recipe 1-1;梅干し根菜のさっぱりスープ


 空を制する。
 地面を削って、風を切る。
 そうして自由になった円は、遥かの彼方で繋がるのだ。

 大学に入ると同時に始めて以来、おれを魅了して止まない競技・アルティメットには、その特性をあらわす言葉として「スピリット・オブ・ザ・ゲーム」というものがある。
 芝生の上でフライングディスク……所謂フリスビーを使って行う競技と言えば、なんとも平和的でのんびりしたもののようにイメージされることが多いが、実際は「アメフトとバスケを合わせたような競技」である。つまり、相当に荒っぽい。
 けれどこの競技では、草試合であろうと公式戦であろうと審判をおかない。反則もカウントも、全て選手相互のセルフジャッジで行う。故意のファウルや卑怯なカウントは忌避されているし、ルールをまだ覚え切れていない選手には、敵味方関係なくアドバイスをし合う文化もある。そしてアルティメットにおいて “スピリット・オブ・ザ・ゲーム賞”を受賞することは、優勝に並ぶ栄誉と考えられている。それほどに強固な、競技の根幹を為す思想なのだ。
 制約を選ぶことで、他の競技にはない自由を得たスポーツ。
 風をよんで戦略を練り、走り、飛び、投げ、受ける。自分だけでなく、コート内の全ての動きを客観的にジャッジしてゲームをすすめる。球技にはない長い滞空時間による飛行という特性。知力も体力も使う、地上戦であり空中競技でもあるスポーツ。__あらゆる要素が必要とされるスポーツである、という特徴から“究極”の名をつけられたこの競技は、激しさとは裏腹に、その性格上「紳士のスポーツ」と呼ばれている。

***

 チームメイトのネコからLINEが入ったのは、9月の末日。長い夏休みを終え学校が始まってすぐで、全日本大学選手権の決勝戦を数日前に終えた頃だ。
 ネコはこの1週間程、法事で地元に帰っていた。
[帰って来た]
[お腹痛い]
[お腹空いた]
[今日行ってもいい?]
 あぁ、またか、と思った。ネコがこうなるのはこれで3回目か。
 時間を確認する。もうすぐ21時になる頃だ。少しだけ考えてから返信した。
[だめ。調子悪いなら休んでろ]
[おれが行く。何か欲しいモンある?]
 返信はすぐに来た。
[春太が来てから考える]
 今回もけっこうな不調らしいことがわかった。いつもなら遠慮なく買い物を頼まれているはずだ。何かを考えることすら億劫になっているのだろう。
 長々とやりとりを続けていても消耗するだけだろうから、とりあえず「了解」を示すスタンプだけ送って会話を切った。

