協和【SHHisファン感謝祭】
私の担当アイドル、七草にちかの物語。シーズ感謝祭のプロデュースシナリオについて、私の考えと想いをここに記す。
みんなの妹、七草にちか
にちかはアイドルとして開花していた。
美琴を置き去りにして。
多忙なスケジュールに追われるにちか。シーズとしてではなく、七草にちかとしてレギュラー番組を持っていることが判明する。お笑いとの棘のあるやりとりは「恒例」と評されるほどに番組の目玉コンテンツになっていることが示唆され、笑い声のSEも頻繁に挟まる。
にちかが愛されているのは、収録の外でも同様だ。周りの大人たちに打ち解け、楽し気な場の空気を作っていた。
にちかのコピーとして公式が打ち出していた文言『みんなの妹』が現実味を帯びてきている。現場の中でにちかは、『憎まれ口を叩く小生意気な少女』だけれどその立ち位置をちゃんとコミュニケーションツールとしてコントロールできていた。これらはアルバイトなどで年上の人間と多く付き合ってきたにちかの武器であり、それがアイドルとして万人に愛される次元にまで昇華されつつあることを示していた。
にちかが自然体のままで皆から愛されるような場の空気が作れる、その姿はまさしく『みんなの妹』だ。
しかし、談笑を終えふと我に返るにちかは、そんな自分の姿を『現場でも愛される売れっ子アイドル』とはとらえていない。
だから暗い声色を漏らす。
にちかは八雲なみに憧れて、アイドル業界に飛び込んだ。なみは女優気質であり、舞台上で見せるその姿は「自身の個を排除し、与えられた役割に合致するパフォーマンスを追い求める」ものであった。
だから、自然体のまま場の雰囲気でイジられたり笑われたり、そういったキャラクターによる愛され方はアイドルとして相応しくない、ステージの上のパフォーマンスこそアイドルにとっての本分とにちかは考えていた。この考えが根底にあるからこそ、にちかは美琴を心底尊敬しているし、そんな美琴に認められるアイドルになりたいと強く想っている。常に美琴と自分を比べ、卑下し続けてしまう。
だとしたら、にちかにとってこの多忙は、憧れに近づくためのものではない。美琴が自己の研鑽に充てている時間、にちかは仕事のスケジュールで埋まっている。ステージのためだけに生きる美琴に憧れながら、ステージのためでない仕事をこなさなければならないことに苛まれる。
にちかのフラストレーションが溜まっていく。
にちかだって、本当はバラエティの仕事と感謝祭のステージも両立したい。でも、そんなに上手くはいかない。いくはずない。
バラエティの仕事をおざなりにする態度は共演者に伝わる。
そうやって無理やり練習時間を作っても、美琴の10年は余りに遠い。
感謝祭。
コンテンポラリー・ダンス。
それを目前に、にちかの肉体も精神も、限界を迎えつつあった。
かつての相方、斑鳩ルカ
かつて美琴とユニットを組んでいたアイドル、斑鳩ルカ。
実は彼女と美琴のユニットが現役だった際に、ファン感謝デーイベントに臨もうとしていた過去があったことが明かされた。
しかもその演目は、コンテンポラリー・ダンス。
美琴からコンテンポラリーダンスを提案されたルカが、とてもやる気になる姿が描かれる。あっけにとられていたにちかとは対照的だ。
おそらく当時の時点で芸歴も現在のにちかより長いであろうルカは、美琴の高ハードルの課題に怯まない。美琴も、ルカには相方として一定以上の信頼を置いていたことが伺える。
こうして2人は意気投合し、ユニットとして理想的なメンタルとモチベーションでファン感謝デーイベントを作り上げようとしていた。その姿は現在のシーズより良好な関係にも見えてしまう。
しかし、ここでかつての2人とシーズが重なる出来事が訪れる。いや、そもそもそういう展開になることを、私たちは知っていた。
ルカはアイドルとして開花していた。
美琴を置き去りにして。
そうして、マネージャーや経営陣の判断で、このファン感謝デーイベントにおけるコンテンポラリーダンスの披露は取りやめとなった。
原因は2つ。
ひとつめは、高難易度のパフォーマンスに臨むにあたり、アイドルとして仕事の増えたルカのレッスン時間が確保できないこと。
