生産性の為に差別者が叩かれる時代について

 世界の七不思議は何か、つまり世界で最も興味深い謎を七つあげるとしたら何かと問われてアインシュタインは「世界の七不思議に何が相応しいのかそれについては分からないが、八つ目の不思議ははっきりしている、それは指数関数の増加速度の凄まじさに人類が気づかないことだ」と答えたらしい。

 これは複利のことを言っているようだ。
 複利とは何であろう?
 もし銀行に金を預けて年に5%の利子がつくとしたのなら、おおよそ14年後にそれは2倍になっている……。
 指数関数というのは要するに2倍にしたものをまた2倍にし、と、何回も何回も同じ数字を掛けてゆくことであるが、こうして何度も同じ数字を掛けてゆくと凄まじい速度で元の数字が膨らんでゆくことが知られている。
 たとえばねずみ算などはこの凄まじさを説明するのによく用いられるようである。
 今日2匹のねずみがいるとして、それが次の日に2倍に増えて4匹になっていたとする、それがまた次の日に2倍に増えて8匹に……、そうやって毎日毎日2倍に、2倍に増えていったとしたのなら10日後には約1000匹になっている。
 ひと月も経つ頃には100億匹くらいになっている。……増え過ぎである。
 『ドラえもん』の『バイバイン』もこのねずみ算式に、つまり指数関数的に増えてゆく凄まじさを題材にしている。
 少し不思議なくらい、脅威的な増加速度なのだ。

 でも、考えてもみて欲しい、2倍にするから増えていくけれども、これが0.99倍であったらどうであろう? 0.99は1より小さい、1×0.99=0.99であり、0.99を掛けると元の数より小さくなってしまう。
 2×0.99=1.98であり、やはり1.98は2より少ない。

 それでは、0.99を延々に掛けてゆくとどうなるのであろうか?

 どんどん、どんどん、少なくなってゆく。

 指数関数というのは増加する速度も凄まじいが、減少してゆく速度もまた凄まじいのである。
 たとえば銀行にお金を預けたとして、たった1%のマイナスの金利がつくだけで20年も経てば初めの8割くらいになってしまう。
 先程の5%の利子がついてゆくのの、-1%ヴァージョンである。
 つまり、0.99を何度も何度も掛けてゆくと、20回もそれを繰り返す頃には、初めの8割ほどになってしまうのだ。

 これを労働人口、働く人の数の話に応用してみたい……。
 労働人口を0.99倍していったらどうなるであろう……?

 実際、n世代目の労働人口に対して0.99を乗じていったら、人口は指数関数的に減少していってしまうことだろう、つまり爆発的に減少していってしまうことだろう。
 これをしようなんて、言うことは出来ない。
 けれども、同性愛者の方が差別されるようになれば、現実になり得る。勿論、これは簡単にした話だけれども、それは現実に大きなマイナスの効果を齎し得る。

 統計的に言うと、どんな人の子どもであっても、同性愛者として生まれてくる可能性があり、それは約1%ほどの確率である。つまり、100人子どもが生まれたらその内1人くらいは同性愛者になってしまうのだ。
 それが自然の法則なのだから仕方がない。

 同性愛者の方達を差別して活躍の場所を奪うと、彼らの労働力は下がるだろう。あるいはゼロになってしまうかも知れない……、ここではたとえ話としてゼロにしてみようと思う。すると、日本国民達はどうなってしまうのか?
 もし、同性愛者の方達をいなくならせることが出来たとしても、次に生まれてくる子ども達の中には必ず同性愛者になる人々が出てくる……、これは100人に1人ほどである。そしてまた差別して排除してゆく……、これは実際には労働人口に0.99を乗じているのと同じことである。
 もしそんな世界が訪れたのだとして、彼らが福祉を求めたとしたのなら、その費用を負担するのは国民であり、国であり、税である。結局、みんなのところに戻ってくる。

