脳味噌破裂するような(2)

 アジト支部周辺部には基本的に何も無いし、誰も寄りつかない。きっと初めの内は誰か達が襲っていた筈なのだけれども、……用心棒に懲らしめられたからだろうか?
 そこに辿り着くと、その敷地の狭さに反して案外広く見える解放的な”店”内が見えた。
 まるで僕が登場するのを事前に分かっていたみたいにして、ほとんど黒目ばかりの、表情の無い、どこか動物的な目をした、不健康に肌の白い男が、荷物の入ったザックを手渡してきた。
 何故か、こういった物品を手渡す役目をしている男達はみんな耳がいい。奪取される危機に敏感になっているのだろう。
「あんた、あれだね、”AA”だね」
「うん」
それだけで、あまり確認されることもない。
 実際口を開けば無駄なことを話すが、彼は何も言わない。きっと誰かとコミュニケーションを取ると、自分がキレて暴れることが分かっているからなのだろう。そうしてテロリスト達に支配されたここで暴れることは彼の身の為になることだとは言えなかった。

――ザックを肩に掛けて、外に出た。

 先程はいなかった筈のテロリスト達二人が縁石に腰かけていた。まるで何かを欲しがるような目をして、子供達の方を窺うように眺めている。
 食料品を分けてくれると思っているのかと言えばそうではなく、用心棒的な役目を果たしているのかも知れなかった。
 筋肉質な体形をしているというのに、彼らは随分と背を丸めていた。
 しかし、一人の男の大きさ足るや何と言うべきなのだろう。もう片方は子分的な立場なのだろうか、ずっと項垂れるみたいにして座りながら、その大男の呟きに合わせてただ首を振っていた。
  子供達が遊ぶのを見ながら時折、肘で互いを小突くあたり、二人だけで何かを伝え合っている様子だった。
 薄いシャツを着ていたが、実際、少し肌寒いのだろう鳥肌が立っているみたいだった。テロの同志達が衣食品に困ることは無い筈だが、まるで自分達の強さを誇示しようとするみたいに、薄手のそれを着るのだった。

 季節的に言ってまだ暑い筈だが、爆破されて跡方も無くなったせいだろう、東京辺縁系は例年より幾らか涼しくなっていた。
 ……地球温暖化問題を解決するのに貢献したとか、あいつは言っていたような気がする。

 土色の風が吹いた。 
 もう少し風が強くなると歩けない程に土埃が立つので、少しだけ、急ぐことにする。

 荷物へ注がれる視線が、こちらの方へ刺さってきていた。子供達がぼんやりと立ちながら、ただ欲望だけを盛んに燃やしている。
 水が欲しいのだろうと思われた。
 その視線に触発された訳ではないが、袋の中を確認してみることにした。
 ……甘い物が沢山あると思うのだけれども。
 矢張り、と言うべきだろうか上側にはお菓子が沢山入っていた。
 その中から一つを取り出す。
「うん」
ポップキャンディーDXだった。
 身装(みなり)のひどい者達を相手にはともかくとして、普通の服を着ていれば、子供達は襲い掛かってくることもない。
 ……誰を襲うべきなのか本能的に察しがつくらしい。

 町が爆撃されたとき、彼らはどうしていただろう? 暴徒の手にかけられる知り合いの子供らを見ながら何を思っていたことだろう?
 あれから、”腐敗”が進められていったが、それをどう思っていたのか? 
 あのときに生まれていなかった可能性もあるのだろうが。

 あの、マスコミ達に”大災禍”と呼ばれることになる襲撃を実行したとき、火、キャリーにでもなった気分だ、とあいつは言っていた。
 そのとき、僕は病院にいた。

 ここなら安全だとか何とか言われて。
――ガラス、割れていたんだけれども、病院でも
 まぁ、それでも安全というか、どこかみんな安心していたような空気が流れていた。
 ここまで来れば一安心といった雰囲気のようなものが漂う中に僕はいた。

――事前に何が起こるか知らない訳ではなかったのだけれども
 どこか忘れたつもりになっていたかも知れない。
 僕の安全は守られているとあいつは言っていたし、実際、それまでテロに関する報道をしていたマスコミ達も、医療施設や各種公共施設は安全なのだ、といった雰囲気を醸し出していた。……それまで”ある機関”が狙われていたし、声明文の影響力を拡大させることを目的に恐怖行為がされていると、ワイドショーに登壇していた専門家や芸人達が言っていたのだから。
 そうだ、実際警戒されていたのかも知れない。

 しかし、大勢の患者が運ばれたその医療施設はあるときを迎えると、
――爆破、されたのだった
 多くの悲鳴が上がった。
 既に病院内に潜伏していたテロリスト達に占拠され、また外側からやってきた彼らに包囲されることとなった。
 多くの院内の医師達や負傷者達を人質に、彼らは籠城をし始めたのだった。

 インフラを抑えたら勝てんじゃん、とあいつは言っていたけれども、そうやって彼らは抑えていくことになる。
 この日本を破壊する為に、”大災禍”に伴い、テロリスト達はライフラインを、止めたのだった。
 ツイテロ、――デマを流したり、みなさん大衆達の中に悪意を持ったテロリストがいると煽ったりすること――によって、詰まり情報戦的成果も伴って、被害も続出している筈だった。
 関東大震災朝鮮人虐殺事件のときのように、民衆が自主的に検閲を始め、殺し合いをするようになる……。
 その効果も狙って攻撃がされていたのだった。

