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エチオピアのおもてなし

今回はエチオピアの小農園を訪問したときの経験をポストします(約4000文字)。

現地の日常生活の中で、ごく当たり前にコーヒーが楽しまれている風景と共に文章にしていきます。

また、農園を訪問したときには、コーヒーセレモニーでもてなして頂いたので、そちらも写真と共に文章にしています。


「訪問農園との出会い」


エチオピアのコーヒーの大多数は、小規模の農家にて生産されています。

私はイルガチェフェに到着した後、宿を探しながら街を歩きまわり、コーヒー産業に関係のある人を探し、紹介を受けることで今回の訪問にこぎつけました。

訪問したコーヒー農家はイルガチェフェからバイクで30分くらいのところにありました。

私のような外国人が珍しいのか道すがら子供たちが無邪気に追いかけてきます。

私が訪問したのは0.8Haほどの農園を持っている農家でした。

中米で見てきた大きな資本が入っている農園では、区画分けや整備が行われていましたが、こちらの農園は家の近くのうっそうとしたジャングルの中に、コーヒーの木が点々と植わっているような状態でした。

ガーデンコーヒーという呼称がぴったりです。

ちなみにエチオピアでは栽培方法によって主に三つ呼び方があります。

ガーデンコーヒー:ガーデンコーヒーは農家やその周辺に植えられたコーヒーから収穫されるコーヒー、肥料や日よけの木の管理を農家が行います。

フォレストコーヒー:エチオピアの南西部で見られる方法で、自生した木からコーヒー収穫される。コーヒーは様々な樹木と一緒に生えており、管理されたコーヒー農園に比べると収穫量は低くなります。

プランテーションコーヒー:大規模に栽培されたコーヒー、肥料や、品種管理をおこなうため収穫量も多くなります。私が訪問した産地ではプランテーションコーヒーの生産を見ることはありませんでした。

私は1月に訪問しましたが、すでに収穫期は終わっていたためよりジャングル感が感じられます。

でも、ちらほらとコーヒーの花が咲き、香りをかぐとジャスミンのような甘やかな芳香を感じることができます。

こちらの農園では、アフリカンベッドを用いてチェリーを乾燥させて農協に出荷しているということでした。

お家の敷地内にはナーサリー(育苗施設)があり、農園で育てるコーヒーの苗を育てています。

「コーヒーセレモニー」

エチオピアはコーヒーを飲む習慣が古くから一般に広まっている稀有な国です。

中米のコーヒー産地訪問した際、もちろんコーヒーを飲む光景は見られましたが、それは一度欧米の文化の影響を受けたステータス性のある飲み物としての地位でした。

一般家庭で日常的にコーヒーを消費する文化が、現地に根差している印象は受けませんでした。

ところが、エチオピアではコーヒーの生産国では珍しく、日常的にコーヒーを消費する文化を古くから持っています。

街中には、コーヒーの生豆を販売する商店が多く立ち並び、どこの地域のものかによっても値段が変わってくる、日常に溶け込んだ嗜好品としての地位を確立しています。

彼らはコーヒーのことを「ブンナ」と呼び、バスターミナルや市場など、人が集まる街中では一杯20円くらいで楽しめる露天のコーヒー屋が軒を広げています。

お店によって焙煎度合いや、味は異なり、エチオピア独特の驚くほど華やかな香りが楽しめるコーヒーもありました。

濃く煮出したコーヒーに砂糖を入れて飲みながら、プレーンな揚げパンを食べるのが、エチオピアの方の日常的な朝ごはん。

私も滞在中、何度もお世話になりました。甘いコーヒーと揚げパンの組み合わせは、ドーナツとコーヒーの組み合わせと通ずるところがあります。

そしてそんなコーヒーの文化は、路面での販売に限らず客人をもてなす際にも、垣間見えます。

エチオピアでは客人をもてなす際にコーヒーセレモニーという、コーヒーを淹れる一連の作法があります。

アムハラ語で、カリオモンと呼び、カリとはコーヒーノキの葉オモンは一緒にという意味があります。

カリオモンは、嫁入り前に身に着ける作法として、エチオピアの文化に深く根差しているそうです。

コーヒー豆を焙煎するところからスタートし、コーヒーを3杯抽出し、客人にふるまってくれます。今回農園に訪問した際もお母さんが火を焚き、中華鍋のようなフライパンでコーヒーを煎ってくれるところからスタートしました。

