
type4;女心の秋
※秋にまつわる短編連作マガジン『秋箱』の4編目です。
*********
アイツとの待ち合わせは、いつもイライラする。今日もまた遅刻らしい。寒くて、もう手が冷たくなってきている。
ふっと、煙草のにおいがした。いつも隣で感じている、アイツと同じにおいだ。ヒイラギとも同じにおい。
(……喫煙所で吸えよ)
姿の見えない匂いの主にイライラが増して、けれど声にも表情にも出さないようにして、ただ、心の中でつぶやいた。
通りの向こうに、店内完全禁煙で有名なコーヒーチェーンがある。甘いクリームをたっぷりのせた飲み物で有名な、いつもいいにおいのする、間接照明を多用している店だ。
もうすぐあたりは暗くなる。秋の夕暮れは、日が落ちるのが早いのだ。
煙草のにおい。あのコーヒーチェーン。秋。……日が落ちたら、ますますきっと、思い出す。
ヒイラギのこと。
「……」
アイツに一本メールを入れてから、私は店に向かって歩き始めた。
***
私がヒイラギと別れたのは梅雨の日だ。
けれど彼との別れを思い出す時に浮かんでくるのは、いつもあの秋の、夕暮れのキャンパスの風景だ。
私とつき合っていたとき、彼はまだタバコを吸っていなかった。
別れて、話をして。それからは、教室ですれ違うようなことがあってももう、私とヒイラギとが会話を交わすことはなかった。ただ、脇を通り過ぎる瞬間だとかに、アイツと……今の彼と同じにおいをさせていたから、ヒイラギもおんなじ煙草を吸い始めたんだとわかった。
なんでヒイラギが煙草吸い始めちゃったのかはわからないけれど、しかも、なんでアイツと同じ銘柄なのかもわからないけれど、そのせいで私は、アイツの煙草の匂いを感じるたびに、ヒイラギのことまで思い出すハメになってしまった。
そんなの、なんだか苦しくてたまらない。
悔しいな。
これが、ホレた弱みなのかな。
ヒイラギのことが好きだった。
大好きで、尊敬もしていた。
むしろヒイラギみたいな人間になりたいと、本気で思っていたくらいだ。
彼の隣で、彼と一緒に、同じ時間や景色を過ごすことが出来たら。
憧れてすら、いたと思う。そんな毎日。
ヒイラギが大好きだったのだ。だからあの年のバレンタインに、実は生まれて初めての告白をして、ヒイラギがそれを受け入れてくれたとき。
隠してたけど、ちょっと、泣きそうになったんだよ。
ヒイラギは、元々はアイツの友人だった。アイツ……今の彼氏とは、大学に入ってすぐのクラスで仲良くなった。
アイツのことも好きだった。大好きだった。最初から。
ただアイツへの「好き」は、当時私がヒイラギに想っていた「好き」とは違っていた。
ヒイラギへの特別な好きではなくて、もっともっと、ありふれたものだと思っていた。
少なくとも、当時は本当にそう思っていたのだ。
例えば。
ヒイラギの前では、私はオンナノコでいたかった。
キッチリと理詰めで考える自分も、ゆるく感情のままに動く自分も、どっちも本当の自分だけれど、ヒイラギの前では、ゆるい自分でいたかった。
日本酒だって焼酎だって好きだけれど、量を控えるようなことはしなかったけれど、でもヒイラギの前ではどんなに酔っぱらっても、気軽に下ネタを言うことはできなかった。
洋服だってそうだ。大学に入学した時は、やっぱり、ちょっと気合い入れたカッコをしていて。5月を過ぎて、私もみんなも、だんだん気持ちは緩んで来て、でも、ゆるんできた気合いがまたひきしまってしまったのは、ヒイラギがいたからだ。
もともと、だって私、スカートよりジャージの方が好きなんだよ。
