あなたの知らない理(ことわり)、私も知らない理
トイレには行かない方がいいんじゃないかって話なんですけどね、話を持ってきたA君の意見では、トイレには象徴的な意味で行かない方がいいと思うっていうんですよ。
そりゃトイレには行きますよ、行かなきゃしょうがないですけどね、ご不浄とか部屋主の生活態度とかが見えるとか、そういう意味じゃなくて、トイレって特別な場所じゃないですか、銀行強盗なんかで立て籠もる奴も誘拐監禁する奴も、犯罪に手を染める時点で酷い奴なのに、トイレに行きたいって言われたらその間は拘束しない、自由にさせる、
その一方でトイレはイジメの現場にもなる、トイレに呼び出してリンチする奴とか個室で用を足したり食べ物食べたりしてる人に水をかけるとか、もっとダイレクトに女性や子どもを襲う性犯罪とかあって、悪いことする奴の中でもトイレという場をどう見ているかが全然違う。
でも実はそれすらも、悪いことする奴の中でもっていう、人という括りがあって、その中の分類の話でしょ?この世の物じゃない連中にとっては、位置が問題なんであってトイレだとかトイレじゃないっていう、機能や用途は関係ないと思うんですよ、人と違って。
私はね、物心ついたときから、黒い人が見えてるんですよ。
大きさは大人の大きさで、頭から足下まで真っ黒なんです。距離はちょっと離れているんです、間近にいたことはありません、ふと気がつくと、いつの間にか人と人の間に立っていて、特に何をするでもない、じっと立っているんです。
私の他には誰にも見えていないようで、小さい頃にさんざん、あ、黒い人がいると言ってもみんな不思議な顔をしますし、指さしても見えないって言いまして、そうか、私にしか見えないのかと。
それで見ていても、あ、いるなーって思うだけなんですけど、いつだったか突然カラスの鳴き声がして、ふっと消えたんです。びっくりしたんですけど、それからも黒い人が見えているときにカラスが鳴いて消えるのが何回かあって、へぇ、あれで消えるのかと。
いや、黒い人は怖いこともしませんし、近くの人に何かしてるわけでもありません、ただ立っているだけです。
あと、見えても距離がありますんで、目鼻立ちとかよく解らないんですよ、見えるのは姿形と身長と、あと角度ですね。顔が見えないというか、目鼻立ちが無いんじゃないかな、顔の無い黒いマネキン人形って感じで、真っ黒ですから、前と後ろも解らないんですよ、近くに立っている人に顔を向けているのか背を向けているのか、それも解らないんです。
そうですね、その人に憑いているのかも、ってのも考えるんですけど、のぞき込んでいるとか、しゃがんでいるとか、背伸びをしているってのも無いですね、ただ立っているだけです。
そんな毎日を送っていたんですけど、ある日ある晩道を歩いていて、トイレに行きたくなりましてね、しばらく歩いて公衆トイレを見つけまして中に入りましたら、誰もいないのに黒い人が大勢いたんですよ。
そんな狭い場所にこんなに大勢ってのはさすがに驚きましたけど、やはり立っているだけです、みんなてんでにバラバラの方向を向いていて、私が入り口に見えても何の反応もしません、近づきも逃げもしない、ぴくりとも動かない、だから私も中に入りまして、初めて間近で見ましたよ、真っ黒でぼんやりしてるんだな、はっきりした輪郭はないんだなと思ったんですが、さすがに触ったらどうなるか解らない、だから触れないように注意して、でおしっこしてましたらね、
突然「ダン!」って凄い音がしたんですけど、その「ダン!」って「いい加減にしろ!」って怒鳴り声が聞こえた気がしたんですよ、驚いたのなんの、いきなりなのとお腹にずしんと響く音に「わぁ!」って声が出ちゃったんですけどね、黒い人、みんな一斉に消えちゃったんですよ、
そこで気がつきました、
この音、カラスの声だ。
いや、そんなに遅くない時間ですが夜にカラスって行動するのか?とか、カラスってこんな大きな出せるのか?とか、本当にカラスの声なのか?とか混乱して外に出たんですが、誰もいません。
それ以降、黒い人、めっきり見なくなったんですけどね、なんか音が体に影響してるのかなって。
でも、なんか嬉しかったんですよ、他の人には見えないよく解らないものがいる上に、それを吹っ飛ばす目に見えないものもあって、世界ってもっと広いんだなって。それが嫌なもの悪いものじゃなく、ただ「あぁ、あるんだ」ってもので知ることができたのは、恵まれてるのかなって。
でもまぁ、トイレでそういうのと離れちゃったのは、ちょっと残念ですね。