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ギリガン ♥ マイ・ファニー・バレンタイン

写真のコ、ギリガンは1年ほど前にお別れした(死別ではありません)、当時の家の近所のノラちゃんです。お向かいさんで友人のRonがギリガンと名付けました。ノラ猫は私の大きな弱点です。家の中にネコが何匹いようと、裏庭にゲスト猫がやって来ようものなら、一眼レフを取り出して10枚は写真を撮っています。裏庭にゲスト猫が入って来やすいように、何気なくフェンスを緩めている箇所もあります。人間には気づかれませんが大抵のネコは気づき、うちのネコ達の匂いから彼らを物色すべく入ってきます。

このコギレイな郊外にあまり野良猫はいません。私の経験ではアメリカではあまりノラ猫を見かけません。シェルターのシステムがしっかりしているせいもあるでしょう。ノラ猫を見かけようものなら誰かが通報して、ネコはシェルターに「保護」されます。そして冷暖房の効いたきれいな室内で、空腹ともおさらばし、やさしい動物好きの人たちにケアしてもらえます。これは飼い猫の場合が多く、保護されてハッピーな場合です。でもノラとしてのライフを満喫していたとしたら、それは「拉致」や「軟禁」に当たるかもしれません。。。これは大きなテーマで長くなるので、別の機会に書きたいと思います。

うちへやって来る大抵のゲスト猫はしかしながら、明らかにノラではありません。キレイだし、人におびえないし、お腹も空いていない、どこかの飼い猫がただ探索に来るだけです。が、ギリガンはノラそのものでした。彼は9年前私が引っ越して来た時に、お母さんネコと3-4匹の兄弟と共にぞろぞろとストリートを歩いていました。みんな見事に同じ柄のキジトラでした。それが、いつぞやお母さんと兄弟は姿を消し、ギリガンだけがここに残った様子でした。何があったのか知る由もないのが、ノラとの関わり合いの常です。

おそらく同じブロック内のどこかで、不定期にゴハンをもらっていたのではと思います。でないと、ここに彼だけが残った理由がありません。またブロック内にはいつも2軒ほど、どこかしらの家が売りに出ていて、場合によってはネコなどの小動物がホテル代わりに利用していたようです。でも人の家で飼われていなく、一度も飼われたことがないのは確かでした。人間をノラレベルで警戒し、ゴハンをくれる人にさえ一定の距離 (理由なく10メートル以内には近づけません) を置くのは、ストリートで生まれ育ったものだけが培う知恵です。

私は彼がまだ子猫だった頃から、彼にクラッシュ(一目惚れ)していました。が、私の育った日本の社会では、ノラ猫にゴハンをあげることが社会のゴミを増やす、タブー、無責任、と見なされていたことから、ゴハンをあげることが犯罪レベルのように感じられ、滅多にあげず、またやむを得ずにあげる場合は絶対に口外しませんでした。アメリカでも反対する人はいますが、シェルターのシステムがあるためか、あげたい人はあげているようです。地域にもよるかもしれません。

私はアメリカでコントロバーシャルでかつ最も成功していて、大企業から恐れおののかれている動物虐待阻止団体PETA (NPO) の20年来のサポーターでもあり、どんなテーマも長くなりがちで、私の一部は精神的に潰れている部分もあるため、ここnoteでは軽く触れる程度に留めたいと思っています。(興味をそそられたらぜひ覗いて下さい。動物愛護団体、そんな生やさしいものではありません。peta.org)

話を戻すと、ギリガンはこの住宅地で9年間をタフに生きてきました。と、言い切れます。ある時期うちにゴハンを食べに来てた時もあり、ある時期は隣人Ronが別の理由であげていた時期もありました。彼がサラリーマンの時代は毎日家を14時間ほど空けるため、日中を外で過ごしていた彼のネコのダドリーに、ポーチにゴハンを置いて出かけていました。それを実はギリガンが食べているのを知って、お皿を二つ置くようになったのです。

私は長年ダドリーのキャットシッターでもあったため、これは何度も目撃しました。ダドリーはまた、ギリガンが来ると「先に食べなよ」とばかり、全面的に自分のゴハンを譲るのです。私がダドリーのゴハンをRonの家のポーチまで持っていき、それを必ず待機しているギリガンが、ダドリーのダイニング場所より数歩手前で「ミャ!ミャ!」となんともか細い声で鳴きます。ダドリーのお人好しなのを知っている私は、ギリガンに別の(近所から見えない)場所に一つかみのカリカリを置いたりしました。

