対話【モノラル・ダイアローグス】
私の担当アイドル、七草にちかの物語。シーズ2つ目のシナリオイベントについて、私の考えと想いをここに記す。
不協和
結成から長い月日を経ても、しかし2人の関係は相変わらずであった。自分のバラドルたる売れ方に不純を感じ、理想から遠のきながらも、にちかは仕事をこなし続ける。
感謝祭のラストに吐露したにちかの本音。場の雰囲気でイジられたり笑われたり、そういったキャラクターによる愛され方はアイドルとして相応しくない、ステージの上のパフォーマンスこそアイドルにとっての本分であるというマインド。
しかし幸か不幸か、にちかにはバラエティの適性があった。年上だらけの現場で自分というキャラクターを絶妙にコントロールするバランス感覚は、もはや資質であるとシャニPも唸るレベルの、紛れもない才能。
そうした中で、にちかはシーズとしての自分の役割を考えるようになる。自身の目指すアイドル像の中でのそれは「ヨゴレ」であるが、それを自分が負うことで「美琴さんが飛べるように、美琴さんの隣に置いてもらうための台になる」という役割。
にちかは、アイドル業界をよく見ていた。
その道に憧れ、アイドル事務所で働く姉を持ち、自身もCDショップというトレンドを最前線で感じられる場所に身を置いていた。
だからこそ、気付いていたのだ。そういう役割を担うことが、シーズを、美琴をステージに立たせるために必要であると。
そして、にちかがそういった使命を自身に課していることを、シャニPも気付いていた。しかもその行為は実際にシーズの知名度を上げる結果へと繋がっており、だからにちかはそれを自分の役割としてより意識せざるをえなかったのだ。
問題は、美琴がにちかの自己犠牲について何も気付いていないこと。
極論、にちかがバラエティを楽しめてその役割で自己肯定感が培われていれば、バラドルに向かない相方は何も気を遣うことはない。あるいはにちかが苦しみを背負っていたとしても、その同意がとれていて別の部分で美琴が支える側になっていればまだ健全である。
しかし現状では、にちかの美琴を立てるための自己犠牲を、美琴は認知していない。美琴はそんな事をにちかに頼んだことはないのだから。対話をおそれていたにちかが美琴にそれを告げることは無かったし、対話をしらない美琴がその事実に気付くことも無かった。
傍から見れば、にちかは適正通りの仕事ができてアイドルとして輝いている。その姿は、本人のやりたいことを思いっきりやっているように映る。
美琴の目には、にちかが自由にやりたいことをやっているように見えていたのだろうか。自分は今、自由にやりたいことをやれているのだろうか。知人ダンサーが言うようにソロのステージを望むのだろうか。
美琴の真意はまだ判らないが、その文言には引っかかっていた。だから美琴とシャニPは問答を重ねる。けれどそれらも平行線で要領を得ない。
シャニPの見据える到達点はいつだって、アイドルが笑顔になれてそれを届けられるステージだ。しかし美琴にとって届けたいものは純然たるパフォーマンスであり、そこに自分達の笑顔や幸せの有無を議論する余地は無い。
そもそも何がしたいとかどうすれば幸せとか、そんな価値観は美琴の勘定に入っていなかった。自分のものも、相方のものも。だからにちかの自己犠牲など、気に留めるべくも無かったのだった。
にちかが自己肯定できないまま、美琴のためと考えてバラドル路線を続けていること。美琴がそんなにちかの苦しみを、果ては自身の幸せすら認知していないこと。
その2つの事実が不協和を生んでいると、シャニPは気付き始めていた。
自分の記事からの引用で恐縮だが、私は以前このようなことを書いた。
幸せを、笑顔をないがしろにした不協和に目を瞑り、ステージが増えるばかりの現状を良しとするのは、シャニPのプロデュースではない。
だから根気強く、シャニPは「伝える」のだ。
プロデューサーの真摯なやりかた――
互いを見つめて応援し合い、感謝し合い、また感謝してもらうことにも胸を張れてこそ、ユニットは対等な関係になれるのだろう。協和する音が出せるのだろう。感謝祭を通じて、シャニPは2人にそういった事にも気付いて欲しかったに違いない。
しかし、それは感謝祭では叶わなかった。
遂には昔の美琴を知っているディレクターに、当時よりも相方との関係が円満でないのではという指摘をもらう。
