解らなくなるトイレ:トイレには行かない方がいいんじゃないかなぁ、というお話
トイレには行かない方がいいんじゃないかって話なんですけどね。
A君、私が「小説家になろう」に投稿した話を読んで、私の所に話を持ってくる気になったんですって。
その私が書いた話は
「夢でなく、異能でもなく。」https://ncode.syosetu.com/n0504gg/
という話なんですが、一時期私は〝入眠時心象〟という症状が起こりまして、夜、布団に入って目を瞑ると、全然寝ていないのに映像が見えるんです。そこには人もいてコミュニケーションもとれるんですが、私の場合は会話が成立しなくて、相手が訳の解らないことを言ってくる、それで状態をリセットするために目を開けるんですが、ごく普通に目を開けることができるんです、とりたてて力を込める必要もなく。なので「寝てないのに夢を見ている状態」をネットで検索してみましたら、〝入眠時心象〟というものがヒットして、この「夢でなく、異能でもなく。」はそれを元に書いた話なんですけどね、A君はトイレで座って用を足すんですけれど、一時期起こった状態はどう考えても夢だろうと思って、私の所に来たんです。
大学生の時だっていうんです。
当時A君には付き合っていた彼女がいて、その子はとても可愛くて、料理が上手で、世話焼きで、しょっちゅうA君の部屋に来て家事をやってくれていたんだそうです。
A君満ち足りた日々を送っていて幸せだったんですけど、あるとき、いつものようにユニットバスのトイレで用を足していたら、違和感を覚えたそうです。
とても狭い、窮屈だと。
単純に考えて、トイレのドアを閉めていて、それで用を足していたから圧迫感があるんですよ、住んでる部屋自体がそんな広くありませんからトイレも狭くて、ドアを閉めると目の前にドアが来る、それほどの狭さだったんだそうです。
うん、狭いよなぁ、窮屈だよなぁ、と思うのですが、何故か当たり前だとは思えない、違和感がある。
でも考えても解らない。五分くらい頭をひねってみたんですが解らなくて、そのときはトイレから出ました。彼女さんは晩ご飯のかたつけを終えてテレビを見ている。
また数日して、彼女さんがやってきて、食事の準備だの洗濯物のたたみだのをやってくれているんですが、A君トイレに行って、また違和感を感じる。
これが、ユニットバスのお風呂に入っているときや、彼女さんが来ていないときには、そんな感覚にはならないんです。用を足しているときはドア開けてますし。
それが彼女さんが来てトイレで用を足していると、
狭い。窮屈だ。
また同じです。
繰り返しますが、狭いトイレのドアを閉めて、狭く窮屈に感じるのは当然なんです。トイレが狭いんです。それを解っているのに、
(あぁ、狭いなぁ、窮屈だなぁ)ではなく、
(あれ?なんで狭いの?なんで窮屈なの?)と感じてしまう。
やっぱり考えても解らない。それでトイレを出て、そんな感覚が無くなって、くつろいでいる彼女さんと二人でまったりとするんですけどね。
日常生活は大学の講義とかレポートとか大変なんですけど、それは学生として当たり前ですし充実した大変さです。そしてちょくちょく愛しの彼女が部屋に来て生活を助けてくれる、そんな毎日の中、何故かトイレで用を足していると違和感に襲われる、変だなーとは思うのですが考えても解らないのでドアを開けて日常に戻るわけですよ。
そんな毎日を繰り返しているんですが、さすがにそんなことが回数重なって、ようやく気がついたんですって。
(あれ?あいつ、なんて名前だっけ?)。
思い出そうとしても思い出せない、ど忘れしてしまっている、でもまぁいいか、すぐそこにいるんだから聞けばいいしと水を流してドアを開けると思い出す、
(あぁそうだ、名前は)すらすら出てくる。
ところが、また彼女さんが来ているときにトイレに入ってドアを閉めると、名前が出てこなくなる。数分悩んで諦めてドアを開けるとスッと思い出す、これが何回も繰り返されると、とうとう用を足している最中に思うようになったのは
(誰だ?あいつ)
名前が思い出せないんじゃなかったんです、A君の知らない女だったんですよ。ところがドアを開けると思い出す、これおかしいだろう!と。
今まではトイレから出たら窮屈に感じた違和感も、彼女の名前を思い出せないまどろっこしさも綺麗に消えたんですけど、感じた違和感、まどろっこしさが何回も経験して、ドアを開けても
(なんでこんなことを感じるんだ?)というのを忘れなくなって、目の前の彼女が怖くなってきた、ええ、トイレから出たら彼女の名前も聞いた過去も、彼女が住んでいるところもご両親も、全部知っている、出会ったときのことも何が切っ掛けで好きになったかも、全部覚えているのに
(トイレに行くと、なんでこいつのこと何も解らなくなるんだ?)
