コロナをキッカケに引きこもりになった

※この記事はコロナウィルスの状況を正確に表しているものではなく、僕の主観的なものです

2020年9月15日現在、コロナウィルスの陽性者数も日に日に落ちてゆき、第二波の収束も見据えられつつあるんだろうと思う。

僕は、神奈川で自粛を経て、通っていた大学院が今季いっぱいキャンパス閉鎖が決まりオンライン授業となったので8月初旬に滋賀県の実家に引っ越し、それからは電車も一度も使わず、ほとんど毎日家で過ごした。

コロナへの対策として「不要不急の外出は避けよう」と謳っていた。

僕は、幸運にも無理に働きに出なくても実家にこもっていれば生きていけるし、なんなら僕にとって外出は全て不要不急だ。

でも、いつの間にかGoToキャンペーンが出てきて、マスクや消毒等、ソーシャルディスタンス等の対策をしながら外に出て経済を回す潮流になってきた。

半年間「不要不急の外出」は控えるのが良いと思ってきたのに、今は対策をしながらほとんど従来通り過ごすのが多数派になっているように思う。
友人のインスタグラムには、外で楽しそうに遊んでいるもの、飲みに行ってるもの、美術館に行ってるものなどで溢れている。

少しずつ自粛から「ウィズコロナ」なる「新しい日常」に変わっていくように、というのが周りの流れなんだなと感じている。でも不要不急の外出をせず家にこもって、人と会わないというのが普通、となってしまった僕には、周りの変遷が早すぎて軽くショックを受けていた。全く悪いことではないけど、自分がアホらしくなってしまうので友人の楽しそうな投稿を見るのが辛くなった。そしてそんな自分が嫌になった。

僕自身もずっと家にいられるし、母もずっと家にいられる。(買い物には行くが)そんな家にずっといて、気がついたら周りは「お前気にしすぎ」というムードになっている。ムードというか、実際に何回も友人に言われた。ああ、生真面目に外出を控えてきたのに、今度は「ウィズコロナ」なる新しい潮流に乗り遅れたんだと痛感した。

気付いたはいいが、みんなのOKのレベルが僕の何歩も先に行ってて、同じように振る舞えないな、という問題に当たった。「居酒屋に飲みに行こうぜ」はまだまだ抵抗がある。知らない間にみんなの当たり前に乗っかれなかった感じ。

本人、もしくは同居人が通勤や通学する必要がある場合には、多数派の当たり前に触れる機会が多いからその流れを敏感に察知できるんだと思う。ほぼ完全に引きこもることができてしまった人は、もしかしたら同じようなショックを受けているかもしれない。

社会のため(もちろん自分のためでもあるが)と思って引きこもってて、社会の当たり前の移り変わりについていけなくなって、自分と社会の当たり前のギャップがどんどん開いていって、気がついたら完全に引きこもりになってしまう。そう思うと一気に怖くなってきた。多数派に合わせるために自分の違和感を押し殺して同調していくのが良いのだろうか。ああ、こうやって社会弱者は生まれるんだろうか。

ここ最近、やっと手探りで自分の心地よい距離感を測りはじめることができた。毎週1回、地元の友達と3人でバスケをするようになった。まだ電車に乗るのはなんとなくちょっと嫌だし、居酒屋は行きたいと思わない。

「ウィズコロナ」の「新しい日常」という多数派の共通認識と、小刻みに変わり続ける当たり前の変遷に乗っかるのではなく、僕にとっての「これからの日常」と「共通認識とのギャップとの付き合い方」を見つけたいな。

走り書き。