シャニPは当然、2人を協和させるための策に考えを巡らせていた。そしてそのヒントは、思いもよらぬところから顔を出した。
ここ最近のイベントコミュの描写により、283プロが大きくなったこと、そしてシャニP自身も業界で認められるようになってきたことが描かれている。今回も、シャニPは大きな案件を動かす立場の人間と、プライベートな会話を広げられるような間柄までになっていた。
そして、どんなに社会的に成功しているように見える人間にも、身近な人間との不和に悩むことがあるということを知る。
妻との不和など日常茶飯事だと語る代理店ディレクターは、どこまでも等身大の1人の人間であった。どんなに秀でた人間であっても、人を究極的に理解することはできない。
自分の記事からの引用で恐縮だが、私は以前このようなことを書いた。
彼はその手段を厭わなかった。愛する妻のことを理解しようとすることを決して諦めず、だからクリニックはそのための手段に過ぎない。
クリニックと言えばやや聞こえは柔らかいが、要は心療内科である。
人間関係から生じる様々な問題を、医学的見地から解消せんとするアプローチ。現代でこそ社会に浸透しつつあるが、そこにはやはり偏見があり忌避感を覚える人も少なくないだろう。
しかし、代理店ディレクターは軽く言ってのけた。
それはシャニPを信頼に足る人間であると評価し、悩む後進を導こうとしてくれたのかもしれない。最も大切なことは、相手を理解することを諦めないこと。その為には様々な手段があるということ。
だからシャニPは、真摯に検討したのだ。恐らくアイドル物のゲームで他に類を見ない、ユニットのコミュニケーション不全解消にメンタルクリニックの受診を試みるという選択肢を。
本当に大切なものを、大切にするために。
メンタルクリニックは、初診という土俵に上げるのが最も難しい。
シャニPは2人に説明する際、その行為にレッスンという名をつけた。そして先ずは美琴に、以前引っかかっていた文言の答えを見つけるためという説得を行う。
嘘偽りのない、それでいて未来に希望を持てる言葉選び。吐露される言葉は全てシャニPの本心であり、それを言語化して説得するという行為は紛れもなく「伝える」ということに他ならない。そしてそれは美琴とにちかの間に欠落しているもの。
そしてにちかにも「伝えるレッスン」のことを告げる。コミュニケーション不全について既に感じとっていたにちかは、美琴よりも察し良く、しかしその事実を認めることを恐れて強く反発する。
けれども、美琴を説得できたならば、にちかも来ざるをえない。
その言葉はにちかにとって、決して無下にできない言葉。にちかとずっと対話してきたシャニPは、そのことをよく知っていた。
こうしてシャニPの真摯で執念深い想いが、行動が、遂に2人を対話の場へと引っ張り上げたのだ。
――は、2人を対話させるに至ったのだろうか
序盤からモノローグとして挟まれていた異星人の寓話、それがカウンセリング(エンカウンター・グループ)のイントロダクションであったことが明かされる。そしてその読み合わせが済めば、いよいよ話は本題へと入る。
その内容は奇しくも、先日バラエティ番組で行った箱の中身を手探りで当てるゲーム。しかしそこにいる2人はこれがバラエティなんかではなく、「伝えるレッスン」であることを自覚している。
美琴は、バラエティ番組の時よりも遥かに協力的であった。その変化に気付いたにちかは、何故美琴に変化があったのかが解らず困惑する。この「伝えるレッスン」に臨む美琴の考えに思いを馳せる。
しかし、美琴のこのレッスンに懸ける想いが見えずとも、今触っているものの感触を粛々と伝え合えば、ゲームにはクリアすることができる。それはバラエティ番組のお題より複雑な形状のものであったが、美琴が協力的に言語化してくれたおかげで答えに辿り着く。
それは、2人に客観的な共通認識のあるもの。
これを当てることにより2人に成功体験が生まれた。そして同時に、「伝えるレッスン」の輪郭が見えてくる。
本番はここからであった。
それは、2人に客観的な共通認識の無かったもの。
当事者たる彼女たちの間で、間違いなく主観的認識にまみれているはずのそれを、言語化するよう促される。
生年月日や血液型など、無機質な質問でまた成功体験を積み重ねる。しかしそれも束の間、箱の中身の抽象的で本質的な質問が繰り返されていく。
シーズが対話を始める。
美琴はかつてないほどに歯切れが悪い。
そんな姿を隣で見せられ、にちかも萎縮していく。