実はダドリーはお人好しではなく、ただギリガンに譲りたかったのかもしれません。それはダドリーが亡くなった時、私とRonと彼の200人のFacebook友達を驚かせ、納得させました。高齢のダドリーが短い闘病生活の末亡くなって、Ronは裏庭にお墓を作り、私はガーデンで摘んだ花や葉を小さなカップに挿して持っていきました。するとそのカップ以外には墓石もなんのモニュメントもない地面に、ギリガンが丸くなって座り込み、2日間動かなかったというのです。ネコ好きのRonのFB友達はみな興奮してあーだこーだ言いながら、全体的にはそれはとても信じられるあり得ることと言い、ネコ人間の経験談をみなシェアしていました。

飼い猫の相棒を失ったギリガンは、その後もRonの所にしばらくゴハンを食べに行っていた様子です。近所を調査するのが好きなRonは、ギリガンの不定期にゴハンをもらっているらしき家を嗅ぎだしましたが、明らかに不定期で、ギリガンはたいていいつもお腹をすかせているのが現実でした。

やがてRonはギリガンにゴハンをあげるのを止めました。そもそもRonはノラ猫がキライなのです。飼い猫とノラ猫をきっちり線を引いて分けて考えています。彼は人間に対してもそういうところは似ています。でもダドリーの友達らしかったため、大目にみてきたのです。そのダドリーがいなくなり、しばらく後、新しい子猫をアダプトした日には既にギリガンは過去のもので、何の関係もないという態度になりました。そのような態度をすばやく感知するストリートスマートなギリガンは、時々うちへやって来るようになりました。が、不思議なことに時々でした。私がゴハンを片手に同じ時間に待っていても、来ない時もあります。うちのたくさんの他のネコ達が、ダドリーのようなウェルカムをしなかったせいかもしれません。

そのギリガンが私が引越すことが決まってから、ようやく定期的に来るようになりました。
「ひと月後にまた元に戻っちゃうのに、もっと早く来ればよかったのに何してたの、今まで!」
と言いたくなりました。フロントヤードはみんな家の中から他人の行動をよく見ているので、あからさまにはゴハンを置けず、裏庭に置いておくとうちの誰かが食べるせいもあり、なかなかギリガンをターゲットにゴハンをあげるということが今までは難しかったのです。が、その頃私はカリカリでなく、ゴハンを手作りしていたため、煮たチキンなどをあげるとギリガンは翌日も現れました。11月でちょうど寒さがきつくなり始め、おまけに北カリフォルニアは雨季でもありましたが、だいたい同じ時間にお皿を持って隣の家との境にある狭い通路で待つと、やって来る、あるいは近くで待っているようになりました。幸い隣は当時空き家で、誰にも気づかれずに彼にゴハンをあげることができました。その時間は毎日の楽しみとなり、たまたま来客でもある日には不謹慎ながらそろそろ帰ってくれないかな、などと思ってしまいました。ギリガンは他に用事があったわけではないでしょうに、でも永遠には待たずに「今日はないんだな」と見極めて、2-3時間後にはもう待ってはいないのです。

それにしてももっと寒くなってから、数週間で私は引越してしまいます。一緒に連れていくわけにはいかないし、彼もそれを望んではいないでしょう。たとえ可哀そうに見えても、本当にそこが嫌で危険な場所だったら、そこにはいないはずなのです。

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今日の2枚の写真は(写真としてはいい出来ではないのですが)、私がかなり近くにいても、ゴハン時は平気なようになった頃のものです。そして食べ終わり、体をそうじして、私がいろいろ話しかけるのを背中で聞いているのかいないのか、フェンスをよじ登って闇に消えていきます。ギリガンはもしも飼い猫になっていたら、もっとキレイで表情もやさしいネコだったろうと思います。でもあれが彼が与えられた運命なのでしょう。ノラちゃんで9年目というのは見事なものです。気候もそれほど厳しくなく、比較的平和な界隈だったのでしょう。彼のようなコは私はさほど心配はしません。私が引越せば瞬時にそれを理解したでしょうし、あり得ない期待などもせず、新しいフレンドリーな場所を探すだけです。私はノラ猫のそういうしたたかさ、強さ、割り切り方が好きです。振り返ったり思い出したりするのは私だけです、きっと。


もしもサポートを戴いた際は、4匹のネコのゴハンやネコ砂などに使わせて頂きます。 心から、ありがとうございます