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テック・起業家・グローバル的なるもの


I don't see color


日米のミックスルーツで、起業家・VCの方のツイッター投稿でこんなのが流れて来た。

2005年の「60minutes」

モーガン・フリーマンがインタビュー番組で毎年2月の「黒人歴史月間」の馬鹿らしさを主張したものである。

自分たちが黒人であることを際立たせるだけで、くだらない。あなた(司会者、白人)も私も個人なのだから、私は貴方を白人と呼ぶのをやめるし、貴方も私を黒人と呼ぶのをやめて欲しい。

と語るビデオである。これを挙げて「そんなカテゴリー、どうでもいい。」とこのヒル氏は賛同する。

これは所謂「I don't see color」や「color blind」といわれるもの。ある個人が相手の肌の色関係なく同じように接します、と宣言する一見素晴らしいことのように見える。しかし2024年の現在、特にGenX後半以降、45歳以下の世代では反差別のアプローチとしては適切ではない、との認識が一般化しているものだ。

反人種差別の教師として有名なジェーン・エリオット先生も高齢ながらそこに気がついていて、ナイトショーでそれを語っていた。

白人が有色人種に絶対に言ってはならないのは「私が人を見る時、黒人(black)とか南米人(brown)とかインディアン(red)とかアジア人(yellow)とか、色は見えないのよ(I don't see color)。人は人だもの。」これです。
この国では教師までが生徒にこんな事を言う。「I don’t see you as black, brown, red or yellow」。そこに白は入らないんです。なぜなら白でいることに問題は何もないから。
(白人の)貴方に、「貴方をblackとして見ない」と黒人に言う権利は無い。
「私は(人種)色盲だ」だの「貴方をblackと見ない」と黒人に言う人は、こう言っているんです。「私は貴方の最大の臓器である皮膚を無視する自由を持っている。」皮膚の色が見えないと言うなら、その人が見えていないと言う事。このフレーズを頭から消した方がよい。

この「I don't see color」批判の根底は「人種差別の根幹は個人のお気持ちでは無く、それを固定し強化する"システム"の問題である」という認識のアップデートにある。

「私は相手が黒人だろうが白人だろうが関係なく同じように接している!」(I don't see color)

これを言う人は高齢者に多い。更に前の時代、「私は肌の色によって接し方を変えます!」と公言できた時代に、それを糾弾する意味で言われ始めた事でその時代としては勇気のいる新しいスタンスだったのだろうとは想像できる。

しかしこれを言うだけでは社会は何も変わらない、と言う事には私たちは気づいたのだ。

現在、社会は不平等にできていて、平坦でない。自分はアイデンティティによりその勾配のある社会のある一点に属している。そして、そこより下層に属する人々と比べて、より多くの様々な利益を自分は享受している、と言う事実を自認する事が差別構造に取り組むアプローチの第一歩ではないのか、と言う話である。

これは2020年警察によるジョージ・フロイド殺害事件をきっかけに起こったアメリカでの反差別運動を経て、一般国民(特に白人)に起こった大きな認識アップデートの一つである。

白人でありながら、自分の意思で黒人の養子をもらった母親。夜中に物音がして侵入者が来たと思い警察を呼んだ。銃を構えた警察官が家の中を捜索している時、黒人の背の高いティーンの息子が怖くなって自分の部屋から飛び出して母親の部屋にやって来た。それを警察官は見なかったが、もし見られていたら撃たれていた可能性がある、と後から背筋が凍った。「犯罪者と間違えられ、撃たれる可能性なく気軽に警察を呼べる」のも白人の特権である、と、この女性が気づいたエピソードはこちらに訳した。

「白人」は無色ではないし、「黒人」も無色ではない。人種差別の無い完全に平等な世界で自然と「I don't see color」と出るならそれは理想であるが、現存する不平等社会で反差別を謳うなら、その「肌の色によって環境・対応が変わる」不平等な社会から目を逸らすべきでない。

