コロナ禍での出産記〜尋常じゃない恐怖心と産んでみて半年、冷静な今思うこと〜
はじめに
以前、コロナ禍での出産について書きました※1。
その際は、これから来る未知の出産という出来事に向けて不安と、自分への説得に近い内容を綴り、その1週間後、無事に元気な赤ちゃんを産むことができました。
今回は、コロナ禍で出産してどうだったか、そして産前、尋常じゃないレベルで恐れていた出産が、実際どうだったかについてのまとめです。
※1:コロナによる出産立会い、面会、付き添い禁止について思うこと
これから出産(とくに自然分娩を選ばれた方には!)を迎える方や、今後出産を考えている方、大切な家族がこれから出産を迎えるという方々の参考になれば幸いです。
産む前の”尋常じゃない”恐怖心
冒頭でも少し触れましたが、出産前の私は、"尋常じゃない"レベルで出産を恐れていました。鼻からスイカとか、交通事故の全治2ヶ月レベルとか、足の切断と同じ痛みレベルとか、男性が出産の痛みを経験すると死ぬとか…嘘か本当かわからないけれど、なんだかとてつもなく痛いことなんだという情報ばかり脳にストックされていたからです。
それなら、無痛を選べば良いじゃないかと思われるかもしれません。妊娠がわかった時、もちろん無痛の可能性も考えました。
最近では、計画無痛分娩を選択される方も増えていて、友人からも無痛分娩は良いという話を聞いていました。また、私はかつてアメリカとロシアでの生活経験があり、いずれの国の友人にも、自然分娩を選択したというと驚かれます。
それでも、なぜ無痛を選ばなかったのかというと、2つ理由があります。
1つは、自宅から最も近く、出産を希望している病院に、無痛の選択肢がなかったから。
実家も住居も都内のため、里帰り出産は考えていなかったのですが、病院を選ぶ際に重要視していたのは、産後の過ごし方と、何よりも家からの近さでした。一人で陣痛や破水が来てしまった時に備え、自分の足でも行けるくらいの距離を優先して、産院を選びました。
そして、無痛にしなかった2つ目の理由が、「超怖いけど、体験してみたい」です。
すんごく痛いって聞くけれど、何千年とヒトがヒトを産んできたから今の世界がある。みんな産んで育てて、また産んでいる人もいる。
超絶痛いけど、それでももう1回繰り返しても良いんじゃないかと思えるものは何なんだ。そんな好奇心もなきにしもあらず、無痛をあえて選択しませんでした。1回経験してもう嫌だ〜!と思えば、それはそれで。もし2度目の出産が人生で訪れるならば、その時は無痛にすれば良いと思っていました。
無痛を選ばなかった理由を、さもありなんと書きましたが、出産前は本当に怖くて怖くて、不安の塊でした。
出産前の準備や、出産後、育児についての情報はゴマンとあるのに、出産の痛みについてのレポや詳述があまりない…!(あえて調べようとする人いないのか、発してもニーズがない&個々で感じ方は違うからか)
産前は、毎日血眼になって、インスタの出産レポや、youtybeで助産師さんや、出産経験者が発する、いきみ逃しや、穏やかに出産する方法をディグり続けていました。
それでも、予定日が日に日に近づいてくると、今日かな、明日かなとソワソワ。夫のちょっとした発言にもいらだって、「もし、チ○コと金○を切る痛みが一両日中に訪れるんだよってわかっていたら、どんな気持ちになるかな!」と気遣いの恐喝をする始末でした笑
出産は突然だと思っていたら
無痛を選ばずして、出産への恐怖心を毎日育み続けていた産前。臨月まで仕事は続けていたのですが、出産への恐怖心を少しでも取り除き、穏やかな(?)覚悟をもって臨むために、ありとあらゆる情報を漁っていました。
出産中の痛みすら喜びに変えられるという「ソフロロジー出産」、10人以上の出産経験がある助産師さんのチャンネル、会陰マッサージ、カンナビスオイル、ヨガ、アロマ、出産を扱った映画に、ヒマラヤ仏教。
何かしていないと落ち着かない&事前に計画or準備していないことに弱い性質なので、毎日無駄に忙しく情報を仕入れては、自分の思考が湧く隙を脳に与えませんでした。
そして、計画出産ではないため、出産=突然やってくるものという気持ちでいました。
突然起きて欲しくないようなタイミングで破水か陣痛が起き、一人ないし夫と病院へ息絶え絶えのなか病院へ向かうも、待っているのは尋常じゃない痛みの陣痛。そして足の切断レベルの出産…。そんなプロットを思い描いていました。
しかし、自分の予想していた出産とは異なるフローでその時は訪れました。
仕事以上に精を出していた情報収集にいそしんでいた、予定日の前前日。8時頃呑気に夕飯のカレーを食べ終え入浴。生理のような出血がありました(といっても数滴の血)。