細いとかちっちゃいとか言われているけど、細いのはだって、ずっと陸上で長距離走っていたからで。カワイイとかどうとかじゃなく、もっと、筋肉的な理由で。……でも、なんとなく、そんな部分を見せたくなかった。
アイツにヒイラギを紹介されて、一緒に遊ぶようになって。
人見知りだった私は、ヒトメボレなんて信じていなかったのに、彼が、ヒトメで気になって仕方なくなってしまった私は、彼と最初に出会った時にかぶっていたネコを、かぶり続けることしかできなくなっていたのだ。
だって、ネコをかぶった自分はたぶん、ヒイラギのタイプだったから。
ヒイラギは私の理想だった。
姿勢が綺麗。字も綺麗。大声は出さない。奇抜なファッションや奇抜な行動を好まない。酔っぱらうと、静かにいろいろ考えだすタイプ。
彼は、マジメだ。几帳面。つき合ってから、彼と並んでいて私は、車道側を歩いたことがない。
荷物を全部持ってくれるようなことはしなかったけれど、重い方を自然に選んでくれた。
2人でどこかに出かける時は、必ず、私の希望の場所に連れて行ってくれた。
アイツと違って遅刻もしない。
私が遅刻しても、あまり怒られることもなく、コーヒー1杯で許してくれた。
理想の彼氏。だったと思う。でも、だから私は思ってしまったのだ。
「たぶんヒイラギは、私のこと、そんなに好きじゃないんだろうな」と。
***
独りがけのソファ席に座って、季節外れだけど、店内があったかいから飲みたくなって頼んでしまったフラペチーノのクリームを混ぜながら、甘いものは嫌いだったはずのヒイラギが、でもここのフラペチーノだけは気に入っていたのを思い出した。
彼を好きになって、バカみたいに単純な私は、けっこう、影響を受けたんだけど。
私が彼に与えた影響なんて、たぶん、ここのフラペチーノを好きにさせた、それだけだと思う。
影響を与えたというか、気づかせただけ、だけど。
ヒイラギは、理想の彼氏だった。
どこまでいっても理想の彼氏で、ヒイラギにとっても私は、たぶん理想の彼女のままだった。
しつこく電話したりメールしたり、そういうのが好きじゃなかった。
「いつでも繋がってるね☆」みたいなのが、私にはムリで。
そういうのちょっと苦手なんだ、って言ったら「自分もだ」と言って、ヒイラギからはあまり、メールも電話も来なくなってしまった。
それで初めて私は少し、「いつでも繋がって」いたい感覚が、わかっちゃったりしたものだった。
ヒイラギは、あまり私に興味がないんだろうと思った。彼の理想的な姿が、少しずつ苦しくなっていった。
彼といるのは、でも、もちろん楽しかった。ヒイラギといるといつも、ドキドキした。
つき合いだして、1ヶ月経っても、マンネリ開始とか言われる3ヶ月が経っても。
いつまでも、ヒイラギは理想の彼氏で、私もいつまでも、ヒイラギの理想の彼女であろうとして。
もっと、ずっと一緒にいられたらいいのに。
そう思っていたけれど、でもそう感じていたのは、私の方だけだったみたい。
そう、マンネリ開始とか言われる3ヶ月が経っても、私はヒイラギに近づくことができなかった。
私が見ることができるのは、いつでも、「理想的な彼氏」の姿だけ。
ヒイラギも私には近づいて来なかった。
どうしても、「ヒイラギの理想的な彼女」であろう自分の姿しか、見せられなかった。
限界が来るのは、案外、早かった。
気づいたのは、アイツの……今の彼氏のヒトコトだった。
「ハナ、お前さ、なんかちょっと無理してない?」