 大学の最寄り駅前には、24時間開いているスーパーがある。玉子と、玉ねぎ・大根・人参・しいたけと、梅干し、それから小さめの鶏ガラスープの元を買った。飲み物は自分用にはミネラルウォーター、ネコ用にはスポーツドリンクだ。どちらも1リットルのサイズにしたので、袋がずっしりと重くなる。米はたしかまだあったよな、と考えながらレシートをしまった。ネコはいつもきっちり金を払いたがるから、間違って捨ててしまわないようにしておかいと。
 ここから学校まで、つまりネコの部屋まで、歩くと20分程かかる。ネコは大学裏すぐの小綺麗なアパートに住んでいるのだ。普段は学校までスクールバスが出ているのだが、こんな時間ではさすがに走っていない。バスやタクシーに乗る程の距離でもないので、早く行ってやりたい気もするが、歩いて向かうことにする。
 ネコとつるむようになったのは、大学に入り、同じサークルに入ってからのことだ。だから付き合いの年月としては、まだ1年とちょっと。それほど長いわけではないけれど、周囲からは、まるで幼なじみの腐れ縁かのように誤解されていることも多い。
「ネコと2人で点獲りに行くことも多いからかな」
 仲を指摘されるたびそう答えるようにしている。言い訳のようだと思うこともあるけれど、ウソではない。
 アルティメットは1チーム7人で行われる。だからチームという単位を差し置いておれたち2人だけでどうこうするようなことは、そう多くはない。けれど例えば、カット後に速攻をしかけるような時には、おれのパスでネコが点を決めることがよくあった。
 走るのが苦手なおれは、ロングスローが得意だ。一方ネコは、身長の低さも相まってかスローはそれほどでもないが、脚が速い。裏から回り込み、相手の隙をつくように素早くエンドゾーン近くまで走り込むことができる。つまり、単に組むのにちょうどいいのだ。
 そのことに気づいてから、ネコの部屋におれがよく顔を出し、一緒に他チームの競技映像を見て研究したり、スローやパスの練習をしたりするようになった。そのうちに何もなくてもなんとなく足が向くようになり、さすがに「第二の住処みたいなもの」とまでは言わないものの、それに近いような状態になったのだ。
 それだけではない、のだけれど、それは別に聞かれてないから話していないだけで、隠しているわけではない。ただし付き合っているわけでもない。セフレかと言われればそうでもあり、それだけとも言い難いところでもある。正直なところ、自分でもネコとの関係をどう言えばいいのか、よくわからないのだ。
(暗いな……)
 他の部屋と違い、小さな明かりしか見えないネコの部屋を見ながら思う。ひとつだけハッキリ言えることがあるとしたら、お互いに都合がよくて、お互いに楽な関係なのだ、ということだ。
 セックスをするようになってからもこんなに長く、こんなに頻繁に顔を合わせている相手は、今のところネコだけだ。
「おい、大丈夫か?」
 合鍵でドアを開けると、部屋の奥、正面で、ネコがソファベッドにもたれるようにしているのが見えた。枕元に当たる場所のライトだけはつけているけれど、部屋は薄暗い。あまり家具のない部屋だからか、涼しくなって来たこの気候の中では寒々しく見える。
 おれの声にのそのそと反応するとネコは、手元の携帯を確認し、おれの顔をじっと見て、何か考えるようにしてから口を開いた。
「……腹痛ぇ。お腹減った。寝たい」
「ん。とりあえず服脱げ。着替えろ。胃薬とかは飲んでねぇな?」
 ネコが頷く。ついでに額に触れてみたが、やはり熱はなさそうだ。
「腹に何か入れるまで飲むなよ。キッチン借りるぞ」
 キッチンは玄関の脇にある。袋を持って再び立ち上がろうとすると、スボンの裾を掴まれた。それから親指の腹で、出っ張った骨の部分をゆっくりと撫でるようにされる。
「まだいいから、もうちょっとそこにいてよ」
 俯いた前髪に隠れ、ネコの表情は見えない。これは誘われていると思っていいのだろうか。
「……」
 細い、小さな身体だ。乱暴にしたら傷つけてしまいそうに見えなくもないけれど、実際のところは案外頑丈にできていると、おれはもう知っている。
「まだダメだ。いいから着替えろ。つかシャワー浴びてさっぱりして来いよ。脱がしてやるから」
 ネコが小さく口をとがらせる。
「ケチ。エロ野郎のくせに」
「上等だろうが。食事が先だ」
 いつもとは違い一番上まで嵌められていたボタンをひとつ、ふたつ、とはずしてくつろげていく。ネコは再びだらんとソファにもたれて、されるがままになっている。
 脱力した男の身体は重い。「脱がせらんねぇよ」と文句を言ったらのそりと起き上がって来て、起き上がりついでにキスされた。いつも噛んでいるミントのタブレットのにおいもしない。切れたのか。買って来てやればよかった。
 シャツを脱がし終えると、ネコもやっとしっかりと起き上がって、自分で服を脱ぎ始めた。もういいだろう。
「キッチン、借りるからな」
 頷いたのが見えたので、ネコの傍を離れた。おれがキッチンでガタガタしていると、ネコの動いた気配がして、すぐにシャワーの音が聞こえて来た。これで少しはスッキリもするだろう、と思って安心する。

