_カナリアの子ども

カナリアの子供(2)契約

指定されていた”帰るべき”家は、小さな平屋だった。
閑静な住宅地の中にあるけれど、駐車場や小さな公園、緑地に囲まれていて、隣家まで少し距離がある。
鍵の開け方も覚束なくて、家に入るのまで人形に手伝ってもらってしまった。本当に自分は何もできないのだと、カラスは自分でもよくわかっている。

ポーン。「とてもシンプルなお部屋ですね。引っ越してきたにしては荷物が少ないというか……荷物の到着が遅れてしまっているようですね」

心配して部屋の中までついてきてくれた銀色人形が言った。

「いいえ、荷物はこれで全てです。必要なものは全て支給されています」

銀色人形は、支給、という言葉について考えているようだった。

ポーン。「これは必要十分ではなく、最低限必要なもの、というレベルの荷物量に思われます。このままで生活していくのは、さすがに寂しいのではないですか」

そうだメガネ、と思い出して、これも支給品の肩掛けカバンから取り出す。縁のない簡素なデザインのメガネを、こわごわと身につける。世界の輪郭がはっきりして、人形の姿形も明確に認識することができた。部屋の明かりの下では発光は確認できない。

「7日程度分の食糧と飲料も支給されています。その先は自分で調達することが必要ですが、取り急ぎの不都合はありません」

結んだ輪郭に脅威は感じなかった。それはやはり、目の前の彼が人形だからだろうか。

ポーン。「あの、あなたは、どこかからここへ越してきたのではないのですか? 私はもっと、何かあなたをお手伝いすべきという気がしてきました」

僕に手伝いが必要だなんて、どうしてそんなことがわかるのだろう。カラスには単純に不思議だった。

「わかりません。僕には何か、手伝いを申し出るべき不出来があるのでしょうか。勝手がわからないので、不足について自分でも認識できていません」ポーン。「私もまだ、この状況への理解が不足しています。これはいまどういう状況なのか、聞いてもいいですか?」

数日前に聞いた弁護士の声が浮かんだ。
「****氏の名前、彼の家族のこと、そこでの生活についての一切を他者にもらすことは慎み、今度自分たちに接近することのないようにと、****氏から言伝を受けています。ご了承いただけますか?」

(言伝。言いつけ、ということだ)
パパや家の人の言いつけは守らなければならない。
それは呼吸をすることよりも簡単に身についていたルールだったから、弁護士からそれを言われたとき、カラスはもちろん頷いた。
そのときのやりとりは契約となって、今は有形無形にカラスを縛っている。(でも、この人は、人間ではない)
人形は”他者”には含まれないのではないかと思った。”者”ではないから。

「他言無用と言われています。しかし僕は、人形のあなたを他者としてくくるべきなのかどうかがわかりません」
ポーン。「私たちは人間として換算されません。もし不安だったら、あなたは私に守秘義務を課すこともできますよ。そうしますか?」
「はい、お願いします」
ポーン。「了解しました。対象の如何に寄らず、これから耳にする情報への守秘義務を厳守します。ただしこのルールは、私の沈黙が公共の良俗・福祉に反しないことを前提に適用されます。それらに反すると認識される事態が起きた場合は、あなたの許可を速やかに得たのち、適正な機関へと報告させていただく場合があります」
「わかりました、ありがとうございます」

さてどこから話せばいいのだろうと、少しだけ迷った。知らせるべきは現状なのだから、おそらく、あの2週間前の昼からのことでよいだろう。
生まれ育った場所から排出され、”保護”され、行き場を失ってしまった日のこと。
出来事をただなぞって話すのは不得意ではない。