そしてふたつめは、コンテンポラリーダンスというハードルの高いパフォーマンスが、これから取り込めるであろうファン層の間口を狭める恐れがあること。
この出来事が直接の原因なのか、あるいはこういうことが度重なった結果なのか。美琴とルカのユニットは解散し、ルカは現代女子のカリスマアイドルとして売れた。
その裏で、ルカは誰より美琴のことを想っていた。
アイドルとして露出の増える相方に置いて行かれる美琴と、ステージのためだけに生きる美琴の練習量についていけない相方。でも誰よりも美琴のパフォーマンスを大切に想う相方。
その姿はあまりにもにちかと重なるところがあり、その結末として解散するしかなかったのだとしたら、果たしてシーズは・・・
プロデューサーの冴えたやりかた――
ルカとにちか、感謝祭、コンテンポラリーダンス。
それらは同じ結末へと収束しつつあった。
ルカよりも美琴との技術的な距離の遠かったにちかは、言われるまでも無くパフォーマンスが実現できないと悟っていた。だからこそ、にちかは自分の足で踏み出した。自分の言葉で、相方にそれを伝えるために。
そして美琴も気付いていた。ルカとの結末と、そのルカよりもパフォーマンスで明らかに劣っている今の相方。それらを踏まえ、にちかの表情も見れば、もう美琴にだって答えは判る。
コンテンポラリーダンスを押し通したかったルカと、自分から断念しようと提案したにちか。過程は違えど、その結末は収束しつつあったのだ。
だから、感謝祭に臨むにちかとルカ、2人の道が違えたのだとしたら、それはシャニPの采配によるものだったのかもしれない。
かつてのルカと美琴のマネージャーは、ルカのレッスン時間を確保できないという理由で、コンテンポラリーダンスを却下した。
そして、同じ理由でにちかにも荷が重い障壁となるコンテンポラリーダンス。当然と言えば当然だが、シャニPは早いうちからそれを予期していた。
しかし、そんな言葉をすんなりと受け入れてくれるシーズではない。シャニPだって、そのことは重々承知している。だからこそ、シャニPは2人が大事にしているものを壊さぬように、変化球的にでも冴えた方法が無いかと必死に頭を搾る。蔵書を漁ってヒントを探す。
その結果が、にちかを歌に専念させるという提案であった。
しかし、シャニPが本当に伝えたかったのは、方法論ではない。
シーズのプロデュースに限らず、シャニPの考えはいつだって一貫していた。本当にやりたいことをして欲しい、何を大事にしたいのかを考えて欲しい、望む空に羽ばたいて欲しい。
だからシャニPも考えたのだ。にちかはきっと、美琴のステージの実現を一番大事にしていると。美琴はきっと、ステージで最高のパフォーマンスをファンに届けることを一番大事にしていると。
コンテンポラリーダンスというハードルの高いパフォーマンスが、これから取り込めるであろうファン層の間口を狭める恐れがあることを、シャニPが気付いていないハズはない。しかし、シャニPはこの感謝祭で、いつも応援してくれる既存のファンをしっかり見つめていた。
かつてのマネージャーも言っていた通り、いつも応援してくれてる人はコンテンポラリーダンスも受け入れて、喜んでくれるだろう。そういったファンに感謝の気持ちを届ける感謝祭であるなら、たとえ未来のお客さんのハードルが高くなったとしても問題にはならない。
その点において、シャニPは美琴の考えを否定したくなかった。美琴の大事にしているものを否定する訳にはいかなかった。だからこそ、シャニPは何としてでもコンテンポラリーを実現させるべく動いたのだ。
そんなシャニPの想いから生まれた提案だった。
そしてそれは、功を奏した。
美琴やボーカル講師がネックになると考えていた「音を出すことだけに専念するという重圧」は、にちかにとって特異な障壁ではなかったのだ。
にちかにとっては、そもそもずっと重圧の中に身を置いていたのだ。自分が積み上げてきた武器なんて最初から無いと言い切るにちかにとって、どんなステージだって必死で臨むものであり、それが逆に特異な状況も特異と捉えずに済んだのかもしれない。