「ヒイラギの前でお前、可愛いオンナノコすぎてちょっとキモチワルイんだけど」
笑いながら、でも、ちょっとだけ心配されて、部室で言われて。
だってアンタの前で可愛くしてもしょうがないじゃん! とか、私も笑って答えたけれど、本当はすごく緊張していた。
私は、無理をしてた。
そんな気はしていたけど、でも、気づきたくなかった。気づいてしまった。
気づいてしまったら、もう、おしまい。
梅雨の、降り続く雨をぼーっと眺めながら、「無理し続けるなんて無理」って、そう思った。
諦めたらそこで試合終了。
スラダンで監督も言ってた。本当だ。本当に。
諦めてしまったら、もう、がんばろうとは思えなかった。
がんばることもできないから、そんな気持ちを作ることさえできないから、だから「無理」は「無理」なんだ。
がんばることが「違う」ことなんだって、思えてしまったから。
ヒイラギのことが好きだった。
大好きだった。
私の片思いから始まって、私だけがずっと彼を好きで。
私の片思いのまま、まさか私からヒイラギに別れを告げることになるなんて思わなかった。
だから「どうして」って言われても、うまく言葉なんて、出てくる訳もなかった。
だって、もう無理なの。そうとしか言えなかった。
ヒイラギは優しい。几帳面で、気配りの出来るヤツだけ。
でも、鈍感なんだ。
私がどれだけヒイラギのことが好きだったか、たぶん、ヒイラギはわかっていない。
私のことを「好き」だって、言ってくれたけど、ヒイラギは鈍感だから、その「好き」が、ちょっと違うんだって、自分自身でも気づいていない。
ヒイラギが好きなのは私じゃない。
自分の「理想の彼女」の空気を読んでしまった、その枠にちょっとうまくはまれてしまったのが間違いだった。
理想の彼女のフリした私は、だってなんだかもう、私じゃない。だって、無理だから。
でも、全部全部。
悪いのは私だった。
ヒイラギの理想に、勝手になろうとした。作ってる自分じゃなくて、もっと本音で近づきたいって思ったのに、服も化粧も、ヒイラギの好きな枠にはまろうとしたのは、私だ。
そんな枠で見ないでって思いながら、どんどん、その枠を強く厚く固めていってしまったのは、私だ。
片思いでしかいられなかったのは、私のせい。
終わらない片思いを続けるなんて、私には無理だったのだ。
***
ヒイラギと別れて、しばらくは私も荒れていた。
少しして、大学は夏休みに入った。何回かサークルの飲み会があったけれど、ヒイラギは来なかった。バイトの夏期講習が忙しいみたいだ。
忙しいだけなのか、私の顔を見るのを避けていたのかはわからない。
私を避けてるかも、って、思ってしまうのは、私の方こそが、彼と会うのを避けたいと思ってしまっていたせいかもしれない。だって、やっぱり、気まずい。
そんな気持ちで参加した飲み会で、みんな酔っぱらって、私も、何杯目かの日本酒で酔いがまわっていて。
アイツが、隣にやってきた。
「……」
ヒイラギとつき合ってから、アイツの隣に並んで酔っぱらうこともなくなっていたから、ちょっと久しぶりの、懐かしい気持ちになったのを覚えている。
酒の席で、久しぶりにスエットみたいなパンツで、あぐらかいて座って。
「飲み過ぎだろ」とか言われながら、でも、小さくまた、乾杯して。
「ちょっとさ、無理だったよ」
笑いながらアイツに言った。
「すごい好きだったんだけど、無理だった。すごいすごい、好きだったんだけど」
言いながら泣きそうになったけど、そんな私を取り残して、なぜか、アイツの方が泣き出した。
なんでアンタが泣くのさ!
