中卒35歳元引きこもりが日本一周を始めた理由 #虎note
こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。
今日は、筆者が日本一周を始めた理由と、それまでに至る経緯、そしてこれまで旅をするまでに感じたことを色々書いていきますね。
はじめに
この記事を読んでくださっている方には様々な方がいらっしゃると思います。
特に筆者のSNSのフォロワーさんの方などは、これまで色んな経験をされた方も多いと思いますので、そんな方に向けて「こういう生き方もあるのか」ということをお伝えしていければと思っています。
我々は現代社会に生きていると「正解」を求められているのではないでしょうか?
その中で生きていると、時に息苦しさや不自由さを感じることもあるかも知れません。ですが、一歩飛び出してみれば、存外に自由であることに気付けるものです。
今日のこの記事が、今読んでいる貴方の人生の、新しい開きになることを願ってこの文章を書きます。
極貧生活
筆者は、15歳から働き始めました。
高校を中退して半年引きこもりを経験後、型枠工という肉体労働を経て、18歳から20歳まで自衛隊にいました。
それまでは東北にいたのですが、自衛隊からの転職を機に上京。
そこからは殆ど、営業などの完全成果報酬の仕事をして生きてきました。
20代前半は仕事漬けで、しかも鳴かず飛ばずでした。
人とルームシェアをしながら、それでも生活費はカツカツ。
1日の食費は500円あればいい方。
本当にセンスは皆無なくせにプライドだけは高く、売れてなくて、気力だけで生きていました。
ふと横を見ると、同年代の友達は大学生活を謳歌しています。それを横目に「俺は今頑張ってて、後から報われるんだ!」と思って、極貧生活をしながら生きていました。
風呂なし物件で銭湯代も払えず、家の給湯器で身体を洗い、タオルで身体を拭くといった生活をしていました。
酷い時は1か月食費も交通費もなく、友達が実家から貰った米を分けてもらい、それに調味料をかけて食べるという生活をしながら、アポ先まで徒歩で歩くという日々もありました。
当時は一生懸命でしたが、それ以上に愚かでした。
この世の貧乏は「愚かさ」「見栄」「怠惰」によって出来上がると思っています。
筆者は中卒でしたが、それ以上に考える頭のない愚かな人間だったので、貧乏な時代が長かったのだと、今だったらわかります。
今、セミナーや対面のセッションなどで色々なことを人にお伝えしていますが、当時の自分のように、熱量があっても、どうやったらうまくいくかわからなくてあがいている、そんな若い人に道を伝えたくてやっているところはあります。
実は羨ましかった
先ほど、
と書きました。
これが最終的にうまくいけば美談としてはいいですが、20前半ずっと鳴かず飛ばずだった筆者としては、美談にすらならないな…という気持ちです。
あの時期は、遊んで楽しんでいる同級生こそ愚かだと思っていましたし、頑張っている自分が素晴らしいと思っていました。
ですが、今思えば全くの逆ですね。
その年齢にしかできないことを思いっきりやる、ということが大事であり、それをちゃんとやらないと、逆に後から拗らせます。
人のことを愚かだと思って皮肉ってる人間こそが一番愚かだな、という好例でした。
そして、その本音の本音は嫉妬でした。
本当は、自分も頑張って学校に行って、勉強をしてみんなと一緒に学校生活を送って、楽しく笑っていたかった。
だけど、それができなかった自分は、他者を見下すことでしか自分の溜飲を下げられなかった。
そういう、心の弱さがあったなと思います。
中卒ですし
何故嫉妬が出てくるかというと、自分の人生を諦めているからなのだと思います。
筆者は、躾の厳しい家に育ちました。
その中で生きてきましたが、環境のせいもあったのか自身が壊れていくことに鈍く、15歳の頃に朝起きたら全く身体が動かなくなっていました。
目は動かせるが、首も動かない。
鬱病の初期症状でした。
そこから、筆者の人生は転落の一途です。
「終わった」と思いました。
これまで無理して無理して無理して頑張って生きてきた。
何かせめて、学校くらいは出て、人様に顔向けできるような自分でなければならない。
こんな自分が、学歴すらも持てず、これからどうやって生きていくのか。
15歳にして『人生が途絶えた』という体験をしました。
そこからは、自暴自棄になる一方でした。
神はいない、現世は地獄である
具体的な話は割愛しますが、筆者は子供の頃から30歳を超えるまでの約30年以上、人生を生きていたいとも思っていませんでした。
死ぬのも迷惑だから、消えたいな。そう思いながら生きていました。
自分が頑張ったことは殆ど裏返しの結果に出るし、努力してもうまくいかない。何をやってもNo.1になったことは殆どない。
人生を生きれば生きる程、どん詰まりになっていく。
こんな面白くない人生、どうやって生きて行けというのか?
