反ユダヤ主義(1)ターミノロジーと起源
チャップマン大学の歴史学者で、反帝国主義のリアーム・オマラ氏のインタビュー。
前回、「シオニズム」に関してのインタビューも非常に勉強になった。抄訳はこちら。
オマラ先生は米国出身のユダヤ人で、親パレスチナ活動家。このインタビューは2時間にも及び、内容の範囲が広大なので、3部に分けて訳して行く。ヨルダン川西岸地区を訪れた時にユダヤ人入植者に発砲されたり、車で轢かれそうになった話(「西岸の入植者達は恐ろしい人達です」)の後、本題に入る。
反ユダヤ主義が親パレスチナ解放運動に及ぼす悪影響
「ユダヤ人は人口の2%しかいないのに、バイデン政権の閣僚はほとんどがユダヤ人だ」とのユダヤ差別的なポストがパレスチナ人に連帯する人のコミュニティーの中で拡散された。
パレスチナ解放の運動の中でこのようなユダヤ人差別が流布してしまうことが実はパレスチナのためにならない事は数十年の活動の失敗の経験から多くの親パレスチナ活動家が知っている。彼らは内部のこのような「差別返し」の動きをもぐら叩きのように潰していく。
88年版のハマスの憲章にはユダヤ差別的な文言が含まれていたし、ユダヤ人に関する陰謀論もそのまま受け入れていた。それがパレスチナ解放を阻んでしまう事を理解し、2017年版の憲章ではそのような部分を削除している。差別的な言説は一度流布してしまうと回収は困難。ユダヤ人差別をする人がハマスに一人もいないとは言わないが、この改変は大きく評価されるべき。
それでもパレスチナ解放運動の中でこのような動きがなくならない。実際の反ユダヤ主義の白人至上主義者が親パレスチナの運動に乗っかり、侵入し、ヘイトを広めるからだ。キャンディス・オーエンやネオナチ、1930年代のナチスドイツを称賛するような輩が「親パレスチナ」と自称してユダヤ差別を耳打ちして来る。本当の所彼らはユダヤ人もムスリムもアラブも全て排除するのが目的だ。
その出所が不確かな反ユダヤ的言説を、善良な親パレスチナの個人がユダヤヘイトの犬笛とも知らず拡散してしまう。本人は悪気はないかも知れないが、ユダヤ人が見たら眉を潜め恐怖を覚えるだろう。「パレスチナ連帯の人たちは反ユダヤ」と思ってしまう。
私のパレスチナ人の友人たちは「お願いだからユダヤ差別的な発言をしている人を見たらすぐに正して欲しい。自分たちはユダヤ人を差別したいのではない。パレスチナ人を解放したいのだ。」と言う。
世界中のユダヤ人は、2000年間の迫害により、世代を超えたパラノイアを持っている。少しでも相手に「ユダヤ差別」の匂いを感じてしまえば、もうその人の話は耳には入らない。イスラエルに対する批判も受け付けられなくなる。なぜなら「どんなにダメな国でも自分が安全でいられる唯一の国なのだから守るしかない」からだ。イスラエル国外在住(ディアスポラ)ユダヤ人(イスラエル国内より多数)を怖がらせては話にならない。極右シオニストはこのユダヤの「恐れ」を利用する。
米国のユダヤ人はほとんどがリベラル左派である。民族国家主義(ethno nationalism、ある一定の民族が主権を握る国民国家)や差別主義に反対する立場であるのだが、現存イスラエルを頑なに何度でも擁護してきた。なぜか。イスラエルのアパルトヘイトの全貌を知らされていない、というのも一つある。しかしそれよりもこうだ。
「ユダヤ人が世界を支配してるんだってよ、怖ー」といった陰謀論’、トロープに晒される度に彼らは「やっぱりイスラエルは必要だ」と確信する。「非ユダヤ人(goy)とは分かり合えない」「ユダヤ人はどこに行っても差別される」と何度も何度も思わされるからだ。つまりユダヤ人のイスラエル擁護の最大の理由は「恐怖」である。
なのでユダヤ人を盲目的なイスラエル擁護から解放したいと思えば、彼らを怖がらせるような陰謀論やトロープを親パレスチナ運動から完全に抹消しないといけない。
いかにも「ネオナチ!」な人が言えば「その言動はユダヤ差別だ」と分かりやすい。しかしケフィエを巻いた親パレスチナ活動家が(自覚無く)発するほんのりとしたユダヤ差別は、パレスチナ人に心を寄せる一般人もなんとなく受け入れてしまう。
その様子を見て凍りつくのはユダヤ人である。
主に西洋文化に深く根を張るユダヤ差別はどこから来るのだろうか。発祥を掘り下げていく。
Antisemitism
