子供の目線の先に…
常に床にあるものを拾い上げている。
子供がいない頃の部屋は、床に何かが落ちている現象といえば「おっと、さっきゴミ箱に投げたティッシュ、入っていなかったのか」って時ぐらいなもんだったが。
今は常に何か床に落ちている。
保育園からの帰宅後か、朝子供達が目を覚ます前、「子供達の遊んだ星屑」を拾い上げるのが、私の習慣になっている。(かの夢の国風の言い方にしないと、片付けないなら捨てるよ!と言ってしまいそうになる。)
落ちている、と言ったが、子供からすると、落ちてない、らしい。
「そこに置いといたのに。」
なるほど。
子供達の目線ってやっぱり大人と違うんだな。
ここ(ソファの下とか)に「置いといた」のか。。
そんなことを感じる毎日だ。
子供の目線に立ってみる、とはなかなか難しい。
彼らの「目線」と書いたが、物理的な目線もそうだし、彼らの見る感性という意味での目線も大人とは違う。
そして、その先には、子供の立場もあるだろう。
子供達の目線になって、感性含め、子供達の立場に立ってみるとは、なかなかのマルチタスクであり、なかなかの技術が必要だ。
でも、それができないと、子供目線で行動できるオトナにはなれないのだから、その術を身につけねばならない。
そう頭ではわかってますけど。
こちらはオトナになって随分と時が経ってますから、忘れているし。
なんなら、オトナには大人の立場があるし。
デパートで、まっすぐに伸びる通路がそこにあったら走りたくなるし、彼らにとっては初めて見るものばかりだから、触ってみたくもなる。
わかる。
けど、大人の立場的には、周りの人の迷惑になるし、嫌な顔もされるし、親注意しないの?的な視線も感じるから。
だから、「言うこと聞かないと、もう連れてこないよ!」というフレーズが口をついて出てしまう。
「走りたいよね、気持ちはわかる。けど、ここはたくさんの人がいるから、みんなぶつかったら痛いよね。あなたも痛いのは嫌だよね。」
って、彼らの気持ちと立場を汲んで伝えることは必要だろう。
頭ではわかっているから。
彼らの目線を、感性を、立場を忘れないために。
よし、今日はソファの下をのぞいてみよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?