年を重ねるうち、筆者は全てのことに不信感を持つようになりました。
神?そんなものはいない。
人?ゴミみたいな奴しかいない。
社会?人のことを不幸にする仕組みでしかない。
そう思っていました。
不信感を重ねていくうちに、やさぐれる態度が強くなりました。
そのふるまいをすることで人にも好かれなくなり、更に筆者は孤独になりました。
「なんで俺ばっかり」
いつもそう思っていました。
神や仏がいるなら、俺のこの状況を見てどう思うのか?俺が何をしたのか?望まぬ生を受けて、望まぬ家庭に育って、望まぬ今を生きて、俺を不幸にして楽しいのか?
と。
筆者の友人の経営者で、彼も苦労した人なのですが、彼も言っていました。彼は9歳くらいで家から兄弟ともども追い出されたのですが、そこから兄弟2人で路上生活を始めます。
そして、思ったそうです。
「本当に神や仏がいるなら、俺の7歳の弟が残飯食ってるはずがねぇだろう!」
と。
筆者も、きっと似たような気持ちだったと思います。
彼も筆者も、今では親と仲がいいですが、そのことを乗り越えるまで『現世こそが地獄である』と信じてやみませんでした。
逆境の克服
それでも、諦めだけは悪かった自分は、色々なセミナーや勉強会に行くことだけはやめませんでした。
不幸になった分の元が全然取れてねぇ。
ということが悔しかったんだと思います。
なんで自分の人生がこんなに理不尽なのか?
なんで自分の人生がこんなにつまらないのか?
なんで自分の人生がこんなにもうまくいかないのか?
人よりも熱量を持っている。
人よりも努力はしている。
人よりも我慢している。
俺は頑張っているのに、なんでだ?
と。
そして、その中での出会いや学びにより、自分がいかに独善的で愚かだったかを思い知ります。
30超えたあたりで、やっと気付きました。
俺が全部間違ってたんじゃねぇか。
と。
ずっと、筆者は俺は頑張ってて、正しくて、こんな状況になっても諦めない自分は偉くて、報われるべきだ。
と思っていました。
でも、それこそが貧乏と不幸の象徴となる考え方でした。
それまでの筆者は奪うこと、与えられることばかりを考えていました。
ですが、大事なことは
まず人の喜びになることを考えて生きること。
人が感動するような体験を与えること。
人がどうしても解決できない問題を解決すること。
でした。
そこから、少しずつ筆者の人生は好転していきます。
その具体的なメソッドなどは、SNSやラジオなど普段の発信で書いてますので、是非見てみてくださいね。多くの人が有料で出すものを、全部無料で出してますから、活かして貰えればうれしいです。
転機
筆者は2018年-2021年の4年間、狂ったように働きました。
平均月間400時間程度だったと思います。
1日10-15時間働くことは当たり前でした。
業務委託元に週7で出勤して、週4で泊まることもありました。
人生で初めて「働ければ働くほど結果になる」ということを体験しました。
人の役に立つことが楽しい。
人の役に立ったことがお金になることが楽しい。
誰かを幸せにすることが楽しい。
誰かを幸せにする中でビジネスをできるのが楽しい。
当時、筆者はSNS関連の仕事をメインでしていたのですが、数字ベースで日本トップレベルの結果をたくさん出すことができました。
30歳を超えて、人生で「自信」というものが少しだけわかりました。
これまで何をやっても鳴かず飛ばずだった自分。
どれだけ何を失敗しても学べなかった自分。
そんな自分が、一気に羽ばたいていける感覚が楽しくてたまらなかったです。
3年間必死で働いて、自分の人生に余裕ができたとき、ふと思いました。
俺ってなんで生きてるんだっけ?
そして、あることを思い出して、気付きます。
ああ、これ、羨ましかったんだ。
俺も、彼らみたいに自由を謳歌してみたいな。
と。
ずっと旅に出ることは夢でした。
中学生の頃から、自由に色々なところに行く人生って面白そうだなと思っていました。
その地にしかない風景や文化に触れ、知的好奇心を満たしながら生きていける。
そんな素晴らしい人生があるだろうか?
