『この期に及んで』ワンライ小説
合鍵を机に置かれた時の、あの、硬くて短い音よりも、
「内側から鍵を閉めなきゃだめだよ」
と、この期に及んで私を子ども扱いした彼がすっかり出て行ったこのワンルームに、言われたとおりに自分で鍵をかけた時の音の方がずっと、ずっと、頭に響いて離れなかった。
私を閉じ込めたこの部屋で、何をしていいか分からず、でも何かしなければいけないと信じ込んで、電気ケトルに水を注いだ。持つ左手が辛くなるほどの量になってから、これは一人で消費できない、と気づき、力を失い、シンクにケトルを打ち付ける。ガン、と鳴った音で、気を取り直したような演技をして、ケトルを持ち上げる。水が減って、軽く持てる重さになっており、良かった良かった、と微笑んだりもしてみる。プレートの上にセットして、ボタンを押した。
電気ケトルは大袈裟な音を立てて、一生懸命にお湯を沸かし出した。ごごごご、ごごごご。その必死な様子に、私はなんだか可笑しくなってしまい、あははははは、と天井を見上げて笑った。笑いすぎて、涙が出てきた。天井にシミを見つけて、「なんでそんなところにシミがあるのよ」と声を出したらもっと涙が出てきた。私の泣き声に対抗するように、電気ケトルのお湯づくりは佳境に入る。ごごごご、わははは、うわーん、ごごごご。
……かちゃん。と音がして、電気ケトルは静かになって、私を他人のように跳ね除けた。
全く似ていないはずなのに、私は、さっき自分が鍵をかけた時のあの音が再び鳴ったのだと思って、ひゅっと涙を引っ込めた。
また、静寂がおとづれてしまった。物が少し減った部屋。人が半分になった部屋。私の脳内の声が、聴こえてしまうほどの静けさ。
「嫌だ」
そう言ってみると、自分がひどく幼く思えて、彼が私を子ども扱いする気持ちが理解できてしまう。
彼は、でも、年下だった。なのに私は、年下にしてあげられなかったのだ。子ども扱いしないでと、子どものように言うばかりで。
「ごめんね」
何に対して謝っているの? と、彼の声が再生される。俯くと、外から雨音が聞こえた。彼は傘を持っていなかった、と立ち上がりかけたが、この期に及んで、と思って、やめた。
了
このお話は3月に行われたTwitter企画 # 春の創作ワンライ に寄稿したものです。お題は「鍵をかける」でした。