♬それは神の仕業か遺伝子の仕業か♬
若い頃に読んだ、遺伝子研究の教授が書いた本に
「人間は、遺伝子の箱にすぎない。
人間が生きるのではない。
遺伝子が生き残るため、人間の体を利用しているだけだ」
という一節があって、そんなものなのかなぁ、とその時は分かったようで分からない気がしていたが、だんだん年を取るつれ人間には確かにそういったところがあって、私には間違いなく両親の血を引いた肉体的特質やらどうにもならない性格があることが自覚されてくる。
だからこそ、目の前で年老いていく父の姿を見ていると人生の逆算を見るようで
「ああ・・・今の親父の姿が、25年後の俺の姿なんだなぁ」
思い知らされもする。
1年前。
父が脳梗塞を再発した後、リハビリで入院をしていた病院の医者と大喧嘩した。
病院から電話があって大急ぎで駆けつけると父が真っ赤な顔をして言う。
「ワシはこの病院を今すぐ退院するから、泰弘、お前手続きをしろ!」
「いったい何があったのさ?・・・穏やかじゃないね」
「メシの話だ!
ここはハードなリハビリをする。当然、疲れる。すると、腹が減る。
俺は・・・・病人には栄養のある、うまいものをたらふく食わせろ!
と言っているだけだ!
それが、いったいなんなんだ!ここの病院は!
昨日のおかずは、かぼちゃの煮物とサケのとろみスープだぞ!
そんなモン食って、元気に歩けるようになると思うか?!
ふざけるな!
肉を出せ!刺身を出せ!この、ヤブ医者が!」
【厄介】とはこのことで、気持ちはわかるがどうにもなりゃしない。
結局散々話を聞いて「まあまあ」「わかるよ、うん、わかる」言ってその場はなだめすかし、激昂の父を適当に言いくるめて帰ってきた。
「オヤジも若いころは、あんなんじゃなかったんだけどなぁ」
帰りの車で一人苦笑いしながら呟いてみる。若いころの父は穏やかで、喧嘩などするような人ではなかった。平和主義で人との争いなどもってのほか。それが、年を取るにつれて人が変わった。気が短くなって、怒りっぽくなった。唯一変わらないのは食欲で、病身でありながら肉でも刺身でもメシは人の倍食べる。その父が
「おかゆ、豆腐のそぼろ煮、かぶの煮物、桃のピューレ」
みたいなものを毎日出されたんじゃ
「おい!みんな騙されるな!こんなメシしか出さない病院は、
患者から金をふんだくるだけふんだくって、退院させる気がないぞ!」
叫んで病院と揉めるのは容易に想像がつく。
しかし・・・・・・しかし、だ。
そんなことよりも私にとってなにより絶望的なのは、
「30年前。
祖父もまったく同じ騒ぎをおこした」
という事実で、その騒動の火消しを父が必死になってやっていたという過去だ。
思わず、走らせていた車のハンドルを叩き、天を仰ぐ。
「嗚呼!神よ!!
もしも人間が遺伝子の箱にすぎないのなら、遅かれ早かれこの俺も
入院した病院のメシに言いがかりをつける人生を歩むことになるので
しょうか?」
それからしばらくして父は無事退院し、今は自宅で訪問介護のヘルパーさんの世話を受けている。昨日、思いがけずそのヘルパーさんから電話がかかってきた。
「あの、長男様は・・・・ネコを飼っていらっしゃいますか?」
「ネコ????
いいえ。ネコは、飼っていません。どうしました?」
「開封済みのキャットフードが食卓に置いてあったんです」
「キャットフードが食卓に?」
「はい。テーブルには明らかに食べた跡があって、
残ったキャットフードは輪ゴムでとじてあったんです。」
「まさか父が・・・キャットフードを食べているということでしょうか?」
「私もそう思ってお父様に確かめたのですが
『キャットフード?・・・まさか』という返答でした」
「でも、状況からして父はきっと食べている・・・・ということですね?」
「はい・・・・それ以外説明のしようがないな、と」
「・・・・・そうですか」
「認知症の検査、してみますか?」
「ええ、そうですね。お願いします?」
「はい。わかりました。
それであの・・・・このキャットフード、どうしましょう」
「どうしましょう・・・・って。
とりあえず・・・・・・・
人間の食べるものではないので、捨てていただいてよろしいですか?」
「ですよね~(笑)」
父74歳。私49歳
「人間は、遺伝子の箱にすぎない。
人間が生きるのではない。
遺伝子が生き残るため、人間の体を利用しているだけだ」
それが本当なら、私は遺伝で25年後に病院のメシで揉めた後、勢い余ってキャットフードを食べることになる。
ダメだ!嫌だ!
神様!それだけは、絶対に避けさせてください!
でももし。
もしも、もしも、食べる時が来るとするなら、神様、その時はせめて
ドッグフードでお願いします。
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