七草にちか、最高に可愛い私の担当アイドル
「七草にちか」の魅力について叫びたい。
先日私は、私が追ってきた歴代のアイマスからにちかに出会い、担当プロデューサーになるまでを書いてきた。しかしその過程は、私のプロデュース人生の自戒や償いのような形と取られかねない、独りよがりな内容であったと反省している。
しかし、にちかを選んだ理由はそうではない。
私にとってにちかが魅力的に見えた理由がちゃんとあり、それを文字に起こさねばならない。
だから本稿では、私の思うにちかの魅力を叫ばせてくれ。
『アイドル』であること
アイドル性には2つあると私は考える。
1つ目は『大衆に通用するアイドル性』だ。これはつまり「不特定多数の人間から愛され応援される」という性質である。
もう少し嚙み砕くと、『自身のアイドル性にファンが付く資質』といった感じだろうか。そしてこれこそが、前回の記事で説明した「アイドルとして輝けるモノ」であり、シャニPが合否判定する際のファクターだと私は考えている。
そしてシャニPが『大衆に通用するアイドル性』を資質であると考えいるとするなら、頷けるエピソードがある。
彼は、甜花や小糸をあの不完全な受け答えの面接で合格させている。あるいは大手の面接に落ちまくった恋鐘を通している。これらのことを踏まえるに、彼は露出している能力よりも埋まっている資質に焦点を当てている。
彼の中にはこの資質に対する確固たる基準があり、その有無を面接あるいはスカウトの時点で見極めているのだ。(なお『自身の持つアイドル性』≠『ありのままの自分』であることはストレイライトが証明している)
やや仰々しく書いたが、シャニPが特殊能力持ちと言いたい訳ではない。将来性を現段階でジャッジして合否判定をするのは、一般企業の新卒採用でも行われていることだ。ただ、シャニPの判断基準が業界の基準とズレているのは、言うまでもないだろう。
さて、2つ目は『身近にのみ通用するアイドル性』だ。これはつまり「身近な人間から愛され応援される」という性質である。
このアイドル性は周囲の人間関係に起因しているため、世界が広がると通用しなくなる。自分の娘が一番かわいいと思っていても、みんながモテるわけではない。
その代わり、このアイドル性は誰でも持ち合わせうる。シャニマスの世界の登場人物はほとんどがアイドルなので判りづらいが、実はシャニPもこのアイドル性を発揮していると言える。
pSR【ビ~♡バップ海岸】月岡恋鐘(18/07/31)
月の話~
恋鐘の言う「かわいく」の感覚は、恋鐘あるいは283プロ内でしか通用しない。シャニPという青年をどう撮ろうが万人に可愛く届けるのは不可能だ。しかし彼を大切に思っている恋鐘からすればそんなプロデューサーは愛おしく、ときに可愛く思えてもおかしくない。
反面、このコミュの本筋となる恋鐘のプロマイドの方は、万人に可愛いと受け取ってもらう必要があり、これはその条件を満たすために試行錯誤する話だ。
pSSR【ゆらゆらアクアリウム】大崎甘奈 (18/12/21)
Cleaning with me !