聞いたら、どうやら、自分のことを思い出してしまったらしい。
まさかのバレンタインデーに、彼女から「好き」の気持ちをもらうはずだった日にフラレたアイツ。そのことを思い出して、悲しくなってしまったらしい。
「……」
泣き上戸だったのか。知らなかった。
アイツのせいで、私はなんだか、涙がひっこんでしまった。
わかった、今日はアンタももう、もっと飲もう。そう言って、とっくりに残っていた日本酒を全部ついでやった。少しテーブルにこぼれた。
つがれたそれを一気に飲み干してから、アイツは言った。
「ヒイラギ、イイヤツだもんな」
うなずくしかできない。
アイツは続けた。
「でも、だからちょっと、さみしいんだよな。イイヤツすぎて」
これにも私は、うなずくしかできなかった。
そうかコイツなら、私の気持ち、ちょっとわかるのか。そう思った。
私たちは2人とも、ヒイラギのことが好きだ。
だから、イイヤツすぎるヒイラギの、イイヤツじゃないとことか、ダメなとことか、翻弄されてあわててるところとか、焦ってるところとか、なんかいろいろ取り繕えなくなって剥き出しになった本音とか、
そういうものが見たくて。知りたくて。近づきたくて。
ただちょっとそれは、難しかった。
自分たちのこの気持ちが、自分たちのワガママだってこともわかってる。
無理強いできることじゃないし、それを知ることができなくても、寂しい気持ちになっても、それでヒイラギから離れたいとも、好きでいられないわけでも、全然なくて。
でも。
たぶん私は、焦りすぎたのだ。焦って、失敗して、勝手に離れた。
それから私たちは、それぞれ2本ずつ、日本酒を頼んで、今までにないくらいに酔っぱらった。
他のみんなはほとんど帰ってしまっていて、もう終電もない時間になっていた。
それもわかっていて、閉店まで飲んだ。
店を出て。
コンビニでスポーツドリンクを買って、外の風にあたって、ちょっと頭は冷静に働くようになっていたけれど、それには気づかないフリをした。
二人で並んで歩く道では、盛り上がっていた居酒屋とは打って変わって、私たちは何も話さなかった。
駅前にとめていた自転車をとりについて行って、そのまま、そこから5分の彼の家にもついて行った。
それで朝まで、一緒にいた。
その夜、彼と初めて手をつないだ。
***
(……こんな時間から、何思い出してるんだろ、私)
いろいろ思い出してしまって、ちょっと、恥ずかしくなった。こんなコーヒーのお店で思い出すような内容ではなかった。
アイツと一晩過ごして、いやさすがにちょっとまずったかなーとも思った。
アイツと、ヒイラギと、私。いつも3人でいたのに、ヒイラギと別れて、それでアイツとやってしまって、もうさすがに3人バラバラだよな、って思っていたのだけれど。
朝、無言で帰ろうとしていた私に気づいて、アイツは私を引き止めた。
だから、話した。本音で話した。
正直、アイツにはその時、恋愛感情なんて私は全く感じていなくて。
「食べちゃいましたごめんなさい」な気分で、気分のままにそう言って謝った。
アイツは苦笑いして、オンナノコから食べちゃったとか言われるのは初めてとか言って、オヤジくさい言い方すんな逆に恥ずかしいからとか言われたのだった。
そして私がシャワーを浴びている間に、朝食を作ってくれていた。
私たちがソウイウことになったのは、サークルのみんなには、バレてしまっていて。
ただ、私たちがつき合うことになったのは、この日の朝ではなくて、夏休みの終わる本当にギリギリの、それくらいの時期だ。
まだ暑い、でも、少しずつ秋のにおいのしてくるころ。
この日の朝、私たちが出した結論は「とりあえず、一緒にご飯を食べること」だった。そういう機会を、意識的にこの夏持とう、ということ。
「たぶんこのまま夏、会わずにいたら、なんとなく気まずくて、本当に顔を合わせられなくなってしまう。それはイヤだ」という気持ちを共有しあった。だから、ちょっとアレだけど、ちゃんと顔合わす時間を作ろう、と。
正直、救われたと思った。
不思議だった。こうやって、2人で顔を合わせて、本音で話し合うこと。
ヒイラギとはできなかった。私はヒイラギにホレていて、だからだろうと思っていた。でもこの朝の約束通り、アイツと顔を合わせて行く中で、一緒にご飯を食べて、話して行くなかで、私は気づいたのだ。
(……私、コイツのことも好きなのかも)