美琴のステージをファンに届けたい。そのためならどんな努力だってするし、自分が踏み台になることも厭わない。
その点において、シャニPはにちかの大事にしているものを否定する訳にはいかなかった。だからこそ、シャニPはにちかがどんな形であれ美琴の隣に立てるステージを用意したのだ。
こうして、シャニPのアイデアによりシーズの感謝祭は成功した。
――は、2人を協和させるに至らなかった
シーズの感謝祭は、世間でも一定の評価を得たようであった。
ただ、にちかや美琴、そしてシャニPが奔走して作り上げたそれが意図通りに届いたとは言い難いものだった。
目の肥えた雑誌記者には、にちかの新たな可能性を打ち出すためのステージに映った。美琴はにちかを活かすための台であったのだと。
ファンの間では、「恒例のにちか虐め」のような受け止め方をされ盛り上がった。しかし彼らも紛れもないファンであり、にちかの可哀そうキャラ的な売り出しの一環として受け入れられ、喜ばれたようだった。
何にせよ、やはり世間の話題はにちか側へ傾いていた。どうしても美琴ののステージを届けたいというにちかの想いに反して。
シャニマスの描く、この世界の皮肉めいた構造。そんなに簡単に想いは届かないし、ファンとアイドルの非対称性は飛び越えられない。
しかし、表現者であるならステージ以上の言葉は必要としないのが道理であり、こういった反応に対し美琴が不服を唱えることは無い。彼女がステージに臨む覚悟は、良くも悪くもファンの反応で揺らぐようなものではない。ステージの上に自分が満足したと思えるものを置いてこれたのなら、それで良い。
だから、この感謝祭はシーズとしては成功したと言えるものになった、ハズだった。
シャニPは、この感謝祭とそれに伴う自分のアイデアが、シーズを真に成長させるものにならなかった、と気づいていた。
社長との評価面談で、自分の不出来を吐露するシャニP。
シャニPには、これまで数々の苦難を乗り越えてきた経験値があった。そして今回も、とても冴えたスマートなやり方でシーズ2人を納得できる道へと導いた。しかし、シャニPが真に伝えなければならなかったことは、2人には伝わらなかったのではないだろうか。
シャニPも、対外的にも、今回のこのイベントを『ファン』感謝祭とは言っていない。感謝を伝える相手はファンに限らないのだとしたら、いつも応援してくれる全ての人に感謝の気持ちを届けなければならなかった。
にちかは言うまでもなく、ステージに必死でファンへの感謝など考える余裕が無かった。そしてそれどころか、にちかはそもそもファン目線でアイドルに感謝の気持ちを求めていないことが明かされた。
そしてにちかは、自分を隣に置いてくれる美琴に誰よりも感謝している。美琴を誰よりも応援している。
相方から美琴のファンに成り下がりかけているにちかは、そんなアイドル緋田美琴から感謝してもらいたい訳ではないと感じているのだ。ならばそんなマインドのにちかが、自分のファンに感謝などできるわけがなかった。
美琴は感謝という言葉に対し、良いステージで返すと即答した。それはシーズではいつも通りの光景なのかもしれないが、相方のにちかに相応の負担を強いるものだ。にちかだけ仕事が増えてきている今なら尚更である。
いつも応援してくれる全ての人に感謝の気持ちを届けるのが感謝祭であったのだとしたら、美琴はにちかにも感謝を伝えなければならなかった。自分の10年の技術的アドバンテージをさも当然のように押し付けても、それでも必死で付いてきてくれる相方のこと。ステージばかり見ている美琴が果たして、隣で誰よりも自分を応援してくれているにちかに感謝しているのか。答えはわからない。なぜなら感謝を伝えるような行動を起こしていないのだから。言葉を贈っていないのだから。
ユニットなら、視線は違えど同じ目標を捉えなければならない。
互いを見つめて応援し合い、感謝し合い、また感謝してもらうことにも胸を張れてこそ、対等な関係になれるのだろう。協和する音が出せるのだろう。感謝祭を通じて、シャニPは2人にそういった事にも気付いて欲しかったに違いない。