ユダヤ差別主義を表す英単語であるが、この単語自体が既に差別な要素を含む。ハイフンと大文字Sを使いAnti-Semitismと綴る人がいるが私は個人的に好きでは無い。大体「反」Semitismと言うが、Semitismなるものはない。ismとついているが、セム主義なんてものはないのだ。更にこの言葉が示す差別の対象はSemite(セム人=アラビア人、エチオピア人、ユダヤ人)では無い。パレスチナ人だってセム人だ。antisemitismの対象はあくまで「ユダヤ人」なのだ。
「ユダヤ人」には「ユダヤ教徒」と「ユダヤ民族」の二つの意味がある。「ユダヤ教徒」へのヘイトがユダヤ差別の始まりだった。のち、19世紀ごろ民族に優劣を付与したがる似非科学「race science」が始まった。ユダヤ民族が差別されるにふさわしい科学的根拠があるかのような民族差別正当化の仕草としてantisemitismという言葉は生まれた。
現在antisemitismが定着してしまっているので私はしょうがなくハイフン使わず、一語、小文字のsで表現する。
Race Science
人類学、生物学の初期の学者達は当時の帝国主義の世界のあり方を図らずも内面化している。18ー19世紀、欧州が世界の覇権を握った。その事実ははある一定の社会構造や、思想などがうまく絡まって起こった結果だ。しかしそれを「科学的に」証明したい動きがあった。欧州の「人種」は優れた存在なのではないか、という仮説の研究が多く行われた。
人種とは振れ幅のある社会的コンセプトであり、生物学的根拠は何もない。現在私たちにはDNA解析というツールがある。サブサハラ東アフリカ(タンザニアやギニア)とサブサハラ西アフリカ(ガーナやナイジェリア)。両地域に住む人々は私たちから見ると非常に似た外見を持つ。しかしこのグループは双方、お互いの持つDNAより欧州白人のDNAの方が近いのだ。
人間の外見は環境に応じて時間をかけて変わる。外見により分けられた人間のグループ間に能力の優劣があるとするのは非科学的である。
しかしこの18−19世紀の似非科学「race science」は人種により生来の能力が違うと主張をし、欧州の覇権を説明しようとした。それが差別の理由になった。それは宗教が差別の理由になるのと同じ。「科学」や宗教はその時の社会情勢(誰が覇権を握っているか)に文化的に左右される。差別の出所は帝国主義なのである。
ダーウィン。今書店に行き「種の起源」を手に取ればそれは大体第一版である。ダーウィンは生涯、全部で6版出したが、結局最終的に残ったのは第一版。毎回毎回、プログレッシブな「人間の種は完璧な存在に向けて進化している」といった進化の方向に上昇偏向があるかの思考が紹介され、その度に改変していた。
進化とは環境に応じて「分岐」して行くだけで、「より良い存在」に向かっている訳ではない。クラゲやサメはもう長い事進化していない。十分環境に適応しているからだ。
「進化とはより上層の、より複雑な生物を生み出すこと」とするなら後に登場した種が「より完璧」という事になる。そのロジックなら人間は他の哺乳動物より「高度な存在」になるだろうし、アフリカの黒人が北部に移動してメラニン失っただけの白人が「より高度な人種」となる。それは差別思想につながる。
ダーウィンの思想は19世紀中期に執筆されるが、そこから100年後20世紀のネオダーウィニズムやメンデルの法則の登場により「やっぱり第一版が正しかった」と分かるまで、様々な当時の他分野の科学に影響を受けた。そしてその「当時の科学」は当時の文化の影響を受けていたし、欧州の世界覇権を人種で説明つけようとしていた。
要は人種差別的科学であった訳だ。もちろん当時からそれに反対する研究者はいたが少数派だった。それをドライブするのは、帝国主義である。帝国が政治的・経済的に人々を支配する時、文化的ー宗教的ー科学的な正当化が必要である。このような似非科学は人種差別を生み「劣った人種は支配して良い」という帝国主義の正当化に使われる。
この動きがユダヤ差別をantisemitismと呼ぶようになった背景である。よって、18世紀以前のユダヤ差別をantisemitismと呼ぶのは厳密には間違っている。言葉の意味を正確に表すなら18世紀以前のユダヤ差別はJudeophobia(ユダヤ恐怖症)の方が正しい。イスラム教に関してIslamophobia(イスラム恐怖症)という言葉が既にある。それと同様に表現すれば良い。
ユダヤ差別の起源
1。キリスト教以前
キリスト教の存在の前からユダヤ差別があったことは分かっているが、構造的では無かった。ユダヤ差別が最初に確認されるのはセレウコス朝(紀元前300年、現シリア周辺)。
