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手を伸ばして、走り出す
「ここのリュスティックがまた美味いんですよ…」SNSのタイムラインに流れてきた美味しそうなパンの写真をなにげなく見たら、私が住んでいる市内にあるパン屋だと書かれていた。そういえば彼は隣の市に住んでいるんだっけ。地図アプリを開いてお店の場所を調べると、自宅からそこまでは約2kmだった。歩くにはちょっと遠いかなあ。走って行こうか…? 久しぶりに「走る」ということが頭に浮かんだ瞬間だった。
ランニングを始めてみようかな、そう思ったのは2年前、私が参加しているオンラインサロンに突如ランニング部が発足した時のことだった。走ることに興味があったわけではなく、この波に乗ってみたら楽しいかも、という軽い気持ちだった。すぐに走るための服を買ってはみたものの、走るモチベーションが得られずに、結局波には乗れなかった。走らないからといって白い目で見られるようなコミュニティではないし、いつか走りたいと思える日が来るかもしれないという期待もあってランニング部に残り、みんなが走る様子をSNSに流れる動画や写真で眺めていた。それだけでも十分に楽しくて、眺め続けて2年も経つと、もう走ることはないかもな、という思いの方が強くなっていた。
このランニング部には何人かご近所さんがいる。その中の二人は度々ランニング途中にすれ違っているようで、「すれ違いラン」というコメントを度々目にしていた。すれ違いという言葉はネガティブなイメージだと思っていたけれど、ランがつくとポップに響いて可笑しかった。ランニング途中ですれ違う、という意味でのご近所さんだから半径数kmという広い範囲だけれど、「今日もすれ違いラン!」とコメントの入った写真付きの投稿を見ると、その場所はたいてい私の家の近くを流れる川沿いで、とても身近に感じていた。ただそれゆえに、ここ数ヶ月間はちょっとずつ違う思いも生まれてきた。時間と空間を共有する、このことに対する欠乏感は今年、多くの人が味わっているものだと思う。時間を共有することは、オンライン化の加速によってこれまでよりも簡単になり、当たり前の日常になってきたけれど、その一方で空間を共有することはとても難しくなり、人と会って食事をすることはもはや非日常と化している。すれ違いでもいいから空間を共有したい、そう思い始めたら、手が届きそうなのに自らその手を引っ込めている自分にもどかしさを感じるようになってきた。
「待ち合わせラン」というイベントが立ち上がったのはそんな思いを募らせていた時のことだった。イベント説明には「Zoomで待ち合わせラン!オンライン参加は時間内にZoomを繋ぐだけ。オフラインの方は待ち合わせ場所で会いましょう!」とあった。オフライン…? いつもさーっと眺めて通り過ぎていた投稿に、このときはしばらく目が釘付けになった。待ち合わせに指定されていたのは自宅から約4kmの場所。美しい庭があるらしい。冒頭の2km先のパン屋さんには走ろうと思いつつも結局歩いて往復してきたのだけれど、そのおかげで4kmの感覚はわかっていた。待ち合わせならペースを合わせる必要はない。最初から最後まで歩いたっていい。もしかして参加できるのでは…? 手を伸ばすタイミングが訪れた。走るかどうかはひとまず横において、参加しようと決めた。
当日の朝、走るかどうかはまだ決めていなかった。流れにまかせよう、そう思って走れる服に着替えてストレッチをした。朝のストレッチって気持ちいい。高揚感とともに家の外に出たら、雨上がりの澄んだ空気に包まれた。なんだかキラキラしているな、と可笑しく感じながら軽やかに一歩を踏み出した。地図アプリの示した道のりは、上り坂からのスタート。まずはゆっくりと歩き始める。日曜日の朝の住宅街に人通りは少なく、ところどころにある畑の作物は全身で太陽の光を浴びていた。葉っぱが露で光っている。ちょっとキラキラしすぎてくすぐったい。大通りに出るとあとは平坦な道のりのようだ。車通りはそれほど多くない。しばらく周囲を見渡しながら歩いていたら、向かい側の通りに走っている人を見つけた。走ってみようかな…。何年ぶりかのランは自宅から1kmちょっと先の道端でひっそりとスタートした。走りながら、そういえば正しいフォームを知らないな、ということに気をとられたらあっという間に足が鉛のように重くなり、足の付け根に少し違和感を感じた。家を出る前に「絶対無理はしない」と呪文のように唱えたことを思い出し、一旦走るのをやめた。走った距離は100mくらいだろう。歩くことと走ることはこれほど違うものなのか、やっぱり無理かなあと思いながらしばらく歩いていたけれど、なんだかちょっと悔しくなって、再び走った。上体を起こすことを意識すると、足は鉛ほどには重くならず、前に出るようになった。今度は200mくらい走ったかもしれない。でもペースが速かったのか、急に息が上がった。初心者が走り続けられるペースってどれくらいなんだろう。わからないことばかりだからひたすら自分の体を実験台にして、走っては歩き、を何回か繰り返すうち、目的地に到着した。4kmはあっという間だった。走った距離はトータル500mくらいだったと思うけれど、たしかに走ったのだ。自分に拍手を送って心の中でゴールテープを切った。
たっぷりと時間の余裕を持って出発していたから、待ち合わせの時間までは10分以上あった。その場所は静かで落ち着いた、美しい庭だった。散策路があったので紅葉を楽しみながらゆっくり一周して入り口付近に戻ると、現地参加メンバーが到着していた。主催者でもあり「すれ違いラン」の一人と、冒頭のパン屋さんを紹介してくれた人。「やっと会えた」そう思った。口にも出していたかもしれない。「すれ違いラン」のもう一人も到着し、その後、一人また一人と集まってきた。みんなの顔を代わる代わる見ながら、さらにはZoomをつないで画面越しのみんなの顔も見ながら、何をするでもなくとりとめのないお喋りをする。望んでいたものがここにあった。この場所で過ごした30分は、ちょっとだけ手を伸ばした自分へのご褒美のようだった。
帰宅後、みんなの投稿する写真を眺めながらイベント説明文を読み返すと、そこには「みんなの走るを応援する」と書かれていた。そうか、さっきの待ち合わせ場所は、走るための目的地だったんだ。目的地があるから走る、ではなく、走るために目的地を設定する。こうやってみんな、走るモチベーションを作り出して楽しんでいたんだ。この日の私は待ち合わせをしたい一心だったけれど、そこに向かう道のりも、疲れた足を引きずって休み休み帰った道のりも、思い返せばすべてが楽しくて、「走る」を大きく後押しされた。
10日ほど後、心当たりのない荷物のお届けメールを受けとった。実家に送る予定のものを自宅宛に送ってしまったようだ。その荷物は大きくてしかも冷凍便、やってしまったと焦ったが、すぐに営業所を検索した。受け取って再配達してもらうなら営業所がいいだろう。走れる場所にないかな? ちょっと前までにはなかった発想だ。最寄りの営業所は自宅から約2kmだった。走って行こう。その数日後、私はランニングウェアに着替えて家の外に出た。そして自ら設定した目的地に向かい、走り始めた。