しかし、シーズの音はまだ不協和音であった。
緋田美琴の音
私には、美琴の出す音は純粋すぎて聞き取れなかった。
美琴はいつだって、「歌とかダンスとかパフォーマンスでみんなに感動を与えられるようなアイドル」を目指す身として正しすぎる言葉を発し続けている。それはにちかやルカには特に顕著に、その姿勢を強く感じてしまう。
純粋で、無垢で、そして冷淡ともとれる言葉。
時にそれらは、失望されてるようにだって感じられてしまう。
時にそれらは、責められているようにだって感じられてしまう。
あまりに端的で、不純物の無い言葉たち。
必要最低限で、感情の見えないコミュニケーション。
だからそういった音の奥にいる美琴と心を通わせるのは、容易ではない。
心情変化とか思いの丈とかを、声を震わせるような激情に乗せることでしか届かない音がある。言葉を尽くさなければ伝わらない想いがある。シャニマスは今まで何度も、そういう局面を描いてきた。
それなのに美琴の出す音は静かすぎる。
美琴の発するその言葉は、精神を磨き上げた美琴の純然たる真意なのだろうか。あるいは、10年の不安が溢れ出さないように、自分の激情に波風を立てぬように、無感情の音で塗り潰しているだけのだろうか。
私は、美琴の音が聞きたい。
静かで無感情な音で塗り潰されない、本当の美琴の音。
いつか聞かせてくれるのだろうか。
にちかに、ルカに、私に、その音を。
ルカは、一瞬でも触れたのだろうか。
美琴の心の奥底に潜む、紺碧の空のような音に。
そして美琴は、にちかと作り上げた感謝祭をステージから見て、息を呑んでいた。そこから何が見えて、何を想ったのか。それを音にして出してくれないと、にちかとも協和できっこないのだ。
音にして教えてくれ、美琴・・・
あとがき(所感など)
思い付きをふせったーにしたやつ
前回のノー・カラットの記事は、今になって全文を読むと素っ頓狂な考察もあるかもしれない。それでも書いた時点での私の考えということで、特に改変せず残しておくことにする。
王道の邪道、SHHis(裏)
にちかは終ぞ、ファンへの感謝の気持ちを持てなかった。
その理由は、自分がファンだったとしてアイドルには輝いて欲しい存在であり感謝して欲しい存在ではないから。
なぜそんな視点で見ているかというと、それは八雲なみや緋田美琴に対して、にちかがそういった感情を抱いていたからに他ならない。
そして・・・
この言葉が漏れてしまったのだ。
口にしてははならなかった筈の、究極の卑下。
私はノー・カラットの美琴の言葉を思い出さずにはいられなかった。
もしかしたら、いやもしかしなくても。
にちかと美琴は、シーズは、もうユニットとして続けられない局面にまで来ているのではないだろうか。
思い返せばシャニPは、そうなる可能性に薄々気付いていた。もちろんそうならないように最大限の努力を続けているのは間違いないが、それらも空回り気味でなかなか成果が出ない。
そんな中、シャニPが2人にかけた言葉は、にちかのW.I.N.G.を想起させるものだった。
そして、「今という時間」を大切にできず、やりたかったことをやれなかったせいで、次の機会が永遠に失われてしまった人の後悔が映る。
シャニPは、きっとシーズがどんな結末を迎えようと、思い返したときに後悔しないような選択をさせようとしている。何故なら、その先で幸せになれるなら、シーズという枠自体は手段に過ぎないのだから。
そもそも、赤の他人から運命共同体になったのだ。
相性が悪ければ別の道を考えることも決してネガティブなことではない。
けれどそこに、一縷の望みがあるとしたら。
にちかこそが美琴を救える存在で、美琴こそがにちかを救える存在だった、そんな奇跡のような協和を願うとしたら、運命のような巡り合わせに縋るしかないのかもしれない。
私はそんな奇跡に縋ってでも、にちかと美琴が一緒にいてくれることを、一緒に幸せになってくれることを、願っている。
シーズの物語つづき
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