アレクサンドロス大王の後継者の一人、セレウコス一世ニカトルは「皇帝崇拝」を考案した(これは後にローマ帝国でも採用される)。ユダヤ教は一神教なのでユダヤ人はそれを拒む。ニカトルはユダヤ教を禁止し、神殿を攻撃した。
このユダヤ差別は長続きしなかった。当時の世界の土着のパガン宗教は多神教であり、多様性に寛容であった。例えば同じアレクサンドロス大王の後継者によるエジプトのプトレマイオス朝はアレクサンドリアのユダヤ人コミュニティーを援助して、聖典をギリシャ語に翻訳させたりしていた。
2。カソリック
後にキリスト教によるユダヤ人への迫害が始まる。それはキリスト教自体にそのような教えがある訳でなく、ローマ帝国の政治的権力とキリスト教の結びつきが要因である。
キリスト教はユダヤ教の1セクトとして始まった。1世紀頃、ユダヤ教の中で終末論的アイディアが多数拮抗し、個人の存在意義(なぜ人生は辛いのか、なぜ生きる意味があるのか)を問う過程で「神にはプランがある」と考える派閥ができた。キリスト教もそのうちの一つ。なので初期の信者は全員ユダヤ人だった。
イエスはトーラーユダヤ人(トーラーに忠実な原理教的なユダヤ教の一派)であった。トーラーの教えを忠実に守っていた。キリスト教はその後パレスチナの外、ローマ帝国の他地域に広まって行く。そのうちキリスト教に他民族をキリスト教に改宗させる事を重要視する思想が強まり、キリスト教はその初期のユダヤ性を排除して行く。
キリスト教の内部で様々なムーブメントが生まれ、ユダヤとしてとどまる派閥もあれば、完全にユダヤ性を払拭した派閥もあり、後者がローマ帝国の上層部に取り入れられた。
ジーザスを処刑したのはローマ帝国である。ローマ帝国しかそんな事をできる権力は無かった。磔刑は国家反逆に対する懲罰であったし、罪状は「救世主である事」「反乱の先導者である事」。しかし、ローマが神を殺した悪者であると言ってしまうとローマ人のキリスト教改宗の勧誘が難しくなる。そこで、「ユダヤ人がやった」という事にする。
マタイ27:25、反ユダヤ主義の正当化として引用される「彼の血を私と子孫に!」が有名。これによりユダヤ人は呪われた種族なるというのがblood curse言説。ユダヤ人達がイエスの死に関して自分たちの責任を認めた、と解釈されたシーンである。イエスも使徒も皆ユダヤ人だったのに。
この都合の良い解釈によると、イエスがユダヤコミュニティーを怒らせて処刑された、という。しかしユダヤコミュニティーがイエスと対峙した事実は無い。イエスと論議を交えたのはユダヤ教内パリサイ派のみ。しかも「信教の分散体制(一点集中型の信仰システムではなく、信者が集まるだけで、立派な寺院がなくても、権威あるプリーストがいなくとも信仰はできるという思想)」において両者の意見は同じだった。
当時のユダヤ人コミュニティは完全にローマ帝国の支配下であり、ヘロデ王はいたがローマの言いなりであった。その後継者もローマによって田舎に送られている。ユダヤ人コミュニティはローマ帝国傀儡の首長が統治する田舎のコミュニティーでしかなかった。
イエスがユダヤ権力者を怒らせた、と言うからには「なぜ」が必要だがその説明はない。イエスはトーラーユダヤ人であり、トーラーの教えに反することはしない。ユダヤ権力者は法廷でイエスを尋問したというが、季節は過越祭。そんな事をその時期にしていたら権力者自身がトーラー律法違反となる。
このような事実を無視してまでも初期のキリスト教にとって「イエスはユダヤ人が殺した」と設定することは重要だった。特に4世紀、イエスは「救世主」や「預言者」でなく、神そのものだとニカイア評議会が決定するとユダヤ人への迫害がさらに激化する。「神殺しのユダヤ人」。これはここからずっと、1960年にカソリック教会が正式に否定するまでおよそ1500年間ずっと叫ばれて来た。
因みにユダヤ人への言われない糾弾を取り下げたカソリック教会の発表に反発した教徒の一派はユダヤ人ヘイトを続けるために教会を離れる。ユダヤヘイトで有名なメル・ギブソンがその一人。
3。プロテスタント
そしてルターの宗教改革(16世紀)。「ユダヤ人への差別的な教示を改変する」とユダヤ人コミュニティーにキリスト教への改宗を呼びかけたがユダヤ人は断ったため、激怒。大層差別的なレトリックを教示に盛り込む事になる。カソリックで育ったヒットラーもルターの反ユダヤ主義に共感していた。
この中世プロテスタント以降のユダヤヘイトでは様々な陰謀論が流布した。
その種類はpart 2 で。