確信はなかなか持てなかった。だって、普通すぎたから。
友だちだから、何でも言える。友だちだから、こんなに自然でいられる。友だちだから、隣にいて心地いい。ただセックスもしてみただけ。そう思っていた。
でも、やっぱり特別だった。
夏の間、何回か飲みに行く中で、少しずつ気づいたことだ。
だって友だちには私、思わない。もう少し近くにいたいとか、手をつなぎたいとか、手をつなぐより、もっともっとくっつきたいとか、そういうこと。
思い返してみれば最初から、コイツはコイツで特別だったのだ。
一緒に酔っぱらって、下ネタ言い合えて、スウェット姿ですっぴんであぐらかいてもいい、と思えた相手。
友だちだからだと思っていた。ドキドキしないから、好きじゃないと思っていた。そうじゃなかった。
最初からつまり私は、自分であることを、自分を見せることを、コイツには許していたのだ。好きだったから。
……その気持ちに気づいてからは、なかなか大変だった。
2人で会うようになったキッカケがキッカケだったから、自分の、欲みたいなものを、今さら見せるとか逆に恥ずかしい。そんな風に感じていたから。
まぁ、それもけっきょく、すぐにバレてしまったのだけれど。
バレて、それからまた、2人で話して。
それで私たちは、つき合うことになったのだ。
***
携帯が震えた。アイツからのメール。あと10分くらいで到着するらしい。
カップの底に残ったクリームを救いながら窓の外を眺めたら、もう、夕闇景色だ。気の早いクリスマスのイルミネーションが見える。
アイツとつき合うことになって、そのことはけれど、誰にも言わずにいた。
新学期になってヒイラギが学校に来たら、私から、ちゃんと顔を合わせて伝えたい。アイツと、そう話した。
ヒイラギはアイツにとっても大切な友人だけれど、アイツは私の気持ちを優先してくれた。
ちゃんと話してみよう。嫌われるとか罵倒されるとか、なんならイッパツ殴られるくらいの覚悟はしていた。
けれど新学期、学校に言ってみれば、どこで誰に目撃されたものか、私たちがつき合っていることはもう、みんなにバレてしまっていて。
当然それは、ヒイラギの耳にも入っているようで。
私たちは失敗したのだ。
つき合うのは、ヒイラギと話してからにするべきだった。
つき合うと決めてから、「ちゃんと顔を見て」なんて言ってずるずる先延ばしにせず、その場で電話でもメールでもするべきだった。
他の人からバレてしまうなんて、最悪だ。
でも、もう、全部手遅れだった。
それからしばらくは気まずすぎて、キャンパスでヒイラギを見かけても、見つかる前に、避けてしまうような日々が続いていた。
まさに「合わせる顔がない」状態。
何回か、声をかけようとしたこともあった。メールを打ちかけて送信の手前までいったことも、アドレス帳を呼び出して、通話ボタンを押す手前までいったことも。
でも、なかなかできなくて。
そうして秋が深まって行って、外が暗くなる時間がめっきり早くなって、このままではもうすぐ、冬休みになってしまうんじゃないかという、そんな頃になって、私はやっと、ヒイラギに声をかけることができた。
数ヶ月ぶりに、正面から、近くから、ヒイラギの顔を見た。
自分の肩に力が入ったのがわかった。気まずさと、罪悪感と、あぁでも、やっぱり私はこの男のことが好きだったんだなぁって、そんな気持ちとがゴチャマゼになって。
「少し、話したいんだけど、時間いいかな……?」
喉が乾いて、少し、声が掠れた。
「……」
無言のまま頷いて、ヒイラギは時間を作ってくれた。
ガラス張りのカフェテラスで、ヒイラギと向かい合う。
ごめんなさいとか、自分がどう感じてこうすることにしたのかとか、ヒイラギは今、どう思っているのかとか。
話して、どうにかなることじゃないこともわかっていたけれど、それでも話してみたかった。
ヒイラギと、腹をわって話してみたかった。
けれどヒイラギは、私とはあまり目を合わせてはくれなかった。外はもうすっかり暗くて、中庭の芝生を照らす灯以外、見えるものなんてなかったはずだけれど、ガラスの向こうを見つめてばかりだった。
悲しくなった。
聞いてくれているのか、わからなくて、焦りもした。
だから少し、たぶん、余計なことも話してしまった。
アイツのことを好きだなんて、最初は自分でも気づかなかった。それはもしかしたら、アイツにも当時、彼女がいたからかもしれない。
