南部州「偉人」の銅像/南軍旗の意味するもの
ACLU(アメリカ自由人権協会)弁護士 ジェフ ロビンソンの2017年のレクチャーがNow Thisで上がっていました。訳です。
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「伝統、と憎しみ、は別物だ」という論議を聞いた事があるでしょう。
アメリカ南部の文化と伝統は奴隷制と同義ではない。南軍将校達の銅像は南部の文化、伝統、誇りを表すもので、奴隷制とは関係がない。
と言うものです。
私はテネシーのメンフィス出身です。州都のナッシュビルに行くと、Nathan Bedford Forrestの胸像があります。
彼は奴隷ビジネスで富を築いた。KKKのオリジナルメンバーで、南北戦争中に黒人や白人の兵士を大量虐殺した一人です。
この胸像は1865(奴隷制が終了した年)などに置かれたモノではありません。人々が「彼の功績を讃えよう」と言って置かれたものでもありません。
この胸像は1970に置かれました。
テネシー州ナッシュビルの近くでキング牧師が首を撃ち抜かれて暗殺された年の2年後です。
これらの銅像/胸像が建てられた/設置された「時期」を見る事はとても大切だと考えます。
ブームは2度あって、第一波は1890年頃から1921年あたりまで。
その時社会では他に何が起こっていたかと言うと
1900ー人種問題による暴動、NYとニューオーリンズで
1901ー105名の黒人がリンチ(黒人と言う理由で拷問して殺害すること)に会う
1902ー85名の黒人がリンチ
1903ー84名の黒人がリンチ
1905ー57名の黒人がリンチ
1906ー62名の黒人がリンチ
1908ー89名の黒人がリンチ
1910ー67名の黒人がリンチ
これが普通だったんです。何もショックな事はない。その事実がいかに白人至上主義がアメリカ文化の深くまで根ざしているかを物語っています。
1921年にはオクラホマ州のタルサで、「黒人のウォールストリート」と呼ばれるほど栄えていた黒人のコミュニティーが襲撃を受け、300人が殺され、街は焼き払われました。(*先日トランプがコロナ後初のラリーに選んだ土地です)
「南部偉人の銅像」が次々と建てられたのはそういう時代です。この「偉人」とは白人至上主義と奴隷制を守るためだけに戦った者達です。
第二波を見てみましょう。1947年から1968年です。
1934−1947ミシシッピ上院議員の言葉
「血の通う全ての白人男性に告ぐ、何としてでも黒人(ニガー、と侮蔑名称で呼んでいる)の投票を防ぐ事。それがどういう事か分からないなら貴方はバカだ。
どうやってやるかは知っているだろう。私も知っている。選挙の前夜にそれを行うんだ。」
南北市民戦争後の「リコンストラクション」政策(南部諸州の合衆国への復帰と、元連合国の指導者たちの地位の回復、解放された自由黒人の法的、政治的、経済的、社会的なシステムでの平等の実現を目指した)は実はある程度成功していたんです。
2000人以上の黒人政治家が登場し、黒人主導の事業が波に乗って来ていた。しかし、1877年、大統領がルイジアナから連邦軍を引き上げると、前年1876年には州内12万5000人いた黒人の登録投票者(アメリカは投票するのに登録しないといけません)は1878年には5000人に減りました。
南軍旗の話をしましょうか。
(*バッテンのやつです)
(南北戦争後)1948年までは葬り去られていたんです。1948年、ストーム サーモンドというサウスキャロライナ州の政治家がStates Right Democratic Partyという新しい政党から大統領選に出馬。その時のプラットフォームは「人種分離を!」でした。彼が選挙運動の為に南軍旗を掘り出したのです。
1951年の新聞記事(Augusta Courier紙)ではこうあります。
「南軍旗には意味がある。そしてそれは皆で共有されるものとなった。南部の為に、という事だ。南部の鼓動だ。白人のシンボルであり、白人の為のものである。南軍旗は人種分離を意味する。」
こんなにはっきり言っているんです。
それなのに今でも私達は銅像の意味は、南軍旗の意味は、などと論議をしている。
1963年にはアラバマで黒人教会の爆破がありました。4人姉妹が出席していました。内3人が他の何名もと共に死亡。「今日人種分離を!明日人種分離を!永遠に人種分離を!」とのスローガン。州立大学では南軍旗がはためいた。南部偉人の銅像ブームの第二波の背景はこういう社会でした。
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後年(市民団体からの抗議を受けて)そのような銅像が撤去される時、それは大抵夜中に行われていました。こっそり行われたんです。まるで悪い事でもしているように。
しかし今日行われている人種差別撲滅の為の議論はその頃とは比べ物にならないほど情熱的で思慮深いものです。こんな事は私の人生ではありませんでした。今までもとても歯がゆい思いをしてきました。しかし、今、希望を覚えずにはおれません。もしかして私達は大きく変革する所まで来ているんじゃないのか?と思わずにはいられない。
銅像を倒したからと言って問題が解決する訳ではありません。しかしそれは、私達社会が「(歴史の)真実に向き合う準備ができた」という強いステートメントではないでしょうか。