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私は何者なのか ep2

おはようございます。tidanomiyuki です。
前回の続きを書いていこうと思います。

シンガーソングライター

2011年の東日本大震災をきっかけに東京から沖縄へ戻り、
沖縄での音楽活動をスタートさせました。

仕事を辞めて、沖縄に戻ってきたことに、兄姉たちはすごく反対していました。

「東京に帰れ」「お前の曲なんか誰も聞かんよ」

当時私は23歳。兄や姉は、夜のライブに出かける私の姿をみて、心配していたのかもしれません。

突然の兄姉たちの言葉は衝撃的で、とても傷つきました。
そしてそれ以降、長い年月の間、仲が悪くなってしまったことも悲しい出来事でした。

それでも曲を書くことをやめず、動き続けていたのは、
「自分は何者になろうとしているのか」を必死に追い求めている時期だったんだと、今振り返ると思います。

「シンガーソングライター」と名乗り出したのもその頃からだったと思いますが、何か試験や資格を受けてなるわけでもなく、誰かからそう任命されたわけでもありません。
「言っちゃっていいのかな」という気持ちも当初はなきにしもあらずでした。

しかし、音楽活動を続けていく中で、シンガーソングライターとして人から紹介される場面が増えていき、今は私自身を称してくれる一番の代名詞となっています。

音楽と私

「音楽」は私にとってかけがえのないものです。
誰かの曲を聴いて癒されたり感動することもそうですが、
「音楽と私」という世界の中で、会話し合う瞬間があります。
「奏でる時」「歌う時」その時間と空間は、まさに宇宙にまで広がるイメージです。
その瞬間は、心の底からの喜びがあります。

選ばれたひとだけ

SNSを開けば、身近な人が国内をライブで飛び回っていたり、海外でフェスに出ていたりします。

「すごい!!」という思いと、「いいなあ!」という思いが、隣り合わせにぴたっとくっつきます。

昔は「選ばれた人だけ」が、何かができたりするんだと思っていました。

もちろん、「選ばれて」前に出ていることには違いはないのですが、選ばれた人たちが、何もせずに、ただそのチャンスを待っていたわけではありません。

常に、動いてきたからこそ、掴めたチャンスなんだと気づかされます。

待っていても何も変わらない。
挑戦する勇気と、それをあきらめない強さが必要です。

(つづく)


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