普通に大切な友だちだと思っていて、でも、だからアイツを好きになることを、諦めていたのかもしれなくて。諦めて友だちとしてそばにいるうちに、「理想」と思っていたヒイラギが気になってしまって。
勝手なことをしたとは思っている。ヒイラギのことを好きじゃなくなったわけじゃない。私もアイツも。それは本当の気持ち。
むしろ私たちのほうこそ、そろってヒイラギに片思いしている気分だ。ヒイラギのことが好きなんだ。
「……」
ヒイラギは何も言わなかった。
私が話し終わって、しばらく、無言の時が過ぎて。
「もう、いいかな」
ふいに、小さな声で言われて、私が答えられないでいるうちに、ヒイラギは行ってしまった。
(あ……)
そうして結局、話らしい話もできないまま。
ヒイラギと2人で向かい合って話したのは、これが最後だ。
その日の夜、アイツとご飯を食べながら、その時の話をした。
私もアイツも、そろって失恋したような気分だった。でももちろん、それも自分たちで招いたことなのは知っているから、ヒイラギのほうこそ、シンドイだろう立ち位置に追いやられてしまっていて、当然、それをしたのが自分たちだってこともわかっているから、つまり、自業自得なのだけれど。
2人してしょぼくれながら、でも、ヒイラギには悪いけど、やっぱり自分は、ヒイラギが「無理」でよかったな、と考えてもいた。本当に、勝手な話だけれど、
この日以来、私の気持ちは少し、吹っ切れたのだ。
ヒイラギが無理でよかった。
一緒にしょぼくれられる、コイツを好きになれてよかった。
そう思えたのだ。
***
あと3分で、アイツの乗った電車がつく。カップをゴミ箱に捨てて、私は店を出た。
あの日、2人してしょぼくれながら、お酒を飲みながら、でも、ちゃんと話ができた。
泣きそうにみっともない顔も見せられたし、もし家に帰ってどうしようもない気持ちになったら、夜遅くたって、電話かけて愚痴を言うことだってできると思えた。
もしアイツの方がそんな気持ちになっていたら、アイツだってきっと、電話してくれただろう。それを信じることができた。
アイツは「理想」の彼氏なんかじゃない。
重い荷物は、どっちが持つかでジャンケン勝負させるし、今日みたいに遅刻だってするし、そのくせ、私が遅刻すると、その日の夕食は私が奢るハメになるのだ。……もちろん、アイツが遅刻したときは奢ってもらうんだけど。
理想じゃない。
タイプじゃない。
でも、アイツでよかった。
ヒイラギとでは無理だったというそのことに、つまりはヒイラギに、私は本当に感謝しているのだ。
あの日以来、ヒイラギとは話していない。
聞いた話によれば、あの後すぐ、ヒイラギにも、新しい彼女ができたらしい。ヒイラギ本人にたしかめたわけじゃないから、真偽のほどは定かじゃないけれど。
なんだ、ヒイラギもすぐ別の人と付き合うとかするんじゃん。……思ったけれど、それは言わずにいた。お互い様! とは、さすがに言えない。
ただ、思う。
ヒイラギの新しい恋人が、無理じゃない人ならいい。
ヒイラギの、几帳面なくせにちょっとヌケてるところとか、見つけてくれる人だといい。
頼りがいある、って表現される彼のマイペースさを崩して、大声で彼を笑わせられるような、そんな人だといい。
束縛したくない、って言って連絡無精な彼が、それでも、オリをみて自分から連絡を入れたくなるような人だといい。
私みたいに、彼の理想にハマって彼を追うだけじゃなくて、「理想」の枠なんて壊して、彼が追いたくなるような人だといい。
(あ……)
随分と遅刻してきたくせに、悠々とした、余裕の表情で階段を降りて、笑顔で私に手を振ってくるアイツの姿が見えた。
自分も笑顔になってしまいそうなのが、少し悔しい。
遅刻の制裁に、アイツに軽いボディブローを喰らわせるため私は、ポケットに入れていた手を出した。
今夜は、何を奢らせてやろうか。
考えながら、でも今日くらいは、遅刻くらい許してやって、手でもつないでやろうかな。そう思い直す。
もうすぐ冬。秋の終わり。
つないだら、きっとあったかいだろうな。冷え性の私の手を、彼には温めさせてあげよう。
考えたら楽しくなって、結局は私も笑顔で、彼のもとに歩き出した。
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