【東北・みやぎ復興マラソン2024】サブ3.5達成です!!!
このマガジン「限界トッパー(サブ3.5達成編)」を開始したのが、昨年の8月だったようです。
あれから、1年3ヵ月。とにかく、練習は「苦しさ」の連続でした。
そんな苦悩が報われたのが、おとといのレース「東北・みやぎ復興マラソン2024」でした!
サブ3.5を目指してから、4レース目で、
ついに、ついに!「サブ3.5」を達成することができました😂😂😂
当マガジンも、いよいよ「終焉」ということで、その前にまずは、11/3のレースを振り返っておきたいと思います。
前日の過ごし方
双子の中学生の息子たち。
とても健康的で、今年も無遅刻無欠席だったのですが、なんと、木曜日に1人、金曜日に1人と風邪で休むことになりました。
検査の結果、インフルエンザでもコロナウィルスでも無かったので、風邪ということなのでしょう(マイコプラズマ肺炎という可能性もあるようです)。
彼らが小さい頃、彼らが風邪をひくと、最後に必ず、私がその風邪をもらってしまうことがほとんどだったので、嫌な予感がよぎりました(息子たちの心配をせーや!)
金曜の夜、土曜日の午前中と、少し頭痛があり、自分の体内で風邪の菌と私の免疫がバトルをしているのを感じていました。
ここで明日のレースで実力を出せないと、これまでの3ヵ月が無駄になってしまうと思い、葛根湯と栄養剤を飲んで、2時間くらい布団で横になったのです。
すると、昼過ぎからは、一気に回復!
ありがとう! 私の免疫細胞達よ!!! 見事、息子たちの風邪菌に打ち勝ってくれたようです。
ここまで来たら「明日はもう大丈夫!」と思い、レースの準備に取り掛かることができました。
※OS-1は、今回は粉タイプではなく、奮発してペットボトル2本を購入しました。
レース当日の朝
郡山駅までは、妻の送迎してもらい、6時54分の新幹線(郡山発)でいざ仙台へ。
席はガラガラで、乗客はランナーさんが多め。
やはり、この時間を選択して良かったなぁ~。次の便で行く選択肢もあったので。
新幹線内での40分は、いつもの習慣をやったり、とにかく、まったりと過ごしました。もちろん、『限界突破マラソン練習帳』のレース戦略のページを読み、レースの刻むペースのイメージング。
ペースは、前半10kmは5分10秒前後で抑えて、そこから4分50秒~5分のペースで刻んでいこうという戦略。
どうしても、後半のキロ12秒以上も速い「ビルドアップ」をイメージできなかったので。
会場到着!
仙台駅から仙石線に乗り、宮城野原駅に向かいます。
都内の満員電車のごとく、ギューギュー詰めで電車の中へ。
無事に、レース会場へ到着し、トイレを済ませた後、準備開始。
すぐに荷物を預けて、早めにスタート地点に向かいました。
この時、1つの忘れ物に気づいたのです!
それが「ニップルシール」!
乳首を擦れから守るシールです。
チェックリストに追加するのを忘れていました。。。
仕方がない。今回は、血だらけになっても、我慢していこうと決意!
スタート~10km
さあ、いよいよスタートです!(9時10分)
号令の合図とともに、爽快にスタート!
しかし、トイレに行きたくなっていた私。レース40分前に、最後のトイレも済ましたところだったのですが、15,000人の参加者がいる大会なので、トイレも大行列。ハーフ地点あたりの空いているトイレに行ければいいかなと思っていました(最終的には、トイレ無しでゴール。行っていたら、100%達成ならずでした)。
それにしても、仙台のロードを走る日がくるなんて!
学生時代に原付で走った道の上を、まさか50歳になってから走るとは! 感無量です。
天候は、晴れ。1週間前予報から3日前予報までは、「雨」の予報だったのですが、2日前から「晴れ」になっていました。
弘前の時の晴れとは違い、海風が強くて、逆に太陽の暖かさに助けられましたね。気温は15℃前後だったようです。
トイレに行きたい気持ちを除けば、快調に走ることができました。
しかし、7キロ地点あたりから、左のハムストリングス付近に痛みを感じることに!
その理由に心当たりは無かったのですが、気にしていても仕方がない!
いつもの走りに徹することにしました。
そう、きっと「気のせい」だよってね。
10~20km
10km過ぎのリバーサイドは、昔、セブンイレブンのバイトに向かうときに、何度も原付きで走った道でした。
いい想い出も、嫌な想い出も、いろいろと蘇ってきました……。
左のハムストリングスの痛みは、下り坂だと激しくなることに気が付きました。なので、とにかく「通常フォーム」で走ることに意識を向けたことで、痛みが徐々に薄れていきました。
下手にかばって走らない方がいい!ということでしょう。
(こちらは、2年前の大晦日に得た気付きが役立ちましたね)
15kmぐらいからは、痛みが無くなっていきました。
何だったのでしょうかね。
20~35km
フルマラソンでは、ここの距離での走りを丁寧に行う必要があるというのが、私の経験から得た学び。
当コースは、ほとんど平坦なので、シンプルに無心で走ることができたのかな。
海沿いのコースだったので、風は相当キツかったけど、追い風も向かい風も平等にあったような気がします。
この道のりが、震災の被害が大きかった場所ということを忘れてはなりません。
想いをはせると、無心では無くなってしまいますが、忘れたくない感情です。
35~40km
前回の弘前マラソンでは、34km辺りで力尽きたので、今回はどこで限界点が来るのか?と思っていました。
しかし、35kmになっても、失速はせず。
ならば、1km1kmを5分前後で走っていけば、それでいい!という思考に切り替えることに!
