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『天国の鍵のひみつ』

 わたしがずっと昔に建てられたモニュメントを見ていた時のことです。
その塔といいますかモニュメントをわたしはじっと見上げていたんです。
すると、その時に神さまがわたしに言いました。

「いつからそのモニュメントはそこにあるのか?」

んっ⁈神さま変なこと聞くんだなとわたしは思いました。そんなの昔からそこにあるに…決まっ…て⁈

???????

いや、ちがう!!

先週はここにこんなものはなかった!!
そう、気づいたんです。

夢はそこで終わりました。

そうです。これはわたしの夢のなかでの話なのです。
でも、神さまに聞かれるまで確かにモニュメントが昔からそこにあるという記憶がわたしのなかにあったのです。
それが、神さまに聞かれた瞬間に違う記憶と入れ替わったのです。
皆さんも夢を見ることがあると思いますが、夢を見ている時に別な記憶をもっていることにお気づきでしょうか。
夢の中で持っていた記憶と目が覚めた時の記憶は別なものであることを体験することはあるのではないかと思います。

夢というのは心の深層にある記憶の断片が合わせられて形成されるそうです。なるほど、そうかもしれません。でも、夢と現実の世界で記憶が入れ替わっていることについては説明がつかないのです。
わたしはこれが神さまが見せた「天国の鍵」だと思うのです。

どういうことかというと…
クリスチャンにとって天国をはっきりイメージできるというのはとても大切なことなのです。ところが、大人になったクリスチャンにとってそれは難しいことなのです。
天国はどんなに素晴らしいところだと聞いてもどこか子供じみていて素直に受け入れることができないからです。大人になる過程の苦い経験、今置かれている苦しみが邪魔してしまい、わたしたちは今ある現実の延長線上にしか天国を思い描くことができなくなってしまっているのではないでしょうか。

そうではない筈です。
夢で体験しているように、神様がその気ならわたしたちの過去の記憶さえも簡単に変えることができるということです。
そして、わたしたちが天国に立つときは夢から覚めたときのようになり全く新しくされるのです。

■フィリピ3:20〜21
わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

もう1度言いますが、天国へのイメージをしっかり持つということは
クリスチャンにとってすごく大切なことです。
その時はすべての枷からわたしたちは解かれるのです。

けれどもその前に…

どんな苦しみであっても
神さまはそれを無駄にしておくことは決してありません。

あなたのその苦しみが人の救いに変えられるのを、かならず体験します。
キリストがともに歩まれるからです。


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