 少子高齢化社会になって、労働人口、働くことの出来る人達が少なくなってきている、……これは大きな問題である。
 それだからこそ、定年を伸ばしてシルバー世代の方に活躍の場所を増やそうとか、女性の方にとって働きやすい環境作りや性別による格差の是正がされるのであって、つまり、少子高齢化が進めば進むほど、働く人達を増やすこと、活躍の場を増やすこと、もっと言えば差別をしないことが重要と言えそうなのだ。

 もしそうやって差別をして、働く人を減らしていったのなら、負担はみんなの肩に乗しかかることになる。
 それもちょっとやそっとじゃない負担のはずである、なにせ指数関数的に、爆発的に働く人が減っているのだ、その分を”差別されない側”の人達だけで補おうとしたのなら、どこかで破綻するのが目に見えている。

 それにしても、高度プロフェショナル制度にしても、働き方改革にしても、急激に負担を増やそうとし過ぎている……、それはもしかすると差別することの裏返しなのかも知れない。
 同性愛者を差別する発言をした議員の方がいたけれども、結局あの人達は自分達を支援してくれる人達の味方なのだ、どこかからお金を回してくれる相手でなければとても冷たくなってしまう、とても、とても。それはつまり、自分達の私腹を肥やそうとしてあんな発言をしたのだと批判されても仕方ないということではないだろうか? あの人達がお金が貰えることになれば、……国民みんなが困ることになっても、あの人達は、構わないのである。……そういう発言をしていたと思う。

 もしかすると東京の都心部においては同性愛者達に対するサービスが手厚かったり、反差別的なキャンペーンが大々的になされていたりするのかも知れない、……レインボーパレードみたいに。
 けれども地方ではそうではないし、依然として同性愛者や女性の方に差別的な対応をする人達で溢れている、……頭の固い老人達もたくさんいるのだ。
 そうして地方は疲弊化している、あの議員さん達は「あまりにもやり過ぎると……」というようなことを強調していたけれども、しかし、足りていない所もあることをご存知なのであろうか?
 実際、ネット上で同性愛者の方達へ心ない言葉を吐きかける人達もいたという、差別は依然として存在しているし、今後根強くなってゆく可能性があるのだ。

 まぁ、差別してはいけないのは同性愛者の方達を相手にだけではないのだけれども。
 差別して労働人口や活躍出来る場を奪っていけば、かなり経済的に打撃を受けて、みんなの負担が増えてゆくのだけれども。
 ……それに、同性愛者の方達は子どもを持たない人達も多くいるから、子どもの大学資金を貯金する必要もなく、また塾代など子どもの教育にお金をかける必要もないという方も多くいるだろう。その分、経済を回す為にお金を使ってくれているわけである。それなら、みんなの為に経済を回してくれている方達なのではないか、……とすら思う。
 「生産性が無い」とか言っていた方もいたようだけれども。

 それにしても、最近、ネット上でヘイトスピーチをした人が炎上したとか、差別発言をした人達が叩かれたとか、そういう話をよく聞くようになった気がする。
 もしかすると、こうやって肩身の狭い思いをしている方達の活躍出来る場所が減っていけば、みんなの負担が異様に重くなることを、何となくみんな察知しているのかも知れない。

 少子高齢化が進めば進むほど、反-差別的態度は重要性を増してくるのだ。
 みんなが差別をしないことが、負担を増やさないことが重要なのだろうと思えてくる……。
 それなのに、どうしてあんな差別的な発言をしたのだろう?

 差別発言をする人達を叩き過ぎるのもどうかという話もあるし、それも実際問題なのだろうけれども、みんなの負担を増やさないようにする、生産性を向上させる為に差別しないことは大切で、それにみんな何となく気づいているから差別者は叩かれるのではないか、差別者叩きが流行する裏側には経済が絡んでいるのではないか、……そんなことを思ってみた。
 それだけ、書いてみた。