美琴から絞り出される言葉は、友達やバイト仲間程度ならみんな知っているようなことばかり。その先は、どれだけ促しても出てこない。それはまるで、美琴の主観にはにちかが映っていないかのよう。
日を跨いで「伝えるレッスン」は続く。
箱の中身は、依然として「七草にちか」。
今度は箱の中身の想いについて当人に問いかけられる。にちかの口から出る美琴への賛辞は具体的で主体的で詳細で、その姿は言語化能力にさも問題の無さそうな流暢なもの。
しかしそれらも、クリニック講師による理詰めの問答により紐解かれていく。にちかの自意識の中にいるシーズ、その歪な関係性が明かされる。
美琴へと質問を移せば、そこにあるにちかは拙い客観だけ。いつまで経っても具体的な言葉は出てこない。美琴の自意識の中にいるシーズ、その存在にあまりにも主体性が無いことが明かされる。
自分にとって相手はどんな存在か。
相手にとって自分はどんな存在か。
どちらの事実もまっすぐに見つめようとしないにちかと、どちらの事実にも目を向けたことのない美琴。彼女たちは、シャニPは、先ずその事実と向き合ったのだ。シーズを始めるために。
(客観でコミュを読んでいる私たちには自明のことでも、主観でこの問題にあたっている彼らがこの事実に気付くのは難儀に違いない。だから世には、主観の問題を客観で整理してくれるクリニックの存在があるのだろう)
こうして、大切なものを見つめる沈黙(SHH)の時間と、考える時は主観の箱に入ること、そしてその先の『言葉にすること』の大切さを2人に刷り込み、「伝えるレッスン」は一区切りした。
ここから先は、当人たち次第。
緋田美琴の音(再)
にちかはいつだって美琴のことを見ていた。そしてその美琴が何を考えているのかについて思いを馳せていた。
しかし、クリニックの「伝えるレッスン」を経ていざその蓋が開いてみれば、美琴は言語化できるほど主体的な思慮を持ち合わせてはいなかった。テクニック向上の為の思考以外の全てを削ぎ落して到達した境地。そこにはパフォーマンスを評価する客観しか無いはずなのである。
遂に美琴自身がそのことを自覚し、にちかに伝える。とても拙いが、価値のある小さな一歩。
そしてそれが解れば、当然にちかにも疑問が生まれる。いや、とうの昔からずっと疑問に思っていたことであり、「伝えるレッスン」で顕わにされた、にちかの歪んだ自意識の根っこにあるもの。それを美琴に問いかける。
美琴の答えは、相変わらず要領を得ない。
しかしそれにより、『美琴の奥底には論理的でない感情が眠っている』という事実も見えてくる。何故なら、本当にパフォーマンスを評価する客観のみが判断基準なのだとしたら、相方のにちかを切る選択肢が早々に出るはずなのである。テクニカルにはもっと上の存在がたくさんいるのに、隣のにちかを捨てることを何故迷うのか。
レッスンを経て美琴がわかったのは、わからないということ。
拍子抜けするような答えだが、とても大切なこと。
それはテクニカルで劣るにちかを隣に置き続けて良いのかわからないということであるが、本質はレッスンという自分の持つ唯一の物差しだけでは、隣に置く人を測れないと美琴自身が気付いたということ。
私はシーズ感謝祭のnoteでこう書いた。
美琴の言葉は相変わらずであった。
それでも今回、美琴の感情は僅かながらにも音を立て始めていた。
きっかけは知人ダンサーの言葉。
曲や身体の仕上がりの話もそこそこに、その先の安定や自由の話。幸せになるための価値観への問い。
ここの美琴のトーンは、たった一音だがかつてないほどに狼狽している。私にはそう聞こえた。その後のシャニPとの自由についての問答でも、美琴は困惑したような声を出している。
そしてこの頃から、美琴の身体にも変化が現れる。
それは熱を伴わず、現状では問題ないと医者が判断できる症状であった。精神的なものが自律神経に悪さして引き起こされる、ストレス性疾患の可能性を示唆される。
本人の自覚無しに先に身体が悲鳴を上げる事例など、現代社会においてありふれた光景だ。そして美琴にその症状があるとしたら、やはり『美琴の奥底には論理的でない感情が眠っている』ことの証左になるに違いない。
クリニックにおいて、美琴の姿は終始弱々しく見えた。聴こえた。
震えなが息を呑み苦しそうに吐き出す言葉未満のそれは、今までに聞いたことのない、紛れもない美琴の「音」であった。
