恩師を通して見えたルーツをアーカイブするZINEプロジェクト始動!
自分のルーツを知ったとき、世界が一変した。大袈裟だと言われるかもしれないけれど、それほどにショッキングな出来事だった。
日本で生まれ育った私が台湾アミ族の血を引いていることを知ったのは、台湾の大叔父との運命的な出会いがきっかけだった。彼との出会いが自身の人生やキャリアに大きなな影響を与えているのは間違いない。
日本統治時代に伝統的なアミ族社会で生まれ、日本語教育を受けて育った彼が、なぜ東京大学で博士号を取ったのか、なぜ政界入りしたのか、そして現代社会における台湾原住民族の立ち位置をどう見ているのか?
彼の語る生涯で起きたエピソードの一つひとつに、私はまるで街頭紙芝居に目を輝かせて夢中になる子どものように引き込まれた。
そんな大叔父も御年80歳をこえ、高齢に伴い病気にかかったり、怪我を負うことが増えてきた。
残された時間はそんなに長くないかもしれないと不安に思うなか、私にルーツを教えてくれた大切な恩師の自分史を、後世に残したいと思ったのは自然な流れだった(裏目的もあるけど)。そして自主的にアーカイブプロジェクトを始動。
インタビューやロケを交えながら、彼の話を聞き書きして記録する。そこに編集を加えつつ、このプロジェクトに賛同してくれる仲間と創意工夫して、1冊のZINEにまとめる予定だ。
ここではプロジェクトが生まれた経緯を書いておこうと思う。
大叔父について
プロフィールでも紹介しているとおり、私は台湾原住民族のアミ族(以下、Amis)にルーツを持っている。
母方の祖母が代々Amisの家系の出身で、今回プロジェクトを立ち上げたきっかけである大叔父は祖母の弟にあたる。祖母の兄妹は大叔父を除きみんないなくなり、Amis家系の直系のなかで大叔父は唯一の生き残りということになる。
日本統治時代(1943)の台湾に生まれ、伝統的なAmis社会で育ちながら日本語教育を受けた。あるとき都市部に連れられ、自分の村とのあらゆる”格差”に疑問を持つようになる。
都市部への進学を志し、高校から大学まで台北で過ごす。その後、日本留学を経て政治家となり台湾原住民の社会的地位の向上に貢献した。
後年は台湾原住民族の歴史や言語について研究したり、大学で教鞭をとったり、「台湾原住民族のプレゼンスを高める」ために実直に取り組んできた。
御年80歳を過ぎてもまだまだ現役で活動するパワフルなお人だ。
プロジェクトの目的は?
大叔父も高齢に伴い病気にかかったり、怪我をすることも増えてきた。
彼の身にいつ何が起きるかわからないと頭をよぎることがある(なにもないことを切に願う)。
波瀾万丈且つおもしろいエピソードを持っているのに、なにも記録せずに残さないのはもったいないと思ったのが素直な気持ちだった。
伝記本でもWikipediaでも、手段はなんでもよかったけれど、ただ年表にまとめるやり方は味気ない。
いろんな角度から編集を加えてZINEにまとめたら、つくる側も楽しそう!
そんな提案をしたら大叔父にOKをもらい、勝手にマイプロジェクトにしたのである。
実はこのプロジェクトには裏目的がある。
母方の親族(私の親戚)は台湾人でありながら、あまり自分たちのルーツである台湾原住民族にそこまで関心がないようなのだ(直接は聞いていないが)。
私は親戚たちとバックグラウンドが違うからこそ台湾原住民族に人一倍興味を持ったのかもしれないと思うわけだが、それでもどこか寂しさを感じていた。
今回のプロジェクトを通して、親族一同 自分たちのルーツに興味関心を持ってもらうきっかけになればとひそかに期待している。
プロジェクト名は『Faki Archive Project』
プロジェクトにするなら名前を付けたほうがいいなと思った。
2023年の夏、大叔父の計らいでAmisのある村の豊年祭(祖先に感謝し、五穀豊穣を祈る祭り)に参加させてもらった。祭りに参加するということはその村の一員に加入することを意味するらしく、ふるまいや言動はすべて現地のルールに従う必要があると言われた(郷に行っては郷に従え)。
そこから大叔父のことをFaki(Amisの言葉で年長者の敬称)と呼ぶことようになった。
そのくだりはこちらの記事に書いてあるので、もし興味があれば読んでいただきたい。
最初の頃は呼び慣れておらず違和感があったが、何度か呼び続けているうちに自然とFakiと呼ぶことに抵抗はなくなった。むしろ今はFaki以外の呼び方が不自然に思えるくらいになった。
だからプロジェクト名は、大叔父(Faki)の生涯をなんらかのかたちに残す(Archive)する企画(Project)、「Faki Archive Project」とした。
どんなふうに進めるのか?
今年6月に、第1回目のインタビューは実施済みだ。
たった数時間のインタビューでFakiの人生をまとめられるなどと短絡的な考えは持っていなかったが、やはり複数回にわたってインタビューしなくてはいけないと改めて思った。
彼のゆかりの地にロケを行ったり、旧友や同志との対談取材なども交えたいとも考えている。
そうなると2〜3年かがりのプロジェクトになることが予想される。
このプロジェクトに親戚、友人、台湾原住民のクリエイターなどを巻き込み、最終的にはZINEにまとめるつもりだ。
進め方については、コンテンツを集めに数年かけてから制作するよりも、アジャイルで作り始めたほうが心理的ハードルが低いと判断した。
最初は細部にあまりこだわらず、プロトタイピングでまずは数ページをものにして、そこからクオリティーを上げていきたいと考えている。
テキストは日本語と中国語のバイリンガル仕様にするつもりだ。
出来上がったZINEを親戚全員に配ってぜひ反応をみたい。
将来的には文化施設や学校などに置いてもらうことも考えている。
さいごに
美大出身でもなく、元来デザイナーやクリエイターでもない、ただパッションに突き動かされただけの人間が手探り状態で始まったプロジェクト。
期待半分、不安半分ではあるけれど、この挑戦は自分にとって価値あることだと信じている。
このプロジェクトの進捗状況はSNSやnoteを通して発信していく予定だ。もし興味を持ってくれて、おもしろいと思ってくれる方がいたら、ぜひコメントをいただきたい。またZINE作りに精通している方、経験者からのアドバイスなどいただけると大変嬉しい。