世間的に見れば、プロデューサーより甘奈の記事が需要が高いのは明白だ。しかし甘奈という一個人にとっては、シャニPのインタビュー記事にも価値がある。
(持っていないので画像は貼れないが)pSSR【ギンコ・ビローバ】樋口円香(20/10/21)においてシャニPは「真面目で誠実、少しだけユニークで、商店街のみなさんからも大人気の好青年・・・」と称されており、円香はこれを自己プロデュースと皮肉っている。これこそがまさに『身近にのみ通用するアイドル性』を発揮しているといえるだろう。
そして私の考える、この2つの性質の比較をもうひとつ。
『自身のアイドル性にファンが付く資質』は比較的短い時間で届く。それはステージの上での魅了だったり、トークでの一節だったり、雑誌での写真1枚だったりする。ファンだって最初は他人であるから、アイドル性を発揮するまで長い時間は付き合ってくれない。一瞬でこの人を応援したいという気持ちが芽生えさせる魅力は、距離を超えて届いていく。
それに対し『身近にのみ通用するアイドル性』は長い時間をかけて構築していくものだ。土壌が予め作られていたり、関係性が深まってはじめて、応援したいという気持ちが芽生える。それがパートナーと愛を深めた末の我が子であったり、献身的に働くプロデューサーであったりするのだ。そして時間がかかるからこそ、狭い範囲までしか届かない。
繰り返しになるが、シャニPはこの前者の資質こそが「アイドルとして輝けるモノ」だと考えている。それはこれが特別なものだからだ。
後者は誰しもが持つことができる一見普通なものであるが、これもアイドルとして輝くために必要なものだ。恋鐘はアイドルになる前から応援してくれている地元の人たちを、樹里はアイドルに成りたての頃から応援してくれる商店街の人たちを、智代子は自分に夢を託した友人を、そして甘奈と甜花はお互いを、それぞれ自分の成りたいアイドル像のルーツとしている。
この特別と普通が掛け合わさって、アイドルはアイドルになるのだ。
にちかの持つもの
さて、長々とアイドル性について語ったが、いよいよにちかの話をする。
相手によっては即決でスカウトするシャニPが、ショップで自分を売り出したにちかに対して歯切れの悪い返事をしていることから、にちかには「アイドルとして輝けるモノ」すなわち『自身のアイドル性にファンが付く資質』を見出せていない。(持っていないとは言っていない)
そしてにちか本人も、自分に『自身のアイドル性にファンが付く資質』は無いと考えていた。だから彼女は憧れの八雲なみのコピーを目指すことによて、この問題を克服しようとしている。
しかしにちかは資質以外の何かを、初対面のシャニPに感じさせていた。
私はこれこそが『身近にのみ通用するアイドル性』だと考えている。
さて、当然ここで矛盾が生じる。
先ほど『身近にのみ通用するアイドル性』を発揮するには時間がかかると説明した。なぜならまだ会ったばかりでシャニPとにちかの関係性は離れているからだ。
だからこれには私の願望が多分に含まれている。にちかの魅力が、本来時間がかかったり土壌が必要だったりする『身近にのみ通用するアイドル性』を、関係性の遠い相手にも発揮できるというものだとしたら。
にちかとプロデューサーの関係は、しばし父と娘に例えられる。
にちかの距離の詰め方は異常だ。それが恋愛方向でないからあまり問題にならないが、シャニPの懐に入り込むのが早すぎる。シーズン1のコミュから、人懐っこいを通り越して無遠慮で、甘えて、拗ねて、八つ当たりをする。(もちろんシャニPに亡き父の面影があるからというのもあるが、それが全てではないと思う)
『身近にのみ通用するアイドル性』を関係性の遠い相手にも発揮できるというにちかの魅力にコピーを付けるなら、「みんなの妹」といったところだろうか。
自分の娘や妹がアイドルの真似事をしていたら、それがどんなに拙くとも愛おしく見えるだろう。しかし『プロデューサー』の視点で見なければならないなら、本物との比較が評価軸になってしまう。
伝説のアイドル、八雲なみのコピーになろうとするにちか。
例えば、『自身のアイドル性にファンが付く資質』が種のようなものだとしたら。それは土に埋まっていて、簡単には見つけられない。シャニPはこの種子を見つける天才で、芽吹かせ育てることを生業としている。
シャニPはにちかに、この種の存在を感じなかった。しかし本当に無いのかは判らない。ただ、にちかが200パーセントの努力で自身を磨いても、八雲なみのコピーを目指すことは『自身のアイドル性にファンが付く資質』が芽吹く可能性に蓋をしていた。
プロデューサーの言葉
にちかの持つ『身近にのみ通用するアイドル性』に引きずり込まれたシャニPは、感情論気味ににちかを応援している。けれどにちかに「アイドルとして輝けるモノ」を見出せず、悲観的になっていく。
その苦悩に耐えられなくなったシャニPは、無意識に嘘を吐き続ける。
【Catch the shiny tail】(19/01/31~)ではアイドルみんなのことを特別だと思っていると真乃に打ち明けたが、特別でないにちかにはアイドル全員が特別ではないと諭している。