とそのことが怖くなる。
でもトイレから出たら大好きな彼女です。自分のことを好きでいてくれる大切な人です。失うなんてとんでもない、なんでこんなことが起こるの?と口には出さなかったんですけど、
あるとき、A君がトイレで用を足していて、ドアの向こうにいる女性のことで震えていると、ドアの向こうからその知らない女が声を掛けてきた。
「ねぇ、この部屋、リフォームしない?」
「リ、リ、リ、リフォームって、ここ賃貸だよ。勝手なことやったら、出てくときもの凄く大変なことになるよ」
「大丈夫だよ」
女は言います。
「原状回復って、部屋の中を壊したとか傷つけたとか、そういうときにしなきゃいけないんであって、部屋の中をプラスにしたら、やらなくていいんだよ」
「え?そうなの?」とA君素で驚く。
「そうだよ。だからリフォームしよ」
「リフォームって、どこを直すの?」
「そうねぇ」
と言葉を区切って、でももう言うことは決まっている口調で
「このユニットバスはどう?」
「ユニットバス?!」
「うん」
ぐるっと見回して
「このバスタブも変えるの?」
「うん。ユニットバスって既製品の組み立てだから、交換するのは簡単なんだって」
「え?そうなの?」A君が知らないことばかり言ってくる。
「うん、まず中の物を全部出して、天井を外して、壁を外して、床を外して、それで新しい床を入れて、壁を入れてって作業なんだって。大きさも決まっているし、簡単なんだって」
「へぇ、よく知ってるんだな」
「うん。リフォームしよ?ユニットバス、交換しよ?」
「うん…」
「お金なら私が出すよ」
A君考えまして、
「やっぱり止めておこう、この部屋にもそんなに長くいるわけじゃないし。お金がもったいないよ」
言った途端、すっと恐怖が消えたんですって。同時にドアの前の、人の気配もなくなって。
ドアを開けて部屋に戻ったら、もう彼女さん帰ったのかいなくて、部屋の中がガラーンとしているようで、その日はそのまま寝たんですけど、もう彼女さんは部屋に来ることがなくなって、電話しても出ないし、メールは宛先人不明で戻ってくるし、彼女さんの部屋に行っても誰もいなくて。
当然大学にも来ません。
大学の友達に彼女さんのことを聞いても誰も個人情報を知らなくて
「どうしちゃったんだろうね」くらいしか言わないし、深く事情を話せる友達はいないんで意見を聞くこともできず、もうどうしようもないと。
A君言うんです。
「実はトイレが正体不明の女の子から守ってくれたのか、せっかくの幸せをトイレが壊したのか、僕には全然解りません。
でも僕は彼女のことを好きだったし、彼女も僕のために尽くしてくれたんですから、関係を続けていたらどうなったか考えるよりも、彼女にはいて欲しかったです。
トイレには行かない方がいいんでしょうけどねぇ、もうトイレに行ってもドアを閉めなくなりましたし、彼女のことが解らなくなることも、なくなりました」と言ってました。
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