No.15 『生きることはキリスト』
パウロは第3回伝道旅行でマケドニア、ギリシアでの活動を終えて帰路につきますが、シリアのアンティオキアではなくエルサレムを目指します。この時、ギリシアにいた使途言行録の著者(一般にはルカと考えられています)が再びパウロに同行するようになります。
フィリピで除酵祭(種入れぬパンの祭り)を過ごした後、五旬節までに急ぎエルサレムに着くことを目指していたとありますから、フィリピからエルサレムまで急ぎの旅で50日ほどかかったということになります。移動だけであればもっと時間はかからなかったとは思いますが、パウロにとってこの行程は最後の訪問でした。エフェソにはよらず近くのミレトスでエフェソの教会の主だった人たちに会って別れを告げます。
■使途言行録20:22~27
そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。
行く先々で諸教会の人々はエルサレムへ行かないようパウロに言いますが、パウロはエルサレムを目指していきます。(使途言行録21:4)また、カイサリアではアガボという預言がパウロを訪れて言います。
■使途言行録21:10~12
幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。
パウロは“霊”に促されてエルサレムに行くことを決意して、まわりの人たちは聖霊に告げられてパウロのエルサレム行きを思いとどまらせようとしました。使途言行録には五旬節までにパウロがエルサレムに着いたか書かれていませんが、恐らく着いたのだろうと私は思います。
【まとめ】
五旬節は教会で言うところのペンテコステ、聖霊が降った日になります。過ぎ越しの祭りから7週を数えることから七週の祭りとも言われます。ちなみに除酵祭(種入れぬパンの祭り)は過ぎ越しの祭りの前に行われ、家じゅうの大掃除を行います。家の中にイースト菌の入ったパンがあってはならず「清め」を意味しています。そして7日目に過ぎ越しの祭りが行われ、この時にキリストは十字架にかかりました。それから7週を数えて七週の祭りが行われますが、この日はイースト菌が入ったパンをささげるよう定められていました。
イースト菌(種)は罪の象徴です。本来は絶対に神の前にささげられるものではないのですが、七週の祭りだけは例外なのです。これは罪ある者がキリストの十字架によって罪のない者と見なされて神にささげられるということを意味しています。ペンテコステの本質は収穫のために罪赦された者が自身をささげることです。
ルカは使途言行録でパウロをペテロに並ぶ使途のように記していますが、ペテロはともかくとしてパウロは当時、地道な伝道を行い目立たたない存在だったのではないかと思います。エルサレムの教会会議でもパウロが発言したという記録はありません。恐らくパウロは自ら前に出て使徒たちに並ぶことをあえてしなかったのではないかと思います。しかし、パウロに与えられていた賜物は使徒たちよりも優れていたでしょうし、パウロ自身、そのことに気づいていました。
その働きが、エルサレムへ行くことで終わろうとしていたのです。
人間的な考えとしてはまだまだパウロは生きて福音伝道の場で活躍すべきなのではと思います。パウロを知ったまわりの人々はパウロを必要としていました。パウロのなかにもここで終わってよいのかという迷いがありました。
■フィリピ1:21~23
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。
私たちは歴史の後ろ側からみているのでわかりませんが、当時はパウロが後の時代にわたってキリスト伝道に深く影響していくことは誰ひとり想像していなかった筈です。
パウロをパウロたらしめているのは何だったのでしょうか?
豊富な知識、知恵、まっすぐな信仰などもパウロの一面だと思いますが、私はキリストとどれだけ近くにいたかではないかと思います。パウロが「生きることはキリスト」と言った、この言葉こそパウロの本質なのだと思います。福音伝道には苦難がたくさんあります。私は苦しい時に何度も神へ不平、不満をぶつけてきましたが、パウロは比べ物にならない多くの苦労の中、不平を言わず、自分の境遇については意気消沈することがなくまっすぐに進んでいきました。
パウロはキリストが歩むであろう道をまっすぐ進んでいたのだと思います。自分の働きの成果という誰もが気にすることを横において、キリストと歩む自分の存在意義だけを考えていたように思います。パウロは捧げ尽くしていました。五旬節に間に合うようエルサレムを目指したのは、もしかするとそういった心情のあらわれだったのかもしれません。
パウロが語った言葉、記した手紙、伝道はすべて神の知恵に叶っていました。パウロは初代教会の中心的な働きから外れていたかもしれませんが、小さなことにも忠実にキリストに生きたのです。
ですから神は今日、新約聖書における重要な人物のひとりとしてパウロを据えているのではないかと思います。
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