心中では勝ち進めないと思っていても、悟られないように嘘を吐く。
一方で、W.I.N.G.を勝ち進むにつれ、にちかの笑顔が消えていく。積み上げたものが大きくなるほど、失うのが怖くなる。にちかは自分の才能では八雲なみに追いつくことはできず、どこかで終わりが来ると考えていた。
そして、シャニPは苦しむにちかを見るのが耐えられなくなり、懇願のような言葉が口を吐いてしまう。
プロデュースにおいては基本的にロジカルで、アイドルを的確なヒントで導き、ときに熱い言葉でアイドルの背中を押してきた。そんなシャニPにとってこれは異常な事態である。シャニPの、私の終盤の心情は、プロデュースではなく祈りに似た応援だった。
そして、祈りは届き、奇跡が起きた。
それはにちかが『そうだよ』の白盤『そうなの?』を発見したことだ。八雲なみのコピーを目指すことは『自身のアイドル性にファンが付く資質』が芽吹く可能性に蓋をしていた。その蓋にひびが入ったのだ。
このW.I.N.G.で、プロデューサーはにちかに『プロデュース』をしてあげられていない。憧れのコピーでは駄目という説得はにちかに届かない。自分が憧れられる側になる意識を持て、という三峰にしたような当たり前のアドバイスもできていない。資質を見出せていない所為で、頭の隅でよぎる駄目かもしれないという考えが、プロデューサーの判断を曇らせていた。
結果として、笑ってくれ、苦しまないでくれ、という願望をぶつけるばかりになってしまったプロデューサーであったが、しかし最後の最後でたどり着いた。間に合った。大事なのは苦しいことを否定しないことだった。
にちかは『そうなの?』の発見で、八雲なみの苦しみに気付いた。いや、薄々感じていたものが確信に変わったのだ。八雲なみは悲しみを帯びた表情でステージに立っていた。
それを知ったことで揺れるにちかに対し、プロデューサーは「笑顔じゃなくたって、自分が作り上げたもので魅了できる」と言葉をかけるのだ。それはにちかと出会って初めての『プロデュース』の言葉だ。
にちかは多分、決勝のステージで初めて、コピーを超えて八雲なみに寄り添った。自分にとって最も大きい存在であった八雲なみは、自分と同じ顔をしてステージに立っていたことに気づいた。パフォーマンスでは追いつけなくとも、心は追いついたのだ。
ならばそこから見える景色もきっと――
七草にちかと私(再)
にちかは、W.I.N.G.で優勝した。
アイドルの時間を自分で掴み取った。
にちかは決勝のステージで八雲なみと同じ景色を見て、彼女のために涙を流す。そんなにちかをを見て真っ先に想ったことは、トップアイドルを目指そうとか、みんなを照らせるアイドルになろうとか、たくさんの人を魅了しようとか、そんなものではなかった。
たった数か月の間に、シャニPは、私は、七草にちかという少女から心が離せなくなっていた。にちかの持つ普通の力。アイドルでない、人間としてのこの子を応援したいと思わせる力。
これからも辛いことがきっとある。その時は笑顔でなくても良い。でも最後は幸せにする。トップアイドルになって、いつか家を建てれるように。
pSSR【♡まっクろはムウサぎ♡】七草にちか(21/05/10)
家
にちかと、あの丘で誓ったのだ。
これから
八雲なみという『自身のアイドル性にファンが付く資質』に蓋をしていたものは、もう無い。にちかの種も芽吹き始めている。その種が他のアイドルと同じ「輝けるモノ」なのかはまだ判らないが、どんな花を咲かせていくかはこれからのプロデュース次第だ。
そして、にちかのW.I.N.G.(及び【♡まっクろはムウサぎ♡】)では、徹底して「ファンの存在」が描写されなかった。にちかの視線は常に「憧れ」へ向いていて自分が憧れられる側になる意識が無かったからだ。しかし八雲なみに寄り添い、追い越していくにちかは、これから憧れられる存在になっていくのだ。
にちかが八雲なみに向けていたような視線を、にちかに向けてくれるファンだってできるだろう。その時「そうだよ」って背中を押してあげられるアイドルに、きっとにちかはなっていく。
そして最後に。
『身近にのみ通用するアイドル性』を関係性の遠い相手にも発揮できる、という人懐っこさは、アイドル活動において武器になっていくのだろうか。「みんなの妹」になれるのだろうか。
にちかはかわいい
みずみずしい輝きに満ちていて、とても明るくて楽しそう
そんな彼女の姿が、世界中の人に届きますように。
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私は『資質』という単語を選び、さもこの世界には持つ者と持たざる者がいるように書いた。
例えば、『自身のアイドル性にファンが付く資質』が種のようなものだとしたら。それは土に埋まっていて、簡単には見つけられない。シャニPはこの種子を見つける天才で、芽吹かせ育てることを生業としている。
しかし、本当は誰しもが持っていて、シャニPが見つけられない種子だってある。けれどそんな種からも花が咲く。
シャニマスがそんな世界なら、私は嬉しい。
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