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変化の時は
自分の人生を振り返る事が多くなる。
大切なものと捨て去らなければならないものがハッキリと見えてくる。
私は20代前半まで、ずっと
生きづらさを感じていました。
何一つ得意なものが無く
勉強もスポーツも苦手。
覚えが悪く、いつもモタモタとしてしまう。
泣き虫で言いたい事を言葉に出す事ができなくてコミュニケーション能力が低かった。
それが原因で傷ついた事もあるし
逆に傷つけてしまった事もある。
学校の先生や周りの大人から可愛いがられるタイプでもなく、異性からモテるタイプでもない。友達と呼べる人も、ごくごく僅か。
何をやっても上手く出来る人が
羨ましかった。
飛び抜けた才能を持っている人が
羨ましかった。
何もかも上手くいっている人が
羨ましかった。
劣等感が物凄く強かった。
闇に足を入れかけた時は
愛のない人達を沢山見てきた。
大勢の中にいてても顔は笑っているけれど
孤独な思いが、いつも心の中で
渦巻いていた。
どこにも居場所が無くて
逃げ出したい気持ちが
どんどん強くなっていった。
私の事を誰も知らない場所に行きたい。
思うようにいかない事ばかりで苦しいけれど
まだ生きていたい。死んでたまるか!と。
そんな思いで25歳の時、地元を離れ
竹富島に引っ越しをした。
島での暮らしに慣れてきた頃
自分にとって「楽しい」を、ようやく
見つけることができた。
Tida Panaの原点である海辺の欠片たちが
楽しさを、たくさん教えてくれた。
どこに行っても、1人でも
もう大丈夫って思えるようになった。
そして西表島に移住をして夫と出会い
自分の居場所を、やっと見つける事ができた。長い時間を共に重ねることで
その感覚が、どんどん濃くなってゆく。
時々、SNSなどを見ていると
苦しんだり、傷ついたりして
生きづらさを抱えながらも
それでも前へ進んでいこうとする人の言葉をふと目にする時がある。
「泣きながらご飯を食べたことがある人は
生きていけます」
その言葉に救われた時があった。
振り返ってみると、そうやって
何度も乗り越えてきたなぁと。
今でも色々な事がある度に思い出す言葉。
愛する人がいて、愛してくれる人がいて
飛び抜けた才能ではないけれど
自分の中に内包しているものを表現できたり楽しいを共有できる場所があるのは
とても有難いことで、それが私にとって救いになっている。
忙しさに追われたり
思うように物事が進まなかったり
些細な事で心が乱れてしまう時もあるけれど
頑張ってくれている人に対して
感謝の気持ちを忘れずに、
ご飯をしっかり食べて前へ進もう。って
落ち込んでいる暇なんて無い。って
自分自身に、言い聞かせている
今日この頃です。
雨続きで滞っていた家の建設作業も
そろそろ始動の時。
あつい夏がやってきます。
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