_カナリアの子ども

カナリアの子供(6)また明日

カラスの呼吸のペースが変わって、彼が寝付いたのだとわかった。
祭りの光景にも花火の迫力にも、カラスは随分と興奮していた。たくさん歩いたし、体も気持ちも疲れていただろう。
カラスは最近、朝まで眠れることが増えてきている。今日もこのまま眠っていられるかもしれない。そうだといいなと思う。

初めのころは随分と大変そうだった。特に初めてカラスと過ごした夜のことを、銀色人形は忘れることができない。
まだほんの数ヶ月前のことだ。

カラスと契約を結ぶことが決まった夜、銀色人形はさっそく紹介所へと足を運んだ。明朝まで待ってもよかったのだろうが、自分に残された時間がわずかであること、また契約を結んだ少年がどうにものっぴきならない状況にあるらしいことを思うと、少しでも早く正式な関係になれた方がよいと考えたのだ。

結果から言えば、銀色人形はこの時の判断をひどく後悔している。
紹介所で承認を得、真夜中すぎに帰宅した銀色人形が見たのは、明かりもつけず真っ暗な部屋の中に立つカラスの姿だった。
驚いた。
どういうつもりでそうしているのか、その思考が想像すらできなくて、そこはかとない恐怖のような心地すら感じた。
紹介所で友人から言われたことを思い出し、「もしかして本当に、自分にはあまりにも荷が重かったのではないか」と考えもした。

彼を刺激しないよう、焦る内心をできるだけ感じさせないようつとめて話しかけた。
この事態をいったいどうしたらよいのかと考えあぐねていたけれど、話しかけてみれば、彼がそうして立ち尽くしていた理由はすぐにわかった。
カラスは言ったのだ。「指示も許可もなかったので待機していました」と。

聞いた瞬間、銀色人形の中に生まれたのは、深い憐れみだった。
この子供はこれまで、本当に人間ではなかったのだ。人形である自分よりも、なお強固にコントロールされ、管理されてきたのだろう。
この子供の中には、大きなゴミが詰め込まれているのだと思った。
自分たちのような人形を苛み、やがて死に至らせるあれと同じ類の蝕みを生むゴミが、この子供の中にはパンパンに詰め込まれている。おそらく無理やりに飲み込まされてきたのだろうそれが、この少年の”人間らしさ”を千々に散らし、すみにおいやってしまっている。

それがわかったから、銀色人形は決めた。
彼の内側を埋める饐えたゴミを取り除き、蝕みを拭い、傷は補修しケアをして、彼が彼を取り戻すための手伝いをしようと。
できることはあくまで手伝いだけだ。
でも彼は人間で、だから自分のようには、可能性は潰えていない。
それにこんなにもパンパンに詰め込まれて、それでも今日まで息をしていられたのは、彼という入れ物が運良く頑丈であることの証かもしれない。
だからきっと大丈夫だ。
大丈夫だと、信じようと決めた。

そうして2人の生活が始まってからの、彼の変化は一歩ずつだ。確実に着実に重ねて、変化し続けてきた。
何歩も前に戻ってしまったように思われる夜もあった。
けれどどうにか踏みとどまって、彼は今、ゆっくりとした寝息を立てている。

このまだ成長しきってすらいない小さな身体に、どれだけの力を抱えているのだろうかと不思議に思う。尊敬とは、きっとこういう気持ちのことを言うのだろう。
銀色人形は、穏やかに眠るカラスの姿を見るのが好きだった。

(眠るって、どんな感じなんだろうな)
(夢って、どんなものなんだろう)

人形は眠らない。夢を見ることもない。
だから眠るカラスを見ても、彼がどのような心地でいるのか、実際のところは少しもわからないのだ。

(俺にもわかったらいいのに)

少しでもカラスをわかることができたら、とても嬉しいだろうと思う。

と、カラスがもぞり、身じろぎした。繋いだ手が離れて、しかし銀色人形に身が寄せられたような形だ。
それで壁とカラスとの間に、人ひとり寝転べそうなほどのスペースができた。

