
映画『街の上で』髭野純プロデューサーインタビュー(前編)
変わりゆく"文化の街"下北沢を舞台に、その街で生きる若者の姿をリアルに描いた映画『街の上で』
今回はなんと…!本作のプロデューサーである髭野純さんにお話をお伺いしました!前編では、髭野さんが映画プロデューサーに至るまでの道のりを、後編では、映画『街の上で』の製作秘話をご紹介していきます🎬
面白い映画を届けることに夢中だった学生時代
和やかな雰囲気のなか丁寧に取材に応えてくださった髭野プロデューサー
ーー先ず、学生時代のお話をお聞かせいただけますか。映像関係の学部を卒業されていますが、元々映画をつくりたいという思いがあって入学されたのでしょうか。
髭野純プロデューサー(以下、髭野さん):監督になりたいということはあまり考えたことはなかったのですが、何かの形で映像を学びたいという気持ちがあり、前年に立ち上がったばかりの立教大学現代心理学部映像身体学科を志望し、一般受験で入学しました。
中学生の頃から映画が好きでしたが、高校までクラスメイトにそういった話をできる仲間はいませんでした。映像身体学科に入学したことで、映画が好きな人だけでなく映画を制作する人や演劇・ダンスといった身体表現を専攻する人など多様な出会いに恵まれ、広い視野で芸術について感じ取れたと思います。ちなみに『街の上で』に出演されている古川琴音さんは、学年は全く被っていませんが大学の後輩に当たります。
ーー学生時代、映画に関わるような活動は何かされていましたか?
髭野さん:大学に入ってからは、山形国際ドキュメンタリー映画祭へ行ったり、東京フィルメックスのボランティアスタッフに応募したりしました。山形国際ドキュメンタリー映画祭は実験映画のようなものから今まで知らなかったような土地を写し取った作品まで、世界各国の多様な作品が上映されているんです。山形国際ドキュメンタリー映画祭の前後には、先生や院生の指導の元、学内で関連作品を紹介して、学生だけでなくキャンパスのある地元の方々にも参加いただくような上映会の企画にも携わりました。
ほかには、学内で制作された映画をアップリンク渋谷で上映するイベントを運営したり、校内で映像のコンペティションを開催したりしました。当時から「面白い作品を外部の方にも観てほしい」「身近にある面白さを届けたい」という思いがありました。
その後、大きな転機となったのは大学の後輩である竹内里紗監督の卒業制作『みちていく』の劇場公開時の宣伝に関わらせてもらったことです。学内の卒業制作展で作品を観た時とても面白かったので、「もし公開が決まったりしたらお手伝いしたいです」と監督に話をしていました。実際に映画祭への出品後ユーロスペースでの公開が決まり、その頃はまだ会社員だったので働きながらボランティアという形で関わらせてもらいました。東京だけでなく、名古屋や大阪でも公開されることが決まり、その時に「映画を届けることって面白いな」と思ったんです。
会社を辞めて飛び込んだ、映画の世界
ーー映画プロデューサーになる前は、会社員として働かれていたとのことでしたが、新卒ではどのような会社に入社されたのでしょうか?
髭野さん:映画業界を目指して就職活動をしていたのですが、映画会社に入ることはできませんでした。内定をもらえたのは大学4年の3月で、偶然採用活動をしていたアニメーションの会社へ入社することができました。そこで5年ほど商品化に関わる部署で働きながら、プライベートで映画の活動にも徐々に関わっていくようになりました。
ーー会社を辞めて、映画プロデューサーへ転身された経緯を教えてください。
髭野さん:2015年ごろ、会社勤めをしながら、中村祐太郎監督と『太陽を掴め』という作品の企画を進めました。新卒で入社した会社を辞めるのは勇気がいりましたが、映画に賭けたいという思いがあり退職を決意しました。結果的に第29回東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門に選出されることが決まっていたのですが、不安もある中で製作を進めていました。
退職後、アシスタントプロデューサーとしてある現場にいて、エキストラ集めの仕事をしていたのですが、東京国際映画祭の方から選出の電話をいただき、公園の片隅でひとり号泣したことを覚えています(笑)映画祭にあわせたタイミングで公開時期も決めていたので、もし選ばれなかったら終わる…という感じで、プレッシャーを抱えていましたね。だから、自分が東京国際映画祭を応援している理由として、映画プロデューサーとしてのキャリアのスタートが『太陽を掴め』という作品で、TIFFに参加させてもらったからなんです。
ーー『太陽を掴め』の企画のはじまりと、その時の経験について詳しくお話をお聞かせいただけますか?
