脳味噌破裂するような(6)

 あいつが暴れ出した。発作を起こしたとか……。偶に、彼はそうなるのだった。
 頭痛がするとか、言っていただろうか。

――彼のいる間で、女性達が何かを言っているのが聞こえてきた……、銃声のようなものも響いていた
 僕は林へと出向くことにした。

 自動運転四輪車に乗って、町の方へと赴いた。
――荒廃したお陰で自動運転車を走らせることは容易なことになっていた……
 低い音を立て、また静かにモーター音を鳴らしながら、それは灰色の道を走っていった。
 何もない、……埃や、地面ばかりが広がる、そしてその向こうには海のある光景。
 それが緑の絨毯と海とに変化してゆく。

 大麻はよく、植えられた……。
 自生力が強く、それを排去して物を建てるのは難しいとか、勝手に採っていった人が”腐って”くれるとか、”腐敗”を進めてくれるとか、そう言ってあいつは沢山大麻を増やしていたのだった。
 ……似たような理由でクズなども植えられていた。

 随分遠い筈なのに、松林の音も聞こえ、風が吹いているのが感じられた。
 日は照り、海をきらめかせていた。
――潮風が髪を靡かせてゆく
 ちょいとコントローラーのパッドを操作すると、自動車は従順に角度を変え、すいすいと曲線を描いてもみせる……、自動運転と手動とは簡単に切り替わるのだった。
 iPodから音楽が流れている。

 日米安保条約に基づき、テロへの対策をアメリカに行うよう求める会議とか、向こうが暗に掲示してくる交渉条件を呑むかのまないかとか、それから集団的自衛権からすると中国やイギリスや他の国が助けてくれる筈だとか、その為には日本もまた彼らの危機に駆けつけなければいけない筈なのにそれがどれくらい出来るのか向こうが訊いてくるけどあんまり首相達は答えたくないとか、共謀罪の適用からすると公安が動く筈だとか、どの省がイニシアチブを取るのだとか、……そういった、あいつがよく話題にあげてくるようなニュース達ともバイバイしていられた。
 掲示板やはてなブログやツイッターを徘徊する趣味があいつにはあるらしく、「共謀罪があった筈なのに守れなかった、大体あんなのがあるからいけないんだ、だって……、こっわぁ」とか「集団的自衛権は必要無かった、だって」とか「九条改正を迫るっ! 護憲は最早敵だ、なんて言ってる、うわぁ……」とかいう言葉を聞かないでいられた。
 陰謀論を流すツイテロ部隊や、世紀末的な世の中で勢力を伸ばしつつある武装カルト宗団とか、麻薬の取引のルートがどうとかや人身売買の交渉だとか、そういったあいつの話題から距離を置いていられたのだ。
 いつも僕の傍には護衛兵を置けと言われているけれども、そんな命令じみた要求、守らなかった。
 暫くゆくと、林が広がっていた。……大麻やクズではなく、本当の林、樹木の枝の影達が網を編んでおり、隙間から燦と日が漏れていた。
 無限に折り重なる陰影を過ぎ、少しばかり冷えた空気の中を通ると竹林が見えた。
 ……それは林を圧倒しつつあった。

 人工的に植えられた竹だった。

――実験的に、孟宗竹が植えてあったのだった
 車を停めて、暫く歩いた。
 パンダの着ぐるみが捨ててあった。……どういう訳か知らないけど、パンダグッズばかりが捨ててある場があるのだ。
 孟宗竹やクズといった植物は文明を破壊する可能性のある生物なのだそうで、増殖の勢いが凄まじく、ともするとそれだけで東京を破壊出来たかも知れない代物であるそうだが、恐らくは誇張であろう。
 しかし、それだというのに、如何にもこの地上全体を覆わんとするばかりに茂っている様は、成る程と思わされるものでもあったかも知れない。
 誰がしたのだろう、地面に木の棒や金属の板を刺し、それらに風鈴を括りつけるなんてことを……。
 割れているものもあったが、それら硝子細工は冷ややかな音を立てるのだった。
――暫く風鈴の林を歩いていった
 それは大分長く続いていた。
  かつての町や子供らの声をそれらはどこか彷彿とさせるようでもあったのだ。
 甲高い音……。

 そうして歩いていると、iPodの曲が一周した。それをポケットに仕舞い、また別のiPodを取り出し、イヤホンを挿し込み、音楽を聞くことにした。直、海が見えることになる。
 やがて、松の臭いが漂ってきた。
 iPod音量を下げると、波の音がした。
――樹木の陰の切れ間から、光が差していた
 大海が白い波の手を立てて、そちらへ誘うように振っている。……波々、まるで子供達が笑いながら手を振っているようだった。笑いながら子供達が一様に並びながら、こちらに手を振る……、それを監督するように見る教員が振り返りながら、媚びを売るように笑んで見せている、自分の身を守るものがそれしかないといったような、権力者に諂うような笑み、――権力者に媚び諂う者はまた、自身も権力を振るおうとする、権力を志向する、自身の頭の中の権力を恐れ、また愛好して止まないのだ、……まるで勢力を拡大しつつあるカルト組織のように――そういう仕草からして本当に子供達が笑顔を見せているのかどうかは疑わしい。
 日傘を差し、光を遮断しながら進んだ。浜が熱くなっていたことが靴越しからでもよく分かった。