痛みも破水もあるわけではないので、無視してもいいかな〜と思っていたのですが、「何となく」気になったので、産院に電話してみることに。産院からは、ではとりあええず来てくださいね〜というお返事をいただき、準備してあった入院バッグを念のため持って、のんびり産院に行ってみてもらいました。結果は、破水のような破水でないような…というなんとも歯切れの悪い回答。予定日も近いから泊まってもいいし、帰っても良いとのことだったので、これまた「何となく」宿泊を選択しました。
ここまで、とっても呑気に事が運び、入院手続きを夫としていたところ、展開が急変します。
突如、ズドンという痛みが1発。立っているのもままならないような痛みでしゃがみこんでしまいました。とっさにこれ陣痛!と思い、コロナで立会い&付き添いが受付までだったので、入院手続きを終え、夫とその場で別れ、荷物を担いで一人LDRへ向かいました。
そこから、出産に備えて服を着替え、産後に必要な下着や水分、携帯、出しておきたいものなどを準備しました。
以前の日記にも書きましたが、夫の立会いができないため、出産はLINEでの通話、PCでzoom、デジカメで撮影を行うべく、あらゆるデバイスをフル装備していました。陣痛バッグは、アイドルのおっかけのようなコンテンツでパンパンでしたが、陣痛があまりに急速に進み、もはや、お尻だがおまただかにかかる猛烈な圧への対処でいっぱいいっぱい。
LINEとかする気も起きなかったですし、むしろ三脚なんて立てる余裕はなく、窓から捨てたくなるほどでした。
初産は出産にかかるまでの時間が長い。
これも、事前の執拗なまでの情報収集の産物でしたが、自分には当てはまらず。
緩急の緩のない陣痛はドンドコと進み、あまりの苦しさに吐血4回。
痛いというより、めちゃくちゃ大きい便が意志を持って、体内から勝手に出たがっているのを必死に出すまいとする攻防のようでした。
とても痛いのですが、これまで経験した痛いという痛みとは何かが違う感覚です。これまでの痛いは、マイナスな痛いでしたが、陣痛の痛みは、ものすごいエネルギーのある痛みに感じました。
陣痛が遠のき、感覚が長くなってしまい、休憩が入る方もいますが、自分の場合まったく遠のくことはなく、接近し続けて、LDRに入室から約4時間。ついに、元気な子が誕生しました。
陣痛のエネルギー痛がすごかったのと、助産師さんがほぼ1名しかいなかったこともあり(出産後に1名ジョイン)、出産のディレクションがあまりなかったことから、出産時にスッキリ〜!という感覚はなく、子が既に出てきているのに、産んだという実感がありませんでした。
よくテレビや映画で目にする、生まれた瞬間、赤ちゃんの元気な「おぎゃあ〜!」という鳴き声も、その時はしていたのでしょうが、産んですぐというよりはちょっと経ってからのように感じましたし、産まれた直後の赤ちゃんは体力がないので、思ったより小声でした。
まだ自分がいきんでいるような感覚がある中、横に赤ちゃんの処置をしている助産師さんの姿が目に入ってきて、ようやく無事に産まれたのだと安堵しました。
陣痛も破水もない出産。
初産で4時間の出産。
痛いはちょっと違った出産。
自分の想像や”予定”とはまったく違う出産となりました。
それでもやっぱり出産は…
赤ちゃんが無事に産まれてきてくれますように、と毎晩祈っていた産前。
願い叶って、無事に元気な子に会うことができました。
異常に出産を恐れていた産前でしたが、実際に産んでみて、ものすごく、強烈に、猛烈に痛いことは確かです。
でも、痛いとは違うのも事実です。
自分の場合、身体中にエネルギーが満ち満ちて、一回身体が木っ端微塵になり、ドラゴンボールに出てくる魔人ブウがカメハメ波を打っても再び細胞が自ら集まって、身体が再生するかのごとく、別物の身体に蘇ったような感覚がしました。
時間は短かったですが、休みもなく、最後に付けた酸素ボンベは吐血でいっぱい。
産後、同じ時期に出産した方と授乳室で話していると、経膣分娩の予定が、あまりに長時間かかり急遽開腹手術となったという方、帝王切開で長い入院生活と傷の痛みに耐える方などなど、楽なお産なんて世界に一つもないと本当に実感しました。
そして、お母さんはたくさん傷を身体に負って、赤ちゃんは頭の形を変えたり、呼吸が苦しいなか産まれてきたりと、赤ちゃんもお母さんも命をかけて、出産をしているのだと身を持って理解しました。
出産を今になって冷静に振り返ってみる
出産前は、無事に産むことへのプレッシャー、そして、痛みでどうなるかわからない未知なる自分への対処で頭がいっぱいでした。
実際に出産を迎えている最中、何を考えていたのか、無事に出産を終えた今、冷静に思い返してみます。
アンサー:何も考えてなかった
何度冷静かつ沈着に思い返しても、本当にこれに尽きるんですね・・!