髭野さん:スタッフとして関わっていたイベントの打ち上げで、中村祐太郎監督と出会いました。意気投合して、「映画撮ろうぜ!ウェイ!」と(笑)。自ら出資して、配給まで自分が中心になって行いました。勉強代としては高く付きましたし、当時関わってくださった方々には沢山の迷惑を掛けましたが、企画から上映まで関わることで学びも多く、プロデューサーとしての最初の経験を積むことが出来ました。それから、東京国際映画祭をはじめいろんな方との出会いから、少しずつ仕事に繫がっていきました。
自由度の高いフリーランスという働き方
ーーフリーランスの映画プロデューサーならではの苦労や利点などを教えてください。
髭野さん:配給や宣伝については学生時代に配給会社でインターンをしたり、会社員時代もアニメの製作委員会に出席する場面があり、おおよその業務内容や流れについて学ぶ機会はありました。会社員を経験したことによって世の中の仕組みや難しさについて触れられたのは大きかったです。
会社の場合、トライアンドエラーでチャレンジさせてほしいと思っても、プロモーションで数万円使うにも上司への説得や資料作成を求められる場面がありますが、そういった時のスピード感は現在のほうが利点がありますね。一方で、常にリスクもありますね(笑)『街の上で』は初めて製作委員会方式でつくった映画なんですが、関わってくださった方々には自分や監督の意向を尊重していただけたので、感謝しています。
ーー就職してからお金を貯めて映画を作るという、プロデューサーの道もあるんですね。
髭野さん:お薦めはしませんが(笑)一度、小さな規模の会社に入って、経験を積んでから憧れの会社に転職するという道もあるかもしれないですね。大きな商業映画をつくっているような映画会社に新卒で入社することはハードルがあると思いますが、映画業界自体の受け皿は広いと思います。
髭野さんの人生を形作った映画たち
ーー大学時代は学内で制作された自主作品をよく観ていたとのお話でしたが、他にはどのような映画を観ていたのでしょうか?
髭野さん : 中高生の頃、ミクシィやホームページビルダーなどでつくった個人サイトが流行っていて、一般の方が星取りなど評価をつけて映画を紹介していたんです。それを参考にして、オフ会にも参加したりしましたね(笑)
あとは、スタイリストの伊賀大介さんが「死ぬまでにこれだけは観とけ!」みたいな記事をメンズノンノに書かれていて、それを片っ端からチェックしたり。今はもうなくなってしまいましたが、シネ・アミューズをはじめ渋谷のミニシアターにも通うようになりました。当時若手だった、行定勲監督、山下敦弘監督、李相日監督などの作品を観ましたね。
中高の時は、地元でレンタルDVDを借りて家で観ることも多かったですが、大学に入ってからはほとんど映画館でしか映画を観ていないです。実はいまだに配信サービスにもほぼ入ってないんですよね。単純に、映画館で上映している作品がたくさんあるので、それを観ているだけで時間が足りなくなっちゃうんですよね...(苦笑)
ーー髭野さんの”オールタイムベスト映画”を教えてください!
髭野さん:ずっと言っているのは、『ショーシャンクの空に』です。中2の時に初めてDVDで観て感動して、そこから映画の世界にのめり込みました。最近だと、『ノッティングヒルの恋人』を観て号泣しましたね(笑)『街の上で』と、少し重なる部分も感じました。街や本屋を舞台にしていますし、特別何か大きな事件が起こるわけではないですが、ちょっとずつ登場人物の関係性が変化していって、物語が展開していくのがすごく面白いなと思います。
人生の岐路に立つ人に観てほしい映画
髭野さん:現在、公開中の『映画:フィッシュマンズ』に参加させてもらっているのですが、人生において大事にしたいものとその選択が描かれていて、これから岐路に立つ学生さんに是非観てほしいなと思っています。
ボーカルの佐藤伸治さんは33歳の若さで亡くなっていますが、20年以上経った現在もバンドは続いていて、その理由に迫ったドキュメンタリーになっています。大学時代に才能があるメンバーが集まり、メジャーデビューしましたが、同世代のスピッツさんなどのようには売れず、ボーカルの佐藤さんがやがて突然の死を迎えてしまう。バンドメンバーは、それでも残された楽曲を鳴らし続ける道を選択するんです。
人生とは何か、バンドとは何か、素晴らしい音楽とともに、彼らの30年間の生き様が描かれています。この夏、最高の一作になっていますので、是非劇場に足を運んでみてほしいです!
プロフィール
髭野純さん (Jun Higeno)
1988年生まれ。東京都出身。合同会社イハフィルムズ代表。アニメ会社勤務を経て、インディペンデント映画の配給・宣伝業務に携わりながら、映画プロデューサーとして活動。配給を担当した作品に『ひかりの歌』(19/杉田協士監督)、主なプロデュース作品に『太陽を掴め』(16/中村祐太郎監督)、『もみの家』(20/坂本欣弘監督)など。『彼女来来』(山西竜矢監督)、『映画:フィッシュマンズ』(手嶋悠貴監督)が公開中。『春原さんのうた』(杉田協士監督)が2022年新春よりポレポレ東中野ほか公開予定。
※画像提供
(c)「街の上で」フィルムパートナーズ
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
最後までお読みいただきありがとうございます!
明日は、インタビュー記事【後編】をお送りします!映画『街の上で』の製作秘話や今泉力哉監督との出会いなど、興味深い話が盛りだくさんの内容となっておりますので、どうぞお楽しみに✨
(執筆者・小沼あみ)