忘れた異物感

 小銭で財布を膨らませるのが何となく嫌で、レジ横に募金箱があれば釣銭を全投入してしまう。それは特別不思議なことではないし、そういう人間も一定数はいると言える部類だろう。ただ少しばかり、私の生き方にはそぐわぬ癖だった。

「マナカって最近よく募金してるね」

「いや、前からこうだって」

「そっか…?でもさ、これってどこにお金が使われるんだろうね。せっかくだから、ちょっと気にならない?」

(確かにそうだ、いつからこうしているんだろう。それに、どうして今まで無意識にやっていたのか。)


***

 休日の昼下がり、今日は近所に最近できたフィリピンカレーレストランに2人で来た。様々なスパイスの混ざり合った香りを店先でも感じられて、こうでなきゃと静かにテンションが上がる。鼻孔をくすぐるその香りに、味の方も期待しながら2人でそれぞれメニューを選んでオーダーした。私はバターカレー、ユウキはチキンカレー。無難すぎる選択だったと、お互いに笑いあった。

「家の近くにこういう店なかったから、ありがたいね。たまにナンカレー食べたくなるもん」懸命にナンをちぎりながら、ユウキは言った。手に持ったナンでカレーを掬って口の中に放り込むと、とても良い顔をする。

「私のナンも食べて、ちょっと多いの」と、自分の分のナンに目を落とす。ちょっとどころか、半分も食べきれないくらいのナンがどかりとバスケットに鎮座している。いつもこの手の店では、腹八分では済まされない。

「ヤッタ!そしたら、カレーもちょうだい」

「いいよ。好きに持ってって」

こうして無事に食べ終わると、舌を食後のドリンクで休ませながら雑談をしていた。一般的日本人の舌には少し辛いカレーで、舌が痺れてしまった。ユウキなんて、食事中に何度もスタッフを呼んで水のお代わりをしていたものだ。

「ユウキには誤解されたくないから言っておくと、前の男がね最近、連絡を寄越してくるの」

「へぇ…?」まさに困惑している、といったような顔だ。しかし後々に変なわだかまりを作りたくないから、伝えておきたい。微妙な話題ではあるが、キチンと筋を通しておきたかった。

「…俺にそのことを伝える必要ある?」

「後になって、やり取りしてたことをユウキが知ったらもやもやするでしょ?ちゃんと言っておきたかったの」

「おう…。そうかもぉ…?うん」

「話すっていうか、一方的にチャットを送ってくるんだけどね。私の私物がまだ家にあったとかナントカで、会って返したいとか言ってんの。私はまた会う気もないし、適当に処分しておいてって言った、それだけ」

「そっかそっか。あんまそういう話は聞きたくないから、そこまでにして?」

「はいはい、ここまでね。もうお会計行こう」

今は目の前のユウキのことで毎日が彩られていた。これ以上、縁の切れた人間のことなど想い返す必要もないと私も思った…。


***


 しかし、今ふと記憶が蘇って、雷に打たれたように立ちすくむ。ああ、あれも休日のデートの時だった。場所は確か、隣の区のあの自然公園。むせ返るほどの草いきれ。私もアイツもお互いに初々しかった時だ。

ソフトクリームを二つ分、アイツが買った。そして二人で食べながら歩いていると、熱い日差しに負けじとばかりに声を上げる青年が、何らかの募金を訴えかけていた。駅前でこういうのってよく見るなとぼんやり思っていたところ、出し抜けにアイツが片手で弄んでいた先ほどの釣銭を募金箱に入れた。

 意外な一面に思わず頬が緩んだが、どうやらソフトクリームで手が塞がっていたために、釣銭をしまうのが億劫だっただけらしい。ため息が出そうになった。そんな風に、出費のたびに釣銭の小銭を募金していたと思う。そして、無意識のうちに私も…。

「ねえ、どうしたの。立ち止まっちゃって?」

「待って」と、店外に進みかけた足をターンさせて、レジ前に戻る。先程の募金箱を確認する。どうやら、世界の恵まれない子供たちのために支援活動をしている国連機関のものらしい!

「め…恵ま…世界の恵まれない子供たちのために支援活動をしている国連機関のものよ!」これなら大丈夫だろう、とばかりに過去の自分と必死に張り合った。「なんとなく」ではなく自分の意志で募金したのだ、と。それはまるで、自分自身に言い聞かせているみたいだった。