「僕は無登録児でした。無登録児、というのはわかりますか?」
ポーン。「情報はあります。出生届の提出時に得られるはずの個人識別ナンバーの付与がなく、そのまま……学校などにも行かずに育って、つまり、存在が社会的に認識されていない人のことですね。カラスさん、あなたもそうなのですか?」
「そうでした。2週間ほど前に”保護”され、その際に名前や出生日などの情報が与えられました」
ポーン。「どんな環境からの保護だったんですか? カラスさんはこれまで、どのような生活を……?」
「僕は、ある家の人たちに育てられていました。その人たちは、もとは僕の母を所持していました」
ポーン。「”所持”は、人に使う言葉ではありません」
「母も無登録のまま生きていたそうです。だから、人ではありませんでした。僕を産んですぐ亡くなったそうです。いるはずのない人間から生まれた僕は生まれるはずのない人間で、存在しない人間です。それで僕もまた無登録のまま生活していました」
ポーン。「あなたたちのような人間の扱いに関し、最近は国際的にも感心が高まっていますね」
「はい。だからパパ……僕を飼育していた家の人たちも、僕を保護させることにした、んだと思います。社会的関心が高まって、捜査が本格的に行われたら、よくないことになるから」
ポーン。「”飼育”も、人に向けて使う言葉ではないですね」
「でも、僕も人間ではない……なかったから」
ポーン。「人はその出自、社会的バックボーンによりその人間性を制限される存在ではありません」

銀色の人形の言葉はときどき難しくて、カラスにはよくわからない。

ポーン。「カラスさんはさっき、家の人のことをパパと呼びました。一緒に暮らしていた方々は、家族ではなかったのでしょうか」
「”家族同様に育てられた”と思っています。あの家の人たちは、ペットのことも家族と呼んでいました。僕はカラス。母はカナリアと呼ばれていたそうです」

銀色の人形は大体の事情を察したようだった。

ポーン。「それは、さぞお辛い経験だったのでしょうね」
「わかりません。あの家ではたしかに、いろいろな……ことがありましたが、……」

うまく言葉が出てこない。急かされることもないから、カラスはゆっくりと言葉を選ぶ。

「あそこは僕の家で、僕は、あそこで生きるものだと思っていたんです。あの中以外の場所を僕は知らないんです。何も……だからあの場所以外では、どうやって……どうすればいいのかわからなくて……それで……僕は……」

それでカラスは、“保護”されていた場所を出た後、“家”に向かったのだ。使い方を教わったばかりのデバイスと、なけなしの記憶を頼りに。
”パパ”や家族、家自体に近づくことは禁止されていた。ただヒントが欲しかったのだ。遠くからでも一目見れば、自分がこの先どうすればいいのか、わかるようになるかもしれない。そう思った。

ポーン。「何か、得られるものはありましたか?」
「……ありませんでした。なにも。なくなっていました」
ポーン。「なくなって?」
「もう、家はありませんでした。更地になっていて。何も。……僕が保護機関にいたのはたった2週間だったのに、全部なくなってしまっていた」

唯一の世界との接点が断たれてしまえば、それだけでカラスはもう、歩くことさえできなくなってしまった。カラスの知る世界はその家にしかなく、それがカラスの全てだった。

「だから僕は、どうすればいいのか……なにも、わからなくなってしまって」

あのベンチまで、どうやって歩いたのかも覚えていない。
もともとほとんど失われていた思考力は溶けて消えて、もはや抜け殻だった。今も。
この銀色の人形に声をかけられることがなければ、あのベンチでそのまま息をとめていたかもしれない。
(いや、ダメだあの場所では……あんなところでこんなタイミングで……それじゃあパパたちに迷惑がかかる……消えるなら目立たないところで……もしくは僕とわからない形でないと……)

ポーン。
音がして、沈みそうになっていた思考が中断された。「状況を理解しました」と、銀色の人形が言った。

「あぁ、うん。えっと……」

カラスの理解は追いついていなかった。わからないままだった。”保護”されてからずっと。

ポーン。「あなたは、今からでも再度保護を求めるべきです。ご家族と再度暮らすことは望まないにせよ、国の保護機関に頼ることを選択肢に入れてみてはどうですか」
「無登録児に関する国の保護対象年齢は15歳までです。僕は先日、16歳になりました」
ポーン。「その年齢制限は、もっと幼いときに保護されたことを想定して作られているものだと思います。カラスくんの場合、保護された時すでに15歳だったのでしょう。そのようなケースなら、例外事例として認められる可能性が高いと思われます」
「そうかもしれません。でも僕はそれを望みません。……”家”に戻らないことも、国からの保護は受けないということも、”パパ”と約束をしています」
ポーン。「その契約は、カラスくんにとって守るべき優先順位の高いものですか?」
「守らずに生きることを想像できません」