「”文明の関与しない直接的で絶対的な関係を海と持ちたかった”、だろう?」
振り返ると、あいつがいた。
――暫く見ていると、それは日に溶けて消えていった
 残虐な処刑を行い、女性や男性を性的に拷問しているからだろうか、それを見せるとか脅してくることもあるからだろうか、銃を弾けさせるからだろうか、食事の与えられない人間を見せるからだろうか、荒廃した町には独自にコミューンが形成されそこでは奴隷制が復活しているなんて言って写真を見せてきたからだろうか、……フラッシュバック? 偶にあいつの姿が立ち上がることがあった。声が、聞こえることがあった。
 あまりにも僕に対してがなり立てるからだろうか?
 脅迫するからなんだろうか?
 血に濡れてもそれを気にする素振りなんて見せないで語っているからなんだろうか?
 僕には、あいつが好きになれなかった。

――ニーチェだよ……
 と声が聞こえた気がした。
 ニーチェにとっては海は自己の投影なんだ。それに、彼は色々面白いことを言っているよ。
 いつか言った言葉が、幻想のように立ち上がる……、それ自体、実体を伴うのかであるように。

 それから、林の中に退避して、日の当らない中で、日傘を差しながら海を見ていた。
 音楽は掌の中に……。
 潮香が鼻をくすぐっていた。

――詰まりは、何が言いたいんだろう?

 ラーメン――、ちゃんとしたやつ、を食べることも出来たし、天蓋付きのふかふかのベッドで眠ることも出来た。
 歯を磨き、風呂に入ることも出来、湯船に浸かることも出来、食事にも衣服にも睡眠にも困ることは無かった、……それから、水にも。
 あの、林から帰還する最中、樹木の陰が、人が踊っているように見えたのは偶然ではない、……もしくは何か、恐れているのだろうか?
 光を跳ね返す、僕の車が見えたときには、何か、呼び声をそれが発しているように思えもしたのだった。
 素晴らしく疾い速度でそれはアジトへと自動的に走ってくれたのだった。
――とても快適な乗り心地
 あれから、チョコパンを食べ、グレープフルーツを食べ、それから乾肉を摘まみ、ジュースを飲んで、歯を磨いて、ベッドに入った。
――僕の部屋には本棚があり、その中の一冊を手に取って読んでいた
 情報を得ることも出来、日本の中のあらゆるコミューンの情報が手に入った。情勢について知ることも出来、……彼らの作戦についても知っていた。
 日本がどういう手を打っているのか、どれほど悲惨な地方があるのかも。
 そうして悲惨ではない、ツイッターもラインも建物も食糧もある地方があるのかも。
 僕には様々な権限が与えられていたし、そのどれを行使するのか迷うくらいなものだった。けれども、何故そんなことを彼がするのか分からなかった。
 何故……?
  ただ、テロ組織から逃れることが僕には出来ないのだった。

 また一つ町を破壊したとかあいつは嬉しそうに語るけれども、そんなことで、僕が喜ぶとでも思っているのだろうか……?

 日米安保条約に関する会議が進んでいったよ、今回は些か勇み足が過ぎたみたいだとか、そういったことを、僕に言うと、彼は嬉しそうにしているのが、仮面越しにも、分かるのだった。
 機動隊が動いたよ、臭いだけでも動くもんだなぁ……、陽動されているって線は考えないのかね、とか、ミサイルを撃たせてもいい、無駄弾を撃たせればいずれ予算が切れるとか、日本でクーデターが起こる関係で隣国では特需が発生しているとツイッター越しに広めたら不満が高まったとか、そんな話を……、してきても、面白いと思えるのか?
 好きではないものは、好きではない。
 あいつが面白い話をしても、僕の好きなものを出しきても、それらすべてが好きになれそうにない。

 どうしてだろう?

 アニメも見れる、ゲームも用意されている、漫画もラノベも沢山ある、だというのに……。
 そういったものだけで、僕の気を惹こうとしている……?

 部屋の電気を僕が点けたまま、本を読んでいるのか、もしくは読まないで広げたままにしているかすると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
 それはメイドで、彼女によって運ばれてきた盆の上には夕張メロンとマンゴーが載せられているのだった。
 どうやって輸入しているんだろう?
 ある意味で監視されているのだけれども、……大人しく、僕は食べておくことにした。
 実に柔らかい食感だった。スプーンを立てただけで、ほぐれるような身のメロンだった。そのまま掬うと、透き通るような果肉から、甘く、果汁が滴った。種があったことなんて微塵も感じさせない様子だった。
 マンゴーも多分、完熟マンゴーか何かだったんだろう……、美味しくない訳ではなかったけれども、この果物はあまり好きになれなかったので、別のものに代えて貰った。
 ケーキがやってきた。
 ……そうして、それは確かに、僕の食べたいと思っているような味だったのだ。
 眉を顰めるようにしている僕を、優しげな顔をしたメイドさんが覗き込むようにして見ていた。
 そう言えば、荒廃以前に、どこかで見たことがあるような……。

 暫くプログラミングをしてから、歯を磨き、また眠ることに僕はしたのだった。