわしてやっていたんですが、やりがいを感じるようになってからは仕事にのめり込むようになってしまったそうなんです。帰宅時間が徐々に遅くなり、出社時間が徐々に早くなり、結果を出すので社長も笑顔で残業代を付けてくれるwin-winな関係です、そしてどんどん仕事を背負うようになってしまい、負のスパイラルに入ったそうです。
 若いうちは体力がありますからそれでもなんとかなったんですが、さすがにキツくなっていった、けれども「少しずつ」というのが拙かったようで、会社の同僚も取引先の人たちも、Aさんがヤバい状態になっていっても気がつかなかったようなんです。
 Aさんも自分の容姿や服装に頓着しなくなって、顔も姿勢も見るからに危険な状態なのに周囲が何も言わないし、家族も恋人もいない一人暮らしなのでプライベートでも指摘する人がいない、通りすがりの人たちの視線も見る余裕がない、それがなんでそんな状況から抜け出せたのかと言いますと。
 ある日の遅い時間、日付が変わって終電を降りて家に着いて、アパートに入ろうとしたら
「すいません、Aさんですよね?」と話しかけてきた人がいる、主観的にはすぐに、客観的には間があって頭をぐるんと廻してどんよりした目で
「はい、どなたですか?」と訊ねたら、弁護士だと名刺を出してくる、Aさんの遠い遠い親戚、Aさんのお祖母さんのお母さんの遺産が見つかって、その相続のためにあちこち飛び回っているとのことでして、Aさん家にいないので電話に出ないし手紙を送っても返事が来ない、書留で送っても不在で戻ってくるので、今日ずっと待っていたと言うのです。
 それを言いながら弁護士さん、Aさんが深刻な事態だと解ります、相続は相続としてハンコはもらうのですが、さんざん説得して休むなり辞めるよう言って、近くの知り合いの弁護士を紹介したんだそうです。
 もちろんAさんの働いている会社の社長も「社員が自主的にやっていることだから」とは言いますが「休みたい、辞めたい」と言われたら「どんどん休め!すぐ辞めろ!」という人なので衝突は起こらず上手く解決したんだそうです。

 問題は、Aさんなんで自分でそんな状態に気がつかなかったか、なんです、徐々にそうなっていったとはいえ、見るからにヤバいだろって状態に気がつかないものなのか。
 朝支度をしているとき、髭を剃るのは鏡を見ずに手の感触だけで判断していたんだそうです。仕事をしていて集中してるときは鏡を見ているようで見ていない、家に帰ったら鏡を見ずに過ごすから気がつかない、唯一
 駅を出て家に着く途中に、毎日公衆トイレに行ってたっていうんですよ、もう体のサイクルがそういうふうになっていて、毎日。
 トイレに行って用を足して、洗面台で手を洗う、そのときに鏡をみて、鏡に映る自分は元気はつらつだったから大丈夫だろうと思っていたんだそうです。
 話を聞く人は、そりゃ主観的にはそう見えていたのかもしれないね、と思うと思うのですが、全部が全部終わって、まだそんなに遅くない時間にそこを通ったら、トイレなんか無いんだそうです。
 公園とか商店街にあったわけではなく、道ばたにぽつんとあったトイレですから、ここいら辺にトイレがなかったか確認する術もなくて、毎日行ってたのに、なんだったんだろうと謎なんだそうです。

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