そしてレッスンという拙い対話を経て「相方がにちかでいいのか、わからないということがわかった」のだとしたら、やはり何らかの感情が、テクニックの足りないにちかを論理的に排除することを拒んでいる。レッスンという物差しだけでにちかを測ることを拒んでいる。
美琴の奥底に眠るそれの正体は果たして――
七草にちかの音
さて、ここに至るまで不自然なほどに触れてこなかったが、今回にちかの対比として感謝祭から引き続き斑鳩ルカが描かれた。そして冒頭の赤いリップにより、図らずともにちかがルカのことを意識する展開となる。
にちかの歪んだ自意識の根っこにあるもの。自分は美琴の隣に置いてもらうに相応しい存在なのか、美琴はそれを納得しているのか。
にちかはそれを客観視するために、自ずとルカの存在を追うようになる。かつて美琴の相方だったルカを直視することは苦痛を伴うが、それでもにちかは美琴と向き合おうとする。
当時のインタビュー記事から、美琴とルカの関係に思いを馳せる。
元相方は、自分より遥かに多くの時間を美琴と過ごしていた。
元相方は、美琴の大体のことをわかってると答えていた。
元相方は、軽々しく親しげに話しかけていた。
持ち出してしまったルカのリップを見つめるたび、嫌というほど、ルカにはあって自分には無いもののことを考えさせられてしまう。
にちかはずっと、自分がアイドルであることに胸を張れていなかった。そして遂に「伝えるレッスン」越しの拙い対話の中で、そのことを美琴に気付かれてしまったかもしれないと恐れた。自分が相応しい存在でないということを裏付けてしまったのではないかと。
「伝えるレッスン」越しの拙い対話の中で、美琴はにちかにほとんど目を向けていないことがわかった。実力不足で美琴の目に映っていないと考えていたにちかにとって、未だにその状態が続いているということを突きつけられる結果は辛いなんてものじゃない。
だからもう、にちかの自己肯定感は限界を迎えていた。
自分が美琴に相応しい存在であるのか、美琴は何も言葉をくれない。何も言葉をくれなければ、自意識の檻の中で不安ばかりが募る。きっとこの高級で華のあるリップが似合うかつての相方の方が、ニセモノの自分なんかより、美琴と並び立つに相応しかったに違いない。
茫然自失としながら、にちかの足はルカのステージへと向かう。
不安ばかりを彷彿とさせるこのリップを持ち主の関係者にでも委ねて、少しでも肩の荷を下ろそうとしたのかもしれない。
しかし数奇な運命は、にちかとルカを邂逅させた。
当然、互いのことは認知していた。
しかし、今まで会うことのなかった2人。
不意を突かれたのは、ここにいるはずのないにちかを見てしまったルカの方だろう。ただでさえ情緒不安定なルカは、即座に凄む。
自己肯定感が摩耗したにちかにとって、ルカの問いにクリニック講師の質問が重なる。美琴の元相方からの訴えが、別の意味に聞こえてしまう。
にちかは目的を果たそうとする。しかし思考は朦朧とし、言葉も上手く出てこない。美琴と意思の疎通ができない現状への恐怖、美琴の元相方と対面している緊張、自己犠牲を繰り返してきたことによる憔悴、そうしたものが押し寄せてくる。
全然すごくない人が、なんですごい人と一緒にいるんだろう。
にちかは、何とかリップを取り出す。
これさえ返せば終わるはずなのだから。
恐怖も緊張も憔悴も裏返って、もはや笑いが漏れてしまうほどに、にちかは追い詰められていた。自嘲の極地でにちかが辿り着いたのは、自分にはそぐわなかった物はホンモノに返すべきという思考。
ルカにも熱が入っていく。もう誰も、このあっかいリップだけの話をしていない。他にもにちかがパクってしまったもの、ホンモノに返さねばならぬものがあるとしたらそれは――
リップは手から撥ね退けられた。
にちかの返そうという行為は拒絶された。
そこにあるのは、明確な自身への敵意。
にちかは、笑った。
思い返せば、にちかを責め立てていたものは全てにちかの内面から生まれたものであった。何故ならにちかの現状を世界で一番許せなかったのは、自意識の檻の中のにちか本人だったのだから。
しかし今、初めて目の前に現れたのだ。恐らくにちか本人よりも、にちかのことが許せないほど憎いと言ってくれる人間が。それは自分より遥かに多くの時間を美琴と過ごし、美琴のことは大体わかってると答え、美琴に親しげに話しかけていた元相方。