 担架によって負傷者が運ばれていたのが、段々椅子や木材によってそれがされるようになり、苦しみの呻きは低音のそれが多くなっていった。
 血が道路を染めているのが院内からでも分かったし、ロビーは人でごった返していた。
 また、一人、運ばれてきた。
 既に包帯が頭に巻かれ、有限的リソースを分け与えられている……。
「トリアージッ!」
「――はいっ!」
テープによって区分された床に人が並べられ、それぞれに処置がされていたが、その中を突っ切るようにしてその負傷者が搬送されてくる。
 髪にきつくパーマを当て、厳めしい表情を崩さない初老の女医師、既に大声を出すときに表れる皺が深く顔に刻み込まれ、常時取れないでいる彼女もこれには何も言わなかった。
 その包帯の巻かれた負傷者、男性の載ったストレッチャーからまた、大量に血が零れた。

 既に何をするべきか分かっているのだろう、群個体的に医師達は動いている様子だった。
 荒い、熱を帯びた呼気を吐きながらこちらの方へと男性医師が駆けてきたのだった。……少しだけロビーの方にちらと目を遣りつつも、淀みなく、筋肉の隆と盛り上がった腕を振りながら。
 女性の看護師や医師達も随分と運動することに慣れているようだった。きっと学生時代運動部に所属していたのだろう。テニス部だろうか? 水泳部というには肩幅が狭すぎ、陸上というには足が細過ぎる、それとも競輪? いや、メジャーではない、瞬発的な動きの素早さからしてもテニスだろう。
 その、形成されつつあるチームの方を見ていると、一瞬、挑発的な疑問の視線を、こちらに送ってくる女性がいるのに気が付いた。栗色の髪を後ろで一つに結んだ、肌の白い、眉の整った女性。
 相手がどういう者なのか観察することに慣れ、隙あらば捉えようという姿勢……、この人は武術家だろう。
  けれども、そのまま駆けてゆく。
 二人のふくらはぎから筋が浮かんで見えていた。
 あの、肉が、この過剰な労働を支えているのだな、と思う。
「気道確認っ! 応答ありっ!」
「すぐに救急医療室へ搬送っ!」
リーダーらしい初老の医師が、真っ先に廊下の奥へと駆けてゆく。

 若い医師達が大きく口を開けながら頷いた。
 はい、はいっ、大きな声が白い床や壁に反響し、ストレッチャーに乗せられた負傷者が運ばれてゆく。

――唐突に、甲高い絶叫が間を引き裂いた

 ロビーに横たえられた男性が、足を高く上げながらもがくようにして苦しみを訴えている。
「先生っ! 死んじゃうよっ! 死んじゃうよっ! 俺ぇっ!
――見て、足がっ! 足がっ!」
「……骨折していますがすぐにどうにかなる程のことじゃありません」
それに対してほとんど微笑を浮かべそうなほど楽観的な調子で老医師は物を言った。
「安心してください
 他に助けを待っている人がいるんです。あなたへの対応はこちらの永井くんが行います
 それじゃ、頼んだよっ」
「はいっ」
早くにも片膝をつきながら、男性へ処置を施している様子だ。
 その老医師は先程の包帯の巻かれた男性の運ばれていった方へと素早く駆けてゆく。
 ……まるで何かの選手みたいにして。

 誰かの悲鳴が巨に響くと、連鎖反応的に子供の泣き声が拡大され、負傷者達の混乱は拡大を極める様子だ。

 ざわめきや子供の泣き声が炸裂しているロビー内に、看護師の声が響き渡る。
――それは喧騒や雑音といったものに、まったく負けていない
「みなさんっ! 落ち着いてくださいっ! 重症度に応じて優先性が決定されていますっ! 比較的軽症の方はこちらにて待機して貰っていますっ!
――みなさん手当や処置はされますので落ち着いて、落ち着いてくださいっ!」

 急激に多くの負傷者が運ばれてき、その場は一層様々な音が混ざり、色々な色が入り乱れるようになったけれども、先程の看護師のアナウンスによるものか、音量は控え目になっている。

 そのせいか、声が通りやすくなっていた。

 診療のときに聞かれる、ほとんど透明感のあると言ってもいい男性医師の声が耳に届いた。
 女性医師と、白髪混じりの眼鏡を掛けた男性医師、背筋良く二人が並んでいた。
 男性が言葉を漏らす。
「救急医療の常か……っ」
「災害……」
その言葉を呟いた、白衣の女性を、初老の医師は随分と厳しい目で見た。
 これが災害に見えるのか、とどこか非難するようでもあった。

 僕はただそれを見続けていた。
――医師達は白衣を着ていた、いつも光の遮断するその服、そして室内での勤務……
 本を手に携えながら。
 清潔な病室、白いシーツ、消毒液の臭い、生の横溢、……浄化されている、浄化するべき何かと対峙する緊迫とそれによる静寂、それが縫合痕から破られゆくのを。