コーヒーの焙煎が仕上がってくるとコーヒーを臼で粉砕します。

今度はジャバナと呼ばれるポットを火にかけます、長男君も火をおこすのに大活躍。

出来上がったコーヒーは三度提供され、世間話をしながら、パンと一緒にコーヒーを楽しみます。

そんな中でコーヒーに関する様々な話題を教えてもらうことができました。例えば農園の中にあるナーサリー(苗床)は、周りの農家さんから収量の多い木を分け合てもらって育苗していること。

地域の人と協力しながらコーヒーを効率的に栽培するための知識や技術を取り入れようとしていること。

なんと言っても、収入が少なく今後の生活に対する不安を抱えながらの農園運営。

そしてその原因となっているのが、エチオピアの所々で耳にした「政府はCollapse(崩壊)している」という声でした。

大統領は素晴らしい人物という評価がされている一方、そこから少し離れた田舎だとまだまだ統制が取れていない現状のようです。

そんな中で、海外の投資家がイルガチェフェの農園を、買収する動きが最近見られてきているそうです。

「海外からの投資」

エチオピアではアジア人を見かけると、チナ(china)と声をかけてきます。私も現地にいるときには何度もチナと呼びかけられました。

彼らにとって中国人は現地を搾取するためにエチオピアに来ており、侮蔑の意を少なからず含みつつチナと呼び掛けているそうです。

中国はアフリカのインフラ開発に相当な支援を行っています。慈善的な意味ではなく自国の製造業の製品輸出先、鉄鉱石などの原料の輸入元としての役割をアフリカに期待しているためです。https://www.ide.go.jp/Japanese/Data/Africa_file/Manualreport/cia01.html

エチオピアも例に漏れず、中国からのインフラ開発の援助を受けていました。私が現地で直接的に感じたのは交通網の拡充です。

エチオピアは日本の約三倍の国土を有しています。国内の移動は飛行機を使うのが一般的。

とはいえそうそう気軽に使える移動手段ではなく、現地の方は私が使ったようなローカルなバスに乗って移動します。

バスは定員なんてお構いなしに乗せられるだけの人をぎゅうぎゅうに押し込めて走ります。さらに都市圏を出るとすぐに凸凹道を通らなければならず、移動の後は体中が筋肉痛です。

写真はエチオピアの中を移動している際に私の乗っているバスがパンクしてしまったところ。

また移動している最中には路肩に突撃!してしまったバスが散見されます。そんな状況なので輸送網の拡充は、国富の最優先事項としてとらえられています。

その現場には中国からの「人的」「金銭的」支援が大きく貢献しており、今回イルガチェフェに行く際も何度も中国語の表記がされた機材や、中国の方らしき人の姿を見かけました。

そしてその修繕がなければモノや人の輸送が成り立たないであろう現場も見てきました。

農家の方は生活が便利になる状況を喜ぶ一方、憂えている側面もあり、イルガチェフェのコーヒー産業にとっても影響が出始めているとのことでした。

中国からの投資は国同士でのやり取りだけでなく、イルガチェフェの土地に対する個人の投資にも及んでいるそうです。

それが直接的な影響を与えているのかはわかりませんが、日本で良いグレードのイルガチェフェ豆を探しても、なかなか価格と品質の折り合いのつくものを見つけるのは難しくなっています。

品質の高いコーヒーの生産を守ってきてくれた生産者が報われるような消費をしていきたいと感じます。

「農園での生活」


農園には電気、ガス、水道も通っておらず、当然コーヒーセレモニーも種火から火をおこすところからのスタートでした。

でも、時間に追われることなく、家族や客人のために火をおこしたり、料理したり、農園の様子を見に行ったり。

家族が寄り添って支えあいながら仲良く暮らしている姿や、隣人と近況について話をしたり、自慢のコーヒーをふるまったりして過ごす日々は、都会で暮らす人々のような刺激は少ないかもしれませんが、私の目には幸せな生活の原風景があるように感じられました。

そんな懐かしさを感じる風景の一方で子供も、薪を運んだり、水くみをしたりすることに一日の多くの時間を割かれます。

インフラが整っていないがために、教育よりも生活の維持に時間が使われてしまう現状は、将来の可能性を狭めてしまっているのではと感じました。

私には大きな力はありませんが、彼らが家族との時間を大切にしながら、可能性の芽を摘まないための支援をしていく仕組みの構築が必要であると感じます。

イルガチェフェ訪問をした後はいったんアディスアベバに戻り、コーヒーの起源といわれるジンマやボンガへの訪問です。

その時の記事もまた更新していきたいと思います。

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