「施(ほどこし)」

 こんな夢を見ました。

 大学のサークルで上級生から
「TSUTAYAの向こうにある小学校のバザーに出店することになった。お前らそこまで荷物を運べ」と言われ、校門前に積まれた荷物を運ぶことになりました。
 私は自転車のサドルに、抱えるほどの大きさで、それなりに重い荷物を一つ乗せ、ハンドルを押して運ぶことにしました。同じ学年のAが荷物が落ちないように押さえて一緒に歩き、あと四人がそれぞれ荷物を持って出発しました。
 今の時代、全国チェーン展開している店は独自カラーの看板を遠くからでも見える場所に設置するもので、上級生から「TSUTAYA」と言われたときに(あっちか)と見当は付くのですが、校舎前にある信号で五人には何故か「TSUTAYA」に触れず「小学校って、どこだっけ?」と聞きました。
 おそらくみんなも「TSUTAYA」の方向は頭に思い浮かべていたと思うのですが、私が「小学校って」と聞いたからだと思います、一人が「TSUTAYA」に触れず「あっちじゃなかったっけ?」と思っていた方向と違う方向を指さします。
 私は(え?そっちだっけ?)とは思うのですが、みんなも「え?そっちだっけ?」と言わすにその方向を見ます。
 誰も言わないので私も(そっちだっけなぁ?)とは思うものの、疑いながらも(みんなが否定しないんだからそっちが正しいのかな?)と自信がないままで、青になった信号を渡り、二股路の左を進みました。
 私の歩く速度は普通の人より速く、Aを引っ張って、四人を顧みることなくどんどん進みます、進んで行くうちにいつの間にか住宅街ではなく石造りの回廊の中を進んでいました。
 回廊の左右には窓か出入り口だかは解らないのですが外が見えまして、信号待ちの時に見えていた住宅街の風景が見えます。
 懸命に進んで行くうちに四人が足を速めて追いついてきて、「もうすぐ3時だ!急がないと!」言ってきます。
 そこで私はようやく(やっぱりこっちの道は違う、あっちの道に行かないとだめなんだ)と覚悟を決め、サドルに載せていた荷物を自転車のフレームに載せ、両足で挟んで落ちないようにしながらペダルをこぎ、五人を置いて今来た道を大急ぎで戻りました。
 信号のあった交差点に戻ると右側のTSUTAYA看板が見えるはずの道に進み、(こういうときはちゃんと時間に間に合うことになっているんだ!)と急ぎました。
 ようやく小学校に到着すると、校庭には先に店を開けているサークルの連中以外誰もいません、まだ終わる時間じゃないはずなのに、どうしたんだ?と疑問に思って近づいてみますと、責任者の先輩がだらしなく椅子に浅く腰掛けて空を仰いで、脱力してヤケになった態度をとっています。他の連中はみな両手で顔を覆ってしゃがみこんでいます。
 先輩は私を見ると
「おい、お前は逃げろ」とだけ言いました。
 なんのことだと訝(いかぶ)しみながら箱を販売の台に乗せ中から荷物を出し始めましたら、先輩の後ろの花壇から十歳くらいの背丈の、白いワンピースを着て、痩せた、しかし顔は成人女性の気持ち悪いモノがやってきて、ニタニタ笑いながら言いました。
「それ、ちょうだい」
 驚いて動けなくなりました。
 そいつはまずテーブルに掛けた赤い布をさして「それ、ちょうだい」と言い、次に私が手に持った、お客さんに配るサークルの告知チラシの束を指さして、
「ねえ、それ、ちょうだい」と近づいて来ます。幸いなことにそれは私のことを見ず、チラシの束を凝視しています。
「ねえ、それ、ちょうだい、それ、ちょうだい」と繰り返すそれを見て、なるほど他に誰もいないのは、そしてサークルのみんながこうなっているのはこいつのせいなのか、と理解しました。警察を呼んでも、警察に何かできる相手ではないしな、どうしたらいいんだ、と混乱した頭で焦っていると、遅れていた五人がようやく到着しました。
 一人がこの状況を見て「てめぇ!なにやってんだ!」とそれを小突きました。
 いやそんなことをしたらアカン!と思ったのですが動けないししゃべれない、
 それはすっと表情をなくし、小突いた奴を死んだような目で見て、いきなり何メートルも身長を伸ばし、大きくなった手で小突いた奴を叩き潰しました。
 そしてまた身長が元の十歳児くらいになり、四人が持っている荷物をまたニタニタした顔で見て、また「ねえ、それ、ちょうだい」を始めました。
 Aがノーモーションでそれにケリを入れて転ばせ、私が止めていた自転車に飛び乗ると、脱兎のごとく走らせ行ってしまいました。
 いろいろこれからどうなるんだ、と思ったところで目が覚めました。

