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この場所が好きだと言いたい

「この場所が好き」そう言える場所があるっていいな。今住んでいる場所だったり、ふるさとだったり、将来住みたい場所だったり。私にはそう言える場所がなくて、ときどき羨ましくなることがあった。

小さな頃からずっと、東京の郊外に住んでいる。何度か引越をしたけれど、どこも山手線の駅より30分から1時間ほどの距離で、駅前をすぎると住宅が立ち並び、ところどころに畑があるような町だ。実家が引越しを繰り返していることもあり、それぞれに多少の思い出はあるが、郷愁にかられるというほどではない。

市内の小・中・高校を卒業してからは、都心にある大学に通うことになった。実家から電車通学し、授業やサークル、友達とのおしゃべりや飲み会を終えて、夕方から夜遅くに帰宅する。家は寝に帰る場所、そう思い始めたのはこの頃だろう。社会人になると、より朝早く、夜遅くの生活になり、家にいる時間はほとんどなかった。仕事が変わり、生活リズムが変わっても(毎日定時上がりの時期もあれば、毎日終電という時期もあった)、その感覚はずっと同じままで、時間に余裕ができるとまっすぐ家に帰るのがもったいなくて、寄り道ばかりしていた。今の家には数年住んでいるが、つい最近まで、近所で訪れる場所といえば駅前のスーパーとコンビニ、いくつかのチェーン店くらいだった。

一年前から世界中を駆け巡っている「STAY HOME」の呼びかけは、あらゆる生活スタイルをひっくり返し、私も多くの影響を受けた。仕事を終えた平日の夜や休みの日は、ライブにイベントにとあちこち出かけていたが、それらはすべてなくなり、週の半分は在宅ワークになった。楽しみが取り上げられてしまったさみしさも大きかったが、体力を持て余し始めたことは切実な問題になっていた。

まったく移動することなく仕事を終えた一日は、頭が疲れて体は元気というアンバランスな状態で、ちょっと気持ち悪い。とりあえず散歩をしよう、どこでもいい、ただ歩ければいい。昼休み、仕事を終えた後、予定のない休日…目的地を決めず、東西南北あちこちへ歩き回った。駅前の大通りを除けばまっすぐな道はほとんどなく、見当外れな方角に進んでは地図アプリを立ち上げてウロウロとさまよう、そんなことを繰り返していくうちに徐々に頭の中に地図ができあがっていった。主要な道と目印となる場所が一通りインプットされると、道沿いの小さなお店が目に入るようになってきた。

住宅街のなかにも、ポツンポツンとお店がある。レストラン、喫茶店、お菓子屋さん…駅前以外は家と畑しかないと思っていたけれど、意外にある。惹かれる店もあったけれど、遠目に眺めたりわずかに立ち止まるだけで、扉を開けることはなかった。

新しい店を開拓するのは好きだ。たまたま訪れた場所で冒険するのは楽しいけれど、近所、それも駅前から離れた住宅街となるとハードルが上がる。繁華街や観光地ならふらっと訪れる人も多くいるだろうが、住んでる人しか来ないであろう場所というのは、この町に住んでいることが明らかになるような気がして、なんだか気恥ずかしい。

好奇心と気恥ずかしさのせめぎ合いはしばらく続いたが、次第に好奇心が上回り、ある日、歩いてすぐのところにあるケーキ屋さんの扉を開けてみた。目と鼻の先だというのに、一年前まではまったく知らなかった店だ。おそるおそる中に入ると「いらっしゃいませー」といたって普通に受け入れられた。なんてことない瞬間でも私にとっては大きな一歩、ふっと力が抜けた。店内を見回すと、中央のテーブルにはたくさんの種類の焼き菓子と箱詰め、奥のショーケースにはお洒落すぎないケーキの数々。予想以上の品揃えにキョロキョロしていると「ゆっくり選んでね〜」と声をかけられた。店頭に快活な奥さん、厨房には黙々とケーキを作るご主人、長く夫婦でやってきたことをうかがわせる雰囲気だ。「女性は迷うわよね〜」「そうですね〜」などといつの間にか自然に会話をしながら、栗がのったロールケーキと6個入りのクッキーを買って外に出た。気恥ずかしさはすっかり忘れていた。

それ以降、店の前を通る足どりは軽くなり、気が向けばふらりと立ち寄っている。この場所と自分が近づいた、そんな感じがした。この勢いに乗って、気になっていた場所を一つひとつ訪れているのだが、気づけば食べ物屋さんばかりだ。もともと食べることは好きだけれど、この一年でずいぶんと加速している。

最近、新たに訪れたのは、コーヒーやサンドイッチのほかに器などが置かれている、ギャラリーカフェといった趣の店だ。家からは歩いて20分ほどのところにあり、駅からも離れている。控えめな看板がかけられ、入り口にはお客さんのものと思われる自転車が数台停めてあった。扉を開けて中を覗くと「いらっしゃいませー」と迎え入れられた。入る前の緊張がふわっとほどける、この瞬間も楽しめるようになってきた。店内は思っていた以上に広くて開放的だ。手前のカウンター席は少し暗めで落ち着いた雰囲気、奥には四つのテーブル席があって、大きな窓からたっぷりと陽が射し込んでいる。人の家に来たような木のダイニングテーブルとどっしりした椅子。家族連れも多いのかな、そう思っていたら親子3人が席についた。メニューにはサンドイッチ、キッシュ、おやき…おやきって長野の郷土料理だよなぁ、オーナーの出身地なのかな、と想像しながらコーヒーと一緒に注文した。耳を澄ませると、BGMはとても静かに流れ、食器の音や会話、キッチンの洗い物の音がほどよく混ざり合い、耳心地がよい。「お待たせしました」とテーブルに置かれたおやきは、香ばしくて歯ごたえがしっかりしたゴボウのきんぴらと、ほどよく甘くてふわりと消えていくおから。コーヒーは苦味控えめでなめらかに喉を通り過ぎ、よい組み合わせを選んだなぁ、とホクホクしていたら、いつの間にか満席になっていた。また来よう。カウンターに置いてあったクッキーを買って店を出た。この道も、これからは軽やかに歩けそうだ。

実は、一年前にこの町から離れるはずだった。昨年の4月に引越しを計画していて、様々な事情が重なり取りやめたのだけれど、あのとき引越していたら、この町の思い出はほとんどなかっただろう。でも今、ここを出ることになったら、失うには惜しいものが、いくつか頭に浮かぶ。お気に入りのお店、そこへ向かう道のり、そのまわりの風景。多分、私はこの町が好きになったんだと思う。便利さだけではなく、愛着みたいなものを感じられるようになった。「この場所が好き」という言葉を聞いて、もう羨ましがることはなくなるだろう。今度は「私も好きな場所あるよ」と言ってみよう。

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