そう、どこかで抱いた夢を忘れていました。※今では心が汚れて知的好奇心と言いながら女の子のいる店に行くこともよくありますが。
出会い
旅に出ようと決意したきっかけは、現在も仲良くさせて頂いている永世さん( https://twitter.com/utopiaword )との出会い。
当時、筆者は自分のコンテンツを作ろうかなぁと思っていたのですが、その流れで彼を紹介して貰います。
彼はわざわざ遠方から会いに来ていただき、その時に色々なアドバイスをくださいました。
その時はお金もお支払いしていなかったのに、ずいぶん色々なことをプレゼントして頂いたように思います。
彼には「後世に残るコンテンツを作りましょう」と言われました。
そして、その為に今持っている知識を体系化しましょう、とも。
彼と会ったのは、2022年の春頃。
筆者はそこで2023年の自分の誕生日までに自分のノウハウをまとめて、旅に出る準備をしようと決めました。
半年間のセッションの募集
そこから、法人でやっていたコーチング、コンサルティングをSNSで募集してみました。
当時2500フォロワーに対して、約60件の応募がありました。
これは、かなり多い数字だと思います。
当初は30人くらいしか応募は来ないと思っていたので、10人だけ取る予定でしたが、あまりに応募が多かったので、60件のうち約25件をお断りして、約5件くらいのお断りを頂いて、最終的に30人くらいを半年間、セッションをさせて頂くことにしました。
気付きと発見の連続
そこから半年間、久しぶりにめちゃめちゃ仕事をしました。
1日に3-4件のセッション。
月に3,4回のセミナー。
日報のフィードバック。
たまにある電話相談。
元々の法人の仕事があったので、稼働としては+11日あればいけるなと理解していましたが、人を育てる仕事は稼働という観点だけでは測れません。
筆者は、全てのセッションをその人に合わせて変更しました。
同じことを同じようにやっても結果は出ないのはわかっていたので、その人に合わせてカリキュラムを組んでいました。
その中でびっくりしたのは、自分がこれまで驚くほど勉強してきたという気付きでした。
これは、当時やっていたセッションをメモしたものです。
半年の間、色んな種類の方が来てくれたおかげで、自分のノウハウもまとまりました。
人の成長を見ることの嬉しさも、ひとしおでした。
未完成のまま、やってみる
半年間のセッションの募集は「とりあえずやってみよう」と思って始めました。
その結果、ノウハウがまとまって、より的確なアドバイスやセッションを既存の法人さんなどにもできるようになりました。
紹介して頂ける人も、増えました。
ある程度まとまってから…と準備したがるのが人の性なのだと思いますが、そうすると準備で一生が終わってしまいます。
飛び込むのが先だ。
そう決めて、やってみることは存外大事なのだと、わかっているつもりでしたが、この半年間で沢山勉強をさせて貰いました。
そして、ホームレスへ
ですので、今回も理想だったコンテンツが出来上がった状態で旅には出ていません。
私は恵比寿に住んでいたのですが、恵比寿に住んで8年目だし、更新のタイミングで退去しよう!
そう決めて旅に出ることにしました。
家がなくなれば誰だってどっか行くだろ。
コンテンツなんて旅をしながら作ればいい。
大事なことは今やりたいことをすぐやることだ。
そう決めて、家の片付けを全部社員に押し付けて、ホームレスになりました。
そして、晴れて2023年の自分の誕生日のちょっと後から、日本一周の旅に出始めました。
当時のツイートはこちらです。
どうにか「する」
本当は旅に出るときには、全部自分の仕事がなくなっている状態を理想としていました。
ですが、そんな状態は中々に難しい。
だから20日くらいは地方で旅に出て、10日くらいは東京で仕事をするという生活をしています。
それでも、当初の目的であった旅をするということは問題なく叶っているなと思うと共に、少しずつ社員、チームも育っていって、自分の仕事を切り出すこともうまく行き始めています。
経営者あるあるだと思うのですが、自分でやる方が早いので、ついついやってしまうことでチームが育たない。
これは、筆者が旅に出るということを決めて、本人たちが責任感を持つようになったから変えられたことの1つだなと実感します。
大層な理想なんてない
記事の冒頭に、こんなことを書きました。
こういう気持ちもないではないですが、ぶっちゃけ嘘です。
本音は
「俺の生き様を見ておけ」
です。
感動は与えようとして与えられるものではない。
人は動かそうとして動くものでもない。
よって、筆者の記事を見て、人がどうなるかは、筆者にはコントロールできません。
ただ1つ、自分の生き様が誰かに届けば、どこかで何かが起こるかもしれない。
その自分の予測できない『何か』が起こることを、楽しみに生きています。
この文章を読んだ貴方が、そうであるかもしれないことを願っています。
読んで頂いて、ありがとうございました。
ここまで読んでくれた方は、スキボタンを押しておいて貰えると励みになります。
次回予告
旅をしていると色々なことがあります。
今回の旅の中で、様々な気付きや発見がありましたので、遠くないうちにもう1つ、記事を書こうと思います。
タイトルは
旅に出て5日目で、全然旅に興味がないことに気付いて飽きたお話
です。
お楽しみに。
公式ライン
有無を言わず登録しておいてください。
お読みいただいてありがとうございました。