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「おわりに」をラフに書いてみた
『7つの習慣』の中で、「終わりを思い描くことから始める」という法則があり、私もそれに従うことにしましたw
「終わり」の前に、「はじめに」を書いてしまいましたが……。
やっぱり、はじめと終わり。
本屋で、書籍を買うかどうか悩んだときって、「はじめに」「目次」「終わりに」を読みませんか?
だから、最初に書いておいた方がいいと思っています。
一度、吐き出しておくことで、頭の中だけでなく、書面で残っているので、不足部分についてを足したり、蛇足部分をカットしたりと、一番長い時間、その文章と向き合うことができるから。
とりあえず、一気に書いてみました。
サブ3.5を達成して、もうすぐ1カ月。
段々とあの日の感動が薄れてきているので、早くしなければ!!!
おわりに(仮)
「もっと息子たちとの時間を大切にしないよ!」
スキマ時間を見つけては、すぐに外に走りに行く私に対して、痛烈に放った妻の一言であった。
息子が中学生になって、数ヵ月が経った2年前くらいだったかな。
小学生の頃は、野球のスポーツ少年団に所属していたから、キャッチボールを毎日やったし、お風呂も一緒に入り、「野球談義」に花を咲かせたものだった。
だんだんと、息子たちが大人の階段を登り始めるに連れて、確かに一緒に何を共にする時間がどんどん減っていったんだったけ。
それぞれの部活に打ち込む息子たち。
1人は軟式テニス。もう1人は卓球だった。
それならば、私も仕事に打ち込むのは当然として、それまで中途半端だった「マラソン」という競技に、徹底的に向き合う覚悟を決めたのだ。
結果、本気で、全力チャレンジで走り続けるうちに、体力以上に「メンタル」が向上していき、いい「マインド」が作られていった。
つまり、走るたびに段々と「ご機嫌さん」になっていくのが、自分でもわかった。
その結果、息子たちとの関わりの時間の「量」は減ったと思うが、「質」は間違いなく上がっていたと思う。
以前のように、ガミガミ小言を言うことは激減したし(ゼロではない)、短い時間であっても「どうしたいの?」と彼らの本心を尋ねることが増えていった。やりたいことを否定することも無いし、ただただ応援し、暖かく見守るだけ。信頼関係が増していったと思いたい。
誰かの本気のチャレンジが、人の背中を押してくれる。
自分自身が、これまで人を応援するたびに、「自分はどうなんだ?」と自分に問いを投げかけて、その度に、自分を高めるための行動を行ってきた。
その自分の挑戦が、今度は誰かの背中を押すキッカケになったのなら、これほど嬉しいことはない!
そのチャレンジに、誰かが何かを感じて、何かの行動が生まれるその瞬間こそが「共鳴」。
それがどんな挑戦であっても、お互い刺激を高め合いながら、応援し合える関係、まさに「応援合戦」や「共鳴合戦」が自然と起こる、そんな関係が理想である。
息子たちとも、部活だけでなく、受験だったり、恋愛だったり、人生の分岐点での決断だったりと、そんな場面でも、この経験は必ず役に立つであろう。
40代の終わりから50代の始めにかけて、まさか「フルマラソン」にとことん向き合うことになるなんて、誰が想像したのだろう。
今、40代前半の自分に尋ねたなら、「冗談も休み休み言えよ!」と返ってきそうである。
ということは、50代後半や60代前半の自分がどうなっているかだなんて、今は予想ができなくて当然かもしれない。
様々な試練が訪れ、そんな困難を受け止めながらも、新しい行動を選択していきながら、今よりも前進して、「魂」がもっともっと磨かれている自分でありたい。
どんな「チャレンジ」を楽しんでいるのか、正直予想は付かないが、おそらく、走り続けていることは間違いない!
子どもたちも、社会に旅立っているだろうし、そのときにはきっと、妻からこんな言葉が返ってくるかもしれない。
「もっとRUNとの時間を大切にしないよ!」
「とっとと外に走りにいきないよ!」
ってね(笑)
妻よ! 一緒に走りに行こうじゃないかぁ!
さあ、一緒にトゥギャザーしようぜ!!!
人生ビルドアップ!
まだまだスピードを上げていけるはずだから……。
(終わり)