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13歳のフォトグラファーMIHOの小宇宙

上手いとか上手くないとかの話ではない。
撮れてるとか撮れてないとかの話でももちろんない。

小さなデジカメXQ2とコンパクトフィルムカメラGR1を持ち歩き、ひと目に触れないように遠慮がちにササッと撮ってその場を立ち去る。それがMIHOのスタイルだ。

知人の娘であるMIHOは数年前から家の中で暮らすのがどうやら好きになったらしい。
理由は本人でないとよくわからない。本人に聞いてもよくわからないと思う。家でネットの海を航海しているのが性に合っていたのだろう。誰だって、そういう事態に入り込む可能性はあるし、長い人生でそんな時期があっても悪くないと個人的には考えている。むしろそうした家猫のようなMIHOの習性は彼女独自の世界観を築くのに役に立ったのではないかとも思う。

彼女は学校が好きではなかった(いまは好きなのかもしれない。そこは本人に聞けていない)。
私も学校は嫌いだった。みんなだって行きたくないか、行きたくないことを忘れているだけだと思う。
そんなMIHOが同じ習性を持つ仲間が集う学校に出かけるようになったらしい。学校に行くこと自体を「偉い」とか「回復した」とかなどの言い回して褒めてあげたくはない。MIHOは自分で学校に行かないことを選んだんだし、それは彼女が心の声に従ったんだと思う。心の声を殺して「いい子」になった優等生の末路は、必ずしも明るいともいえない。

MIHOは数年間、自分に正直に生きた。そこはうなずけるし、また、最近、学校に出かけるようになったことも、楽しい話題として聞いた。なにより、バスに乗ったり電車に乗ったりして、外界の風景を楽しんでいることに微笑ましい気分になる。「学校より通学が楽しい」と彼女は言ったらしい。納得。

MIHOはぬいぐるみのコレクターでもある。最近は、高円寺まで出かけて行って、ビンテージのクマなどを物色する。親からもらった中古の品々をメルカリで売り、その売上金と貯めておいたお年玉などで、好きなアイテムを購入することをはじめた。

彼女はなんのために写真を撮るのか。理由は特にないだろう。そこにかわいいものとか悲しいものがあったから撮ったまでだ。そとに出かけて行って、出会ったものを撮影した。本来、写真を撮る理由を少女に問う理由などない。彼女にとっては、写真など遊具のひとつに過ぎない。

私たちはカメラを遊具のように使えているだろうか。彼女の撮影スタイルを見て、私は軽い恥ずかしさと引け目を感じた。趣味の高級機種を手放して、iPhoneひとつで気軽に外出していたりする。

彼女は外に出た。そして目に惹かれるものを撮った。そして撮り下ろした写真のほとんどがSDカードの中に保管され、引き出しの奥にしまわれる。それらは二度と日の目を見ることはないかもしれない。また撮るだろうが、また撮ったことすら忘れるに違いない。

それでもこうして親から数枚の写真を共有してもらう機会を得た。これらの写真を評して、MIHOの持つ個性的な少女性や、社会の歪みを語るのは野暮だろう。写真という名のお絵かき帳に書かれた少女のいっときのスケッチをぜひご覧いただきたい。

撮影 / MIHO

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