(……)

深く考えていたわけではなかった。
そこにスペースがあったから、ただなんとなく、身を横たえてみようと思っただけだ。

(……これは、どうしたらいいんだろう)

棒のように身体をまっすぐに硬直させてベッドに入る。でも、いやこうではないだろうと思い返して、少し体の力を抜いてみる。

(……)

それから思いついて、カラスに背を向けてみた。そのままそろりと近づいて、カラスと背中同士をくっつけてみる。

(……あったかいなぁ)

触れた背中も、ベッドも、布団も。
そこかしこにカラスの温もりがある。あたたかい。自分では決して生み出すことのできないものだから、とても興味深いと思う。それになんとなく心地もいい。

このまま眠れたらいいのに。きっと気持ちいいんだろうな。
カラスと一緒に、このまま。

「……」

そう考えた瞬間、銀色人形の胸を、大きな後悔のようなものが襲った。
あらためて思い出す、自分にはもう時間がないという事実。
この少年と一緒にいられる時間は、もうわずかしかないのだ。

(……どうして俺は)

どうして自分は人形なのだろう。
どうして、壊れるまで弄ぶような真似をされてきたんだろう。怒りや憎悪の発散に付き合わされなければならなかったのだろう。
笑いながら、蔑みながら、時には憐れみを快感に変えた感情を向けられながら、使われなければならなかったのだろう。
そんなこと全部、全部を、もししないですんでいたのなら。そういう用途として作られたのでさえなければ。

(俺はきっと、もっとこの子と一緒にいられた)

コントロールが困難に思われるような情動に襲われたのは一瞬のことで、銀色人形の心はすぐに凪いだ。
自分がそう時を待たず壊れるというのは避けようのない事実で、受け入れるしかない事項だ。どちらも最初からわかっていたこと。
ただ、静かな悲しみが残った。
もっと一緒にいたかったし、ずっと一緒にいたかった。

眠れないのはわかっていた。けれど銀色人形は目を閉じてみた。
少しでも、カラスと同じ心地を味わってみたくて。

……このまま一緒に隣で眠って、カラスの夢を見られたらいいのに。
きっといい夢が見られるだろうな。

眠れない人形は身を横たえて、夢は見られないから想像する。
今度は一緒に何をしようか。

カラスは海も山も見たことがない。だったら、海でも山でも一緒に行きたい。この夏は、やりたいことが盛りだくさんになりそうな予感がした。
いや、夏だけではない、と考え直す。
秋になったら紅葉を見に行こう。毎週のように見にいって、山が鮮やかに色を変えていく景色を一緒に観察できたらいい。
冬なら雪だ。埋もれるほどの雪も見に行きたいけれど、見知ったはずの街が白く色づいた景色だって、きっと新鮮で、きっと美しい。
秋だって冬だって、どうか一緒に。
また春がきて、俺が壊れてしまう日が来る前に。
その日までは一日でも長く。どうか、どうか。

あぁ、でもまずは明日だ。
明日は何をしようか。
早く起きられたらまた散歩に行こう。
いつかの朝は気持ちがよかった。夜の端っこに薄黄色の隙間ができて、それからその隙間は白に、ピンクに、橙になって広がって、空を薄青色の朝に変えていくのだ。
ゆっくり起きるならパンケーキを焼くのもいい。少し前に挑戦したときはキレイな丸型が作れなくて、カラスは悔しがっていた。リベンジの機会は歓迎されるはずだ。
成功すれば嬉しいし、失敗しても楽しいだろう。

(はやく朝が来ればいいな……)

眠れない人形は、目を閉じて想像していた。
終わるだなんて思わずに。
途切れるだなんて考えもせずに、ただ朝を待っていた。

はやく、はやく。

明日が来るのが楽しみだ。



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シリーズです。ここまでで一旦一区切りですが、続きます。

お読みいただき、ありがとうございました!

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佐原チハル@趣味小説置き場
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