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旅スナップ04 / 2022Summer / GR3

今回も前回に続き、場所を紹介しないで写真を紹介していきます。どこだかわかりますか?

ひたすら森が続きます。道路の流れは良いのでそこまで疲れませんが、長い。

昨日紹介した場所から車で一般道、高速道路を100km以上北上。かなり山が深いことを感じさせる長い道のりでした。

美しい山が車窓西側に。成層火山でしょうか。

県境を越え、しばらく高速道路を走るとだんだんと産地を抜け、平野になってきます。西には火山だろうなという形の美しい山。
水田とりんご果樹園が目立つ風景が続いていました。

丘陵の間を高速道路は抜けていきます。ここはりんごの果樹園のようです。

長いドライブを終え、今回の旅の目的地に到着。
真夏の日差しに照らされているアスファルトの駐車場には、家族連れ、バイクのツーリングの方など、平日でしたがそこそこ賑やかで夏休みらしい人出でした。

チケットを買い、資料館を見て、トンネルを抜けると…。
アプローチ。この奥に遺跡があります。(この立っている場所も含めて全体が遺跡ですが。)
こんな建物がたくさん復元されています。
茅葺、樹皮葺、土葺の3種の復元。
中はこんな感じです。太い樹木を植物性の縄(稲藁)で縛って固定しているようです。

ここは国内でも有名な縄文遺跡。なかなか来る機会がありませんでした。
復元された村の建物の中は、煙で燻されたような匂いがしました。虫除けでしょうか。煤で黒くなったりはしていないようでしたが。
また、真夏だし、建物の中は風通しも良くないので蒸し暑いのかな、と思いながら、せっかくきたので中に入ってみると、とても涼しかったです。熱線を遮り、土を掘り下げている分温度が低いのでしょうか?
昔、父が芋を貯蔵するために1mも穴を掘り、空間を作って上を板で被い、土を載せていたことを思い出しました。(土で埋めてしまう場合もありました。)土の中は年間を通じてそんなに温度が変わらないのでしょうね。

太い柱が天高く聳えていたのでしょうか。縛ってあるのは藤の蔓のように見えます。
真下から。迫力がありますね。

有名な掘立柱建築です。下の写真のように大きな穴と朽ちずに残った栗の木が発掘されました。温度や湿度を保った部屋で見ることができます。
上の写真のように柱のみの復元ですが、いろいろな説があるのであえて屋根はつけていない、と解説されていました。

当時の地面と土坑。
穴の直径は2m、木の直径は1mほどだそうです。

そして、もう一棟の巨大建築である大型竪穴建物。奥の高床建築と比べて大きさがわかりますね。内部の空間はとても広い。南アジアにも似たような形式の建物が今でもあるそうで、同じような文化のつながりがあるのでしょうか?

入り口は長辺の端に2つずつ、計4つつけられていました。
中は階段で降りる形で1メートル弱、掘り下げられています。天井が高い!
全景。大きさがわかりにくいかもしれませんね。人がいないので。
村の復元模型。左の方に大型建物がありますね。

紀元前2200年頃までの1700年間、継続してここにこの規模の村があったそうです。今自分が住んでいる場所の1700年前、あるいは東京でも京都でも1700年前には都市ではなく小さな村があった感じでしょうから、すごいことだと思います。それだけ、豊かで住みやすかったのでしょう。
また、ここ以外にもそうした縄文の村は各地にあったのでしょうか?ここだけが特別な場所だったのでしょうか?

丘の上に遺跡はありすぐ近くまで海が。現在の市街地は海の底だったということになりますね。

1000年以上続く、巨大な集落でしたが、紀元前2200年頃になると住んでいた痕跡がなくなってしまうそうです。このすぐ近くにあった海岸線が地球の寒冷化で現在の場所近くまで下がってしまい海の幸が採れなくなったり、植生が変わって栗が採れなくなったりして別の場所に移動したのではないかと考えられています。

盛土の断面。

最後に見た場所が印象に残りました。
盛土です。当時の人が不要な土、ごみ、炭や焼けた土、石器や壊れた土器を捨てていた場所が小山になっている場所が現在3ヶ所見つかっているそうです。下の方まで、土器が顔を出している地層は圧巻でした。2つの盛土からは土偶が多く見つかっているそうです。

オブジェその1。この縄文模様も気になります。
オブジェその2。

…ということで、一度訪れたかった場所に行くことできた、というお話でした。翡翠や黒曜石、漆器も見つかっているそうです。また、大人の墓、子供の墓、土偶…、色々当時の人々の思いも想像できる場所です。

みなさんも是非一度訪れてみてください。お勧めします!

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