(さて、まずは……)
 もしかして、と確認したら、冷凍ご飯があった。玉子と味噌のお粥を作ろうと思っていたのだが、米から炊く必要はなさそうだ。
 ご飯を解凍し、電気ケトルで湯をわかしながら、買って来た野菜たちを賽の目切りにして、切ったものはそのまま鍋に突っ込んで行く。少しだけ塩を振ってから、わかした湯をヒタヒタから1〜2センチ上のあたりになるまで入れて火にかけた。ケトルではすぐに、再度湯をわかしておく。
 解凍したご飯をは以前100均で買った小さな土鍋に入れる。思いついて、少しだけだしの素を振りかけた。再びわかした湯を、今度はご飯ヒタヒタよりも僅かに多いくらいの量注ぎ入れる。少なめの量の味噌を溶かし、蓋をしてからこちらも火にかけると、すぐにグツグツという音が聞こえて来る。
 フタを無くしてしまったタッパーをボウルがわりにして、卵を1つ溶きほぐした。それを土鍋の中にまわし入れて、すぐにまた蓋をする。少しだけ火を強くして、頭の中で15秒数えてから火を切った。後は、食べるときまでこのまま放っておけばいい。
 梅干しの種を抜き、叩くようにみじん切りにしてから、野菜を煮ている鍋を確認する。グツグツとはいって来ているものの、人参などはまだ固そうだ。
 顆粒の鶏ガラスープの素で、これも薄めに味付けをする。それから少しだけズラして蓋をして弱火にした。もう少しこのまま放っておこう。
「春太」
 後ろから声をかけられて気がついた。
「あぁ、あがってたのか。スッキリしたか?」
「ん、少し。ビール飲みたい」
「買ってないよ」
「買い置きがある」
「今日はやめとけば?」
 もう一度鍋に視線をうつし、吹きこぼれはしないだろうと確認してから、ネコの背中を押す。
「熱あるかと思ってポカリ買って来た」
「オレ、アクエリのが好きだ」
「でも熱ん時はポカリだろ」
「熱ないよ?」
「知ってるよ。買ったときは知らなかったんだよ。ガマンしろ」
「うん、嬉しい。ありがとう」
 やっぱり、いつもより素直だ。少しおもしろい気持ちになる。染めているわけではないらしい、色素の薄さのせいで茶色く見える髪からシャンプーの匂いがする。おれがいつも買っているものではないが、おれもよく使う、いつもの匂いだ。立ち上る石鹸の香り。
 少しだけ反応してしまう。けれど「食事が先だ」と言ったのは自分だ。今はまだダメだ。
「髪とか身体とかちゃんと拭けよ。風邪ひくぞ」
 しかしネコは「んーあとで……」とめんどくさそうに答えるばかりなので仕方なく、ソファの前に座らせて、おれが乾かしてやることにする。まずは髪から水が滴らない程度にして、それからTシャツを脱がせて、身体を拭いてから新しいものを着せる。ドライヤーを使うのはそれからだ。
 ネコはドライヤーをかけられるのが好きだった。もしかして、わざとだろうか。
「……」
 わざとなんだったら、わざわざそんな風邪をひきそうなかっこうをしなくても言えばしてやるのに。実際のところどうなのかはわからなかったけれど、ネコは「ご満悦」といった表情をしているので、今日はそれでいいことにする。
 ドライヤーをかけおえるころ、鍋がふきそうな音が聞こえて来た。つけっぱなしのドライヤーをネコに手渡し、慌てて鍋の様子を確認しに行く。菜箸で人参をつついてみたら、しっかりやわらかくなっていた。ちょうどいい頃合いだ。潰してほぐしておいた梅干しをいれ、ひとまぜ、ふたまぜとして馴染ませるようにする。
(よし、できた)
 もう22時半をまわる頃だ。遅い時間の食事は本来であればあまり胃にはよくないのだけれど、どうせネコの腹痛は碌にモノを食っていなかったせいなのだ。負担の少ないものにしたし、まぁいいだろう。
 スープは2人分、味噌と卵のおじやはネコの分だけよそって部屋に運ぶ。折りたたみ式の小さなテーブルがすでに用意されていた。
「ほら、食べるぞ」
「ん」
 向かい合って座って、「いただきます」をしてから手をつける。ネコは箸の持ち方も綺麗だ。こういう部分を見ると、しっかりとした家庭で育ったんだろうな、などと考えてしまう。
「どっちもうまいね。オレ人参あんま好きじゃないんだけど普通に食える」
「前、チャーハンの人参は旨そうに食ってたからさ。同じ味付けならイケルかなーと思って鶏ガラの使った。ゆっくり食えよ」
 ネコは頷いたけれどもう声を出すこともなくて、一心不乱、といった様子で食べすすめている。おじやは1回、スープは2回おかわりをすると、食べ終えたネコはスイッチが切れたように眠ってしまった。
 なんとも気持ち良さそうな顔だ。起こしたくない気になってしまうくらいの。
(だから……重いんだって……)
 仕方がない。部屋の隅に一旦ネコをどかし、テーブルを片付け、ソファベッドをベッドに変形させてからシーツをかけ、だらりとしたままのネコをそこに横たえた。歯磨きまでしてやるわけにはいかないが、口の端についた卵の欠片はとってやった。
 残ったおじやとスープは、翌朝レンチンするだけでいいように器にうつしかえ、ラップをして冷蔵庫へ入れた。スープは、明日は焼き海苔を揉んでちぎって入れて食べようと思う。それから洗い物をして、おれもシャワーを浴びて着替え、髪を乾かし、歯磨きをして部屋に戻った。とりたてて音に気をつけることなくそこまでしたのだが、ネコは寝かしつけた時と同じ体勢で寝入っていた。朝まで起きてくることはなさそうだ。
 食事前の、ネコからのお誘いをちらりと思い出す。期待していたのだけれど、これも仕方がないか。
「おやすみ」
 そう言って額にかかった髪をどかしてやると、少しだけ身じろぎしてこちらに身体を向けて来た。可愛いな、と思ったので、毛布を肩までかけなおしてやった。
 明かりを消して、同じベッドに潜り込む。明日はおれもネコも1限がない。ちょうどいいから、学校の芝生でスローの練習でもしよう。思いながら眠りについた。

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*梅干し根菜のさっぱりスープ*
《材料》
・野菜(根菜を中心に好きなもの適当に)
・梅干し 1つ(お好みで)
・鶏ガラスープの素(顆粒がオススメ)
・塩 少々

1、入れたい野菜をみじん切りにして鍋に入れ、軽く塩を振ったら、ヒタヒタ以上の水につけ火にかける。梅干しも種を抜いて叩いて細かくしておく。
2、グツグツしてきたら鶏ガラスープの素を入れる。
3、野菜が柔らかくなったら火を止め、砕いておいた梅干しを入れる。ぐるぐる〜っと適当に混ぜてから少しおいて、余熱で味を馴染ませる。

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佐原チハル@趣味小説置き場
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