そんな心境になったのが36km地点でした(36kmで5分10秒となり、一気に10秒以上減速したため)。
あと6kmならば、今回の課題のメンタルととことん向き合うしかないと思ったのです。
37kmが5分4秒、38kmが4分58秒、39kmが5分2秒。そして、40kmでは5分06秒!
何とかスタミナ切れにならず、火事場の馬鹿力も使うことなく、いよいよラスト2kmとなります!
40km~
ここまで、「あと何分で走れば、サブ3.5に届くのか?」という意識を持たずに走ってきました。
しかし、40km地点のところで、道端に設置された時計が目に入ってしまったのです。
現在時刻が12時30分を過ぎたところ!
残り2.195kmを10分以内で走りきる必要があるとは!
ここで、完全にスイッチが入りました。
足もまだ残ってくれていたので、最後の「全力チャレンジ」を行うことに!
41kmが4分53秒、42kmが4分59秒。
よし! 5分を切ることができたぞ!!
最後は、さらに加速を!
ラスト200mは、4分33秒台!
そしてゴール!
ゴール頭上にかかげられた時計は、「3時間30分46秒」を差しておりました!
実際は「ネットタイム」がどうだったか?
この時点では、「サブ3.5」を達成できたかどうか、まだわかっていなかったのです。
なので、まだ喜び半分といったところ。
とりあえずは、1キロ5分ペースで、スピードを落とすこと無く、最後まで走り切った自分を称えたい!
そんな想いでした。
景品をいただき、スタート地点で預けた自分の荷物を受け取って、施設脇の階段にようやく腰を下ろすことができました。
さあ、ここでインターネットで結果を確認!
疲労感があり、目も少し霞んでいたので、最初は「3時間30分46秒」が目に入り、「あ~! 駄目だったかぁ~!」と数秒思ったのですが、ちゃんと目を凝らして見てみるとネットタイムが「3️時間29分56秒」と書かれているではないですか~!!!!!!!!!
何という奇跡。
トイレに行っていたら「アウト」だったでしょう。
40km地点で電光掲示板の時計を見なくても「アウト」。
コースがちょっとでも登り坂があっても「アウト」。
すべてが、私の思い通りになったレースだったと、一瞬で理解しました。
まさに「奇跡」のレースだったんだなって……。
大会用のプレイリスト
30kmくらいから音楽を聴こうと思って準備していたプレイリスト。
せっかくなので、公開しておきましょう!
結局、自分のカラダと向き合い、1kmごとに集中すると決めたので、音楽を聴くことは無かったのですが。。。こちらは、帰りの電車の中で通して聴きました。名曲ばかりで、少し目頭が熱くなったとか、ならなかったとか。
【プレイリスト - 東北・みやぎ復興】
Wrathchild(Impellitteri)
Power Grab(Impellitteri)
Out Of My Mind(Impellitteri)
天下五剣(HAGANE)
Life goes on!(HAGANE)
できっこないを やらなくちゃ(サンボマスター)
アイコトバ(アイナ・ジ・エンド)
宝者(アイナ・ジ・エンド)
逢いたくていま(MISIA)
Story(AI)
Happiness(シェネル feat.松下奈緒)
アイノカタチ(MISIA feat. hide)
笑えれば(ウルフルズ)
Shout Baby(緑黄色社会)
あの夢をなぞって (Ballade Ver.)(YOASOBI)
Precious(伊藤由奈)
いのちの歌(竹内まりや)
まとめ
レースの勝因は、たくさんあると思います。
あえて3つ上げるとすると、「補給戦略」と「レース30分前のカツサプ(KatsuoStamina)」、「いまここRUN(マインドフルネスRUN)」。
補給戦略は、エイドで受け取ったのは、12km地点と35km地点のバナナのみ、水分は2回だけポカリをいただきました。
それ以外は、手持ちの経口補水液オーエスワン(OS-1)500mlと、10kmから5kmごとに摂取したジェル・BCAA。
1つは落としてしまい、10~35kmの6回摂取。5km単位のところで、しっかり補給することが良かったです!
カツサプは、弘前でのレースではじめて使ってみて、その効果を実感。
レース後もまったく疲れが出なかったので、今回もきっと後半のスタミナを支えてくれたんだと思います。
いまここRUNは、前述の1kmごとにペースを意識した走りのこと。
最後の最後まで、エアーサロンパスを使うことなく、粘れました。生まれて始めての体験でした。
そして、何よりも今回走って感じたことは、何だか自分ひとりのチカラだけで走っていない感覚があったのです。
誰かが私の背中を押してくれるような。。。
亡くなった仙台のじいちゃん、ばあちゃんだったのか。
日本各地にいる、私の仲間達のエールだったのか、その正体はわかりませんが、心地よい感覚を、生涯忘れることは無いでしょう。
ネットから算出して、前半1:44:36、後半1:45:20と、ネガティブスピリットにはなりませんでした。
「人生ビルドアップ!」という言葉をこれから大切にしていきたいので、ここだけは残念でした!!!(贅沢なのかもしれませんね)
1人で仙台に来て、誰とも会話をせず、1人、名取駅に向かって、郡山に戻ってきました。
郡山駅に着くと、改札口で妻があたたかい笑顔で迎えてくれました。
「さすがっす!」と言われて、あらためて「サブ3.5」を実感。
さあ、次はどこに向かうべきなのか?
この走りからの「卒業」になってしまうのか?
まだ答えは出ておりませんが、「限界トッパーサブ3.5編」は次回が最終回になりそうです。
続く。。。