何の何っにも考えていませんでした。あんなに事前に考えすぎて、考える隙間がないくらい出産について想いを廻らせ、シミュレーションをし、何度も最悪の事態や心の準備、呼吸、ありとあらゆる考え尽くせることは考えていたのに、いざ強烈な陣痛が始まると、何も考えていなかったのです。
この事実を今振り返ると、まさにこの状態で臨めたことこそが、準備の賜物(?)だったのではないかと思うのです。
つまり、
あれこれ考えていたので、出産のフローが想定できるものへと脳がセットされていた
↓
陣痛が痛かったが、事前に入れていた情報を身体が確かめるモードに入っていた
↓
誕生!
とも、考えられますし、もう一つ考えられる理由があります。
詰め込みまくった情報の一つに、ヒマラヤ仏教に関する書籍がありました。その中に、「万物は宇宙からの借り物。私たち人間の身体も宇宙から借りている物」という趣旨のことが書かれていました。本陣痛でいよいよもう脳内に「痛」の文字しかなかった渦中にありながら、突然、次のフレーズが頭によぎったのです。
「超痛い。でも私の身体は宇宙からの借り物」
なぜなのか今でもわかりませんが、この言葉が頭に浮かんでから、陣痛がフッと軽くなったのを覚えています。
超無宗教者である自分が、陣痛という人生最大級の痛みレベルに対して、まさかまさかヒマラヤ仏教で対応するとは…!笑
何が功を奏したのか、また、事前準備やヒマラヤ仏教がなかったとしても、出産の結果に変わりはなかったのかもしれませんが、今となっては無事に産まれてくれたことだけに感謝感謝です。
そして、風呂場での数滴の出血から、「何となく」選択して行ったことが、本当に良かったと感じています。
何となく病院に来なかったら、陣痛で病院に来るのも息絶え絶えだったかもしれません。病院に来ても自宅に帰っていたら、もう間に合わなかったかもしれません。
産んだからこそ思えたこと
人生初となる出産。想定外も想定内も共に起こりつつ、間違いなく人生で語るべくトピックスにノミネートしたことは言うまでもありません。
どのくらい痛いのか経験してみたい、という興味本位も含めての自然分娩を選択しましたが、出産直後はもう2度とこんな経験したくないし、もし次があるとしたら100%無痛を選ぶと思っていました。
しかし、今思うとあの痛みは、赤ちゃんなりの全速力で、会いに走ってきてくれたような気(妄想)がして、経験してよかったと思うのです。
そして、日に日に顔だけでなく、できることが増え続け、絶え間ない赤ちゃんの変化を目の当たりにしていると、嬉しくも、時があっという間に過ぎてしまうことが寂しくもあり、またあの強烈な痛みでも良いから、自然分娩で赤ちゃんに会いたいとすら思ってきています・・!
まだ半年しか経っていないのに、以前の自分からすれば、数ヶ月も1歳もみんな赤ちゃんだったのに、もうすでに新生児ロスになっています。
出産して思ったこと…
viva la vida!(美しき生命)
まさに。
と、同時に、とっても怖いこともたくさん増えました。
免許取った次の日に、大雪の中スノータイヤなしで栃木に行こうとした人間が。
テロが起きまくっていた時期に、ロシアに彼氏を追いかけてロシア人家族の家に何ヶ月も居候していた人間が。
とっても、怖いことが増えたのです。
ベビーカーで初めて子を連れて乗る総武線の方が、拳銃をアメリカのバスで突きつけられた時よりもドキドキしました。
抱っこ紐でクリエイトに行く方が、予定していた空港にテロで降りられなかった時より、ドキドキしました。(おそらく以前は脳で恐怖を司る器官が欠落していた)
結婚や子を産むことだけが大切なわけでも、経験しないとそんなこと思えないわけでは決してないと思います。
ただ、その機会が偶然巡ってきた自分にとっては、本当に経験できてよかったと思っています。
最後に、今の自分が、産前の自分に声をかけるとしたら次の言葉です。
「尋常じゃない恐怖心を抱えたままでも、分娩台登っておいで〜!」
みんな当たり前のように行っている出産。どこか出産に恐怖心を持っている自分を変えないとと思っていました。
でも、怖くて当然。だって超痛くて、何が起こるかわからないと言われていることなんですから。
怖いという思いは決して悪いことではなくて、事前に備えたり、構えることがきちんとできます。
これは、きっと今後の子育てでも、たくさん怖いことは心配と共に訪れることでしょう。
その時も、存分に怖がったり、心配したりを経験していこうかな、と思う、産後半年経った今日この頃なのです。