にちかだって本当はルカのことが妬ましくて仕方がなかった。しかし自分というキャラクターを絶妙にコントロールするバランス感覚を持っていたにちかは、年上だらけの世界で誰にキレたら許してもらえるかを直感で理解していた――はずだった。しかしルカから明確に「伝え」られた敵意により、にちかの自意識の檻が軋んだ。
にちかはもう、世界で一番にちかのことが許せない人間では無くなった。
だからきっと、少しだけ、にちかの自己肯定感が回復した。
そしてシーズの時はゼロへと向かう
にちかとレッスンという対話を経て美琴が掴んだものは、「相方がにちかでいいのか、わからないということがわかった」という拍子抜けするような答えだった。
そして美琴は、北海道にある実家へと帰った。
美琴は涼しい顔で告げたが、しかしその覚悟は相当なものであるだろう。何故なら今の中途半端な状態で長らく控えていた帰郷をするということは、自身の信念を曲げることなのだから。283プロで成さねばならぬことから、果てはこの10年からも逃げられないと自覚しながら、それでも何かを始める為に、美琴は東京を去った。
美琴の対話能力はまだあまりにも拙い。
風邪かもしれないからにちかと控室を分けるということも、にちかの熱の籠ったポップを見た感想も、帰郷するために活動休止するということすらも、にちかに伝えられていない。
美琴の咳は、まだ止まない。
一方、レッスン後の感触でぬか喜びさせられ、活動休止や帰郷について本人からはなにも相談されなかったにちかは、それでもめげてはいなかった。
美琴から言葉は貰わずとも、にちかは帰郷の意味を理解していた。いやもしかしたら美琴は無自覚で帰郷という選択肢を取ったのかもしれなく、だとしたらにちかの方が美琴のことを理解していた。
美琴に必要なのは、レッスンで塗り潰されてしまった10年より以前の時間まで遡った先で、自身と向き合うことだった。
美琴は、ゼロから始めるのだ。
レッスンというアイデンティティが取り払われた環境で、自分の中のそれ以外のものを見つめるために。今の美琴になら、きっとそれができる。
そしてにちかもまた一人で活動する間に成長しなければならない。美琴が帰ってくる時までに、にちか自身が少しでも胸を張れるよう、自己肯定感を養わなければならない。実力派ユニット売れ出しても、バラドルとしてレギュラーを持っても、思い返せばW.I.N.G.に優勝してすら、にちかは自分のことを認められていなかったのだから。
にちかもまた、ゼロから始めるのかもしれない。
美琴の隣というアイデンティティが取り払われた環境で、自分の中のそれ以外のものを見つめるために。今のにちかになら、きっとそれができる。
自意識の檻に閉じこもっていたにちかにとって、自分のことを最も認めていなかったのは他ならぬ自分自身だった。しかし妬ましい元相方が現れて、「お前なんか認めない」と言ってくれることによって初めて、にちかは反論する機会が与えられる。それは美琴が言葉をくれない現状で、にちかが自己肯定感を回復できる荒治療的手段。
ならばにちかは、きっとこの先もルカと戦っていかなければならない。
大切なものを大切にするために。
あとがき(所感など)
思い付きをtwitterにあげたやつ
恐らくこのシナリオにおいて訴求力の高い要素である「斑鳩ルカのパーソナリティ及び私たちが正体を知っているかもしれない母親の存在、そして彼女らと天井努との軋轢の話」については、今回まったく触れなかった。
これは私個人がにちかの、そしてSHHisの担当Pという意識でnoteを書いているからであり、その舞台側の物語に目移りするのはまだ早いと感じたからである。(もちろんそこまで言及するとnoteが散らかり過ぎるという理由もある)ご了承願いたい。
そして今回も、以前の記事から引用したりもしたが、今になって全文を読むと素っ頓狂な考察もあるかもしれない。それでも書いた時点での私の考えということで、特に改変せず残しておくことにする。
この物語で、シーズは遂にゼロへと至った。
私の中にもう不安は無い、と言ったら噓になるかもしれないが、2人を信じることができる材料は揃った。ならばまだ明かされていない点はあれど、もうにちかと美琴については以前のnoteで書いたような裏を読んで展開予想するべくもない。
彼女たちのドラマがどのようなものになろうと、私は見届けたい。
シーズの物語つづき
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