人形が黙った。思考を巡らせているのだとわかったけれど、カラスは特段の期待をしてはいなかった。
どうしたって生きて、生活を続けていけるイメージがわかなかった。だったらやめればいい。それだけの話と気づいたのだ。
そう思ったら楽だった。
どこかに去って、どこかで消えよう。それでおしまい。それでいいのではないか?
(パパは、僕を、捨てたんだ)
これほど完全に切断し手離したということは、きっとパパだって僕がそうすることを想定していただろう。期待しているだろう。パパの期待には応えたい。そう思った。

ポーン。「それでは次案です」

まだあるのか。なんだろう。案など。

ポーン。「カラスさんには、私の購入をお勧めします」
「?」
ポーン。「日常生活に必要なことの全てを、私はあなたにお伝えすることができます。購入可能期間は最長1年なので、その点には留意してもらう必要がありますが」
「……?」

よくわからなかった。購入?

ポーン。「どうでしょうか。質問などありますか?」
「よくわかりません。意味がありません」
ポーン。「それはどのような意味の質問ですか? 意味がないというのはどういうことでしょう?」
「あなたを買う、意味がありません。日常生活継続の必要性を感じていません」
ポーン。「日常生活の必要性って、普通、その生活を送っている人には感じられることのないものなのだと思います。その点にこそ日常の価値があるとも言えます。そういった意味で『日常生活の必要性を感じない』というカラスくんの指摘は、とても正しいものです。しかし、だからカラスくんの言葉は質問になっていません。それはただ事実を言っているだけだからです」

ますますわからない。

ポーン。「カラスくんはいま、たぶん、すごく困っている状態です。何もできないから、何をできるようになればいいのかもわからないくらいに困っている」
「何かをできるようになる、ということに意味を見出せません。その必要性があるように思えません」
ポーン。「それで大丈夫ですよ。……私には、カラスくんのその不足を埋めてあげることはできません。でも、言い訳の提供ができます」
「言い訳? なんの言い訳でしょうか」
ポーン。「カラスくんが私を買って、1年間所持する言い訳です。……あのね、カラスくん。これは、私の願いなんです。私はあなたに購入されることを望んでいます」
「なぜ?」
ポーン。「耐用年限が近づいています。廃棄予定は1年後。購入契約の最長期限が1年なのは、そのような理由からです」

廃棄。廃棄?
それは人形にとっては、死ぬ、ということではなかったか。

ポーン。「これは私の、最期のお願いです。カラスくんは思慮深くて、乱暴でも横暴でもない。人間に尽くして働くことはどんな人形にとっても、それがどのようなものであっても喜びとなるように造られてはいますが、程度の差はあるんです。最期の1年をカラスくんのような穏やかな人の側で過ごせるなら、人形冥利につきる、と言えると思います」

(僕のために、ではなく、この人形のために……?)

「人間のために働くことが喜びとなるように造られている」とこの人形は言った。自分と同じだとカラスは思った。
要望され、それに応え叶えるために生かされてきた。そういう風につくられた。それ以外の生き方は知らないし、それ以外のために生きられるとも思えなかった。使用されなくなるということはカラスにとって、生きる価値の喪失だったのだ。
だから「使用されたい」と切実に願う人形の気持ちもわかるような気がした。

「あなたは僕を使って、僕にあなたを使わせたい……?」
ポーン。「その通りです、カラスくん」
「それで1年経ったら、僕はどうしたらいいのでしょうか」
ポーン。「わかりません。それは1年後のあなたが決めればいいことです」

(1年。1年だけ……)
それならどうにか耐えられるかもしれない、と思った。1年だけだ。そこまでもったら、それでおしまい。

ポーン。「どうでしょうか。どうか私をご購入いただけませんか?」

スクラップになる銀色人形を見守って、自分のスクラップはその後で。順番が決まっただけ。それだけの話だ。
それなら。

「わかりました。それではあなたを1年間、購入したいと思います」
ポーン。「ありがとうございます、カラスくん。これであと1年、最期まで、私は私でいられます。どうぞよろしくお願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」

銀色の人形が笑った。嬉しそうに、心底安心したように。
求められているのがわかったから、カラスも笑顔を作った。


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シリーズです。続きます。

お読みいただき、ありがとうございました!


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佐原チハル@趣味小説置き場
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