本当に「肌の色に関わらず人間は皆同じにできている」と思うのなら、肌の色によって収入・犯罪・健康などの傾向に厳然たる違いが出る現実に「生来の何か」では無く「社会の不均衡」を見る癖を私たちはつけないといけない。

黒人は「黒人にとってのアメリカ」を生きて来た個人であり、白人も同様「白人にとってのアメリカ」を生きて来た個人である。肌の色はそうやって後天的/環境的な個人のアイデンティティとなっている。

で、

で、私が今回話したいことは別にその事で無くて(笑)

私が驚いたのは日米ミックスルーツサンフランシスコと表参道を行き来する起業・投資家の所謂「グローバル」な感じのこの方が、4年も前から騒がれていたこの思想文化の変化をキャッチしていないと言う所だ。

日本の田舎のおじさんならまだ分かるのだが。

同時に「やっぱりね」と言う気持ちもある。

テック系。投資系。グローバル系。このようなカテゴリーの人たち(都知事選候補の人とか。4ちゃんの人とか。変なメガネの人とか。)に日本人は過剰な期待を持つ傾向にあると私はいつも思っている(この投稿の方への評価が過剰だと言っている訳ではありません)。

リベラルで、頭脳明晰で、冷静沈着、進歩的、最先端の思想を持つ人たち!と言う印象が一人歩きしている。

それは認識変えるべきじゃないかと常々思う。

米国においてはシリコンバレーのスタートアップVC文化がかなりのbro文化であるとバレてから久しい。

bro文化とは男たちが寄り集まって物事を進める文化の事で、排他的で最終的には「保守」のイデオロギーに行き着く。テクノロジーと思想はまったく別のものなんですよね、と今では皆知っている。未来!可能性!を謳いながら女性テックキャリアコンベンションに侵入し彼女たちのチャンスを奪ったりしている。

https://www.npr.org/2023/10/05/1203845886/women-tech-conference-men-grace-hopper

パレスチナーイスラエル関連の話。イスラエルは60年代からずっと軍需テクノロジーの最先端である。更に近年では「スタートアップ天国」であり、テック系スタートアップに関してイスラエルはほぼシリコンバレーと一体化している。その「テック」とは何かと言えば諜報ソフト、ドローン、顔認証・ターゲット既成AI、、、であり軍諜報8200部隊出身のイスラエル人が様々なテック系のスタートアップを立ち上げている。

GoogleはProject Nimbusというクラウド基本サイバーセキュリティ技術をイスラエルと共同開発(イスラエルが”セキュリティ”と言う時、それは防衛では無くてパレスチナ人への攻撃のことである)。それに反発したエンジニアを解雇している。


Circle CI、Darklang創業者、現在Tech for Palestineを立ちあげたPaul Biggar氏のインタビューによると

テック業界、特にシリコンバレー、特にベンチャーキャピタル(VC)は非常に保守的、右寄りな文化です。あなたが携帯や仕事で使うアプリの98%はこのVC、少数の投資家が出資しており、彼らは総じて極めて右寄りのイデオロギーを持つ個人です。巨大VC、Andreessen Horowitzもトランプを支持しています。
そして彼らはまた、総じて親イスラエル。
イスラエルのスタートアップには軍諜報部隊8200個隊からテック業界と言うパイプラインができています。

Paul Biggar

そんな世界にいる彼らが、格差社会や平等権利、環境問題に関して偏った意見を持つのは当たり前の事。テック・起業投資家・グローバルと聞いただけでその人の意見を鵜呑みにしない方が良いかと思う。

リトマス紙としてはCEOなら従業員の男女比とか(笑)

害悪マッチョ文化はジャイアンだけでなく、のび太にも出来杉くんにも出る可能性あるよ、って事。頭脳明晰だから、とか関係ない。そしてそれは保守でありタカ派に行き着く。


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