 目が覚めて、トイレに行って、なんだこの夢はと。

 夢というのは怪談では予知夢とか明晰夢とか異世界とか金縛りとかいろいろ言われていますが、現実の科学の分野では、夢は記憶の情報整理だという人がいて、筒井康隆はそれをベースにいくつも小説を書いています。
 人が起きているとき見聞きしたことを、脳が睡眠中に情報として整理して、人は夢として知覚します。
 脳もよくしたもので恐ろしいこと、耐えられない悲しいことなどは、起こったことから連想した別のことや、象徴であったり、似た物語などにマイルドにしてその人に見せるそうで、筒井康隆の一編では、時間が経ってようやく「亡くなった子を登場させる」という終わり方をした話がありました。

 私が見たこの夢も、いくつかは読んだ話聞いた話が使われていまして、
 白いワンピースを着た、まぁ体格だけは少女がいきなり高身長になったって、八尺様かよ!なんですが、子どもの背丈で顔は成人女性という怪異は、たしか山岸凉子さんの一編で読んでいますし、サークルの連中も実際私が所属していた大学のサークルの連中だし、「ねえ、それ、ちょうだい」もマンガ「ハンター×ハンター」の「ナニカ」というキャラクターです、読んでくださった方も、それぞれその情景だけ切り取ってみれば、読んだ話見た光景で思い当たるものがあるかもしれません。


 さて、考えてみますと八尺様の話って、人間が退治できなくて、封印するしかない存在です。
 人の力では退治できない、無視し続けることもできない、無視し続けたらどうなるかは語られていませんが、無視できるのならやってるでしょう、そして「面影がある親族を集めて八尺様を混乱させて、よその地区に逃す」という解決法が見つかっていて実行されている、つまりこの方法で逃れた人は他にもいるという実例があるわけです、
 なんでこんな恐ろしいモノがいるんだという質問に、「周辺の村から「うちに寄越さないでお前のところで止めてくれたら水利権を」みたいな交渉があったんじゃないか」という推測が語られているように、その地区の人たちも対策や考察はやっていたことが解ります。
 そういえば洒落怖で殿堂入りしている「コトリバコ」だって由来は語られていて、その地区の人たちが何もしていなかったわけではないことが解るのです。
 たとえ作り話であったとしても。
 そういえば、改めて考えてみると、八尺様もクレクレなのは同じなんですね、気に入った男の子をクレクレ寄ってきて、くれなければ恐ろしいことをするぞ、って感じの妖怪だかなんだか解らない存在です。

 恐ろしくて人間の手に負えないモノは祀ることで「害を及ぼさないようにしてもらう」、これは普段御霊信仰といわれ、菅原道真、平将門、崇徳上皇が有名ですが、封印してメンテナンスを欠かさないようにして、地区のみんなで諦めることを含めて背負おうという流れは同じです。
 となると、なるほどこの夢の「バザー」とは、この女を鎮めるためのものであったのかと腑に落ちました。
 また「神様の話(6)」で書きましたが、白奈さん@shilona467 の地獄の話を聞いて、地獄の六道の一つである餓鬼道のことを検索しているうちに、こんな意見を読みました。
「施餓鬼とは、すなわち餓鬼信仰である」。
 あぁ、年に一度餓鬼が地獄からわらわら出てきて、人々の食べ物を食い散らかす、最初はふざけんなとんでもねぇ奴らだ!と抵抗しますがどうにもならない、万策尽きて白旗を揚げ、
「これは差し上げますからあとは勘弁してください」、これが御霊信仰「施餓鬼」の始まりなんでしょう。

 夢の話はつまらないと言われ、それは聞かされる人にリアリティを伝えられない、背筋がゾクゾクする感触を伝えられないからで、これを読んだ人聞いた人はせいぜいが
「ふーん、なるほどね」でしょう、
 しかし私はこの夢を見て呆れました。
 起きて笑いました。
 そして、気がついて怖くなりました。
 この怖さを伝える技量のなさに申し訳なさを思います。
 すいません。
 そして読んでくださって、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?